依頼
この世界は危険に満ちている。
事故に病気、天災人災etc
普通に生きていてもどのような災厄が身に降りかかるかわかったものではない、それは誰もが知る当然の事。
だが、普通に生きている人達はこの世界に異世界から侵略されている危険があるということを認識していない。
本来いるはずの人間が居なくなる。
存在しない化物が人間を襲う。
俗に言う超常現象である。
そしてこのような事件は解決したあとも爪痕を残す。
汚染されてしまうのだ、周囲の存在が。
そうして普通の人間では無くなってしまった人間たちが平和に暮らすため、また同じような被害にあってしまった人間を助けるために作られた組織があった。
異世界被害者相互扶助組織”迷家”
これはそんな世界の裏側に足を踏み入れる事になってしまった者の話である。
◇
「マンションの調査依頼ですか」
迷家が運営している俺が所属している事務所。
そこで俺達は一人の女性の話を聞いていた。
顔は青ざめ明らかに平静ではない様子からして事態の異常さを感じ取ることができる。
迷家には超常現象の調査、解決などの依頼が来る。
この組織の事を知っている人間、つまりは以前に超常現象の事件に関わってしまった者からの情報提供が決めてとなる場合がある。
目の前の女性もいつかはわからないが事件に巻き込まれた事あるのだろう。
「こちら区役所に勤めている木林さん。五年前くらい前にうちの事務所が解決した事件の関係者なの」
そう説明するのは后先輩だ。
后先輩は俺とそう歳は変わらないように見えるが中々のベテランだ。
五年前というと俺はまだこの世界に足を踏み入れていない頃の話。
どう言った事件かはわからないが今だに事件の影響が女性に影を落としているのがわかった。
紹介された女性は明らかに動揺しており、顔色が悪いのが見て取れるからだ。
「自分が巻き込まれてからは何も起きてなかったんですけど……こういうのって初めてで……気の所為だって思いたい、異世界なんてもう関係ないって思いたかった!思いたかったんですけど……」
「何かしら感じる事があったと……ありがとうございます。そういう感覚は凄い大切なんです」
異世界、いわゆる超常現象に関わってしまった人間はそれらの気配に敏感になる。
第六感というのが発達するのだ。
普通の人間の予感がしたとは訳が違う。
この場合の予感は世界の歪みを感知した場合が多くそこから何かしらの事件へと繋がっていくため、こういった情報提供はとても貴重だった。
「それでは話してもらえますか? ゆっくりで結構です。自分が感じたことを話してもらえれば良いですからね」
后先輩が先を促すと、木林さんは徐々に語り始めた。
「四日前に私が勤めている地区で女性の死亡事件があったんです。娘二人と母親の三人暮らし。その母親が突然亡くなっているって、死体を発見した長女から通報が入ったらしくて」
「突然死ですか……」
「ベッドの中で動かなくなっていたようです……発見した時の表情がかなり不気味で……貼り付けたような……引きつった笑顔で死んでいたらしいです」
「そんな母親を見つけてしまった娘さんは……なんて言ったら良いか……気の毒ですね……」
「警察と救急が家に駆けつけた時には当然ですが既に事切れていたそうです。その後に色々な手続きをしようとしたんですけど、どうも親類縁者に全く連絡がつかない状態のようでして……」
木林さんは目を伏せながら話を続ける。
何度も手を組み替えながら、今までの流れを頭の中で整理しているようだ。
「そうは言っても色々な手続きのために二人に聞かなきゃならない事もありますし、メンタルケアも必要だろうと言うことで私が一度姉妹の家へ足を運んで話を聞くことになったんです」
突然の母親の死。
残された娘への悪影響は絶大だ。
そのケアのために彼女が派遣されたという事であり、ここまでは何らおかしなことはない。
そう思っていたが、本題はどうやらここからのようだった。
姉妹のマンションへと行った時の事を思い出していくにつれて徐々に彼女の顔は青白く、そして引き攣って行っていた。
「マンションの部屋に足を踏み入れた瞬間に……なんて言うんでしょう、凄い嫌な予感がしたんです。すぐにわかりました。いえ思い出しました。これはあの時と同じだって、五年前の事件と同じだって……そう感じたんです」
その感覚はおそらく正しい。
一度でも異世界に関わってしまった者は大小はあるが異常を認識する力が備わる。
世界が汚染されている場所には独特の雰囲気があり、それを察知してしまう。
敏感な人ならある程度の距離へと近づくだけで、そうじゃなかったとしても異界へと近づけば近づくほど強く感じる事となるのだ。
ここは正常な世界ではないという感覚を。
超常現象に関わる事件へと積極的に頭を突っ込む道を選んだ俺や八葉は何度も感じている事だ。
「怖くて……なんとか笑顔で話を聞いて……気のせいだって思い込もうとしたんですけど、やっぱりそうはいかなくて、かと言って確信だってもてないですから姉妹を連れ出したりも出来なくて」
「そこで私達に連絡をくれたと」
木林さんは頷きながらも涙がこぼれそうになっていた。
話す言葉からも感情が制御できなくなっているのがわかる。
彼女が流した涙は恐怖ではなく姉妹を危険かもしれない場所に置いてきてしまった後悔によるものに見えた。
「五年間……忘れはしませんでしたけど、考えないようにもしてたと思います……もう関わる事なんて無いって思って……でも、駄目なんですね」
「そうですね……私達はもう以前には戻れないんだと思います。でも、だからこそ助け合うために迷家があるんです」
「あそこに子供を置き去りにしてきたって考えたら……自分が最低に思えて……」
「連絡をくれただけで、あなたは勇気がある人間です。安心してください、そのために私達がいる」
木林さんの固く握られた手を后先輩の優しい手が包み込む。
先輩の言う通りだ。
変質してしまった俺達はもう正常にはなれない。
正常になれないなら異常者同士で助け合うしかないのだから。
◇
その後、木林さんは姉妹から聞いた話を私達に出来る限り詳細に話して帰っていった。
最後に姉妹の事を頼むと深く頭を下げて。
「先輩、先輩……結構こういう事ってあるんですか?」
「こういう事って?」
「普通に暮らしてる人からの情報っていうか依頼っていうか、今までは警察関係者とか他の組織からのタレコミとかばっかりだったと思うんですけど」
「あ~そんなに珍しい事でもないかな?」
超常現象が起きているという情報がこちらに来るルートは幾つもある。
その中で市井で普通に暮らしている以前に被害にあってしまった人からの情報というのは少なくない。
というのも異世界に関わってしまったからと言ってその関係者が皆、怪異と戦えるような異能を備えるわけではない。
異常を感知できるだけで、その他は一般人と変わらないという人のほうが多い。
彼らは普通に暮らしながら自身が感じた世界の異変を情報として提供してくれている。
「中にはね、もう私達と関わりたくないって考える人もいるの。異世界が絡んじゃうと辛い記憶になる事が多いから。でもね、それでも逃げ切れないってことはやっぱりあるの、感じたもの見たものを嘘にはできない。でも誰に話しても白い目で見られちゃう」
「そういう時の駆け込み寺ってこと、普通の人に話しても相手にしてもらえない話も俺たちにとっては普通の事だ」
他人が感じる事ができない物を感じる、見えない物が見える、聞こえないものが聞こえる。
それを隠して生きていくことはできる。
でも、隠しているだけではそれは溢れてしまう。普通の人とは共有する事ができないからだ。
だからこそ、異常を理解しあえる同胞は貴重であり、そのための相互扶助組織なのだ。
「ほぇ~私って問答無用でこの事務所の所属になった気がしますけど、普通に女子大生する道もあったのかぁ」
その言葉に俺は頭を抱えてしまう。
「マジで研修やりなおしな!お前が普通の女子大生なんてできるわけがねぇだろうが!」
「えぇ~!夏向先輩酷いです!なんでそういう事言うんですか!?」
「まぁまぁ、さっちゃんの再研修は今度行うとして、木林さんには安心するように言ったけどちょ~っと急いだほうが良いかもね」
「再研修!? 后先輩まで!」
悲鳴をあげる八葉を置いておいて思考を切り替える。
木林さんの話を聞く限りでは今から現場に向かったほうが良さそうな案件だ。
「そうですね。今から向かいます。ちなみに后先輩の予想では結構切羽詰まってます?」
「そうね、木林さんはそこまで力が強くないわ。それなのに泣きそうになるほどの悪寒を感じた。かなり異常が進行している可能性があるわ」
「その姉妹のお家ですね~こういう時に山野さんが居れば心強いんですけど」
「情報無しで飛び込むのは危険っちゃ危険だが俺とお前が居ただけ運が良かった。最悪、動ける人が誰も居ないってこともありえたんだからな」
この業界はいつでも人手不足だ。
平和な日本でわざわざ自身を危険に晒し、命の危険もあるような仕事を選ぶ人は普通は居ない。
この仕事をしている人達はそれを選ぶだけの理由がある。
それは異世界への憎しみなどの感情であったり、普通の人間では対処ができない危険を排除するという使命感であったり、これを選ぶことしかできない状況だったり。
「行くぞ八葉。とりあえず姉妹を保護だ。なんでも良いから理由をつけてその家から離す必要があるだろう」
「はい、いつでも行けます」
外はまだまだ二月で寒い。
コートを手に取り、現場へと向かう準備は完了だ。
八葉もくだらない話をしながらも準備をしていたのですぐに出発準備は整った。
「姉妹を保護できたら連絡を頂戴。泊まる場所とかの手配しておくからね。あと、応援も頼めそうだったら頼んでおくわ」
后先輩の言葉に返事をしてから俺たちは車に向かったのだった。