異変
二人は最初の丘下の原っぱに戻って来ていた。
「ここで待ってれば本当にくるのか?」
「ええ、その筈よ。此処はあそこと同じ種類の草が生えてるし、最初に特急兎を見た場所。ここも餌場に違いないわ。」
サクア達はあの原っぱから一直線に丘下の原っぱまで来ていた。しかし特急兎がここまでの間に別ルートに行っていたり、また既にこの餌場を通りすぎている可能性などは大いにある。また此処を通るかは完全に賭けである。
今度は刀をしっかりと構え、草陰で息を殺す。風の音だけが耳に伝わる。まだ笛の音は聞こえてこないが、そろそろいい時間だ。此処へ誰かが来てもおかしくなかった。これが最後のチャンスかもしれない。
バッ!
また何の前触れも無く、特急兎が飛び出す。
「来た!」
アンナのその言葉より速くサクアは草陰から飛び出していた。サクアは特急兎が空中に浮いた瞬間を狙い、刀を横に振り、特急兎を仕留めにいく。しかし特急兎の方もサクアに気づいたようで、耳を伸ばし空中で体をくるりと捻った。耳の空気抵抗と回転により、兎の体は不規則な運動をし、サクアの剣先を寸での所で躱す。
(手応えがない!)
このまま、また森に入られたらもう本当に追いつけなくなってしまう。そんな思いを胸にサクアは歯を食い縛る。サクアはもう一度刀を振りかぶるが、思ったより兎の飛距離は長く、数メートル先、森の入り口付近に着地する。
「くそおおおお!」
サクアは力を振り絞り、特急兎に飛び掛かる。
が、しかし刀を振り下ろす前に着地した特急兎の体から血飛沫が出る。
「へっ!」
これはサクアにとっても意外なことで刀が止まる。よく見ると兎の体には切れ込みが入っていて紛れもなくサクアの剣先がなぞった所だった。
(手応えはなかったけど、かすってたのか?)
特急兎は叫び声をあげ、森の中へゆっくりと逃げてゆく。
「サクア!惜しかったわね、でもあの血の量なら時間の問題よ。血の跡を追いましょう。」
「・・・」
サクアは刀をじっくりと眺めながら渋い顔をしていた。
「サクア?サクア!」
「・・・ああ。いくか!」
二人は血の跡を辿る。始めは血の間隔が空いていたが徐々にその間隔は短くなり、最後は糸のように繋がっていた。兎が弱っていっている証拠だ。そして遂に倒れている特急兎を見つける。
「やったわ!これで私達合格よ!」
「ああ!やったな!」
二人は喜びを分かち合う。そして地面に転がっている特急兎の耳掴んだ。すると不思議なことに特急兎が倒れた先にも何故か血が続いていた。
「ん?なんだこれ。」
「なんでこんな所に血が・・・」
二人はまたその血を追う。ゆっくりと歩いてゆくと衝撃の物が二人の目に入る。
「きゃああああああああ!!!!」
「なんで・・・」
アンナは叫び声をあげる。そしてサクアはそれに駆け寄って声をかける。
「おい!大丈夫か!返事をしろ!」
そこにあったのは血だらけで無惨な姿の受験者たちだった。
□□□
軽快に走っていく特急兎、いつものルート通り餌場に着く。そこに生える青々とした草を食べようと着地すると途端に体が重くなる。止まることのない特急兎が地に伏した。兎の下には2枚のカードが敷かれていた。兎はそのまま首根っこを掴まれ、持ち上げられる。
「ふう、これで捕獲完了か。こいつの通りそうな所にマジックマグネットを仕掛ければ何と言うこともないな」
ジックは地面にSのシールを張り、その上に粘着面を上にしてNのシールを置いた。そうすれば地面はS極になり、Nのシールに乗った特急兎はN極になる、そして地面に張り付くという仕組みである。
「ふっふっふ、これで俺は今年唯一のLBs合格者となり崇め奉られる。ははは!ざまぁ見ろ奴等め、俺にたてつかなければ一緒に合格出来たものを。」
ジックは悦に入っていた。この森に得たいの知れない者が居ることなど知らずに。
「おっと、速く戻って奴等の間抜け面を拝まなければな!ハッハッハ!」
その時、風にのってかすかに悲鳴のようなものが聞こえる。
「ん?今何か聞こえたような・・・あっちのほうか?」
ジックは恐る恐る声の方へ歩みを進める。
□□□
「おい!大丈夫か!返事をしろ!」
サクアは血だらけの受験者たちの体を揺らし、必死に声をかける。しかし返事はない。受験者たちはよく見ると所々骨が砕けているようでとても動けるような状態ではない。倒れている下の地面は何故かえぐれていてその光景は巨大な何かに踏み潰されたようだった。
「くそ!誰がこんなことを!」
サクアは地面を殴る。
「まさか他の受験者が・・・」
ルールでは何でもありということだったが、こんな酷く痛めつける必要があるだろうか。
「と、とにかく応急措置を!」
アンナは冷静を取り戻し、持っていた包帯で止血し、骨折した箇所をテキパキと固定してゆく。すると受験者の一人が意識を取り戻した。
「あ・・・ああ・・・・」
「おい!大丈夫か!誰がこんなことやったんだ!」
目を覚ました受験者はかすかに残る力を振り絞りこっちを向く、そして
「さ・・・る・・・・」
それだけ言うとまた力尽き目を閉じた。
「さる?どういうことだ・・・」
「でもまだ息はあったわ!速く街に帰りましょう。もしかしたら助かるかも!」
二人は倒れる4人を運ぼうとする。すると少し離れた崖上から声が聞こえる。
「そいつらを連れて行かれると困るねぇ~。折角人間がくたばる所を観察してたってのに。」
二人は声の主の方を見上げる。とそこには毛むくじゃらの赤くデカイ鼻をぶらさげている爺さんがいた。
「さ~・・・る?」
その奇妙な姿にサクアは首を傾げた。
「あいつ、人の言葉を話してるわ。あれがもしかしてLBによって脳が進化した獣人・・・なの。」
獣人、LBによって進化した獣たちの中には人間のように脳が進化した個体もいた。そいつらは人同じように言語を習得し、人と同じように喜び、哀しみ、怒り、そして憎しみなどの感情を得とくしたのである。
「獣人か・・・それはまるで獣が人間になった、追いついたといった言い方じゃな。ふぉふぉふぉ!人間はまだ自分達が上だと考えてるようじゃ。なんと滑稽な!獣は獣としてこの知能を得たんじゃ。ただ頭でっかちな人間とは違う。どっちが優れているかなど明白じゃろうに。」
その老猿は崖の上から見下したように高笑いをする。
「おいデカっ鼻!お前がこれをやったのか!」
サクアは刀を突き立てながら言う。
「ふぉふぉふぉ、正確にはわしじゃありゃせんよ。わしは指示しただけじゃ。わしのペットのこいつにな」
老猿がそう言うとドスン、ドスンと地響きがなり、後ろからどデカイゴリラが現れる。ゴリラはなんとあの巨大ゴキブリンよりもさらに一回り大きく、体毛は黒ではなく苔むした緑色をしている。
「なによこいつ・・・」
アンナはそのでかさにただ唖然としている。そのゴリラはドラミングをすると大きく息を吸い、全身の穴から蒸気のように煙をだした。
「こいつはのぉ"ジェットゴリラ"のゴリ助といってなぁ、森で寂しそうにしてたんでわしらの仲間にしてやったんじゃ。今ではわしの言うことなら何でもきく良い子なんじゃ。」
老猿が足を撫でるとジェットゴリラは嬉しそうに雄叫びを浴び、崖から飛び降りる。
着地の衝撃だけで地響きが起こる。
「さあ、今度の獲物は奴等じゃ!捻り潰してしまえ!」
サクアとアンナは一瞬で戦闘体勢に入る。前衛はサクア、その少し後ろでアンナは2丁の拳銃を構える。
「アンナ、此処は俺が時間を稼ぐから倒れてる奴等を連れて逃げてくれ。」
サクアは神妙な顔で言う。こんな表情をするのは珍しい。それだけ今回の相手は化け物だと感じとっているのだろう。
「水くさいわね、ここまで一緒に来て見捨てられるわけないでしょ。それに私ひとりじゃ全員は運べない、全員助かるにはあいつを何とかするしか無いわ。」
「へへっ、そうか。でもこいつらを背にしちゃ闘いにくい。俺が右に注意を引くからその間にアンナは木の陰にそいつらを移動してくれ。援護はその後からでいい。」
「わかったわ!」
「じゃあいくぞ、3・・2・・1・・」
サクアは合図と同時に右周りで走り出す。
「おい、デカぶつ!こっちだ!」
サクアの声につられ、ジェットゴリラのゴリ助は視線をこっちに向ける。その隙にアンナは木の後ろに倒れた受験者達を運ぶ。
(よし、うまくいってるようだな)
サクアは横目でその様子を見ると、また目の前の強大な敵に向き合う。今までのモンスターとはまったく違うオーラにサクアはゾクゾクと身震いをする。
(やべぇ、こんな奴会ったことがねぇ。)
しかしサクアは同時にワクワクもしていた。それに自分の素早さには自信があったのだ。こんなトロそうな奴に負けないと。その油断が仇となった。
「かかってこい!デカぶつ!」
「ウホッ、ニンゲン、ナマイキ!ツブス!」
ゴリ助はまた大きく息を吸った。そして吸い込んだ空気は肺を通り、そのままゴリ助の前腕に送り込まれていく。
「何してんだ・・・」
ゴリ助は右腕を曲げ、拳を顔の横に構えながら、息を吸い続ける。すると前腕は風船のようにどんどん膨らんでゆく。そしてこれでもかと膨れ上がったところで吸うのを止め、ニカッと笑う。
「ふぉふぉふぉ、気づいた時にはもう遅いんじゃよ」
老猿もその様子を見てイヤな笑いを浮かべる。
瞬間、破裂音とともにゴリ助の拳が飛んでもないスピードでサクアに襲いかかる。
ドォン!
地響きが森全体に響き渡る。それはとても生物が殴ったという音とは言い難く、さながらジェット機が墜落したかのようだ。
「どうじゃ、どうじゃ!わしのゴリ助は!ジェットゴリラは吸い込んだ空気を前腕に溜め、肘の排出孔から一気に空気を噴射する。その勢いとパワーで繰り出された拳は誰にも止められんのじゃ!」
老猿は嬉しそうに手を叩きながら言う。
「けほっけほっ、何が起こったの?」
ゴリ助を中心に突風と砂ぼこりが舞う。怪我人を運んでいたアンナは突然の出来事に状況が把握出来ないでいた。そして砂ぼこりが収まるとそこに見えたのは拳の下敷きになっているサクアの姿だった。
「サクア!」
幸い下敷きになっているのは左足だけだった。サクアの超人的な反射神経で一瞬後ろに飛び退いたものの、余りのスピードにさすがのサクアも完全に避けることはできなかったようだ。
「ぐあっ!ああああっ!」
サクアは刀で足に乗っかった拳を切りつけようとするがゴリ助はそれを後ろに飛び、簡単に躱す。
下敷きになったのが左足だけと言ってもその足はもう使い物にならないだろう。サクアは刀を杖代わりにして立ち上がる。
「はぁはぁ、ちくしょう・・・全然動かねぇ。」
激痛に耐えながら何とか動かそうとするが、力が入らない。
「ウホッ!ウホッ!」
「くっ!」
追い討ちをかけるように今度は大きな掌がサクアを襲う。サクアは倒れ込むようにしてそれを何とか避ける。そしてもう一度立ち上がるとまたゴリ助はハエでも叩くかのようにサクアに向かって腕を振り下ろす。
どうやら逃げ惑うサクアを見て、楽しんでるようだ。本当に当てる気ならわざわざ立つのを待ったりしないだろう。
「この!」
バァン!バァン!
アンナはゴリ助に向かって銃を乱射する。しかし命中した弾丸はゴムにでも当たったかのようにして何処かに飛んでしまう。
「嘘・・・なんで!」
ジェットゴリラの皮膚は元々内部の空気圧に耐えられるようゴム質になっていた。銃や打撃はほぼほぼ無効化される。ゴリ助は弾丸に当たったことなど気に止めず、サクアを弄んでいた。
「サクアぁ!」
「ふぉふぉ、どうじゃわしのペットは、面白いじゃろう?」
「あんたねぇ、こんなことして何が楽しいのよ!あんたも猿とは言えど同じ知能を持った生き物なんでしょ!人の心は無いの!」
アンナは自分の無力さに涙をこぼしながら訴える。
それを聞いた老猿はこれまた見下したように高笑いする。
「面白い事を言うのぉ、人の心とな。人間の偽善にまみれた心など要らぬわ。人間は能力の低い同族を蔑んだり、侮辱するのに猿という言葉を使うそうじゃのう。だがどうじゃ現実は?今明らかに劣っているのはお主らじゃ!いっそわしらが本当の人間を名乗った方が良さそうじゃ。ふぉふぉふぉ!」
老猿の表情が変わる。目を見開き怒りと憎悪が剥き出しになる。
「以前人間は世界を支配し全てを牛耳っていた、そしてその事実を心の奥に隠し、自分らは善だと思い込む。やってることは今のわしらと何ら変わらんと言うのに、人の心とはなんじゃ?これが世界の正しい在り方じゃ。強い者は生き残り、弱い者は蹂躙され、弄ばれ、死ぬ。まさに弱肉強食!LBは世界を元の有り様に戻してくれた天の計らいじゃ。」
そこまで言うと銃弾が老猿の顔の横を通りすぎる。
「あんたの演説はもういいわ!ゴリラが駄目ならあんただけでも!」
アンナは老猿に向かって銃を構える。
「怖いお嬢さんじゃ。」
「アンナ!危ない!」
「え!」
振り向くと大きな岩がアンナ目掛けて降ってくる。
「きゃあ!」
間一髪で頭を伏せる。どうやらゴリ助が投げた岩のようだ。サクアの声が無かったら完全に死んでいただろう。
「アンナ、お前だけでも逃げろ!」
サクアは息を切らし、声を振り絞って叫ぶ。
「でも!」
アンナは目に涙を溜め、サクアを見つめる。
「こいつが俺に構ってる間に何とか逃げるんだ!」
声を出すのに精一杯だったサクアはゴリ助の凪払いを食らってしまう。そのまま吹っ飛ばされ木に激突する。その拍子に帽子も吹っ飛ぶ。
「サクア!」
しかし意外にも唸り声を挙げたのはゴリ助の方だった。
「ウガガガッ!」
凪払った手の甲に刀が刺さっている。サクアが咄嗟に刀を盾にしていたのだろう。ゴリ助は右手で刀を抜くとそこらに放り投げ、怒ったように地団駄を踏む。
「ふぉふぉ、もう十分じゃゴリ助。止めをさせ!」
老猿の声とともにゴリ助は右腕を構え、息を吸い始める。
「へへ、今のが最後っ屁って奴だ。もう避けられそうにねぇ・・・」
何とか手を付き、体を起こし、立ち上がるがあのスピードを避ける力はもうサクアにはない。
「サクア!」
「来るな!もうこの足じゃどっちにしろ逃げられねぇ。アンナだけでも今のうちに逃げろ!早く!」
「そんなの・・・できるわけ・・・・このっ・・・このっ!」
アンナはボロボロ涙を流しながら銃を乱射する。しかしやはりゴリ助には効かない。そしてゴリ助の腕はパンパンに膨らみ、息を吸うのを止める。
「これで終わりじゃな。」
「ウホッ!」
「サクアぁーーーーー!」
ドォン!
さっきよりも大きな音が地に響く。サクアはゆっくりと目を開ける。不思議だった、何故自分は目を開けられるのか、そして何故直ぐ横にゴリ助の拳があるのかと。本来ならば自分の上に無いとおかしい筈だ・・・避けた・・いや誰かに突き飛ばされた・・・誰に。ゴリ助が拳を上げる。
そこにいたのはなんとあのジックだった。