真珠
その日の最後の授業は、校庭での球技だった。
男女混合のドッジボールである。終礼のチャイムが鳴り、当番だったリュウが、ボールを片付け、教室へ戻ろうと歩き始めたその時。
いきなり目の前に壁ができた。
真っ白でつるつるした表面に、色んな手書き文字の書かれている巨大なボード。
頭上から降ってきたのは、聞き覚えのある声だった。
「リュウ? 最近あんた、私のこと避けてない?」
真珠だ。
身長十三メートルに達した真珠は、さすがに球技に参加することが出来なかったため、巨大なホワイトボードに、クラスの対戦記録をつけていたのだ。
ボードはすべての科目のノート替わりである。書き込まれたボードの内容は、デジタル化されて端末に送られる。真珠はそれをスクリーンに投影して復習する、というわけだ。
「おいこれ、大和が『外』から送ってくれたもんだろ。乱暴に扱うなよ。壊れても『中』じゃ直せねえんだぞ」
リュウは冷静を装い、すました顔で言った。
だが、真珠の追及はそんなことではかわせなかった。
「話逸らさないで。なんで避けてるか聞いてるの」
「べつに……避けてなんかいねえ。話しかけんなよ。恥ずかしい」
「へえ。女と喋ってからかわれるのが恥ずかしいってこと? ガキね」
「そういう意味じゃねえ。ただ……二人っきりはよ……」
リュウは耳まで真っ赤にして言う。
「は? 意味わかんない。ガキなのは同じでしょ」
大和が留学の名目で『外』へ行ってから、すでに半年が経とうとしていた。
真珠は、大和がもう帰ってこないことは知らない様子だ。人間の巨大化についての研究に協力するため、しばらくの間『外』に行ったのだと思っている。
それまで大和にべったりだったせいか。真珠は、ことあるごとにリュウに話しかけてくるようになった。だが、そんな真珠に、リュウは最近冷たい態度をとり続けていたのだ。
「おまえ、俺にばっか構ってないで、もっとたくさん友達作れよ。誰も大きさのことで馬鹿にしたりしてないだろ?」
「友達? 何言ってんの。ちゃんといるよ!! 私が心配してんのはあんたのこと!! 大和がいなくなってからずっと暗くてさ!! いい加減にしなよ!!」
リュウは驚いて真珠を見上げた。
彼女がそんなことを考えているとは、思ってもいなかったからだ。
たしかに、大和がいなくなったことで、一番精神的ダメージを食らっていたのはリュウだったのかも知れない。だが、それを表面に出さない努力はしていたし、そんなことに気付いた者は、友人や教師どころか、家族にすらいなかった。
特に真珠に対しては、彼女を気遣う態度しか見せていなかったつもりだった。
「な……何言ってやがる。アイツがいないからって、なんで俺が暗くなるんだよ⁉ どんな根拠で言ってる⁉」
「隠しても分かるのよ。私、オーラが見えるんだから」
「……オ……オーラだって?」
更に予想外の返事を聞いて、リュウは絶句した。
「そう。生き物の周りを包む、波みたいな光。前から薄く見えてたんだけどさ。最近、特によく見えるんだよね。その色とか波打ち方で、その人の気持ち? ってのがある程度わかるの」
「マジで見えるってのか……それってまさか……」
これまで、『中』でも何体かの巨獣、つまり『巨大化した生物』が確認されている。
そして、そのすべてにおいて、元の生物にはない能力が発現していた。
真珠の『オーラが見える』能力は、それではないか、とリュウは思ったのだ。
「?まさかって何よ?」
「いや何でもねえ。それより……その」『オーラが見える』って能力、誰かに言ったか?」
「ううん……あんたと、大和だけ」
リュウはホッと胸をなでおろした。大和であれば、誰かに真珠のことを漏らすはずはない。
いや、もしかすると同じ能力を大和も持っていた可能性すらある。
「もう誰にも言うな。これからも、俺達だけの秘密にしろ」
「え? 何でよ?」
「お前、他人の心が読めるってことだろ? そんなん気味悪がられるに決まってんだろ。体の大きさなんか問題じゃないくらいな」
「そ……そうか」
真珠は素直に頷いた。
リュウは少し安心した。真珠が考え無しに、自分の能力を誰かに言わなかったことは僥倖だ。気味悪がられるのも事実であろう。だが、そのくらいであれば、自分が味方であり続ければいい。たとえ迫害されるようになったとしても、周囲から守り切る自信もリュウにはあった。
だが、その過程で真珠自身が、否応なく自分を『巨獣』だと自覚させられてしまうことの方が問題だ。
「わかりゃいいんだ。それより……避けてて悪かった。大和がいない間に抜け駆けする、みたいのはイヤだっただけだ」
「へえ。素直になったじゃん。でもそれ、あたしに告ってることになるけど、分かってる?」
リュウは真っ赤になった。
こちらに向けた真珠の微笑が、これまで以上に眩しく見えて、慌てて目を逸らす。
「ば……馬鹿。違ぇよ!! ものの喩えだ。ものの!!」
「ん。じゃあ、そういうことにしといたげる」
真珠はくすくすと笑ってから、少し考えこむと、かがんでリュウに顔を近づけてきた。
その表情は笑顔ではない。少し心配そうな、悲しさを秘めているような、だが、相手を信頼しきっている柔らかな表情。
「ね? あんたも……気味悪いって思ったの?」
「え?……んあ? 何言ってんだ? そんなこと俺が……」
リュウは目を白黒させた。その発想はなかったからだ。
たしかに他の人々が真珠の能力を気味悪がるとすれば、リュウもそうだということはあり得る。
だが、真珠はオーラを見る能力で、すべてを察したようだ。
「ごめん。試すようなこと言って。もういいから」
そう言うと、真珠はさっさと立ち上がり、校舎の方へ歩き出した。
「……馬鹿野郎……」
後ろ姿を見送りながら、リュウはつぶやいた。
間抜けな自分への、怒りがこみあげてくる。あの時、大和は言った。
『お前が真珠を気に入ってることは分かってる。幸せに……してやって欲しいんだ』
何故、リュウの気持ちを見透かしていたのか、ずっと疑問に思っていたのだ。
その答えはこれだったに違いない。
大和は、周囲の人々の心を読んでいた。だから、自分と真珠を周囲がどう思っているのか、大和自身がどうすればいいか分かっていた。
だから、一人で『外』へ行ったのだ。
「もうわかったぜ。大和……お前らに気持ちを隠せねえなら、もう隠さねえ。だけど俺は、お前を裏切って抜け駆けするつもりはねえからな」
リュウは、拳を握って西の空を睨んだ。
秋の夕暮れの、真っ赤に染まる空。あの向こうに大和がいる。
「いつか必ず、大和と真珠を再会させてやる。あいつにアタックするのはそれからだ」