元男爵一家は堆肥を作る
最初に想像していたよりも思ったよりも難解 で調べるのにとても時間がかかって誠にすいませんでした。
「こんな所なんて嫌よっ!!!」
「儂だって嫌だっ!!!」
「大体あんたのせいよっ!!! あんな娘を引き取ったからよ!! あっちこっちの女に手を出して種まいたあんたのせいっ!! 挙げ句のはてには裏切られて!! あんたがボケなすだから、私がこんな目に遭うのよっ!!!」
「儂がボケなすだとっ!!! じゃあ、お前は派手な化粧をした若作りのババァだっ!!! ちょっと汗をかくと化粧が剥がれ落ちて化け物になってたぞ!! 馬鹿みたいに煽てられて、似合いもしないドレスを山ほど買い込んだじゃないかっ!! 周りがみんなみっともないと言ってたのを知らないのかっ!!!」
「何ですって!!! きぃぃぃー!!!」
今日も今日とて元男爵の住まいからは、互いを罵り合う夫婦の怒鳴り声が響いていた。
爵位を売って領地を売っても借金は残り、結局は労働で国への返済を決められた。
もちろん一家は鉱山には行かなかった。
夫妻は階段を登るだけで軽く息切れするほど運動不足で、小太りの中年達だ。
ツルハシが持てるか?
ツルハシを持って何歩進める?
振り上げたツルハシを自分の足に振り下ろすのでは?
鉱山は屈強な男達が働く国営施設なので、そんな足手まといはいらない。
元男爵夫妻が働ける場所は皆無である。
そう。この村以外では…。
この村では酪農が盛んで、更に牛糞を使った発酵堆肥を作っている。
発酵には空気を混ぜ込む撹拌作業が必須で、年老いた職人が引退したくとも、それに適した人材がいない。
そこで白羽の矢が立ったのが元男爵一家だ。
庶民なら生活魔法が必須だが、貴族ならとりあえず学校で初級魔法を習っているはずである。
もちろんこの国では火炎竜や竜巻の出番はない。
ここでの仕事は毎日家々を周り牛糞を集め、撹拌作業を繰り返す。
鉱山にくらべたら楽な仕事だ。
窓のない粗末な馬車に揺られること数日。
節々が痛む体。
一家が到着した家は酷いものだった。
村外れにポツンと立つ、四人が暮らすのがやっとの狭さと、壁板が所々剥がれたあばら家。
僅かな悪臭が風に乗って漂ってくる。
元男爵は顔を顰め鼻を覆い、夫人は卒倒しかけた。
その後の罵詈雑言は凄まじかった。
元貴族として、これ以上の屈辱があるだろうか?
もちろん、悪臭の為に職場である発酵施設は村の外にある。
「何よっ! この臭いっ!!」
「誰か! 香水を持って来い!!」
だが僅かな臭いでこれだけ騒ぐとは……。
どれだけ夫妻が騒ごうか聞こえないなら害はない。
例え罪人だとしても村の為に来てくれたのだからと、初日に職人が心尽くしの黒パンや食料を差し入れしたのだが、ヒステリーを起こした妻はお礼すら言わず罵った。
「こんな固くて不味そうな黒パンが貴族の口に合うと思うのっ!?」
まぁ五月蝿いから職人はさっさと帰った。
(この調子では仕事になるかのぅ)
きちんと働くなら昨日の食べ残しのパンを渡すくらいの親切心はあるが、働かないならその辺の草でも食っとけと村人たちも思っていた。
(知らんがね)
用意された数少ない食料は、いかんせん夫人の腕が悪すぎて殆ど食べられなかった。
料理など使用人のすること。
女だからと押し付けられても、もちろん何一つ知らない。
お湯の沸かし方もわからない。
とりあえず火を通せば料理だとばかりに、時間をかけてガシャガシャ作り、出来上がったのはみんな塩塗れか味がないか。そして生焼けか黒こげ。一部炭化していた。
職人の差し入れた黒パンが一番美味しかったのは当たり前である。
「不味いわっ! こんなのブタの餌だ! 人間の食べる物じゃないっ!」
父が詰った。
「きぃぃぃー! 文句があるなら自分で作りなさいよっ!! こんなに頑張って作ってやったんだ! 後はあんた達で片付けなさいよ!」
「儂は疲れたからもう寝る。後はやっておけ! 儂はこの家の家長だからな!」
息子たちに残されたのは、汚れて山のように積み重なった皿と水浸しの台所。
ため息をつきながら、慣れない手付きで真夜中までかかってやった。
2階の罵声を聞きながら。
そもそも息子二人に罪はあるのか?
知っていながら見て見ぬふりをし、美味い物を食べ小遣いをもらっていたので、罪がないとは言い切れない。
黙認することも、利益の一部を受け取ることも、また罪の一つである。
真夜中には罵声は止み、二人は1階に用意されていたワラ布団の中で泥のように疲れて眠った。
そして朝は母親の金切り声で飛び起きた。
階下に急ぐと派手な喧嘩を繰り広げる両親がいた。
「何でこの私が貧乏臭いワラ布団なんかに寝なきゃならなかったのよっ! チクチクして満足に寝れやしなかったわ! このボケかすっ!!」
「こっちだって同じだわ! だが、産まれも育ちも高貴な儂が貧乏臭い暮らしに我慢しとるんだ。さっさと飯を作れ、妖怪ババァ!!」
ヒートアップする争いに諦めた息子達は見よう見まねで朝食を作った。
それは不味いことには変わりはなかったが、昨夜よりはマシだった。
朝に仕事を教えに来た職人が、堆肥の集積所に連れて行くと息子はともかく夫婦二人で卒倒した。
簡易の屋根の下に、五つの大きな穴があり、発酵の違う堆肥が山盛りだ。
一つはまんま牛糞にわらを混ぜた酷い悪臭のするもの。やたら高温で湯気をたてるもの。立派な堆肥になったもの。実に何だか訳がわからない。
「お前さんたちはやる気はあるのかい?」
うんと頷きかけた息子たちを、化け物のような金切り声が遮って、夫人が引きずっていった。
「そんな卑しい仕事を高貴な貴族がするわけにはいかない!!」
……確かに男爵だったが元である。
「やれやれ。しかたないのぉ」
だが直ぐに食糧は尽き、一家は食うにこと欠く有り様になった。
馬鹿につける薬はないので、貴族の威光を傘に、まず元男爵は近くの村人の家で食べ物を徴収しようとした。
「儂は貴族だ! 儂は偉い! 儂に食べ物を貢ぐ栄誉を与えてやろう! 下民ども! 膝まづいて喜ぶがいい!!」
真正の馬鹿だった。
結果はボロ負けだ。
小太りなオッサンが、筋骨逞しい酪農家のおかみさんに、口でも腕力で勝てるはずがない。
鋤を持って追いかけ回され、這う這うほうの体で逃げ出した。
もう食べる物がないと空腹に耐えかねた一家は、渋々と働くことにした。
老いた職人に息子たちが頭を下げ、非礼を侘び教えを請うた。
「オイラの名前はトム。みんなトムじいさんと呼ぶさ。小僧たちもそう読んだらいい」
トムは心良く許し、その日から息子たちにとって本当の村での生活が始まった。
まず起きると一軒一軒酪農家をまわる。
牛舎の糞やわらを集め、荷台に載せて牛を借りて運び空いた集積穴に入れる。
果てしない繰り返しだった。
発酵の度合いは職人が検分する。
汚い力仕事は当然の如く息子たちに命じられた。
夫妻がするのは撹拌のみ。盛大な文句を言いながらだが。
小太りな息子たちに力仕事は厳しい。
何故自分たちがこんな目にと思いながら、ズタボロになって毎晩泥のように眠った。
だが続けていく内に見えてくるものもある。
社会最底辺の仕事だろうが、額に汗して働くのは悪くない。
段々と筋力もついて回収が苦にならなくなった。
発酵という未知の知識は実用的で奥が深い。
藁や炭の配合成分によって出来が変わる。
撹拌によって定期的に空気を入れなければ発酵しない。
上手く発酵できたら湯気が出るほどの熱が出て色も臭いも段々変わっていく。
最終的にできる堆肥は、素人には腐葉土と区別がつかない。
人には向き不向き好き嫌いがあるが、発酵という化学に息子たちは夢中になった。
周る家々で明るく挨拶され労いの言葉をかけられ、時には差し入れをもらえる。
元男爵家の食事事情は、村中の人間が知っていたからだ。
食べ盛りの彼らを心配する気持ちもあったろう。
息子たちには次第に笑顔が増えていった。
だが何一つしない両親は変わらず家も衣服も汚い。
掃除の仕方、洗濯の仕方、料理を作ること。
女達に頭を下げて習い母に教えた。
「あんた達だって、いい思いをしたでしょう?! 今まで育ててやった恩を返しなさい!! それが親孝行よ!!」
……結果、ヒステリーを起こされた。
重労働に掃除や洗濯、料理まで押し付けられたら、いくら若さがあっても身体はキツい。
そんなフラフラな息子たちを見ていたトムじいさんが、ある日言った。
「もう、いいじゃろ。もう許されてもいい。もう村の一員として迎え入れてもいいじゃろう」
トムじいさんは小さな家に息子たちを案内した。
「今日から、お前さんらはここに住むといい」
ごく普通の雨風がしのげるだけの家が、両親の横暴に悩まされない家が、息子たちにとっては宮殿にも思えた。
「「でもっ!」」
「確かにお前さんらは罪を犯した。だが、その罪に見合うだけの努力をしたことは村のみんなが知っとる」
息子たちは静かに泣いた。
罪人である自分たちの努力を見ていてくれた、誰かがいたなんて思いもよらなかった。
それからトムじいさんは村外れにある施設に案内した。
「この村には温泉が湧くでのう。今まで井戸水で洗濯して体を拭うのは辛かったじゃろ? 村のもんなら使ってええことになってる。一風呂浴びてサッパリするとええ」
少しでも悪臭を除く為に懸命に両親のものまで洗濯した。
自分たちは井戸水をかぶったが、タライに温かい湯を運んでも役立たずとしか言われなかった。
温かい湯船が身にしみる。
「……温かいね」
「……うん」
「……気持ちいいね」
「……うん」
弟の言葉に、兄は「うん」しか言えない。
二人は滂沱の涙を流していた。
「ワシも若気の至りで罪を犯した。最初は荒れておったがの。働くことが楽しいと頑張るうちに許されたんじゃよ」
トムじいさんは実は村長だった。
確かに元男爵一家は罪を犯したが、悔い改める心があるならば、わざわざ用意した劣悪な環境でなく人並みの生活を送らせるか裁定する権限を与えられていた。
息子たちは許されたのだ。
本当の村人として受け入れられたのだ。
息子たちの引っ越しに両親はひどく罵ってたが、近い方が働きやすいとトムじいさんから言われれば是非もない。
時々掃除、洗濯や料理に通うことを条件に渋々許された。
もちろん貴族の生活と比べるべきもないが、朝から晩まで聞かされる諍いはなく、働く楽しさ、仕事の後の疲れが吹き飛ぶ温泉。
静かで満ちたりた環境。
今兄は近隣の農場に、出来上がった堆肥を運ぶ仕事もしてる。その農場には仄かに思う娘がいるようだ。
弟はソバカスが可愛い娘のいる酪農家の乳搾りを手伝っている。搾乳したミルク缶を率先して運ぶ。「ありがとう」と言う、向日葵のような屈託のない笑顔を見るだけで心が明るくなる。
「ねぇ、兄さん」
「何だい?」
「今は幸せ?」
「……うん」
「僕も幸せだよ」
たった一つの問題は、やはり両親のことだ。
あばら家は日に日に汚くなる
豚小屋? 豚は清潔な動物のはずだから失礼だ。
井戸水を被らず衣服は繕わない。
息子たちが時々差し入れる黒パンと茹でジャガイモを貪り食う。
貧民窟の人々の方が礼儀正しいのではないかとは思う。
だがこれは親として育ててもらった恩と、罪を見て見ぬ振りをした自分たちへの贖罪なのだ。
「このボケナスっ!!」
「化粧お化けもひどかったが、厚化粧してないお前は単なる化け物だっ!!」
今日も金切り声で罵り合う両親の声を背に、苦笑しながら家路に向かう。
身の丈に合った幸せは、きっとこういうものだと感じながら。
参考文献
悪臭対策
・【環境省】→内容がない。
・【農林水産省】→工場見学しないと完全な理解は難しい。一度みたい。
発酵について
・【Wikipedia】→バイオケミカルの勉強を私は怠ったが、それでも素晴らしい文献だった。
・【九州大学農学部】→黄麹菌の研究は興味深く読ませて頂いた。今後も読ませて下さい。
【読者への挑戦状】
この文章で唯一名前がでてくるのはトムだけである。たった一人トムでならなければなかなかった。トムの出典はどこでしょう?
以下は後書きに続く。