富士研究所
「しかし、大川博士は、なんで地下駐車場に?」
剛秀は、後ろに乗せた智沙に聞いた。
飛び立った空中バイクは、すでに富士山のすそ野に広がるメガソーラー帯に差し掛かっている。
昔は、樹海と呼ばれるほど樹木が密生した、広大な自然樹林であったらしいが、今や植栽された無花粉スギが一部に残るのみで、ほとんどが黒く輝く太陽電池モジュールに埋め尽くされている。
とはいえ、夜間のことであるから、上空からはほぼ何も見えない。低空飛行でも、障害物がないのがありがたいくらいであった。
「智沙でいいわよ……この試作外装骨格、私の車に積んであったのよ。運び出そうとして駐車場へ行ったら、親子が襲われてたってわけ」
智沙は、自分の足元に積まれた装甲をぽんぽんと叩きながら言った。
「それで装着を? 五分しか動けないってのに……俺たちが来なかったらヤバかったですよ?」
前回の出撃の時、巨大ラットゥスは、リベルティナの装甲を破壊した。小型ラットゥスの牙が同等の力を持つならば、剛秀の言う通り危険な戦いとなっていただろう。
「まあね。助かった。しかも、バイオームまでの護衛まで見つかっちゃうんだから、私も運がいいわ」
智沙はそう言うとケラケラ笑った。
とはいえ、巨獣警報が出れば、出現地点に駆除隊が来ることはほぼ確実なのだ。そのあたり計算ずくだった、ということだろう。
それも含めて深刻な状況にも拘らず、どこか不真面目な智沙の態度にため息をつきつつ、剛秀は前方を指さした。
「……見えてきた。あのLEDライトの列ですか?」
数キロ四方、何の光源もない地上に、二列に連なる小さな光。
それが智沙の勤務地であり、リベルティナの本拠でもある富士研究所の入り口であるらしかった。
「そう。舗装されてるから、滑走路だと思って降りればいいよ」
智沙の言う通り、LEDの列は舗装された道路の脇を街灯のように照らしていた。
だが、公道ではないことは、路面や周囲の様子を見ればわかる。
センターラインの規格も歩道もあきらかに広く、敷地全体が高い金網に囲まれていたのだ。
建物は、地上部こそ三階建て程度だが、その全面が巨大なシャッターになっていて、大型重機ですら余裕で通れそうである。
奥行きのない建造物であることから見て、その本体は地下施設になっているとみて間違いなさそうであった。
空中バイクを降りた智沙は、巨大シャッターの脇まで歩み寄ると、首に掛けたカードをかざし、キーを解除した。
シャッターが軋み音をあげて動き始める。その遅さに焦れたのか、地上から一メートルも開くと、智沙はさっさとかがんで潜り抜けた。
「バイク、乗ったまんま入ってきていいよー」
シャッターの向こうから声が聞こえ、剛秀と凱は少し頭をかがめてシャッターをくぐった。
頭を上げた時、彼らの目に飛び込んできたのは、想像以上にスケールの大きな施設であった。
入り口のサイズそのままの斜路が、はるか下の方まで続いている。
昼のような明るさで照らされた構内は、船か重機のドックのように、鉄骨が張り巡らされ、天井からいくつもクレーンフックがぶら下がっていた。煙のようなものでかすんで見える最奥部では、夜間だというのに、数台の作業車両が動いているのが見えた。
「すごいスケールの設備ですね。我々駆除隊の基地なんか、ここに比べたらおもちゃだ」
「妹の部屋もここにあるのよ。だから生活用品も施設も、なんでもスケール大きくなっちゃうんだよね。あたしのラボはこっち」
智沙はそう言うと、横の壁にある両開きの鉄扉を開いた。
そのドアも決して普通サイズではなかったが、他の設備があまり巨大すぎて、小さく見える。
「バイクごと入れるでしょ。プロトリベルティナは、その辺に下ろして」
「は……はい」
剛秀と凱は、空中バイクを鉄扉の中へ入れた。
こちらの内部も相当広い。いくつもの実験装置や検査機器のようなものが並び、水槽や小型温室のようなものには、生き物の姿も見えた。
指示された通り、部屋の隅に積み荷の外部装甲を下ろしながら、剛秀が智沙に聞く。
「どのようにしてバイオーム内へ行くんです? 何か秘策でも?」
「そうね……まず、バイオームへの侵入可能ルートは、量子障壁に付属している研究施設だけ、あそこ以外に侵入ルートは無い」
「その通りです」
剛秀も凱もうなずいた。
「でも、今回そのルールを破った者がいる。あの巨獣よ」
「ああ。カニスルプス」
剛秀は、翔とリベルティナがバイオームに行ってしまうきっかけとなった、白い毛並みの肉食型巨獣を思い出した。あの巨獣は、なんらかの能力で量子障壁を破ったことは間違いない。
「あいつは、額の角から電気を発していた。量子障壁を越えたことと、それは無関係ではないはず」
「しかし、衛星画像から見るに、相当な衝撃があったようです。カニスルプスにも、一緒に越えたリベルティナにも。翔の通信機も破壊されてしまった」
「そう。越えはしたものの、無傷じゃなかった。でも、もしかするとそれは、不完全な方法だったからじゃないのかな?」
「え? 不完全というのは……?」
剛秀は考え込む。
越えることは越えたのだ。つまり、もっと安全な越え方がある、ということなのだろうか。
「これ見て。ミニチュアの量子障壁よ。これに帯電させた物体を通過させてみたの――」
智沙が、目の前にある数メートル四方のジオラマを指さした。
ジオラマは、バイオームを再現する意味もあってか、実際に土が盛られ、池のようなものがある。陸地には観葉植物が植えられ、水中には魚の姿も見えた。
「――見事に粉砕したわ。帯電させただけじゃ、いくら電圧を上げてもダメ。でもね、物体の方を変えたら、破損の程度に差があったの」
「なるほど。つまりダメージを最小に出来る可能性がある、と。いったいどんな物体なら大丈夫なんですか?」
「絶縁体よ。調べてみたらね、カニスルプスもラットゥスも……もっと言えば、これまで観測されてきた巨獣の多くが、体毛を持ち、それが電気を通さない絶縁体だった」
「カニスルプス以外の巨獣たちも……バイオーム内で発生し、量子障壁を越えてきた、とおっしゃるのですか?」
剛秀は信じられない思いだった。
たしかに、バイオームの近くで巨獣が発生することは多々あったが、それはバイオーム周辺には人家や施設が少なく、巨大生物が潜める環境が多いせいだと発表されていた。
だがもし、上層部がこのことを把握したうえで隠していたとすると、現場に対する裏切り以外の何ものでもない。
「可能性の話よ。ただもし、バイオーム内にはもっと巨獣がたくさんいて、障壁を越えられる巨獣だけが、外に出てきてるって仮定すれば、つじつまは合う、かもね」
「ちょっと、二人とも待ってください。その話はあとで。今は俺たちが、その量子障壁を越える話でしょう?」
それまで黙っていた凱が、焦れたように言う。
すでに時刻も深夜を回っている。剛秀たちには、明日の朝になれば、謹慎処分が下されるはずなのだ。行動を起こすなら、今夜しかない。
「そうね。話を進めましょう。簡単に言えば、量子障壁ってのは、素粒子で作った膜みたいなもん。バイオームの中心にある発生装置が周辺物質から陽電子を作り出し、直上にビーム化して打ち上げると、周囲から同量のマイナス電荷をもつ素粒子がそれを相殺するために、円弧を描いて集まってくる。これが膜状になったものが量子障壁よ。膜状にする原理は、陽電子ビームの性状と出力で調整されるの。素粒子は正確には電子だけじゃないけど、障壁の場合は、ほとんどマイナス電子で構成されるわけ。それで――」
「ま……待ってくれ、いや、ください。ちょっと我々には難しすぎて……」
剛秀が悲鳴を上げた。
隊長クラスともなれば、大学卒業程度の学力は必須だが、智沙の説明は、どうもそのレベルを越えているようだ。
「タメ口でいいってのに。まあいいわ。つまり、表面が絶縁体で表面をコーティングされてて、マイナス電荷の素粒子を周囲に張り巡らせた浮遊艇が必要ってわけ」
「なるほど。で、それは、どこにあるんです?」
「何言ってんの。それをあんた達に提供してって話よ」
智沙と剛秀は、互いにきょとんとした顔を見合わせた。
「いやいや、我々の装備に浮遊艇なんてものは無いですし、すべて金属製ですから、絶縁なんて――」
「は? 浮遊艇はそこにあるじゃない。そいつを絶縁体で覆って、前後に電極付けるだけでいいのよ」
智沙は、たった今自分たちの乗ってきた、空中バイクを指さした。
なるほど、空中バイク・『ハーピィ』は、バイオームの障壁と同じ原理を使用した「反重力機関」を用いて浮いていると説明されている。
つまりそれは、素粒子の流れを制御できるということでもあるはずだ。
「改造は、一台あたり二時間……まあ五時間もあればできるでしょ」
智沙が、空中バイクの改造にとりかかろうとしたその時、突然、奥の扉が開いて、一人の男性が入室してきた。
きちんと整えられた髪には、多く白髪が混じっているが、肌の張りから見て四十代と言ったところか。中肉中背。研究者らしく白衣を着込み、黒い縁の眼鏡をかけている。
剛秀と凱は、とがめられないかと少し慌てたが、智沙は平然としている。
男性は、剛秀と凱には目もくれず、智沙に歩み寄って心配そうな表情で言った。
「智沙、本当にバイオームへ行くのか?」
「お父さん……まだいたの?」
「呼び出されたんだよ。明日、松笠局長がリベルティナ回収のため霞ヶ浦バイオームへ向かう。その同行準備をしなくてはならない」
「何ですって⁉ じゃあまさか……」
父親が現れても、顔を上げもしなかった智沙が、空中バイクをいじる手を止めて振り向いた。
「おそらく、アレも出動することになるだろう」
智沙の目が大きく見開かれた。
『アレ』とは何かわからないが、それほどの脅威だということだろう。
「智沙さん、その方は?」
「あ、ごめん。紹介するわ。私の……いえ、私とニナの父親、三筋川晋よ」
剛秀は、得心のいった顔で頷くと、歩み寄って手を差し出した。
「三筋川博士……あなたが。初めまして、私はSVES関東支部所属、巨獣駆除隊第二小隊隊長の野芦剛秀です」
「同じく、第二小隊隊員、石巻凱です」
「三筋川だ」
三人は、それぞれ軽く握手を交わした。
「ところで、松笠局長がバイオームへ行かれる、というのは事実ですか?」
直属の部下である剛秀には、その連絡は来ていない。
謹慎の予定なのだから、当然といえばそうかも知れないが、どうにも腑に落ちない動きであった。
「そのように聞いている。ここを出発するのが午前八時。リベルティナ回収用の搬送車と同行するからな。バイオーム到着は昼過ぎになるだろう」
「搬送車……リベルティナの正体は、あなたのもう一人の娘さんだということでしたが?」
「聞いていたか。そうだ。搬送車はカモフラージュだよ。まだ一般に知られていい情報じゃないからね」
三筋川博士は、ひとつひとつ、丁寧に言葉を選んで話しているようであった。
おそらく、まだいくつか口外出来ない秘密を抱えているのであろう。
それらをすべて聞き出すつもりは剛秀にはなかったが、どうしても聞いておかねばならないことが一つだけあった。
「三筋川博士……実は、ひとつ気になることが……」
切り出した剛秀の表情は、真剣だ。
「な……何だね?」
その気迫に押されたのか、三筋川博士の表情も硬かった。
智沙はすでに空中バイクに絶縁コーティングする作業に取り掛かっていて、振り返りもしないでいる。
「娘さんの名前、ニナって言いましたよね? ……バイオームで行方不明になってる私の部下、河山翔が、SNSで知り合って好きになった女性がいるんですが……その子の名前もニナというんです」
それを聞いた三筋川の表情が変わった。
何かを知っているのだ。
「あの……それだけじゃないんです‼ ニナって子の画像、俺、見たんですけど、なんかサイズ感が違うっていうか、異様に小さな扉や、変なサイズの本が背景にあって、それでAI画像なんじゃないかって、あいつに……翔に言ったんですよ‼」
畳みかけるように言った凱の肩に右手を置き、三筋川は大きくかぶりを振った。
「そうか……何という偶然だ……そう、あの子はたしかにSNSをやっていて、知り合った青年とよく話をしていた。本人は隠していたつもりのようだったが……」
「間違い……ないんですか?」
「確証はない。だが、まず間違いないだろう」