大和と真珠
翌日、全生徒が校庭に集められた。
昨日の事件について説明するためだ。
「……よう」
掛けられた声に、大和は周囲をきょろきょろと見まわした。
「ここだよ。足元だ」
リュウである。べつに小柄な方ではないが、身長は大和の腰のあたりまでしかない。ようやくその姿に気づいた大和は、ほっとしたように笑いかけた。
「昨日はありがとう。付き添ってくれて、心強かった」
「ばか。助けられたのは俺達だろ」
リュウはそう言って、大和の膝のあたりに軽くパンチを入れる。
「ははは、お、そろそろ始まる。静かにしようぜ」
大和に言われて前を見ると、校長が登壇するところであった。
「死体を鑑定した結果、あれは、この筑波・霞ヶ浦バイオーム内では絶滅したはずの『ツキノワグマ』という哺乳動物でした。約百五十年前には、この領域にも数十頭が生き残っていたようですが、バイオーム閉鎖直後の生態系の不安定化によって、絶滅したとされています」
(ハァ? そんなのが何で現れたんだよ?)
無表情な校長に、リュウは心中でツッコミを入れた。その持って回ったような校長の言い方にも、どうにもすっきりしない印象を覚える。
「今後、ツキノワグマが林地周辺に現れる可能性は否定できません。皆さんは、野山に近づく際には十分注意してください。できるだけ複数人で動くように」
そう言うと、校長はもう別の話題を話し始めた。
どうして百年以上も前に絶滅したはずの生物が、突然現れて生徒たちを襲ったのか、についての説明はまったくなかったのだ。
ああも直接的に、命に関わるような攻撃をしてくる生物は、これまでバイオーム内では見つかっていないはずだ。それを、ただ『充分に注意』するだけで防げるものであろうか。そもそも大昔の日本、それも人間の住居近くにあんな危険な生物がいた、ということ自体、リュウにはどうも信じられなかった。
だいたい、「林地」と言えるような場所は、サクラ村全体をぐるりと囲んでいる。
中には、集落から少し離れた家もあり、そんな家はその周囲が危険地帯となるわけだ。
(ったく……どうしろってんだよ……)
リュウは釈然としなかったが、質疑の時間も与えられないまま、全校集会は解散となり、通常の授業が行われた。
だが、その日の放課後、帰宅しようとしていたリュウは、大和と真珠に声を掛けられた。
「委員長。これから帰り?」
自分を呼び止めた真珠を、リュウは眩しそうに見上げた。
逆光であったが、それだけが理由ではない。
「ん……あ、ああ。お前らも?」
「ね。ちょっと聞きたいことあるんだけど、いい?」
「な……なんだよ?」
リュウは自分の頬が赤らむのを感じていた。
手足のすらりと伸びた真珠は、整った顔立ちも相まって、かなり美しい。
少し垂れ気味の目。小さくとがった顎。髪型も表情も妙にあか抜けていて、学年の他の女子たちとはまるで違って見えた。体の大きさというハンデをものともせず、憧れている男子たちも、かなり多かった。
「あのさ、私たちのご先祖……って、このバイオーム内の生態系を守るために、中に残ったんだよね?」
「ああ。歴史の授業で習ったろ」
「でも、あのツキノワグマって生き物は何? もともと日本にいた動物だって校長先生は言ってたけど……少なくとも、バイオームの中からはいなくなったんだよね? なんで今、いるの? それに、アレがいなくなって百年以上も問題なかった『中』の『生態系』って……ご先祖様が命がけで守ろうとした『生態系』って、何なの?」
「い……いやそれは……」
リュウは言葉に詰まった。
委員長という立場ではあるが、べつに特別扱いされているわけではない。真珠と同じ疑問を自分も持っていたが、その答えを先生から教えられてもいなかった。
「あのツキノワグマ、『外』から移植されたものじゃないかな……」
ぽつり、と呟いたのは真珠の隣にいた大和だった。
「『外』? まさか!! だって、『外』ってあれでしょ……人間が生きていくためのもの以外、全部切り捨てた人たち……」
「いや、『外』にだって、いろんな考え方がある。お前らも、外からの電波情報を見ていたら分かるんじゃねえか?」
「ん……そうかも知れねえな……」
「このバイオームを維持してるのだって『外』の技術だ。ここで一度滅びた生き物でも、他のバイオームに生き残っていたなら、復活させようとしたって不思議じゃない」
「んな勝手な!! 『中』の俺達に断りもなく、あんな凶暴な生き物を、か?」
リュウは思わず怒りの声を上げていた。
もし、大和がいなければ、死者が出ていた可能性もあるのだ。『外』の仕業であるとするならば、もっと大人たちも怒っていいはずだ。
「習ったろ? 俺達『中』の人間は、ここの生態系を構成する生物の一種に過ぎないんだ。元からいたはずの絶滅した動物が一種復活したってのは、生態系があるべき姿に戻ったってこと。文句を言うどころか、感謝したっていいくらいなんだよ」
大和はリュウと目を合わせずにそう言った。
その他人事のような言いぐさに、思わず大和を睨んだリュウだったが、その体がわずかに震えているのに気づいて口を開くのをやめた。
見れば、拳が強く握りしめられ白くなっている。決して平気ではないのだ。それどころか、理不尽な『外』のやり口に憤っている。
だが、遥かに進んだ科学力を持つ『外』と、人間活動に足かせをつけ、発展を抑制してきた『中』とでは、力の差がありすぎるのだ。どれだけ怒ろうと、どんな不満があろうと、理不尽であろうと、黙るしかない。
「でも、どうすりゃいいんだあんなの。いつも大和に戦ってもらうわけにゃいかねえだろう? な? 真珠、お前やってくれるか?」
少しふざけた調子のリュウのセリフに、大和はようやく少し笑った。
「バカ。女の子戦わせようってのか? 真珠をお前が守れよ」
「えーっ? あたし、戦ってもいいよ。もっと体が大きくなったらね」
「これ以上でかくなるつもりかよ」
三人は、声をあげて笑った。
大和が、ふっと真顔に戻って遠い眼をする。
「……俺たち……『中』の人間は、あのツキノワグマって生き物とのつきあい方を忘れちまってんだよ。そいつを思い出さないといけない……」
「思い出す? そんなこと言ったって……」
「昔の人々は、あの強力な動物と、共存してたんだ。できるはずなんだよ。俺達にも……」
*** *** *** ***
リュウたちは、普通の学校生活に戻った。
リュウと大和、そして真珠は、なんとなく一緒にいるようになり、体のサイズの差を気にせず、笑い合えるようになっていった。
それがきっかけとなったのか、休み時間や放課後、それまでクラスの皆から距離をとっていた大和と真珠は、次第にクラスに溶け込むようになっていった。
だが、大和と真珠の成長は次第に加速していた。身長は二メートルから五メートル、十メートルとなり、それにつれて周囲の対応も変わらざるを得なかった。
二人の食事の量も増え、皆と同じ給食では間に合わず、弁当になった。それもそのうち二人の家では用意できなくなり、役場から荷車で届けられるようになった。
校舎に入れない二人の為に、授業は拡声器やスクリーンを使って行われたし、悪天候に備えて、校庭にはスタジアムのような屋根も取り付けられた。
一年がたち、また初夏が巡ってきたころには、二人は十五メートル級の巨人となっていたが、逆にクラスメイト達は、そのサイズ差をあまり気にしなくなっていた。
そんなある日。
帰宅の準備をしていたリュウに、大和が窓から声をかけてきた。
窓といっても、三階の窓である。先に帰らせたのか、真珠の姿は見えなかった。
「リュウ……この後、ちょっといいか?」
いつも真面目な態度を崩さない大和だが、今日はひときわ表情が硬い。
「何だ? またなんか問題でもあったか?」
リュウはもう委員長ではなかったが、ツキノワグマ事件以来、校内では大和と真珠、二人の世話係のような扱いになっていた。
体の大きさのことで、陰口をたたく者を見つけたこともあるし、大きすぎて隙間から素肌が見えてしまう真珠の無防備な服装に気づき、修正するようにしたこともある。
だが、大和が切り出したのは、そんなことではなかった。
「リュウ……俺、『外』に行くことになった」
「ハァ? そりゃどういうことだよ⁉」
リュウは思わず立ち上がって、窓越しに大和を睨みつけた。
「言った通りだよ……『外』からの要請なんだ……まあ、人間の巨獣である俺がいることが、『外』にバレていたってことだ。いや、『俺達が』かな」
「なんでそんなことが……まさか『外』の奴ら、俺達を監視してんのか……⁉」
「ずっと衛星で監視はしてるらしいけど……きっかけはそれじゃない。もうずっと前……あのツキノワグマを殺した時だ。やはり、アレは『外』の連中が放った生き物だった……」
このバイオームは、筑波・霞ヶ浦バイオームだけではない。日本全体で十か所あり、各地域で生態系を構成する生物種は、共通の場合もあれば異なる場合もある。
中でも、以前は全国的に分布していたが、絶滅危惧種となり、一部のバイオームにしか残っていないような生物に関しては、十分な検討の上、他のバイオームに移植されることがある、ということのようだ。
これまでにも、シジュウカラという鳥やニホンカモシカという獣が、このバイオームに移植されたというが、直接危害を与えたりしない生き物だったせいで、問題にならなかっただけなのだ。
「アレは『外』のやつらが「八郎潟・白神バイオーム」から移植したものらしい。それでまあ……あんなのを素手で殺せる者がいる……って気づいたらしい」
ツキノワグマはモニターされていたのだ。
二年前、それが死んだことで、『外』は何かイレギュラーな事態が起きたことに気づいた。その後、衛星からの監視を続けて、『人間の巨獣』である大和と真珠を発見した、ということらしい。
「あんな危険な獣!! 放したやつらがおかしいだろ!! なんで、命がけでみんなを守ったお前が、『外』なんかに連れて行かれなきゃいけねえんだ⁉」
「殺したこと自体をとがめられてはいないんだ。それも、野生下では有り得る事態だ……ってな」
リュウは一瞬、言葉に詰まった。
たしかに自分たちは、『中』の生態系を司る生物の一種、とみなされていると教わっている。その活動の範囲だから、問題ない、とされたという意味だろう。
だがそれは、逆に言えば『外』の連中は、文字通り『生態系の外』だと言っているようで、あまりに見下した態度に思えた。
「……じゃ……じゃあ、なんでだ? なんでお前が『外』に行かなきゃならなくなるんだよ?」
「俺のメシの量……わかってるか? それでも、ここしばらく満腹したことなんてない。それは真珠も同じだ……」
リュウはあらためて大和の顔を見て、絶句した。
たしかに痩せて見える。そういえば、ここしばらく頬がこけたと感じてはいたが、二次性徴が始まったことによるものだと勝手に思い込んでいたのだ。
「『外』には、十分に食料がある。そんで、俺の体を隅々まで、あらゆる角度から検査するんだとよ。貴重な巨大個体として、遺伝子を詳細に調査して、今後、同様なことが起きた場合の対処法を確立するんだと……」
「……協力するしか……ないってのか?」
「ああ……だけど……たぶんこれは建前だ。本音では『外』は、バイオームの『中』に巨獣クラスの戦力があることが気に入らないんだ。しかも、言葉が通じる……これは怖いぜ? それに、たぶん俺はまだ大きくなる……」
大和の静かな口調には、諦めと悲しみが含まれている。
「最大の問題は……巨獣化した人間が、オスとメスの二体いるってことさ。繁殖までされちゃ、たまらない」
「お前らは人間だぞ!! そんな言い方するな!!」
リュウは思わず声を荒げた。だが、大和は大きく頭を振った。
「もし!! 奴らの出した条件を拒否すれば、俺たちは二人とも殺されるだろう。そうでなくたって、俺たちの食糧問題だけで、『中』は破綻する。だけど、条件をのめば、二人とも死ななくて済む。『中』のみんなも……」
「だから……おまえが『外』に行くってか……」
「ああ。『外』が、サクラ村に突き付けた条件はこうだ。俺か真珠のどちらかが、このバイオームから出て、『外』の政府機関の所属となること。そうするなら『外』に出た者には、生活の保障と十分な教育を約束する……」
「そんな話に、大人たちは乗ったってのか⁉」
「俺だけに話を持ってきたのは、上の人たちの配慮だろう。俺も……真珠にこんな思いはしてほしくない……」
「真珠は……知ってるのか?」
「知らない。言うつもりもない。お前に話したのは……あいつのことを頼みたかったからだ」
「頼む? 俺にどうしろっていうんだ?」
「……言葉通りだよ。お前が真珠を気に入ってることは分かってる。幸せに……してやって欲しいんだ……」
「バカ言ってんじゃねえ! そんなもん……帰ってきて自分で幸せにしろ!!」
リュウは真っ赤になって怒鳴った。
自分の邪な気持ちが見透かされていた照れくささと、大和への怒り、大和がいなくなることへの不安、真珠への思い、それら全部の感情が混ざりあって、爆発してしまったのだ。
「ははは。じゃあ、頼んだ。俺は、明日の朝、行く。」
だが、大和はそれだけ言うと窓から離れ、すたすたと歩き去って行った。
「ま……待てよ!! まだ話は終わっちゃ……」
そう言いかけた時には、大和はもうその声が聞こえないほど遠くにいた。
追いかけたい衝動にかられたリュウであったが、本気で歩み去る身長十メートルの巨人は、いくら走ったところで追いつけるものではない。
「ちくしょうッ!!」
思わず窓枠を殴りつけた右手は裂け、血が滴ったが、手当てする気も起きない。怒りとも悲しみともつかない表情を張り付けたまま、リュウはも無人の教室に立ち尽くしていた。