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月光と湖水

一応、最終話です。

 

嵐山宗近あらしやまむねちかの前に、男が平伏していた。



「殿、どうかお考えを改めてはいただけませぬか?」



同家の筆頭家老、菊島雄山きくしまゆうざんは、己の主君に向かって命がけの嘆願をする。


本来、武家社会というものは、絶対的な封建社会であり、家臣は生れ落ちたときから、主君のために命を棄てよと洗脳され、深層意識に刷り込まれている。


であるから、主君にたてつくとか、主君を批評するなどと言う心は、なかなかにして持ちえるものではない。現在の我々が、どうしてこんなにもと首を傾げるほど、彼らの忠誠心は強く心の底に刻み込まれているのである。


しかし、菊島雄山は、己の武士道と照らし合わせ、主君の乱暴な所業をいさめようと、命をかけて嘆願を申し出たのだった。


 



事の起こりは、嵐山宗近の病……『好色』である。


もっとも、彼が最初「刀工の仕事振りを見てみたい」と言い出したときには、べつだん不埒(ふらち)な思いはなかった。むしろ彼にしては珍しく、純粋に学術的な興味で言い出したのだ。しかし軽い気持ちで見学する先の刀鍛冶を選んだ菊島雄山は、のちに大きく後悔することになる。


刀匠、大和守(やまとのかみ)桐山長春(きりやまながはる)は、近隣諸国に名をはせるほどの名匠である。彼の作り出す刀剣は、国の重臣をして借金に走らせるほどの人気を持っていた。


桐山長春の刀は身分の高い者も欲しがる。


しかし刀工は庶民であった。


下賎の者の打った刀を買い求めるわけにはゆかない公家や高級武士は、そのため長春に「大和守」の位を与えた。もちろん実際に大和(奈良県)を守るわけでも、権力を持っているわけでもない。身分制度のつじつま合わせで無理やり押し付けられた、名前だけの官位だ。


しかし、それでは長春の刀が『人気先行する名前だけの刀剣』なのかと言えば、そうではない。


彼の刀は素人が見てもわかるほど美しく、しかも髪の毛一筋を刃の上に落とせば、それを両断するほどの恐るべき切れ味を誇っていた。長春はまさに、国の宝なのである。


その長春に、一人の孫娘がいた。


見目も美しく気立てのいい娘で、長春は彼女を猫かわいがりに可愛がっていた。その孫が、見学する殿様に茶を持ってきたとき、運命の歯車は狂い始めたのであった。



「娘、名をなんと申す?」


「はい……美砂でございます」



これだけのやり取りで、すでに何度も主君の乱行を見てきた家臣たちは、またか、と大きなため息をつく。だが、ため息だけではすまない者も居た。


もちろん当の孫娘本人と、その祖父、長春である。


嵐山宗近の好色ぶりは、領民に知らぬ者なしの有名な話である。その宗近が、いやらしくまなじりを下げて、もっとも大切な孫娘を見ているのだ。長春は激しく動揺した。やがて宗近が供を連れて帰ると、成り行きを予測した長春は、孫を遠い親戚の下へ旅出させてしまった。


数日後、宗近の命を受けて彼女を連れに来た家臣は、そこで長春に事の次第を聞かされ青くなる。このままでは、自分たちの身が危ないと思った彼らは、長春を引き連れて城に帰った。鼻の下を伸ばして待ち構えていた宗近は、話を聞くと激怒する。


しかし、近隣に名を馳せる名匠であり、大和守の位を(形だけでも)持つ桐山長春を、さしたる理由もなく切り捨てることはさすがにためらわれた。


長春の腕を惜しんだのではなく、名匠を孫娘を得られぬ腹いせに斬ったと言う汚名と、官職にあるものを斬った後の面倒を嫌ったのだ。


よしんば斬るにしても、何か理由がなくてはならない。


そこで長春を呼び出した宗近は内心の怒りを隠し、あくまで機嫌のよい風を装いながら、彼に無理難題を吹っかけたのである。



「桐山長春、先日は世話になった」


「はっ」



平伏する長春の背に、宗近の声がまとわりつく。



「ところで、そちは近隣でも名をはせる名匠と言われておるが、実際のところ、いったいどれほどの刀を打てるのだ?」


「どれほど、とは」


「どれほど切れる刀を打てるのか、と申しておる」


「恐れながら、それがしの打った刀であれば、落ちてくる髪一筋を、その自重にて斬つことができまする。お疑いあるなら、この場でご覧に入れましょう」


「いや、それについては、余も聞き知っている。しかし長春よ。いくらそちの刀でも、時や場合によっては斬れない物もあるだろう」


「ございませぬ」



名匠と言われる長春のプライドが、挑むような口調で答えさせた。



「ない? ないと申すか?」



しまったと思ったときには、すでに遅い。


常識的な、ほかの刀でも斬れる物ならば、確かに長春の刀に斬れぬ物はないだろう。だが宗近は明らかに、わざとその言葉の意味を取り違え、言質を取ってしまった。



「良くぞ申した。それでこそ、名匠と呼ばれるだけのことはある。ならば一つ、余に見せてもらおうか……そうじゃの……うむ。長春、そちの刀でアレを」



言いながら宗近が指し示したのは、天守閣の窓から見える湖。



「あの湖に映る月を、みごと両断して見せよ」



周りで成り行きを見守っていた重臣たちは、思わず天を仰いだ。


口に出しておいて出来ぬとなれば、ただではすまない。単なる町人であればまだしも、名前のみの官位とは言え、長春は大和守を名乗っている武士なのだ。


顔を伏せ、迷う長春。


長い沈黙が流れた。


誰も口を開かぬ中、宗近だけがニヤニヤと笑っている。


と。


長春は不意に顔を上げ、厳しい口調で言った。



「斬りましょう」


「なに?」



驚いた宗近が問い返す。



「斬れると申すか? 湖に映った月を、斬れると?」


「御意」



長春の瞳に、もう、迷いはなかった。


長春がわびを入れてくると高をくくっていた宗近が、目を丸くしてそれ以上何もいえないのを見て取ると、長春はもう一度深く平伏してから伺いを立てる。



「では、その準備もありますので、これにて下がらせていただきます」



その声に我に返った宗近は、不審と驚きの入り混じった顔で、問いただす。



「では、本当によいのだな? 月を斬れなければ……」


「武士に、二言はございませぬ」


「……そうか……いや、良くぞ申した」


「次の満月の夜、御前にて月を斬ってご覧に入れます。それでは」


「うむ。大儀であった」




それからひと月の間、長春は無心で刀を打った。


心ある重臣の幾人かは彼の命を惜しみ、他国へ逃げることを勧める。菊島雄山もその一人であった。しかし長春は勧めのすべてを断る。


では何か策が? と問われても、長春は黙って微笑むだけ。


重臣の中には、黒く塗った刀を水面に映る満月の前に立てれば、だの、水面に張った糸をそうっとゆらし水面の月を斬ったように見せては、などと助言するものも居た。


だがしかし長春は、そのどれにも取り合うことはなかった。


業を煮やした雄山は、ついに己の君主、宗近に長春の助命を嘆願する。



「どうか、殿。伏してお願い申し上げまする。長春はわが国の宝。それをこのような戯言で失っては、大きな損失になりますぞ」


「置け、雄山。長春が素直にわびていれば、このようなことにはならなかったのだ。余も長春も武士である以上、一度口にしたことをたがえるわけにはゆかぬ」



雄山は絶望に顔を伏せ、主の前を辞した。




 


やがて約束の、満月の夜が来る。


しかし、蒼く光る月は、薄い雲に覆われていた。


満月であるため、それでも充分すぎるほど周りは明るかったが、肝心な月の姿がぼんやりとしか見えない。心ある重臣たちは、一様に無念のため息をついた。


部下に命じて湖のほとりに、急遽(きゅうきょ)作らせた東屋。


そこで月を眺めつつ酒を飲みながら、宗近は上機嫌で長春を待っていた。約束が果たせず逃げることのないよう、このひと月、長春の動きを見張らせていたので、長春が逃げずにここへやってくることはわかっているのだ。


やがて、白い布をかけた大きな荷物を携えて、長春が姿をあらわした。



「おお、大和守殿。良くぞ参られたな。まずは一献」



酔ってはしゃぐ宗近に一礼すると、長春は後ろにある荷物を指し、落ち着いた声で言った。



「準備は整ってございます」



落ち着いた長春の態度に、宗近は一瞬、鼻白む。


が、すぐに気を取り直すと、ニヤニヤと意地の悪い笑いを浮かべて、鷹揚にうなずいた。



「そうか。ならば、早速、湖面の月を両断してもらおうか」


「御意」



もう一度礼をすると、長春は後ろに下がって白布に手をかける。



さっ!



白布が取り払われ、その全貌が現れた。


瞬間。


その場の全員が息を呑む。



「おぉ……」



やがて、誰ともなく漏れる、感嘆のため息。


そこには湖面が出現していた。


美しく磨かれた木彫によって、見事に再現された湖の底。


その湖底に、刃を上に向けて、つかの半ばまで埋まった。


刃先を天に向かって斜めに突き出している、ひと振りの太刀。


そして。


その刃先から、反対向きに「く」の字に伸びる、もう一本の太刀。


挿絵(By みてみん)


二つの太刀の姿はまるで、ひと振りの太刀が湖面に映っているかのごとく見える。


りんとして涼やかなその刃先は、しかし、人々に胸をかきむしられるような緊張感を与える。不自然な状態で刃と刃を合わせた刀は、その不自然さゆえに周りを厳しく凍りつかせる。


ぴんと鏡のごとく、さざなみさえ立っていない、湖の水面みなも


刃の触れ合う先に人々の心は、その水面を、確かに見た。


そして、湖底を模して作られた木彫には、徹底的に磨き上げられた銀板が半球状に張ってある。その銀面は、うす雲にやわらげられた周りの月光を、ちょうど刀の切っ先の部分に集める。


切っ先に出現した光の球は、満月の青い光を作り出し。


刀の切っ先が作り出す水面。


月光を集めて作った満月。


今、まさに湖面の満月は、すっぱりと両断されていた。


 



しばらくの間、感嘆の沈黙があたりに満ちる。


 


やがて。


 


「お見事」


 


家老のひとりが、思わずそう言葉を漏らした。


刀匠、桐山長春は、黙ったままこうべを垂れる。何の表情も浮かばないその顔は、しかし、己の誇りをかけた仕事をやり終えた、涼やかな男の顔だった。


その場に居合わせた重臣たちの誰もがそれを感じ、この男の心にさむらいに、賞賛の気持ちを持った。


いや、ひとりだけ。


限りなく不機嫌な表情をしている者がいる。


嵐山宗近である。


あまりに美しい長春の作品に宗近自身、凛と張った美しい水面と両断された満月を、自分の心の中に見たのだが、それが逆に、彼の癇癪かんしゃくに火をつけた。世襲によって封建社会の頂点に立つ権力者は、往々にして幼児並のメンタリティであることが多いのだ。



「えぇい! 余はこんな子供だましには、惑わされぬぞっ!」


「殿っ!」



明らかに非難の色を含んだ重臣たちの静止は、彼の怒りに油を注ぐ。



「黙れっ! 黙れっ! 黙れっ! 長春、そこへ(なお)れ! このような児戯で余をたばかろうとは言語道断。そっ首叩き落して、魚のエサにしてくれるわっ!」



重臣たちの制止も虚しく、刀を抜いた宗近は長春に近づいてゆく。


長春は、無念なりとも力及ばずば、刀匠としての未熟。


潔く斬られる覚悟はしていた。


しかし、彼はあのとき、宗近の感嘆の声を聞いた。白布を取った瞬間、宗近は確かに「ほうっ」と声を漏らしたのである。宗近の瞳に、いや、心の景色に、湖面で両断された満月が見えたのは間違いない。


だとしたら、勝ったのは自分だ。


ここで斬られるのは、どうしても得心(とくしん)がゆかないではないか。


長春は臆病からでなく自らの誇りに基づいて、振り下ろされる宗近の刀を避けた。元来、名匠には剣術の達人が多いものである。切っ先はみごとに避けられ、宗近はその勢いのまま、長春の作品に身体ごとぶつかった。



キンッ!



高い金属音とともに、ふた振りの刀のつながれた刃の部分がポキリと折れる。


上にあった刀はその反動で跳ね飛び、くるくると宙を舞う。


髪の毛の一筋でさえ自重で両断されるという恐るべき切れ味を持った長春の刀は、くるくる回りながら創造主の胸に向けて飛び、その切っ先が長春自身の胸にぶつかった。



「あっ!」



同時に、あちこちから悲鳴が起こる。


一方、勢いあまった宗近はバランスを崩し、木彫の湖底に取り付けられた下側の刀の上に、どうと勢いよく倒れこんだのだ。息を呑んで見守っていた人々は、その光景をスローモーションで見た。


痛くなるような静寂が、辺りを一瞬だけ包んだ後。



「殿っ!」



辺りは蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


刀の切っ先は、倒れた嵐山宗近の背から半分以上飛び出している。流れ出した鮮血が豪奢(ごうしゃ)な着物をみるみる赤く染めてしたたりり落ち、さらに木彫を赤く染めながら銀板の上に赤い湖を作り出していた。


そして長春は。



「長春殿!」



大声で名を呼びながら、しかし、菊島雄山は絶望している。長春の作った名刀ならば、自身の重さだけで人の胸を裂くことくらい造作もない事を、よく知っているからだ。


だが、次の瞬間、彼は驚きに息を呑んだ。



「むぅ……」



なんと、己が刀で胸を裂かれたはずの長春が、何事もなかったかのようにむくりと起き上がってくるではないか。



「長春殿、お怪我は?」



長春は黙ったまま、己が胸を指す。


が、そこには、ひと筋の傷もついていない。


やがて雄山の助けを借りて起き上がった長春は、固定された刀から引き抜かれて、東屋に横たえられた君主の前に進み出ると、沈痛な面持ちでこうべを垂れた。その後ろ姿に、菊島雄山が問いかける。



「なぜ? わしは確かに見たのだ。おぬしの胸に刀が吸い込まれてゆくところを!」



長春は、雄山を振り返り、芯の通った穏やかな声で言う。



「あのふた振りの刀は、刃先の一寸足らずのところで繋がっておりました。この胸にぶつかったのは、()()()()()()()()()()()()()()()()のです」


刃のない部分では、いかな名刀も斬れるわけがない。そしてまた、いかに刃がないと言えども、あれほど鋭く尖った切っ先ならば、人の胸を田楽刺しに貫くことなどいとも容易たやすい。


運命の皮肉な振る舞いに、話を聞いていた雄山は大きく息を吐いた。


と、長春が神妙な面持ちで言う。



「このような事態となった責は、それがしにあります。どのような罰でもお受けいたします」



その場の全員の視線が集まる中、しばらく思案した雄山は、やがて黙って首を横に振った。


それから、皆の顔と長春を見比べながら、ゆっくりと言う。



「長春殿、これは事故じゃ。皆がすべてを見ている。おぬしに何の責もないことは、ここにいる皆があかしを立ててくれるだろう」


「しかし、それでは」


「よいのだ。おぬしには何の責もない」



少し強い口調で、雄山がさえぎった。



「だが、それでも責を感じるというのなら。おぬしはおぬしの務めを、しかと果たすがよい。おぬしの命ある限り、素晴らしい刀を作り続ける。それだけでいい」



何事か言おうとした長春は、雄山の瞳の中に『すべての責を自分がとる』という強い決意を見い出し、その心を思ってただ黙ってうなだれた。そんな長春の様子を見て、雄山は覚悟を決めた男らしい涼やかな笑みを浮かべる。



「なに、今回のこと、元はといえばすべて、わしの浅慮がまいた種なのだ。気に病むことはない」



菊島 雄山の笑みは、蒼い月明かりに照らされ。


驚くほどはかなげだった。



 

 


世に名刀数あれど、月光と湖水に並ぶ逸品は、なかなか見当たらない。


名匠、桐山長春の銘のある、このふた振りの刀は……


月光、その名のとおり蒼い月の光にも似た、清冽な輝きを持ち、


湖水、その名のとおり湖水に映したかのごとく、月光と同じ美しさを持つ。


しかし、それほどの銘刀にもかかわらず、


この二本にはさやもなく、切っ先一寸ほどの部分には、刃さえ持たない。


 

要望があれば、また書くこともあるかと思います。

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