表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/25

ポセイドン


 剛秀たちが、反逆の意思を固める一日前、まだ、松笠局長に翔の救出を訴えていた頃。

 翔とニナは、バイオーム内の利根川河口域付近までたどり着いていた。


「見えてきたぞスージー。あとは、この細い道をずっと行けばいい」


 翔が、ニナの肩の上で立ち上がった。

 目の前には、砂でできた細い陸地がずっと続いている。陸地の幅は、五十メートルから百メートルくらいだろうか。その左側には波の打ち寄せる海が、右側には濁った水面と葦原が広がっていた。

 海と湖を隔てる砂の道、とでもいうべきものが、十数キロにわたって続いているのである。


「海……か……久しぶりに見たな」


 翔が、しみじみとつぶやいた。

 昔、海には多くの魚介類が生息し、人間はそれを採捕して食料としていたらしい。

 そのことは、翔も歴史の授業で習っていた。

 だが、数十億にまで増加した人口が必要とするたんぱく源としては、あまりに資源量が不安定で脆弱だった。人類はそのことに気づかず、数世紀にわたって野放図な利用を続けた挙句、いくつかの魚種が絶滅したのである。

 それでも人類は、対象魚種を変え、あるいは養殖技術を開発して利用を続けた。

 そして絶滅種が十数種を越え、その他の海洋生物もさらに減少し始めたことで、すべての海洋生物の一定期間採捕禁止、という、前代未聞の決定が下され、実行された。

 あらゆる漁業はもちろん、養殖業も餌料の採捕ができなくなり休業した。食卓の上から海洋生物が一切なくなって、初めて人類はその重要性に気づいたとされている。

 だが、採捕の全面禁止から数年経っても、海洋生物の生息数に回復の兆しは見えなかった。そして結局、二度と魚介類が人々の食卓に上ることはなかったのである。

 その頃、ちょうどバイオーム計画が実行されたのは、海洋生物たちにとっては幸運だったといえるかもしれない。隔離することによって、バイオーム内だけは海洋生物の生息数が回復し始めたからだ。

 ただバイオーム内の海には、沿岸性の生物しかいなかった。ゆえに、外洋性の大型生物はすべて絶滅したと考えられていた。


「……おなかすいた」


 そう言って、ニナがため息をついた。

 『弁当』とリュウの差し入れのパンを食べてから、もう二十時間以上、キャンプ地を出てからでも十時間以上経過している。1tタンクに水だけはもらってきていたが、携帯食料は用意していなかった。

 海の美しさより、空腹の方に思考が行くのは、無理もない。


「まあ、もう少し我慢しろよ。政府の研究施設には、食料くらいあるだろ」


 銚子の『研究施設』への道のりは、巨獣の邪魔こそなかったものの、その地形のせいでかなり時間がかかり、ニナの体力も消耗したのだ。

 バイオームの量子障壁は、低分子の気体や液体は通すため、海水面の上昇の影響をもろに受けている。

 本来であれば、利根川の河口域は平野部になっているはずだったが、河幅は広がり、霞ヶ浦と一体化していたため、障壁沿いに点々と残った遺跡や陸地で休憩しつつ、泥沼を歩かされる羽目になったのだ。

 ニナの身に着けている装甲は、結局アンダーウェアなしの必要部分だけ、という軽装であった。翔は嫌がったものの、装甲の大半を置いて来なかったら、とてもここまでたどり着けなかったかもしれない。


「魚や動物は結構見かけるけど、食っていいモノかどうか分からねえしな……」


 翔もニナも、自然物そのものの植物や動物が食べられることは理解していた。

 だが、これまで食してきた固形食糧の安心感にはかなわなかったのだ。自分でとらえた生き物を捌いたり、処理して調理する、などという感覚は持ち合わせていなかったのである。


「ねー……誰かいるよ?」


 その時、ニナが遠くから歩いてくる人影を見つけた。


「たしかに。なんだあいつ?」


 遠くの砂浜を、こちらに歩いてくる黒い人影が見えた。

 なにかボロ布のようなものを纏っているようで、それが風になびいて、まるで死神か何かのように見える。

 手には棒のようなものを持っているが、それが武器なのかどうかも分からない。

 ただ、そのゆっくりした足取りからは、こちらに敵対するつもりがあるようには見えなかった。


「あんたたちが、外から来たっていう駆除隊の人か⁉」


 先に声をかけてきたのは、その人影の方であった。

 その風体から予想したよりも張りのある、若い男の声である。


「そうだ!! 俺たちを知ってる……ってことは、あんたがトミーさんか⁉」


 翔はそう聞き返すと、ニナの肩からロープを使って滑り降りた。

 通常であれば、かなりな技術を必要とする高さである。だが、翔はもともと訓練を受けている上に、泥沼を行く間にも障害物の確認や、装甲に引っかかった塵芥を取り除くために、何度か滑り降りているうちに、慣れてしまったのだ。

 砂浜に降りた翔が歩み寄っていくと、男はなぜか露骨に嫌な顔をしていた。


「ちっ……早戸ハヤトのやつめ。またそんな呼び名を広めやがって……」


「え? お名前、違うんですか?」


 ニナが驚いた様子で聞き返す。頭部装甲に隠れた、キョトンとした表情が見えるようだ。


「まあ、そいつの言うトミーってのは俺のことではある。本名は武蔵たけくら十三郎とみお。ムサシって呼べ」


「む……ムサシ、さん?」


「おう。「たけくら」ってのは武蔵むさしって書くんだよ」


「なるほど」


 わざとまじめな表情を作ってうなずきながら、翔は裡で笑っていた。

 「トミー」ことムサシは、ミツハのことを苗字の早戸ハヤトで呼んだ。

 どうも互いに呼び方にこだわりがあり、それがズレているようだが、憎みあっているわけではなさそうだ。


「お世話になります。俺は河山翔。翔と呼んでいただいてけっこうです」


「あ……あの、私は……その……」


 翔の自己紹介に続いて、しゃべりだそうとしたニナを、ムサシが片手をあげて制した。


「あんたのことは聞いてる。本名、言えないんだってな。スージー? って呼べばいいのか?」


「あ、はい。ありがとうございます‼」


 ぺこりとお辞儀をしたニナを、ムサシはまぶしそうに眺めた。


「おまえら、疲れてんだろ。日も暮れるし、うちで休め。明日の朝、研究施設まで送ってやる」


 ムサシはそう言うと、踵を返して歩き出した。

 翔も、その後に付いて歩きだす。ニナの肩に乗って行った方が早い、とは思ったものの、さすがに会ったばかりのムサシに、それを勧める気にはなれなかったのだ。

 ニナは、少し困ったような様子でその場に佇んでいたが、ゆっくりと二人の後をついて歩き出した。とはいえ、彼らの数十歩を一歩で済ませてしまうわけで、かえって歩きにくそうであった。

 それに気づいたムサシは、ニナを振り仰ぎ、微笑む。


「あ? そうか、悪いな嬢ちゃん。じゃあ、翔、あんたはスージーに乗せてもらいな。俺も、乗せてくれる仲間を呼ぶ」


 そう言うと、ムサシは口に指を咥え、鋭い指笛を鳴らした。


「え……? 仲間?」


 翔が疑問を口にするその前に、海側の水面が割れて、黒い塊が飛び出してきた。

 周囲に激しく海水の飛沫が飛び、黒い塊からも滝のように流れ落ちる。

 その塊は、ニナと同程度の高さにまで頭を伸ばし、こちらを向いて甲高い声で叫んだ。


「クォオオオン!!」


 全長は約50メートル。

 つやのある黒っぽい体。

 まん丸い大きな目。

 ひれ状の前足。

 口元からは白く太いヒゲが数十本、カーブを描いて喉元へ垂れていた。

 巨獣である。

 しかし、いったい何が巨大化したのか。翔もニナも、このような生物は見たことがなかった。


「こいつは『ポセイドン』。トドの巨獣だ。俺の相棒だよ」


 ムサシはそう言うと、大きな声で笑った。



***    ***    ***    ***



「……大きな倉庫ですね」


 ニナはそう言ったが、窮屈そうに体育座りしている姿からは、逆の印象を受ける。

 梁までの高さは十五メートル以上あるようだが、ニナはかがまないと中に入れないのだ。


「取引が終わったばっかでな。ほとんど空になっててよかった。ここはな、『外』に出す食材をストックしておく場所なんだ」


 倉庫は、少し奥まった場所に生活しているエリアがあり、ムサシの声はそこから聞こえる。


「食材……ミツハさんも、そうおっしゃってましたけど、俺たち、『外』で野菜や肉なんか見たことも無いんですけど……」


「まあ、そりゃそうだろう。バイオーム内は狭いんだ。大した量は輸出できねえのさ。そういう食材は、いわゆる超富裕層ってやつしか、口にしてないんだろう」


 ムサシが、皿に乗った料理を持ってきて、翔の前にあるテーブルに置く。


「お嬢ちゃんのぶんは、あのくらいでいいか?」


 指さした方には、ドラム缶があって、何かがぐつぐつと煮えていた。

 その隣には、数メートル四方の鉄板があり、その上で焼かれた何かの肉の塊がある。


「はい。意外と小食なんで」


 くすりと笑って答えたニナに、ムサシは顔を崩して笑った。


「わっはっは。そりゃ失礼した。さあ、食おうか」


 そして、翔とともにテーブルに着くと、軽く胸の前で手を合わせて箸をとる。

 翔もそれに倣って、手を合わせてから箸をとった。

 出された料理は、一見すると適当に作ったように見えたが、食べてみるとすこぶる美味かった。空腹だったせいもあるが、翔もニナも、ほとんど口も利かずに食事を終えた。


「……あの、ポセイドンって巨獣は、どうしてムサシさんが?」


 食後に出てきた、熱いお茶をすすりながら翔が聞く。

 ポセイドンは、あきらかに飼育されている。それをする理由。それは、ここにムサシが一人でいる理由と関係があるのかもしれない、と思ったのだ。


「バイオーム内の海は狭い。ポセイドンほどの巨獣が好き勝手したら、魚を食いつくしかねないからな。海魚だけじゃなく、いろんなものを食わせるには、飼うしかなかったんだ。それには、『外』への食材の集積地であるここが都合よかったのさ……」


 なるほど、と翔は、裡で頷いていた。

 だが、それと同時に、もう一つの疑問を口にせずにはいられなくなる。


「『ここ』の人たちは、巨獣を忌み嫌ったり、むやみに殺したりしないんですね……どうしてなんですか?」


 翔がそう言うと、ムサシは少し自嘲気味に笑った。


「村の創始者が、そういう考えだったのさ。その地で進化した生物は、生態系の中でなんらかの役割を負っている。どんなものでも尊重するべき……ってな。ただ、実際のところ、巨獣は規格外すぎる……正しかったのかはわからん」


「お荷物……ってことですか?」


 そう聞いたニナの声は、少し震えている。その意味を感じ取ったのか、ムサシはあわてて否定した。


「いやいや。ポセイドンはいい相棒さ。ああ見えて『外』との交渉の際の用心棒として優秀だしな。荷の受け渡しの時は、いつもそばで睨みを利かせてくれてるんだ……」


 ムサシの表情は優しい。

 無理に理由をつけた言い訳などではなく、ポセイドンに大きな信頼を寄せているのは真実であろう。


「……このバイオームができた時、偶然二十頭ほどのトドの群れが閉じ込められたらしい。そいつらの子孫の中から、百年目にして巨獣化するやつが出た。それがポセイドンだ」


「二十頭……この狭い海で、餌を食い尽くさずに生きていけるんですか?」


 翔が思わず聞く。

 トドという生物は知らないが、あのポセイドンの姿から考えて、たとえそれが巨獣でなくとも、生態系に与える影響は小さくないと思ったのだ。


「バイオーム内の海生生物の生息密度は、そうなる前の数倍になってる。海の生物生産量は、トドの捕食などものともしないほど大きいようだな。それに、一番たくさん魚を捕食する大型動物がいなくなったからな」


「大型動物?」


「『人間』だよ。昔の漁師は、魚を食い尽くすとか言ってトドを駆除してたらしいが……」


 皮肉な話であった。

 結局、人間がもっとも海洋生物を搾取していたことが、人間が生態系から切り離されることで証明されたわけだ。


「でも……今も、お魚を捕って食べているんでしょう?」


「そうだな。村でも食べるし、『外』への『輸出』もしている。ただな。世の中全部を相手にした商売と、自分達が食べる分プラスアルファ程度では、比較にならないみたいだな」


 ムサシはそう言うと、竹製のコップをあおった。


「何すかそれ?」


 飲み物に興味を持ったのか、翔が聞く。


「酒だ。自分で作った、な。お前も飲んでみるか?」


「さ……サケ?」


「なんだ。『外』じゃこの程度の嗜好品も無くなっちまってんのか。まあ、飲んでみろ」


 勧められるままに、竹コップをあおった翔は、思わず咳き込んだ。


「げほ。げほげほ。何ですこの……辛いというか、甘いというか……」


「それが酒の味だ。木の実や穀物を発酵させたモンだよ。慣れればやみつきに……ああ、そうなったらまずいかもな。おまえら、明日には外に帰るんだっけか」


 ムサシはそう言うと、また豪快に笑った。


「もう寝ろ。明日は研究施設の連中と交渉だ。ま、こちらからの要求は何もないし、すぐ帰れると思うぜ」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ