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利根川河口域


 高度十メートルという低空を、二機の空中バイクが飛んでいく。

 そのうちの一機には凱が、もう一機には剛秀と智沙が乗っていた。

 智沙は、絶縁のために、空中バイク全体を包む透明な強化プラスチックカバーを作った。

 石油由来の生産物の使用が、基本的に禁止されている現在は、貴重なプラスチックである。それが風防の役目も果たすようになったため、乗員に風雨が当たることがなく、すこぶる快適であった。しかも、風音に邪魔されず智沙と楽に会話できる。

 それが、剛秀にとっては、ありがたかった。

 どうしても、今のうちに聞いておきたいことがあったからである。


「智沙さん……何故、局に背き、危険を冒してまで、妹さんを迎えにバイオーム内まで? 三筋川博士や松笠局長が行くなら、必要ないのでは?」


 すでに見捨てられたような状況の翔とは違う。リベルティナの「中身」であり、重要な戦力でもあるニナを救うため、上層部は動いているのだ。


「……彼らと私は、目的が違うのよ。できれば、私はSVESからも、妹を救い出したいの」


「え? しかし、妹さんは政府からの援助で生活できていたのでは?」


「そうね。命がけの戦いを……血生臭い殺戮を義務付けられてね」


 たしかに、ニナはまだ少女と言っていい年齢だ。

 リベルティナが敗北するのを想像することは難しかったが、たとえ有害な巨獣であろうと、殺処分を前提とした戦いをさせ続けるのは、酷かもしれない。


「でも、三筋川博士は、局長たちと一緒に行くんですよね?」


「前に言ったでしょ? 父は、ニナを普通の人間の大きさにする研究をしているって。同行はしても、あいつらに賛同してるわけじゃないわ」


 智沙は、吐き捨てるように言った。

 剛秀は、沈黙した。

 その怒りは、おそらく駆除隊である自分自身にも向けられている、と感じたからだ。


「……すみません。俺たちが、不甲斐ないばかりに……」


「え? 何言ってるの?」


「我々がもっと強ければ……大型巨獣を、容易に斃せる戦力があれば……妹さんもあんな戦いに駆り出されることは……なかった」


 絞り出すように、それだけ言うと、剛秀はまた黙った。

 空中バイクは、富士の裾野に広がるソーラーパネル群を抜け、相模湾へと出た。

 相模湾沿岸の海面を埋め尽くしているのは、微細藻類栽培施設だ。

 暗い海面を、長方形に仕切られた栽培槽が、まるでタイルのようにびっしりと海面に並んでいるのが分かる。栽培槽はコンプレッサーで曝気されていて、すべて白っぽく泡立って見えた。施設には、すべてそれぞれ小さな管理施設が付属していて、曝気エアレーションしているのは、そこに設置された機械であった。

 電源は、やはりソーラー。一見雨ざらしに見えるが、上を透過性のソーラーパネルが覆っているのだ。光合成に必要な色の光だけ透過させ、それ以外を電力に変えているのである。

 栽培槽の表面を覆っているそのパネルが、わずかに光を反射した。


「きれいね……夜明け……」


 智沙がひとりごとのように言った。

 だが、その声の大きさから、剛秀に聞こえるように言ったのだとわかる。

 海面を見ながら飛んでいた剛秀は、視線を東の彼方へ向けた。

 漆黒の闇だったそこに、いつの間にか水平線と空の境目が現れ、空が群青とオレンジのグラデーションになっている。


「きれいですね……」


「あなたたちのせいじゃないよ。私たち家族が、決めたこと。そうしなかったら……ニナが戦わなかったら、ニナの生活費も出せなかった。ニナを社会に適応させるための研究もできなかった。それどころか、ニナは殺処分されていたかもしれない」


 生きるために、家族として過ごすために仕方なかったとはいえ、それは、妹を救うために研究を続けてきた、と言っていた智沙の、同じ口から出る言葉とは思えない言葉であった。


「まさか……殺処分なんて……」


「あんな目立つ大きさなのよ? 個人で隠せはしない。もし『人類が巨獣化する可能性』がある、という事実が公表されたら、どうなると思う?」


「……もし、生まれる子が巨獣になるかも、となったら……今以上に子を産む女性が減るかも知れませんね……」


 そうなれば、少子化の進んだこの世界が、さらに人類滅亡へと近づくことにもなるかもしれない。


「それだけじゃない。人間が巨獣化するなら、他の巨獣も、別の生物の変化したものだと気づくかも知れない。逆に人間や他の生物を、意図的に巨獣化させようとする者も出るかもしれない」


「いや、だからといって――」


「そんなことになるくらいなら‼ 悪意や野望を持つ者に、ニナの存在を悪用されないためには、ニナの存在を消した方が早い、と考える人もいたのよ!!」


 剛秀はまた、沈黙するしかなかった。

 そんなことが、体が大きなだけの何の罪もない少女を殺す理由になど、なるわけがない。そう言いたかった。

 だが、智沙たち家族が背負ってきたものを、選んだ道を、よく知りもしない自分が否定することなどできなかったのだ。


「……なによりね……あれはニナ自身が選んだことでもあったの。人の役に立てるなら、そういう仕事があるなら、頑張る……って。そういう子なのよ」


 剛秀は、智沙に聞こえないようため息をついた。

 もはや、何も口にすることは出来なかった。ただ、自分の深い部分で覚悟は決まった。

 何があろうと……たとえ、職を失おうとも、いや、自分の命が危うくなろうとも、自分はこの家族の助けになろう、そう決めたのだ。

 しばらく飛ぶと、前方に房総半島の先端が見えてきた。

 剛秀は、右へ旋回して外房へと舵を取った。

 松笠局長たちは陸路だ。川崎から東京湾を渡って、木更津へ、そこから大回りをして利根川河口へ向かう。

 道程は剛秀たちの方が遠回りになるが、海上を障害物なしに飛行していくのだから、圧倒的に早いはずであった。


「あれですね……霞ヶ浦バイオームの付属研究施設……」


「OK。ニナが近くに来ているのは、衛星画像で確認できてる。見つからないように海上からバイオーム内に突入するわよ」


 突入を前に、智沙の声は冷静に戻っている。

 だが、剛秀には、まだ聞いておかなくてはならないことがあった。


「バイオームで妹さんに会って……それからどうするんです?」


「父の方法で、妹を普通の大きさに変えるわ。そしたらもう、SVESとは縁切り」


「普通の大きさに? その方法は? いったいどうするんです?」


 思わず発した剛秀のその問いに、智沙は答えなかった。


「智沙さん?」


「言えない。あなた達へのお願いは、私を妹の元まで連れて行ってくれること。あなたたちは、行方不明の仲間を助ける。そのためにバイオームへ突入する。そこまでは利害が一致したからよ」


 冷たく言い放った智沙だったが、剛秀は大きく頭を振って答えた。


「……何か……ヤバいことをしようとしてるんですね? 見捨てられた翔を助けるって命令違反なんかより、ずっと俺たちがヤバくなるようなことを……」


「き……気を使ってるわけじゃないわ。あなたたちが裏切ったら困るからよ」


「そういうことにしておきましょう。ただ、これだけは覚えておいて欲しい。我々は、妹さんを同じ駆除隊の仲間だと思っている。翔を助けるための行動をとるのと、妹さんを自由にするために動くのと、何も違わない」


『そうですよ。隊長の言う通りっス』


 いきなり、ヘルメットの通信機から声が流れて、二人ははっとした。

 そういえば、通信はオンになっていたのだ。凱は最初から、黙って二人の会話を聞いていた。


『俺たちにとっては、翔を助けただけじゃもう、ダメなんスよ。ニナちゃんも一緒に助ける。それがニナちゃんの願いなら、SVESに反逆してでもね』


 あからさまな組織への反意である。だが、それを聞いても、剛秀は諫めたりはせず、苦笑しただけであった。


「まったく……組織の歯車としては、失格ですね。でも、俺も同じ気持ちです。秘密は秘密のままで構いません。だが、それならそれで俺たちは、勝手に動きます」


 智沙は、深くため息をついた。


「『量子テレポーテーション』って知ってる?」


「え? まあ、概念くらいは……たしか、素粒子は観測されることで状態が決定する。だから素粒子を観測し、その状態を遠隔地に通信することで、全く同じ状態の素粒子を受信したことになる……でしたっけ?」


 唐突に思える問いにとまどいながらも、剛秀は学生時代に習った基礎的な知識を答えた。


「おおむね正解よ。ただ、そのやり方じゃ大きな物体のテレポーテーションは行えない。百年ほど前に、その原理を応用して、インターネットから今の量子ネットワークに進化してからも、そっち方面の進歩はあまりなかった」


『たしか、量子障壁の基礎理論が作られたのも、その頃でしたね……』


 凱の声が通信機から流れる。

 量子論に関しては、どちらかというと理数系に強い凱の方が詳しい。


「そう。バイオームは量子障壁で作られている。原理的には違うけど、あの規模でしょ? ものすごいポテンシャルを持っているのよ」


「待ってください。もしかして……それが……」


「そう。ニナを普通の大きさにする技術のキモよ。これ以上は専門的な話になるから、ここで説明は難しい。けど、もしあなた達に覚悟があるっていうなら、バイオーム中央の陽電子発生装置と、そこにエネルギーを供給している東海村原子力発電所を押さえる手伝いをしてほしい……」


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