突入
「え~っと、対象の名前は姉が日守環、妹の日守円。中学三年生と小学三年生の姉妹ですね。と言っても今は二月ですからもう少しで姉の環ちゃんは卒業して女子高生になるわけですけど。女子高生ですよ女子高生、良いなぁ私もちょっと前は女子高生だったんだけどなぁ」
「んな事ぁどうでもいいんだよ」
日は傾きかけており、徐々に街が暗闇に沈んでいく。
人は当然活動している時間であり、生活によってはこれからが本番という人も居るだろう。
そして、異界が活性化する時間もこれからが本番。
俺は車を運転しながら八葉が資料を読み上げるのを聞いていた。
現場につくまでの間に再度情報を整理しておきたかったのだ。
本当ならば事務所で話を詰めてから現場に向かうべきなのだろうが、今回はあまり時間が無さそうなので車の中でミーティングを行う形だ。
「市内のマンションに母娘で住んでおり、母親が死亡して長女が通報。そして長女は死ぬ前の母親から不穏な言葉を聞いており、木林さんが異常を認識したと」
「流れからすれば母親が異世界の干渉を受け、その余波が残ってるって可能性が高い。死に方も異常と言って良い状態のようだしな」
異世界から干渉を受けた場合、その標的となった人間は助からない場合が多い。
奴等は狡猾で事が起きる前に察知する事はほぼできないと言って良い。
また、言葉巧みに誘惑してくる邪神の誘惑に自ら命を投げ出す者が多いし、事後の調査からはそう言った誘惑に乗ってしまいそうな人間が対象に選ばれている場合が多いというデータもある。
要は現状に不満があり幸せを感じていないであろう人間を狙い撃ちにしてるのだ。方法はわからないが。
俺のように人選を失敗することもあるが、大体は狙われた人間には狙われるだけの素養がある場合が多いのだ。
「木林さんが姉妹から聞き取った話によると母親は育児放棄に近い形だったようです。家事はほとんど姉の環ちゃんがやっていたようです」
「何が理由かはわからんが、母親はこの世界への不満や鬱憤が溜まっていた。そこに付け入られた可能性が高いな」
「母親が死んで今日で四日目です。随分一気に汚染が進みましたね」
「異界については本当にケース・バイ・ケース。こういう場合もあるとしか言えねぇ。后先輩も言っていたが木林さんはそこまで異能が強くない。それなのに察知できるとなるとかなり進行している場合だけのはずだ。その事を考えると結構ヤバいかもしれねぇ」
多くの場合は汚染は徐々に進んでいく物だが、急激に進行する場合もある。
異世界からの干渉が行われ、世界が汚染されたとしてもすぐに現実へと影響を及ぼすことが無く忘れた頃に発現する場合もあれば、今回のように異常事態がすぐに起こる場合もある。
専門家はそれぞれのケースでの危険度や進行スピードなどを何とか体系化したいそうだが、中々上手くは行っていないのが現状だ。
超常現象の法則性ははっきり言ってアテにならない。
「今現在、どうなってるかはわからねぇ。俺達の取り越し苦労で姉妹仲良く夕飯を食べてる所かもしれん」
「だけど、急ぐに越したことはない、そういう事ですね」
「わかってるじゃねぇか」
◇
「……これは……ヤバいな……」
「踏み込んでないのにわかりますね……これは異界化してますよ」
現場へと辿り着いた俺達の目の前に姉妹が住んでいるマンションがあった。
一見すると何の変哲もない集合住宅だ。
中に居る住民たちも何の異変も感じずに生活しているだろう。
だが、俺達には一枚壁を隔てたところに異世界が作られているのがわかる。
汚染が進み、こちらの世界を異世界の力が侵食しているのだ。
マンション自体から発せられる異様な気配からここが超常現象に巻き込まれているのは確実だ。
だが、それを感知できるのは俺達のような異常者だけ。
「どうします? 突入します?」
「本当は色々と準備とかしてから行きたい所だがそんな時間はないな。もしも異界化したばかりだとすれば姉妹も無事かもしれないしな」
「入り口はどこでしょう? 普通にマンションに入ったら異界に行けるんでしょうか?」
「いや、恐らくは姉妹の部屋が起点だ。急ぐぞ」
マンションへと駆け込み、姉妹の部屋へと急ぐ。
ただでさえ異常な気配が強かったが四階へと上がり姉妹の部屋の前にたどり着く。
403号室。
傍目には何の変哲もない鉄製のドア。
表札には確かに日守の文字。
通常であれば残された姉妹がいるだけのマンションの一室だ。
「すいませーん。誰か居ますかー?区役所からきましたー」
念の為、八葉がインターホンを押して扉を数度叩く。
だが返答が返ってくる事はない。
普通に考えれば姉妹がどこかへ出掛けていて留守にしているのだろうと思うのだろうが俺達はそうは考えなかった。
何故ならこの扉の中から俺達のような異能者にしかわからない異様な気配が漏れていたからだ。
「絶対ヤバい。手遅れかもしれんが踏み込むしかねぇ」
その玄関ドアが今は異界への門。
ここが異界への入り口となっている事を俺達は確信していた。
「本当はバックアップのために一人は外に残すべきだが……」
「バックアップは后先輩が手配してくれるって言ってました。私も行きますよ」
「そうだな……よし、行くぞ!」
俺はドアノブに手をかけて撚るが扉が開くことはない。
当然だが鍵がかかっているからだ。
ガチャガチャと音を鳴らすドアが開く気配は無い。
女子小中学生の家だ、戸締まりは当然しっかり行われている。
「鍵か、そりゃそうだ……」
「ここが起点になってるとして部屋に入らないと始まらないですよね?」
「俺達はここが異界化している事を認識している。超常現象は認識するところから始まる。異界とわかって踏み込めば必ず異界になる」
「つまり、ここが異界だって知らない人が入ってきてもここは普通の部屋」
言いながら八葉は少しだけ後ろに下がり腰を落とす。
息を軽く吸って呼吸を整えた後、俺達の行く手を遮るドアを軽く睨みつける。
あぁ、手っ取り早いよな、それは。
「だったらぁ!」
その言葉と同時に轟音が響き渡る。
八葉は思いっきりドアを蹴りつけたのだ。
あいつの異能は単純な力の増強。
人が出せる出力を遥かに超えた前蹴りにより施錠されたドアが吹き飛んだのだった。
「これでドアが開きました。あとの事はバックアップの人に任せましょう!」
「お前はほんとこの仕事向いてるわ……」
「そうでしょう? 頼りになる後輩ちゃんを褒めてくれて良いんですよ」
「諸々終わったらな」
吹き飛んだドアの奥に姉妹が住んでいた部屋が見える。
子供用の靴、廊下に置かれているゴミ袋、玄関に置かれたよくわからない小物、生活感とも呼ばれる物。
それらを塗りつぶすように濃密な超常の気配が漏れ出す異世界へと足を踏み入れたのだった。