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口裂け女-3

 日は沈んでしまったが深夜とは到底呼べないような時間。

 都会の中心部でも無い限り日が沈めば人通りはなくなっていく。

 本来であればまだまだ人通りもあるべき時間だが、連続で起こってしまった凶悪な事件のせいか道には誰も居ない。

 付近の住人はここで惨殺死体が見つかったことを知っているのだから居なくて当然と言えば当然。


「さて……始めるか」

「あれ? 私じゃなくて良いんですか? 運転もしてもらって現場もお任せしちゃうと流石の私も心苦しいのですが……」

「あ~……今日は俺がやるわ。バックアップ頼む。ちょっと夢見が悪かったんで八つ当たりだな」


 そう言って現場に足を踏み入れる。

 現場とは言うが既に封鎖は解かれており誰でも足を踏み入れることができる。

 被害者への花束が供えられている事以外は何の変哲も無い道路だ。

 どの街にもある普通の道路。

 だけど俺にはわかる。後ろに控えている八葉も当然感じているだろう。

 汚染されている。

 どうしようもなくここは異常だ。

 

 俺たちが呼び水になったのか通りの空気が変わっていく。

 健全で平和な世界から切り離され異常で危険な世界へと。

 前方に黒い闇が蠢く。

 それは次第に人の形になって行く。

 俺や八葉の存在に反応したのだ。

 こちらが認識したのであれば、それはあちらも同じ。

 深淵を覗くときはうんたらかんたらだ。


「お~あれが口裂け女ですか。初めて見ます」

「俺も初めてだよ」


 人の形となった黒い影は確かに女性の形をしていた。

 黒かった影が徐々に白いワンピースへと変わっていく、徐々に顔の造形も出来上がっていく。

 長い髪を垂らしているため顔はよく見えないが口元を覆う大きなマスクが特徴的だ。

 手には包丁が握られてはいない。

 恐らく襲う段階になったときに体を作ったように包丁も作るのだろう。

 つまりは実際は包丁ではないという事だ。

 

 俺は無造作に口裂け女へと歩み寄っていく。

 周囲から音は消えている。

 元から少なかった街の喧騒は既に何一つしない、この場を静寂が支配している。

 後方では緩く見守っている後輩の姿。

 あいつにはバックアップする気がみえねぇ……これが終わったら説教だ。


 口裂け女の視線がこちらを向く。

 ある程度の距離まで近づいたから先程よりも鮮明に奴の姿が見える。

 マスク美人というのだろうか?

 狐目のキツイ感じのする印象だが確かに綺麗な顔なのだろう、元になったであろう美人が居ればの話だが。


 距離が更に縮まる。

 俺と口裂け女は会話を充分に出来るだけの距離まで詰っていた。

 女から低い声が発せられる。


「ネェ……ワタシキレイ?」


 口裂け女の問いだ。

 肯定すればマスクを外して醜い姿を見せながらもう一度同じ事を問われ殺される。

 否定すれば普通に襲われて殺される。

 都市伝説としては生存するための方法も幾つかあったが諸説ありだ。


「どうだろう、美人なんじゃないか」


 別に最初から否定しても良かったが何となく話に乗ってやった。

 怪談には様式美ってものがあるからな。

 そう答えるとマスクで隠されていながらも口元が笑みの形に歪むのがわかる。

 口裂け女は片手をマスクに当ててゆっくりとそれを外した。


「コレデモォ?」


 マスクを外した女の顔は口が耳元まで醜く裂けていた。

 目が爛々と光る、手にはいつの間にか錆びた包丁が握られている。

 まさしく都市伝説の口裂け女だ、この後にはどう答えるのが正解なのか俺は覚えていない。

 今までの被害者たちはどう答えたのだろうか?

 こういうのに正解は無いのだろうけど。


「いや、めちゃくちゃ不細工だったわ、マスクって凄いな」


 その返答を聞いていたのかはわからないが口裂け女が獣のように飛びかかってくる。

 元々の距離が近かったこともあり一瞬で肉薄する怪物。

 包丁を振り下ろし俺の命を絶たんとしている。

 俺が今までの被害者と同じであればどうすることもできずにやられるだけだっただろう。

 だが違うのだ。

 お前が襲いかかっているのは純粋な人間ではない。

 人間対化物ではなく化物対化物なのだ。 


「ほんと、今日は夢見が悪かったわ……こんな事してるなんて三年前の俺は想像もしてなかっただろうな」


 あの日の事を思い出す。

 自分が死んだと思った運命の日。

 日常との離別と非日常との出会い。

 あらゆる物が決定的に違ってしまったあの日の事を。



「俺の望みは元の世界に戻せってことかな」


 神と名乗った女は俺の言葉が理解できてないのか目をしばたたかせている。

 異世界への勧誘文句をまるでオペラのように歌い上げていた女が不思議そうにこちらを見ている、俺の願いが理解できていないのかもしれない。


「えっと? 私の話は聞いていたかしら? 元の世界に生き返ることはできないのよ」

「はっきり言って信用できない。あんたが本当に神である証拠も何もないからな」


 あらゆる特典とやらを付けることができるというのに同じ世界に生き返らす事ができない。

 一体それはどういう事だ?

 特典を要らないから元の世界に戻して欲しい。

 そんな事ができない者が神を名乗るのか?


「それに俺が死んだのはあんたのミスだって?」

「そうよ、だからお詫びとして君には色々な特典をあげるのよ、これは特例なんだからね!」

「だったら他の人の死は正しい死なのか? 俺の両親が死んだのは正しい死で俺のは間違った死だと? 言ってみろよ神様。俺の両親の死は正しいですってよ!」


 ふざけていやがる、何でそんな事を決められなきゃならない。

 満足する大往生、後悔の残る最期、恨まれ死ぬことを歓迎される末路、色々な死があったとしても正解不正解を決められるのは自分だけだ。

 たとえ、神様であったとしても他人に決められる物ではないんだ。


「さっきから聞いてればクソみたいな言葉を並べやがって、そんな言葉で騙される奴が居たら頭が湧いてるぞ」


 しかも自分がミスをしたから死んだだと。

 完全に人間を舐めていやがる。


「神様ねぇ、神様、ミスして人を殺しちゃうようなのが神様ですか」


 女の顔に張り付いていた笑顔が剥がれている。

 そこにあるのは整っているが能面のような顔。

 こちらを見る顔は作り物めいていて気持ちが悪くヘドが出る。


「君には何でもできる特典をつけてあげるわ~新しい世界へ~幸せな人生が~ってか。はっ! 笑えるわ、馬鹿じゃねぇのか」


 この女の言うことを信じれる要素が何一つとしてない。

 これは自分の脳が作り出した夢を見ているのだとしたら俺の頭は相当残念な事になっている。

 こんな事を深層意識で考えていたとは俺は認めない。

 だから、この女は俺が作り出したものではない。

 基本的な神という者の考え方が違いすぎる。


「仕方ねぇから教えてやるよ。神ってのはな、何もしねぇんだよ!善人にも悪人にも大人にも子供にも誰にでも平等に何もしないんだ!それが神様なんだよ!」


 神様は何もしてくれない、そういう物なんだ。

 だからこそ、誰もがままならない世の中で生きていくことができる。

 神が救ってくれないからこそ、人は自分たちで努力をし助け合い必死に生きているんだ。

 それが自分がミスをしたから救ってあげる?お詫びに特典を付ける?

 ふざけるのも大概にしやがれ。


「私は神よ。あなたを救いに来たのよ、このまま戻ればあなたは死ぬだけよ」

「俺を救いに来た? 証拠がどこにある? 俺にはあんたが騙そうとしているようにしか見えないな」


 女から最初の友好的な雰囲気は消え去っている。

 饒舌に回っていた口から吐かれる言葉には熱が無い。

 あれほど熱意に溢れていた態度だったというのに今は力なくこちらのほうを向いているだけ。


「神は嘘を付かないわ、私が言うことは真実よ」

「あんたが言うことが真実だっていうなら確かに神様なのかもしれない。だけどなぁ!」


 自称とはいえ神。

 人間には理解できない物差しで動いているのだろう。

 そうでなければ異世界へ生まれ変わる対象として俺を選んだ意味がわからない。

 だって、そんなのは明らかなミスだ。

 こんな誘い文句で俺を騙せると判断したのだから。

 残念すぎる頭の神へ怒りに似た何かが湧いてくる。


「昔から甘い言葉を囁いて人間を惑わすあんたみたいな存在はなぁ!悪魔か邪神って決まってんだよこの詐欺師が!」


 昆虫のような女の目がこちらを見据える。

 そこに居たのは陽気な美女などというものではなく理解し難い人間の形に似たナニかだ。

 冷たい視線をこちらに向けたまま女は動かない、喋りもしない。

 微動だにしないナニかと対峙をしていると意識が遠くなっていくのがわかる。

 元の世界に戻れば俺は雷に打たれて死んでいるのだと言う。

 もしも本当だとしても、それならそれで良い。それで良いんだ。

 ままならない世の中。嫌なこと、苦しいこと、理不尽な事、色々あった。

 だけど、良いことだって当然あったし色々な人に世話になった。

 もしもこいつの言うことが本当だったとしても気持ちの悪い自称神とかいう詐欺師に騙されて他の世界に行くならば、俺は自分を育ててくれた世界で死にたいとそう思ったのだ。



 異世界に干渉されると世界が汚染される。

 その汚れは染みとなり様々な形でこの世界へと現れる。

 この口裂け女もそうだ。

 何らかの干渉を受けた結果が歪みとして世界に影響が出てしまったのだ。

 そして、それは巻き込まれてしまった人間に対しても同様だ。

 俺も八葉も后先輩も既に純粋な人間とは言えないのかもしれない。


 三年前のあの日、神を自称する存在に接触された。

 果たしてそれが本当に神だったのかどうかはもうわからない。

 もしも、あの神の誘いを受けていたらどうなっていたかもわからない。

 だが、俺はあいつの巫山戯た誘いを蹴りつけてやった。

 その後に目が覚めた俺は死んではいなかったが確実にあの神によって歪められていたのだった。

 

 俺の手の中に光る正二十面体が現れる。

 それは数多のパーツで構成されたパズルだった。

 明滅し、ときに赤黒く、時には木のような模様にも見える不吉なパズル。

 普通の人間には見ることができない俺の異能の発露。


「”熊”」


 手の中の箱が形を変える。

 複雑怪奇な動きから物理を無視したような動き。

 あるパーツは突出し、あるパーツは窪み、一瞬でその形を変えて行く。

 瞬きする間に熊に似た何かが完成する。

 その瞬間に力が湧いてくるのがわかる。

 圧倒的な力。

 破壊するための、圧殺するための、敵を打ち倒すための力だ。


 飛びかかってくる口裂け女の包丁を持つ腕を受け止める。

 人間では耐えられないほどの膂力だ。

 普通の人間なら抗うことなどできない暴力。

 だが、この程度の力は同じ化物には通用しない。

 こいつに理性があるとは思っていないがその顔は驚愕の色に染まっているのかもしれない。

 そうだ、世の中には化物がいっぱい居るんだ。

 お前だけじゃないんだ。


「こっちの世界にちょっかいかけてくるんじゃねぇよなぁ!面倒くせぇからよぉ!」


 そう言って口裂け女の腹に一撃を加える。

 胴体に大きな穴が開いた口裂け女を地面に叩きつける。

 それで終わりだ。

 声を出すこともせず存在が維持できなくなった口裂け女は元の黒い染みへと戻っていく。


「お疲れさまです夏向先輩。見事な八つ当たりでしたね」

「全然すっきりしないわ。とりあえず后先輩に連絡して事後処理の開始をお願いしてくれ」


 言いながら徐々に薄れていく黒い染みを見る。

 核となる物もなく歪みの発露として口裂け女の都市伝説が偶然選ばれただけ。

 そういう物は殴って解決できるのだから単純だ。


「は~い、三十分程で事後処理の人たちが来るみたいなんで引き継いで終わりでっす」

「おっけ。これで今日も世界は平和になりましたと……つ~か、八葉! お前バックアップする気なさすぎだろ!」

「いやいや、先輩なら余裕だろうという後輩からの厚い信頼ですよ!」


 これが俺の変化してしまった日常だ。

 今となっては世間の異常こそが俺達の居場所。

 そうだとしても何とかやっていっている。


 時間を潰していると現場に黒塗りの車が到着し男たちが降りてくる。

 軽い挨拶をし現状の引き継ぎと事後処理を任せて俺達は帰路に発つ。

 シートベルトを閉めて車を走らせる。

 俺たちの街まではまた一時間の道のりだ、途中で何か飯でも食ったほうが良いかと考えていると八葉が思い出したように尋ねてきた。

 

「そう言えば夏向先輩。夢見が悪かったってどんな夢を見たんですか?」

「ん~? そういうの聞いちゃうところがデリカシーの無さだよなぁ、后先輩なんて一切聞いてこないぞ。見習え見習え」

「后先輩は綺麗派で私は可愛い派で売ってるんですぅ~だから聞いても良いんですぅ~!夏向先輩はもっと私に優しくしても良いんですよ!」

「あ~そうですか、可愛い後輩に恵まれて俺は幸せですねぇ」


 煩く付きまとってくる後輩をあしらいながら明日も俺の日々はこの世界で続いていくのだ。

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