東寧
恋人を雪降る故郷へ連れていきたいと歌ったのは誰だったっけ。僕はやはり隣の席にその女がいることを確認し、ため息をついた。
「僕ら、つきあってないんだよね?」
「もちろん」と女は即答した。
「なのに新千歳まで来るの?」
女は何も言わず、その大きな黒い双眸に僕を映した。分かっているのだ、そうすれば僕が降参することを。羽田発の航空券を二枚買わせた実績だってある。
「参ったな」
CAが狭い通路を我が物顔で歩きながら、シートベルトを締めるように呼びかけた。
「安全もクソもあったもんじゃないよね」と女はおかしそうに言った。
「君が言う?」
「あのね、私。常に危険の中に身を置けって、言われて育ったよ」
「君のパパはきっと暗殺者なんだろうな」と僕が言うと、女は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「ねえ、小樽はどんなところなの?」
「小樽はね、海が近くて、飯が美味いところだよ。綺麗な倉庫もある」
女は「綺麗な倉庫」と繰り返した。
「君、馬鹿にしてるだろ」
「してないわよ。私はそんなことを聞きたいんじゃないの。分かってるでしょ」
「分からないよ。初デートで実家に押しかける女は初めてだから」
「まさかデートのつもりなの?」
女はぷいとそっぽを向いた。
「ごめんって」
なんで僕が謝っているのだろう?おそるおそる女の顔をのぞき込むと、その眼差しは窓の外に向けられていた。
「そろそろ飛びそう!」と子どものようにはしゃぐ。
「全く付き合いきれないな」
「つきあってないんだからいいのよ」
「聞きたいんだけどさ、君にとってデートってなんなの?」
「決まってるじゃない。好きな人と暗いバーでうっとりする時間のこと」
「ということは、僕と早朝から飛行機で北海道まで飛ぶことは、デートではないんだね」
「Exactly!」と女は流暢に言った。
飛行機はゆっくりと動き始めた。