ニナ
地球防衛保健環境研究所(Health and Environment Research Institute《HERI》)は、地球政府による、環境維持を目的とした組織である。
国家間の争いが完全に無くなって、すでに百年。
地球上で唯一の、そして世界共通の軍事機関でもあった。
翔たちはその中の『特定巨大生物』、通称『巨獣』専門の駆除実行部隊・Space Vermin Extermination Squad《SVES》の第二小隊に所属している。
「なんだかなあ……」
翔が、ふうっとため息をついた。
隊員寮の食堂である。
緊急出動で食いそびれた夕食を、三人そろってとっているところであった。
「なんだ? 食事に文句でもあるのか?」
剛秀がおかしそうに言う。
メニューはいつもと同じ、味のない固形食糧と栄養飲料。だが、味など意味はない。電子食器によって、好きなように変えられるからだ。プログラムされた微弱な電気を流すことで、口内の味蕾や触覚を刺激して、肉や魚、どんなものでも食べているように感じさせることができるのだ。
これは、彼らだけのことではない。日本中……いや、世界中どこへ行っても同じであった。
彼らにとっては、生まれた時からのこと。今更文句のあろうはずもない。
「違ぇっすよ。リベルティナのことです。なんで、あんなヘタクソな奴らが操縦してんスか? アレなら、俺らのほうがよっぽど上手く戦えますよ」
「操縦士公募の時に申請はしたんだろ? それに落ちたってことは、お前や俺以上に適性のあるパイロットがいたってことだ」
剛秀は涼しい顔で言う。
「ソレが乗っててアレっすか。ワケわかんねえ……」
「まーまー。せっかく開発した機体が一機だけってことはねえだろ。そのうち量産されれば、チャンスもあるんじゃね? ま、俺はあんなワケのわかんねえメカに乗せられるより、銃器を素手で扱えるこの部隊が好きだけど」
凱が栄養ドリンクの入ったボウルを、熱そうにすすりながら言った。
万能食器は味だけでなく温度感覚も変えられる。どうやら、スープの味にでもしているらしい。
「んなこと、被害者が許してくれねえだろうが。隊長、あの住宅街、壊滅したんスよね?」
「ん……まあ、住宅街は壊滅したがな。人的被害は軽傷者二名、死者はゼロだ」
「ハァ? 『また』っスか。あそこ、何人住んでたんス?」
「五名だと。二名の老人世帯が一つ。あと三名はその介護士」
町一つに住民はたった一世帯。だが首都圏近郊とはいえ、数十年前に開発された住宅地では、あり得る状況だ。
ましてや、今回は山地に隣接していたのである。へたをすると住民など一人もいない町も珍しくはなかった。
「な? 大した問題じゃねえだろ?」
そう言って、涼しい顔でスープを飲む凱をにらむ翔。だがその時、胸ポケットから流れ出した電子音を聞いた途端、表情を緩めて立ち上がった。
「なんだ。またAI彼女からメッセージか?」
「AIじゃねえっスよ。彼女は実在するんス。チャットだってしてんスから」
「現実には一度も会ったことねえんだろ? AIじゃなきゃ中身はオッサンだよ。CGで作られた美少女を操ってんだって」
「まあまあ凱。べつに仕事に支障はないんだ。夢だけは見させておいてやってくれよ」
二人の失礼なやり取りを聞き流しながら、翔はもう自分の部屋へ歩き出していた。
*** *** ***
三筋川ニナは、暗い表情で端末をいじっていた。
目の前のスクリーンには、個人SNSのページが投影されている。
「……あんなのってないよね……」
思い出していたのは、先ほどの戦闘である。
全身を炎に包まれながらも、山を背にして踏ん張った巨大ラットゥス。
逃げ出さなかったその理由を、目の前にいたニナだけは理解していた。
ラットゥスが出てきた穴の奥には、まだ毛も生えそろっていない幼獣たちの姿があったのだ。
攻撃をためらってしまったことで、リベルティナは肩部装甲を大きく破損した。そのことでニナは、運用責任者である三筋川博士、つまり自分の父親から、かなり厳しく注意されていた。
結局、幼獣もあとで出動した別部隊に処分されてしまったわけで、たしかにニナの躊躇は、いいことを一つも残さなかった。
何度出撃しても、生き物を殺す、という業務に抵抗を感じなくなることはない。自分の立場はわかっているが、その理不尽を誰かに聞いてほしかった。
ふくれっ面のまま、画面を操作していると、先ほど送ったメッセージの返信が届いた。
「やった。SHOUくん、お仕事から帰ってたんだ。えーと……“ちょっと嫌なことがあって……チャットできますか?”」
SHOUからの返信はすぐにあった。
ニナは、いそいそと髪を整えると、スクリーンの前で彼がチャットルームにログインしてくるのを待つ。
『や……やあ、こんばんは』
十数分後。スクリーンに投影されたのは、やさしげな顔立ちの青年だった。
短めに刈り込まれた髪は自然な黒。
明るいクリーム色のセーターの下には、きちんと襟が見え、真面目そうな印象だ。
ぎこちない微笑はいつものこと。
SNSを通じて知り合ってから半年。月に数回だが、二人はこうして話していた。
『どうしたの? 何かあった?』
その優しい声のトーンを聞くだけで、ふさぎ込んでいたニナの心は癒されるようだ。
「お父様に叱られたの。その……お仕事で使ってる大事な機械を壊しちゃって」
『なんだよそれ。べつに壊したくて壊したわけじゃないんだろ? 使い方間違えたとか?』
「ううん。でも、ちょっと相手が可哀想になっちゃって、ためらってたら、そいつに壊されたの」
『相手?』
「ああ……うん。ガ……ガーデニングのお仕事で、その……虫がね……精密機械で……」
我ながら苦しい言い訳だと思ったが、SHOUはそれで納得してくれた様子だった。
『そっか、君がケガするような相手かと思って心配した。その優しさ、ニナちゃんらしいと思うよ』
「あ、ありがと。そう言ってくれるの、SHOUくんだけだよ」
優しく微笑んだSHOUに、ニナは思わず顔を赤くする。
『間違ってない、と思うなら、気にしなくていいんじゃないかな』
「えっと、そういえばSHOUくんは、お仕事、大丈夫だった?」
『あ? ああ。平気平気。今回はすげえ処理量が多かったけど、難しくはなかったんだ。俺たちけっこう上手いんだぜ?』
SHOUは何か、プログラム関係の仕事をしているのだと言っていた。
落ち着いた理系っぽい見た目からも、それは納得できる。バグを消す仕事など、今ではほぼAIがやってくれるはずだが、場合によってはそのAIへの指示入力が厄介だったりすることもあることも、ニナは知っていた。
「ね。もっとお仕事の話、聞かせて?」
「あ、ああいや、俺たちの仕事、政府がらみで機密が多くてさ。あまり詳しくは話せないんだ」
それからは、ニナの趣味である大昔の恋愛アニメの話題になり、SHOUは優しく相槌を打ちながら聞いてくれた。
彼と話すと、自分が血なまぐさい戦いをしていることを、忘れることができる。
ニナは、時間を忘れてチャットを楽しんだ。