滑走路
初春の夜闇は昼間のあのきらめきをすっぽり飲み込んでは冷やす。ごう、ごうと速度を上げる車体にまとわりついては冬の寒さを忘れるなよと言わんばかりに、ドアの隙間を潜ってくる。沿いの山並みは誘うような黒さをなびかせ、深く吸い込まれそうだ。
「またかぁ」
顔を上げるとカーブの向こうから大きく開いた口がこちらに向かってきていた。高速に乗ってから1時間弱3つ目のトンネルだ。
「トンネル多いですね」
「ねぇ」
橙の横線がフロントガラスをなぞり、飲み込まれる、外で流れていた風が轟音に変わる。
「ユーミンの歌みたいじゃないですね。全然」
「ユーミン?」
「何か、高速を走る歌あるでしょう?」
「あぁ・・・中央フリーウェイだっけ?」
「あ、それです」
「ユーミンなんか聞くの?若いのに」
「母が好きで」
「母! 世代を感じるなぁ」
瀬戸さんと私は随分年が離れているようだった。きっと20かそれくらいだと思う。はっきりとした年齢は知らない。何となく年季の入った手の甲とか顔の皺とか錆びた匂いがそんな感じだ。
と、瀬戸さんは窓を少しだけ開けた。轟音が体に響いて、冷たい風に前髪が騒ぐ。瀬戸さんは片手で器用に煙草を取り出し火を点けると、首をすくめ「ごめんね」としてみせた。私はにっと微笑む。2回目の煙草だった。
ふっふっと外へ向けて煙を逃がす。その度に、えりあしの隙間から白いうなじがこちらを向いた。橙色の車内で、それは何とも神秘的に脈打つ。
「触りたい」衝動を切ってすぐに、高鳴る鼓動がそれを抑えた。
冷たかった風が、急に心地良くなる。
きっと今、私の体はこのトンネルの光よりずっと赤い。
ぼっと空を切る音と共にトンネルを抜ける。もう窓の向こうには街の灯が滲んでいる。瀬戸さんは半分だけ吸った煙草をもみ消すと、ハンドルを切って進路を変えた。スロープの先に、ぽつんと光る料金所が見える。
下っていくほどに大きくなる鼓動が、指先まで伝わる。
闇に乗じてしまおうか。
そう思った刹那、背の高いライトが車内に白い光を落とした。
革財布を取り出す瀬戸さんの左手に光るそれを、慣れない瞳がはっきりと捉える。
まさに飛び出さんばかりだった私の鼓動は、ごくんと飲み込んだ唾と一緒に喉の奥へと消える。
私はユーミンの歌を思い出していた。
この滑走路は続かない。
走り出した車から星ひとつない空を見上げて、息を吐く。
風はまた冷たくなった。