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Devil of the sound  作者: 日向 翠
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第7章 闇の音の力

 古城の庭にはバラ園が続いており、その先は蔦で覆われた城壁で行き止まりになっていた。城壁はかなりの年代が経っているらしく、朽ちて崩れかかっていた。


 トレイシアはジークレッドを導いて、城壁の古い扉の前で立ちどまった。そして彼を振り向いた。

「ジークレッド様、私はブルクミラン王女の身です。ここから先は城内へと続く道を通りますが、お忍びでいらしている貴方をこのままお連れするわけには行きません」

 彼女はドレスの肩にかけていたショールを手に取った。

「わたくしが貴方を城内へお連れしますので、目隠しをして頂けますか?」

 慇懃な様子で、ジークレッドの表情をうかがった。

「わかった。」

 彼は躊躇することなく自ら眼帯の上からさらにショールを三重にして頭の後ろで縛った。彼の視界は暗くなった。

「お手をどうぞ」

 トレイシアは彼の手を優しく取り、握った。柔らかく温かい感触だった。最初に感じたような冷たい感覚はなかった。彼は愉快そうに笑った。

「悪くないな。子どもの頃に戻ったようだ」

 彼女は申し訳なさそうに微笑した。

「準備をしていなかったので、このような方法で失礼をいたします」


 二人は手をつなぎ、城内への秘密の通路に入って行った。通路は右へ左へ、まるで迷路のように入り組んでいる。

 ひょっとすると彼女はわざと遠回りをして、案内しているのかもしれない。自分の記憶にダンジョンの道順が刻まれないように。


 彼女はある場所で立ちどまった。

「ここです。着きました」

 ジークレッドはショールを外した。天井からの明り取りの窓があり、開放的な部屋だった。

 「ここには誰もきません。眼帯を取っても大丈夫です」

 トレイシアは部屋のある角の方へ歩いて行った。


 ジークレッドは、はっとした。壁にかかっている八枚の絵画に息をのんだ。

「これは……!」

 彼は変装のための眼帯を外し、絵の方へ目を見開いて、茫然と歩み寄った。


 そこにある八枚の絵画は、ある男の肖像画だった。


 肖像画は正面から描かれたものや、胸像、全身像、横顔などあらゆるアングルから描かれたものだった。そしてその男の肖像画は、シェーンベルガー国の自分の城のダンジョンにもあるはずの肖像画だった。肖像画の男は、ジークレッドを見下ろしていた。


 それらは全てランゴバルト国の王、〈ラルス・ジーモン〉の肖像画だったのだ。


 ジークレッドは驚愕して目を細め、壁に所狭しとかかる絵画を見渡した。


「ジークレッド様、ラルス・ジーモンについての伝説をご存じですか」トレイシアが続けた。 

「ラルス・ジーモンは国王に即位した後、西方諸国を攻め続けました。〈暗黒の百年戦争〉と呼ばれています。その百年間、ラルス・ジーモンは老いることなく、死ぬこともなく、人々の前に姿を現したといわれています。私はその伝説に少しでも近づきたいと思い、歴史書を読み、西方諸国に残っている彼の肖像画を模写し、研究しているのです」

「その有名な伝説は、私も幾度か耳にしている」ジークレッドは肖像画を見回しながら答えた。


 トレイシアがすっと息を吸い込み、声を出した。それは聞き慣れない言葉で、どこか寒々しい旋律の歌だった。トレイシアは目を閉じて、歌い続けた。ジークレッドは何かの気配を感じ、壁の方へ目を移した。彼は驚いて目を見張った。


 肖像画の絵の具がどろりと溶けて、額縁から流れ出している。八枚の肖像画からどろりとした液体が、壁を伝って床にブクブクと集まってきた。それは吹き出した泡のようにむくむくと床から上に向かって、何かの形をとるようにうごめいている。やがてそれは人の形をとった。それは肖像画に描かれた〈ラルス・ジーモン〉の姿になった。


 ジークレッドは自分の目が信じられなかった。だが彼の目の前にいるのは、完璧な姿のランゴバルト国の不死の王、その人だ。トレイシアの歌はいつの間にか消えていた。ジークレッドは、いるはずのない男と向かい合い、背筋に冷たい汗を感じた。無意識に、剣の柄を右手で探ったが、すべての武具はここに来る前に預けられて、彼は丸腰であることを悟った。


 ジークレッドはラルス・ジーモンの目を見つめた。ラルス・ジーモンは無表情のまま、腰に手を置き、そのまますらりと剣を抜いた。ジークレッドの額から汗が流れた。彼は青白い顔をしたまま、後ろにじりじりと下がった。


 パン!


 トレイシアが両手を打った。途端に、ラルス・ジーモンの姿は、たちまち、元の、どろりとした液体に変化し、ぬめりのある塊がそれぞれ八枚の肖像画の中にうねりながら戻っていった。額の中で、液体は元の姿、動かぬ肖像画に戻った。それは再び動くことはなかった。


 ジークレッドは自分が呼吸をするのを忘れていた。ふっと息を吐き、肩を下ろした。

「何が見えたのですか? 」

トレイシアが尋ねた。

 

 ジークレッドはわけが分からず、彼女を問うような眼で見た。

「貴女には何も見えなかったのか? 」

「何も。でもジークレッド様には何かが見えていたはず」

「そうだ! あり得ない」

「貴方が見たのは自分の心の底にある怖れです」

「怖れだと? 」ジークレッドは息を整えた。

「私が今歌った〈歌〉は、聞くものの怖れが現実に見える、音の配列です。ジークレッド様が心の中で怖れたものを、貴方がご自分で、そこにあるかのように幻をつくり出したのです。幻覚です」トレイシアはそう言った。


(幻覚……あれが幻だったというのか)

ジークレッドは、あらためて八枚の肖像画を見渡した。

(まるで実の人間、ラルス・ジーモン、そのものだった。何という力だ)


 ジークレッドは、何事かを考えているように黙り込んだ。トレイシアは緊迫した沈黙に、部屋が包まれたような気がした。彼は言葉を失っているようだ。彼はトレイシアのそばを離れ、再び正面の一枚の〈ラルス・ジーモン〉に向かい合った。ジークレッドの表情を見つめ、彼の言葉を待った。彼の目は厳しい光を宿していた。


「トレイシア王女」彼は険しい口調で言った。

「今の歌のことを知っている者は誰かいるのか? 」

「妹のディアナベスだけです」

「音の配列だと言ったが、どうやってこの歌をつくり出したのだ? 」

「……ディアナベスが……彼女は突然思いついたように〈歌〉を歌うのです。私はそれを真似します。音を正確に、調整して。するともっと〈歌〉は完成されます。つまり、ディアナベスができることが、私にも同じように起こすことができるようになります。」

「ディアナベス王女はどうやってその〈歌〉を知るのだ? 」

「それはわかりません。彼女自身も知らないのです。それは突然訪れるのです」

「このような不可思議な〈歌〉はもっとあるのか? 」

「あります。私が真似て、歌うことや奏でる事は限られています。でもディアナベスは……」


 急に、彼女は不安になった。初めて出会ったジークレッドをこの部屋に連れてきたのはなぜだろう。彼を信用したのはなぜだろう。トレイシアは、ジークレッドが自分の考えを理解してくれると直感していた。誰もが理解しようともしないことを。ディアナベスと自分だけの秘密を。それは自分だけの思い込みでもあり得るのだ。


「……彼女は歌うことで、〈音の力〉を使いこなすことができるでしょう……」

 ジークレッドが自分たちのことを理解してくれるという保証はないのだ。ディアナベスを守れるのは自分だけだ。もしジークレッドが、彼こそが〈音の力〉を手に入れようとしている者だったら? もしジークレッドが私たちを〈魔の者〉として世界にさらし出したら? もし自分が間違っていたら? 


 彼女は苦々しい自分に対する怒りと、真実を明かしてしまった怖れが入り交じった思いで、ジークレッドの顔を見た。しかし彼の考えは読めなかった。


 ジークレッドが静かに話し出した。

「私のことを信じられないのは無理もない。我々は今日初めて出会った」

ジークレッドはトレイシアの方へ身体を向けた。

「貴女の持つ〈音の力〉に魅かれなかったとは言わないが、私の考えはただ一つ、ブルクミラン国を戦火にさらしたくない。そして西方諸国の戦争を避けたい。そのためにここに来た」

トレイシアはじっと、ジークレッドの言葉を聞いていた。


「私はこれを〈魔の力〉だとは思わぬ。稀なる天から授かった希望の光だ、トレイシア王女」

トレイシアはその言葉に驚き、声を出せなかった。〈魔の者〉といわれるのを怖れ、これまで隠してきたことが、今ここに解放されようとしている。トレイシアは目を見張り、瞬きをした。突然、目頭が熱くなるのを感じていた。

「〈魔の力〉ではない、とおっしゃるのですね? 」

 ジークレッドが肯いた。何と美しい姿だろう。トレイシアは、彼のことを、あらためてそう思った。

「私たちを〈魔の者〉ではなく……希望だと……」

トレイシアにとって、初めて聞く言葉だった。悪しきものではないと、ジークレッドは言った。トレイシアは思い切って、息を吸い、口を開いた。


「私を信じて下さい。」

「私を信じてくれ。」


 ジークレッドの声と重なった。二人は同時に言ったのだ。思わず、顔を見合せた。そして二人は一緒に笑った。ジークレッドは笑みを浮かべながら言った。

「その通りだ。貴女とディアナベス王女のことを信じている」

「はい。ディアナベスはとても素直で優しい子です。小さい時も、今も。〈魔の者〉ではありません」

「よく分かった」ジークレッドは強くうなずいた。 

 彼は穏やかな目でトレイシアを見た。トレイシアは胸が高鳴った。ジークレッドはトレイシアが嬉しそうにしている様子を見て、自分も心が軽やかになった。この王女たちを〈魔の者〉などという噂が滑稽(こっけい)に思えた。(この国を守りたい。〈音の力〉を守りたい。二人の王女を守らなければならない)


「言っておくことがある。」

ジークレッドは肖像画の方へ身体動かし、それを見回しながら言った。

「ラルス・ジーモンの肖像画をこのように並べておくのは危険だ。貴女の身を守るために、私が去った後、信頼のおける者に取り外させ、別々の場所に隠して置くが良い。できるか?」

「はい」彼女はほっとしたように素直に答えた。


 ラルス・ジーモンについて多くを語る者はいなかった。それは長い年月をかけて、遠い伝説となっていたが、同時に実際の脅威ともなっていたのだ。いつのまにか人々はこの話題を避けて、偽りの平和に浸り、恐怖の伝説を忘却の彼方へ追いやろうとしていた。五十年の歳月が経った今でさえ、いつか不死身の王が大海の向こうからこの西方諸国を征服しに来ることを潜在的に怖れていた。いわば禁句になっていた。


「もう一つ、貴女に頼みたいことがあるんだ」

 ジークレッドは首からペンダントを外して、手に握り、それをトレイシアの方へ差し出した。それは黒曜石で作られたカプセル状の宝石だった。彼はトレイシアの手を取って、ペンダントを渡した。

「結婚の申込ではないから安心してくれ」

 ジークレッドは微笑した。トレイシアはジークレッドの冗談に笑みを浮かべ、手の中のカプセルを眺めた。

「その中に重要な手紙が入っている。ハワード卿が記したものだ」

 トレイシアは、はっとして彼を見た。

「それを読んで貴女の意見をうかがいたい」

 ハワード卿。この世界でただ一人、〈マンスフェルトの森〉を越え、生還を果たした騎士。そうだとすれば、手紙の内容は、ランゴバルト国に関するものに違いない。ジークレッドは真剣な目でトレイシアを見た。


「これは私が抱えている秘密だ。ラルス・ジーモンについて、貴女は私と秘密を共有した。もう独りで抱え込むことはない」

トレイシアは目をこすって、ジークレッドに向かってほほ笑んだ。

「確かにお預かりいたしました」

 トレイシアはペンダントを首に付けた。


 彼はそれを見届けると、眼帯をつけ、自分でショールを目に巻き付けた。トレイシアは今まで感じたことのない強い安心感の中に身を置いていた。

「ジークレッド様……ありがとうございます」

 トレイシアは心の底から感謝を込めて言った。彼は目隠しをしたまま笑みを浮かべた。

「貴女の信用に値して、私も光栄だ」

 彼女はジークレッドの手を取った。


 そして来た道をゆっくりと導いていった。トレイシアは来た時より強く彼の手を握っていた。城壁まで来て、ジークレッドはショールをほどき、彼女に手渡した。


 二人は明日も会う約束をした。そして彼は、フードをかぶり僧侶の姿のまま立ち去っていった。

 トレイシアは、大事そうに黒曜石を握った。


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