口裂け女-2
事件の現場までは車で行くこととなる。
俺はあまり車の運転は好きではないが免許取り立ての八葉にハンドルを握らせるよりはマシだろう。
あいつがどのような運転をするのかはまだ知らないが信用できる要素は何一つない。
「別に私が運転したって良かったんですよ~自分の車ありませんから運転したいですし」
「お前はまだわからんかもしれんけどな、免許取り立ての奴の助手席っていうのは自分で運転するよりも疲れるんだよ」
この車は事務所の車なので八葉が運転するという事もそのうちあるだろう。
だが、それは今ではない。断じてだ。
運転に慣れない人間の隣というのはとても神経を使う。
自分が制御できない大きな力を隣の人間が握っている、そしてその人間の腕が信用できないからなのだろうか。
「ちゃんと免許取ったんですから任せてくれて良いんですよ! 次は私が運転しますね!」
「……要相談だな。まずは俺以外の人を乗せてからにしてくれ」
信号の色が変わりアクセルを踏み込む。
まだ現場には遠い何ていうことはない市街地だ。
この街の中で行われている凶行に普通の人間が気づくことはない。
「でも、あんまり今回は急いでないみたいですけど大丈夫なんですか? 対象が出るのは夜だって事ですけど、この時間に出ないとも限らないんじゃないですか?」
「あ~……八葉は今回みたいなのは初めてだったか」
八葉がこの世界に関わる事になったのは約一年前だ。
その後、うちの事務所預かりとなり超常現象への対処を俺達と行うようになり、幾つかの事件に俺と一緒に関わることにはなった。
幸か不幸か八葉が関わる事となったのは大きめの事件が連続していたのだ。
だが、どちらかと言えばこの事件のような物が標準的な俺達の仕事だ。
「基本的なルールがあるんだよ、超常現象が絡む事件ってのはな」
「ルールですか?」
「そうだ。色々あるが、一番は昼間の人が多い場所じゃ起きづらいってことだな」
この世界は確実に侵略されている。
だが、侵略者は自由にこの世界に関われるわけではない事がわかっている。
一定のルールが存在し、そのルールに沿って超常現象は起こる。
「簡単に言っちゃえば人の目が多い場所や時間には普通は起きないんだよ。専門家が言うには“常識に守られてる”んだと」
「常識にですかぁ~うん!わかりません!」
「まぁ、昼間と人が多ければ基本的には安心って覚えておけ」
「そうなると口裂け女が出るのは深夜で人が居なくなってから……ということは……今日は先輩とお泊りですか!?」
キャーと言いながら肩をバシバシと叩いてくる後輩。
こいつには運転の邪魔をしてはいけないという常識を叩き込む必要があると感じるとともに前提知識の欠如を強く認識する。
「そんなに遅くならねぇよ! お前は研修の時にならった事とかマジで覚えてねぇな!」
「えぇ~! そんな事ないですよ! メチャクチャ覚えてますって!」
「自信満々に言えるところは毎度の事だが凄いと思う」
呆れながらも俺は八葉に説明をしてやる事とする。
「俺達がこんな事してるのは元々は異世界からの干渉によっておかしくなった世界……異界に巻き込まれたからだろ」
「そうですね……一年前にはこんな事になるなんて全く思ってなかったなぁ、何もなければ今頃は花の女子大生だったのに……涙が止りません」
「そんな事はどうでも良い。重要なのは俺達は普通に見えるけど実際は普通じゃないってこと」
超常現象に関わったものは逸脱してしまう、人も物もその存在が自体が超常の力に汚染されてしまうのだ。
当然だが俺も八葉も確実に汚染され歪められている。
「俺達は超常現象が起こるような場所に行けば異常を認識できる。こっちが認識するってことは相手にも認識されるって事、そうすれば出てくるんだ」
「口裂け女がですか?」
「俺たちみたいな者が意識して近づけば変化が起こる可能性が飛躍的に高まる。俺たちの気配に引っ張られるとか何とか、まぁそういう事。だからそんなに時間はかからねぇの」
◇
車を走らせて一時間程度、現場がある街についた。
まずは被害者が収容されている病院へと車を走らせる。
「被害者は腕を深く切り裂かれて病院へ運び込まれました。その他の外傷はなかったみたいですけど警察の聴取に対して支離滅裂な言動を繰り返したため病院に入院する措置が取られてるみたいですね」
「支離滅裂な言動ってのは口裂け女に襲われたってことか?」
「そうですね~。この時代に良い大人が口が耳まで裂けた化物みたいな女に道端で包丁で襲われたって言ったら正気を疑いますよね」
八葉の言う通りに警察では被害者は精神的ショックを強く受けたために情緒不安定になっていると判断したのだろう。
だが、付近では連続殺人がおき、男性は実際に腕は深く切り裂かれている。
証言の信憑性があるのか無いのか判断が難しいと考えている状態だろう。
「気の毒だが警察の反応が正常だな。どちらかと言えば」
「異常なのは私達って事ですね」
「そういう事」
病院の駐車場に車を停めて院内へと足を進める。
受付で被害者男性への面会についての手続きを行う。
通常ならば関係者以外面会謝絶だろうが后先輩が事前に警察や病院へと話を通しているのだ。
「どうにもこんな感じの時って慣れないんですよね」
「そうなのか?」
「私、本当なら女子大生ですから……なんていうか権力?を使うっていうかそういうのに慣れてないんです」
「あ~……俺も最初はそうだったかなぁ」
他愛のない話をして時間を潰しているとこちらへと向かう影が二つ。
スーツを来た男性は地元の警察官だと名乗り被害者男性の警護をしており、病室まで案内をしてくれるのだという。
軽く挨拶をかわすが警察官は胡散臭そうにこちらを見ているがその気持はよくわかる。
俺も八葉も社会人として見ればまだまだ若い。
そんな若輩者が自分たちの権限の上から面会を捩じ込んできたのだから不審に思うのは当然だろう。
「被害者はどうにも精神が不安定になっているんでね。あんまり刺激を与えないで欲しいんですけどねぇ」
被害者の病室へと案内される道中にかけられる言葉は軽い牽制だろうか、年配の刑事が訝しげに話しかけてくる。
「少しだけ伺ったのですが化物に襲われたとか?」
「口裂け女ですよ口裂け女。私の学生時代に流行った与太話です。聞いた時は驚きよりも懐かしさが来ましたよ。そちらのお嬢さんくらい若いと聞いたことないんじゃないですかね?」
「いえいえ~私も聞いた事ありますよ、有名ですよね」
「まぁ犯人の性別だけは手掛かりになるかとは思うんですけどね、あまりにも支離滅裂だとその内容も疑わないといけなくなってしまいますから少し困ってまして……っとここが彼の病室です」
「案内ありがとうございます。病室の中には申し訳ありませんが私達二人で入らせていただきます」
納得の行かない表情を隠そうとしていない警官ではあるが事前に注意をされていたのか渋々と認める。
病室の前に居るので何かあったらすぐに呼ぶようにと言われた俺達は病室の中へと足を進めた。
◇
中に入ると病室の力なくベッドに腰をかけている一人の男性がいる。
腕には痛々しい包帯が巻かれているが意識ははっきりしているようで入ってきた俺達へと視線を向ける。
先程までの力ない態度だったが俺達の姿を確認すると怒りに満ちた視線で睨みつけきた
あからさまな敵意を感じる表情から今までどういう扱いを受けてきたかが読み取れるというものだ。
「なんだよ、俺の言う事なんて信じられねぇんだろう。誰が聞いても何回聞いても俺が言う事は変わらねぇし俺はおかしくなってるわけじゃねぇよ!」
こちらに投げかけられる言葉はとても刺々しい。
何度も何度も確認され、そのたびに正気を疑われたのだろう。
仕方がない事なのだろうが誰一人としてまともに話を聞いてくれないというのは辛い。
「いえいえ、私達は警官ではありません。なのであなたの証言を聞きたいというのも本当ですし、あなたの言葉を信じているからこそこちらに伺わせてもらったのです」
「俺の証言だぁ? 言うことは何も変わらねぇよ!」
「そうでしょう。あなたは事実を話している。だから証言は変わらない。しかし、実際に目の前で話してもらう事に価値がある。そういう事もあるとは思いませんか?」
ベッドへと腰掛けている男性に近づき、懐から名刺を取り出す。
「初めまして。月間超常神話のライターをしております鈴藤夏向と申します。こちらはアシスタントの八葉」
「ども~八葉沙羅です。よろしくお願いします」
身分の詐称だ。
雑誌記者というのは幾つかあるパターンの一つ。
怪しい二人組では聞ける話も聞けなくなってしまうので幾つか用意されている物があるが今回は雑誌記者という事にした。
警察だと名乗る事もできたが、彼は今は警官の事は信用していないだろう。
「雑誌のライターさん……?」
「ええ。あなたは警察から正気を疑われたりした思いますが、こういう事件はそれなりにあるんです。私達は今までもそれなりにこういう事件に関わってきましたので警察にも多少の伝手があるんですよ。なので直接話を伺いたいと面会を申し込んだわけです」
「それなりにある……のか?」
「えぇ、それなりに。ですから私達はあなたの言うことが真実だと知っています」
「そうなんだ! 警察は俺を頭のおかしい人間扱いしやがるんだ! そりゃ俺もおかしい事言ってるっていう自覚はある……でも、本当なんだ!」
「そうでしょう、中々信じては貰えない事だとは思います。彼らが悪いわけではないのでしょうけどね」
彼の緊張をほぐしながら話を聞き出す。
襲われた場所、時間、化物の姿形、接触した時に感じていた諸々など。
報告書に書かれていた事ばかりではあるが、それを必死に話す彼からは嘘をついているような雰囲気はない。
だからこそ警察は虚偽の証言と扱わずにいるだろう。
起こったであろう事実を語り終えるまでは十分程だった。
「これで俺の話は全部だよ……警官に言ったのと全く変わらねぇ話だ」
「いえいえ、ありがとうございます。あなたの態度や熱意、紛れもない真実を話していると確信ができる内容でした」
「そうかよ……いや……そうですか……ありがとう。なんか人間不信になってた気がする……態度も悪かったと思う……」
「誰にも話をまともに聞いてもらえないと堪えますよね~」
「そうなんだ……誰も信じてくれなくて……だから、あなた達が信じてくれたのが嬉しい。申し訳無いけど雑誌の名前は胡散臭いけど」
そう言って軽く笑う男性には少しだけ心の余裕ができているようだった。
「少しでも力に慣れたら私達も嬉しいです」
「大変な目にあったんですからね~」
誰にも信用されないというのはとても不安になり心に陰を落とす。
彼は事件に巻き込まれた被害者だというのに追い打ちをかけられているようなものだ。
俺達みたいな胡散臭い人間であっても信用してくれる人間が居るというだけで力になれるのであれば喜ばしい事だ。
「では、私達はこれで失礼させていただきます。雑誌に乗るかは編集長の判断にはなりますがとても有意義な時間でした。ありがとうございます」
「こちらこそ良い気分転換になったよ」
「最後に一つだけ……」
そうして俺は手を前に差し出し掌を上に向ける。
「私の手の上に何がありますか?」
「ん? 名刺……じゃないか? さっきも貰ったよ」
「そうです。名刺は二枚配って知人への紹介を促すのが良いらしいですよ。という訳で何かありましたら是非ご連絡を」
そうして俺達の面会は終わったのだった。