リュウ
霞ヶ浦の岸辺。
以前、シルルスを斃した場所に近い砂浜に、翔たち一行は到着していた。
すっかり日は暮れていたが、月明かりがあたりを薄く照らしている。
群青色の空にちりばめられた星と、水面に反射してきらめく月光が混じり合って、幻想的な光景であった。
その湖の中に、巨大な黒い影が六つ。
細長い脚を持つ影が五体。そして、小島のような巨大な影が一体。百メートルほど沖合に、五羽のサギの巨獣『イグレッタ』と、イシガメの巨獣『玄武』が休んでいるのだ。
川の流れ込みによって、堆積した砂浜が広がっている場所をキャンプ地とした一行は、大きめの焚火を囲んでいた。剛秀、凱、智沙、リュウ、ムサシ、そして後で追い付いてきたハヤト。彼らの顔は、誰もが暗く沈んで見えた。
焚火の近く、砂浜上にも小山のような影が二つある。
カニスルプスの雷牙と、重傷を負ったポセイドンだ。
野生の巨獣が跋扈するバイオーム内だが、これほどの巨獣たちに守られていれば、外敵が襲ってくる心配はないだろう。
「おい。もうこっちへ来て休め」
暗闇の中、岸辺にある小高い岩の上に、剛秀が声をかけた。
見張りなど必要ないはずだが、翔は頑なに言い張って、一人、岩に上っていたのだ。
「……はい」
かすかな声が聞こえ、砂の上に飛び降りる音が聞こえた。
続いて砂を踏む音。
焚火の明かりの中に姿を見せた翔は、目に見えて憔悴していた。
「……おまえのせいじゃない。気に病むな」
無駄。と思いつつも、そう口にせずにはいられなかった剛秀を無視して、翔は無言のまま火に向かって座り込んだ。
だが、その肩をつかんで無理やり立たせた者がいた。
石巻凱だ。
凱は、いきなり翔の顔に右拳を叩き込んだ。
翔は砂の上に転がされ、二メートルは吹っ飛んだ。そして、口元をぬぐいつつ立ち上がる。
「何しやがる」
低く唸るような声。翔の目に怒りの火がともっている。
「てめえ、何いじけてやがんだ。情けねえ」
挑発するような高い声。凱の口元には、不敵な笑みが張り付いている。
「やめろ!! 仲間同士でやり合って何になる?」
思わず二人の間に割って入った剛秀を、凱はその怪力で押しのけながら言った。
「隊長。コイツは僻んでるだけなんスよ。自分の好きな子と何日も一緒にいて気づかなかったばかりか、同じ巨人のイケメンに目の前で搔っ攫われて。てめえのバカさ加減と、身の程を思い知っていじけてるんです。今はコイツのいじけにつきあってる場合じゃねえ。そのくらいはお判りでしょう?」
「何だとくらぁああああ!!」
叫びながら突進してきた翔が、そのまま突き出した拳を、凱の腹部に叩き込むが、凱は微動だにせず、そのまま上から翔を圧し潰した。
「そんな丸わかりのパンチが効くかよバカ」
「じゃあこれはどうだ!!」
翔は、圧し潰された勢いのまま、凱の足元でくるりと前転すると、両手をついた反動を載せて、両足を凱の顔面目がけて蹴りあげた。
「ぐあッ⁉」
思わず尻餅をついた凱を体重を乗せて押し倒した翔は、上半身に跨って顔に左右のパンチを浴びせた。
「てめえに!! 何が分かる!! ニナの!! スージーの!! あいつの思いの!! 俺は!! 守れなかったんだ!! もう!! 会えねえんだ!!」
「それがバカだっつってんだ!!」
凱は上体をひねりつつ、右腕を振り回した。馬乗りになっていた翔は、あっさり弾き飛ばされて砂の上に転がる。
「くそ……この筋肉ダルマが……」
呻いて立ち上がった翔を、いつの間にか後ろに回った凱が両腕で抱えて放り投げる。
翔は、砂浜の上をバウンドしながら数メートル転がった。
「ニナちゃんの思いだ? もう会えないだ? そんなことよりお前はどうするんだよ⁉ ニナちゃんがアイツにどうにかされたら、もう好きじゃないってか? お前はそんな程度の奴だったのか? なんで助けに行こうとしねえ⁉ なんであのスカした野郎をやっつけに行かねえ!!」
仁王立ちになって言い放つ凱に、翔は這いつくばった姿勢のまま吼え返した。
「うるせええええ!! そんなこと出来りゃ苦労しねえだろう!! ここがどこかわかって言ってんのかよ!!」
「分かってるから言ってんだ!! ここには量子障壁の施設がある!! 改造できる頭脳がある!! ニナちゃんの残していったリベルティナの装甲がある!! 武器を作り!! 障壁を突破し!! SVES本部に乗り込み!! 五十川の野郎をぶっ倒す!! できるかどうかじゃねえ!! やるんだよ!!」
「……ぐっ……」
翔は言葉に詰まった。
凱の言う通りに出来れば、言うことはない。だが、それは自分だけではできない。
ここにいる者たちの力を借りなくては。それを口に出すことが、どうしてもできなかったからだ。
その時。リュウがぽつりと言った。
「翔……おまえがたぶん、もっとも心配しているようなことを、五十川神寿郎はやらない……というか、できない」
「え?」
「少し長くなるが……俺とあいつの関係を話そうか……」
リュウは翔と凱を、焚火のそばに呼んで、座らせた。
「まあ、話が終わるまでは休戦、てことでいいな?」
「……はい」
「わかりました……」
凱も翔も、素直に頷いた。
*** *** *** ***
約三十年前。
リュウこと佐々江竜典は、筑波・霞ヶ浦バイオーム内のサクラ中学校に入学した。
バイオーム内では、11歳になるまでは、それぞれの家庭が教育をする。文字や簡単な計算、それ以外の基本的知識やルールは、家庭で学ぶのだ。
中学では、人類の歴史や世界の成り立ち、語学、物理学、化学、生物学、農学などを中心に、もう少し高度な教育が行われる。その年、サクラ中学校には、人口約三千人の村全体から、三十人ほどの生徒が入学した。
「何だあの二人。すげえでっかくねえか?」
リュウにそう言ってきたのは、同じ集落出身の幼馴染だった。
そいつの指さす方を見て、リュウも言葉を失う。たしかに彼らは大きかった。
前の列で話している先生よりも、確実に頭二つ分は背が高い。おそらく2メートルを越えているだろうと思われる。
しかも、ただ身長が高いだけでなく、手も足も太い。頭そのものも大きく、大人の倍くらいあるように見えた。体型は子供のまま、サイズだけ大きくなった感じだ。
そのせいか、実際の距離よりも近くにいるようにさえ見える。
そのような生徒がいることについては、すぐに先生から説明があった。
「この二人は、カスミ集落から来た、真珠さんと大和さんです。見ての通り、二人は生まれつき体が大きいです。その……たぶん、これからも大きくなりますが、それ以外は皆さんと何も違いのない生徒ですから、どうか仲良くしてあげてください」
「……はーい」
クラスメイトたちの反応は、薄いものだった。
リュウもそれ以上、二人の大きさについて興味を持つことは無かった。
二人が大きい理由は、まったく説明されなかったが、そういうものだ、というからには、そういうものなのだろうと思ったのだ。
二人は兄妹というわけでもなく、親族でもないとのことだった。しかも、家族は普通サイズであるらしい。
大きな二人は目立つ存在ではあったが、気を遣っているのか、あまり話の輪に入らなかったし、クラスの中心になることもなかった。どうもそのような習慣が出来ているようだった。
イジメのようなことも無かった。これは『巨人』が二人いたことも大きかったと思われる。二人は、なんとなくクラスの中で浮いた存在のまま、日々が過ぎていった。
成績の良かったリュウは、クラスの中心的存在となり、クラス委員に選ばれていた。
入学式から二か月ほどたったある日。リュウたちのクラスは、学校の隣にある森に出かけた。そこに自生する植物の標本を作る、野外実習であった。
その時。クラスの一人が小さな獣を見つけて騒ぎ出した。
体の大きさが40センチくらい。重さは5キロというところか。真っ黒で手足が短い。
ころころとした体型に、人懐こそうな優しい眼をしている。
「何だこいつ? 黒いぞ」
「モコモコしてるね。かわいい!!」
生徒たちは口々にそう言って、黒い獣を撫でた。
教科書には図譜があり、森にいるはずの動物はすべて掲載されていたが、こんな生物は誰も知らない。
「おいやめろ。野生動物に触っちゃいけないって、先生が言ってただろ」
リュウが眉をしかめて注意した。
危険そうに見えなくとも、未知の生物には迂闊に触らないこと、というのが、両親の教えであった。
「なんか食うかな? 弁当の残り、やってみようぜ」
だがクラスメイト達は、リュウの言うことを聞かず、その獣に弁当の残りを与え始めた。
「やめろ!! 人間の食べ物の味を覚えたらどうするんだよ‼」
「でも、コイツおとなしいぜ? 聞いたことない生き物だし、新種かもよ? なあ――」
そう言ってその小さな獣を抱き上げようとしたクラスメイトが、不意に吹き飛んだ。
何者かに、後ろから突き飛ばされたのだ。
いや、突き飛ばされたというレベルの勢いではない。明らかに体が浮いて、前にいた他の者とぶつかり、団子になって転がった。
顔面同士をぶつけ合った彼らが、うめき声をあげて起き上がろうとしたところへ、突き飛ばした何者かがのしかかる。
「な……なんだコイツ……」
「痛い!! 腕が!!」
短く、激しく、呼吸音と擦過音を混ぜたような唸り声が、断続的に響いた。
襲ってきたのは、黒い毛玉のような獣であった。大きさは人間と同じくらいに見えたが、太く、固く、素早かった。そして、誰もが直感的に気づいていた。先ほどの小さくおとなしい獣は、コイツの子供なのだ。
黒い獣は、生徒たちを一瞬も止まらずに襲い続けた。
うずくまって身を守る生徒の背中を、鋭い爪が裂き、腕を噛まれた生徒は、首の一振りで放り投げられた。
たまらず走り出した一人の男子生徒の脚に、強力な前足の一撃が加えられようとした刹那。
「このッ!!」
黒い獣の背中に、直径二十センチはあろうかという丸木の倒木が叩きつけられた。
丸太はあっさりへし折れたが、獣も数メートル弾き飛ばされて転がる。
見ていたリュウは、一瞬ホッとしたが、獣はそれほど甘くなかった。転がった勢いのまま、まるでゴムまりの様に跳ね返って、丸太の主へと向かってきたのだ。
その動きには、いささかもダメージが感じられない。
丸太の主は、今度は獣の顔を足で蹴り上げた。驚いたことに、獣は丸太の時より遠くに飛び、大木に叩きつけられた。
「うあああああああ!!」
上げていたのは恐怖の声。
丸太を持ち直し、真っすぐに突き出して突進していったのは、いつもおとなしかった大和であった。あの「大きな二人」のうちの、男子の方である。
大人を越える体重を乗せた丸太が、よろめく獣の頸部を捉えた。
「ぎゃふっ!!」
黒い獣は、頭部を大木に丸太で打ち付けられる形になり、その場でのたうち回った。
立ち上がろうともがくところへ、大和はさらに飛び蹴りを敢行した。
体重と速度を乗せた一撃が加えられ、獣の頸の骨はついに折れたようだ。
獣の体は、大きく二、三度痙攣してそのまま動かなくなった。
「おおーい!! どうした⁉ 何があった⁉」
その時になって、ようやく先生が駆けつけてきた。
そして、あまりの惨劇に息をのむ。
倒れたまま動けない生徒、うずくまって泣く生徒、腕を押さえて痛みを堪える生徒……
「何だこれは⁉ おい保健委員!! 救急箱を!! 無事な者が手当!! 俺は病院と学校へ連絡を取る!!」
先生の檄でようやく我に返った者たちが、けがの手当てを開始した。リュウやもう一人の大きい生徒・真珠もそれに加わる。
結局、七人もの生徒が大怪我を負っていた。中には指や耳など体の一部を失った者もいたが、なんとか全員が生きていた。
「……たすかった……ありがとう」
ひと段落着いた時。リュウは、へたり込んでいる大和に近づくと、肩をたたいた。
「……ああ……びびったぜ……」
そう言って、こちらを見た大和は、少し微笑んで見せた。その目の端に涙が光っているのに気づき、リュウはあらためて頭を下げた。
「本当にありがとう。大した奴だよ。お前は」
「そうだよ。大和は強いんだから」
リュウが振り向くと、得意そうに腰に両手を当ててもう一人の大きな生徒、女子の真珠が立っている。
「よせ。必死だっただけだ」
大和は、座り込んだまま、両ひざの間に顔を埋めた。
「はああああ……死ぬかと思った」
心からの安堵を含んだ言葉に、リュウの口元が思わずほころぶ。
「だが実際、すごいパワーだった。おまえ、普通の人間より筋力強いんだな」
「……まあ……これからもっと大きくなるらしいからな……その体重を支えるために、筋力も、骨の密度も、普通じゃないらしい」
そう言って顔を上げた大和の表情は、見たこともないくらい寂しそうだった。
「俺達……『巨獣』ってもんらしい。これまでにも、何種かの動物で確認されている変異個体だってさ……」
表情に暗さを増した大和を励ますように、真珠が声を上げた。
「で……でもさ。大和にはあたしがいるんだから、心配しないで。二人でいれば、何も怖くないよ」
「そ……そうか……そうだな……」
リュウは、それ以上何も言えずに二人から目を逸らした。
体が大きいだけでなく、能力までも高い。だが、そのことが、決して『いいこと』ではないのだ。
『普通』ではないことが、どれだけ彼らを悲しませてきたのだろう。
リュウは、大きくため息をつくと周囲を見まわした。
そういえば、騒ぎのもとになった小さな獣の姿がない。小さく可愛く、人懐こいあの獣。
だが、成長するとあの凶暴な獣になるのだろうか。
危険な生物。今のうちに殺すべき、という考えが浮かぶ。ただ、あの時もしもクラスメイト達が手を出さなければ、親の獣も、あんな行動には出なかったのではないか。そうも思えた。
どうすればよかったのか。何が正しかったのか。自分にできることはあったのか。
大木の根元に横たわる獣の死体を見つめながら、リュウはいつまでも考えていた。