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武智の両腕

長げえです。

 

嵐山竹丸あらしやまたけまるが供を連れて村を通りかかった。


無論、身分を隠してのお忍びである。


たとえ英知を秘めた、領主たるにふさわしい若様とうわさされているとは言え、当年とって十三歳。好奇心を押さえきれるものではなく、こうして時々守役もりやくの目を盗んでは、供を連れて城下へ出るのもまあ、仕方ないだろう。



「あれは何だ?」



竹丸の言葉に供の一人が答えた。



「おそらく盗人でしょう。このあたりでは盗人を捕まえると、ああして一晩木に吊るしておくのです。それで生き残れれば、神が盗人を許したと言うことになり、彼の罪は許されます」


「ふうむ。しかし、まだ年端も行かぬ子供ではないか。この寒空にああして吊るされていては、一晩など、とても、もつものではあるまい?」


「で、しょうな。しかし、村の決め事ですから。年貢さえきちんと納めていれば、村のやり方にはなるべく口を出さないと言うのが、お館様のやりようですし」



自分とて年端も行かぬ子供であるだろうに、竹丸は眉をひそめてため息をついた。


そうしてしばらく何事か考えていたが、意を決したように馬首をそちらへ向ける。あわてて付き従う供のものが、若君を止めようとするのだが、意志の固い竹丸はそんな言葉には耳も貸さず、ゆっくりと馬を進めていった。


その先には大きなかしの大木。


大ぶりの見事な枝には、男の子がふたり吊るされていた。


年のころは十になるだろうか、ならぬだろうか?


おそらく兄弟であろう、似た顔立ちのふたりは、すでに十分すぎるほどぐったりとしていたが、近づいてくる竹丸の姿に気づくと、幼い瞳に炎を燃やして、キッと睨みつけた。


黙ったまま何も言わないふたりの男の子を、竹丸も黙ったまま見つめる。


やがて、弟のほうであろう、少し小さな子供の方が、空腹と疲労に耐えかねたのか、ついにがっくりとうなだれてしまった。兄は一瞬だけ心配そうに弟を見やったが、一言も発することなく、またも竹丸を睨みつける。



「何を盗んだのだ?」



竹丸の言葉に、幼い兄は無言で答えた。


するとぐったりしていた弟のほうが、小さな声で答える。



「大根だ! かあちゃが死んじゃうから、盗った」


「ほう、母君が……しかし、人の物を盗むのは……」


「わかってる!」



兄のほうが、思いのほか大人びた、強い口調で叫んだ。



「そんなことは、お侍に言われなくたって、わかってる。だけど、あの大根を作ったのは俺と六助とかあちゃだ。とおちゃも、にいちゃたちも、みんなお侍の手伝いに行って死んじまった。俺ら、一生懸命、大根作った。でも、喰っちゃなんねって言われてたから、喰わね。かあちゃ、疲れて病気になった。でも、何も喰ってない」


「ほう、それで母君に大根を食わせたくて、育てた大根をやったのか。ふむ。それなら盗人と言うのはちと、酷じゃの。おい、降ろしてやれ」



そう言われれば、供の者は言うことを聞くしかない。なんと言っても当主、嵐山家の長男坊である。次代の自分達の将は、この若君になることに、ほぼ間違いはないのだから。侍姿の男が三人がかりで子供らを降ろしているところを見つけて、村の者がやってきた。



「お侍様、勝手なことをされては困ります。こいつらは年貢に納めるはずの大根の畑を荒らした、盗人なんですから」



恐る恐るながらも、明らかに憤った面持ちの村人に、竹丸は穏やかな笑みを浮かべて言った。



「構わぬ」


「構わぬったって」


「盗まれた当人が構わぬと言っておるのだから、よいであろうが?」


「何をおっしゃる? これは年貢に収める……」



そこまで言って、目の前の、若侍というにも若すぎる少年の出自に思い当たったのだろう。村長むらおさらしき男が進み出ると、あわてて平伏する。周りの村人も訳がわからぬながら村長に倣い、続けて平伏した。



「これは、若さま。このような場所へお運びいただき」


「挨拶はいらぬ。それよりもこのふたり、許してやりたいと思うが、異存はないであろうな?」



周りの若い村人が不満の声を上げそうになるのをとどめて、村長が言った。



「それはもう、若様がそうおっしゃるなら。しかし、盗人を許したとあっては、村の規律にほころびが生じまする。それについては如何いかがいたしたものでしょう?」



老人は平伏しながら、明らかにこの生意気な若様をやりこめるつもりでいた。しかし、竹丸はまったくひるまない。



「この畑の大根は、年貢にすると聞いた。年貢なら、わが父のものと言っても良いであろう。であれば、その持ち主の息子がよいと言うのだから構うまい。盗みなど、最初から起こらなかったと言うことでよいではないか」


「そうです、ここの大根はお館様のものです。ですから、若様にそういわれましても……」


「なるほど、私では不足と言うか。うむ。それでは今から城に戻って、父上の言質を取ってくるとしよう。それでいいか?」



老人は絶句する。


むろんこのような些事、いちいち当主を煩わす話ではない。おそらくは一笑に付されるか、この生意気な若様が、一喝されて終わるであろう。しかし、万が一にも当主の不興を買ってしまえば、立場的に非常に苦しいのは自分である。


ちょっとした優越感や、当主の息子の鼻を明かす爽快感。そんなものと、来年の年貢の率や村の存亡までを天秤にかけるわけには行かない。


老人はここまで計算すると、悔しい内心を何とか隠してへつらいの笑みを浮かべながら言った。



「いえ、若様を煩わすつもりもありません。私の頭が固すぎたようです。ふたりは許します」


「なに、頭が硬いと言われるくらい真面目なものでなくては、村長の重責は務まらぬだろう。今後ともそうあるよう願うぞ」



今度はわざと不遜な物言いで、竹丸の方が村長を挑発した。この歳若い領主の息子は、やはり村長の態度に、々腹を立てていたようだ。


もっとも、村長は充分に老練であったから、そのような挑発に乗ることもなく、ただ平伏している。



「いくか」



竹丸の言葉で、人々は解散した。今晩の村長の晩酌は、いつもより苦いものになるだろう。


一方、助けられた兄弟二人は、それでも強い瞳のまま、竹丸を見つめている。



「どうした? もう、いってよいぞ? 母君が心配であろう?」


「礼は言わない。あんたが怒らせたから、俺達はまた村長達にいじめられるんだ」


「かあちゃ、かわいそうだ」



幼い兄弟にそう言われ、竹丸は腕を組んだ。



「ふうむ。そうか……だが、ふたりいれば、母君を助けて生きてゆけるだろうな? 大根は食っても良い。それはこの嵐山竹丸が責任を持って村長に伝える。だから、ふたりは母君を助けて強く生きるのだ。よいな? 私との約束だぞ?」



ふたりは顔を見合わせた。


それから兄の方が、不承不承うなずく。弟のほうは単純に、『大根を食っても良い』という言葉に感動したのだろう。きらきらした瞳で、竹丸に言う。



「お侍様、おいらが大きくなったら、家来にしておくれよ」



竹丸は一瞬、驚いて目を丸くした。兄の方も弟の言葉にびっくりしている。弟を見、驚いている兄の表情を見、もう一度弟の顔を見て、それから急に竹丸は笑い出した。


兄はむすっと黙り込んだまま、弟の頭を小突いている。



「よかろう。立派な大人になれるよう、精進するんだぞ? そうしたら、必ず家来にしてやる」


「兄ちゃんも?」



その言葉に竹丸が兄を見ると、兄はぷいと横を向いてしまった。竹丸は優しい瞳を弟に向ける。



「兄者が望むなら、もちろんだとも」


 



木下真伍きのしたしんご六衛りくえのふたりは、嵐山家の家臣の中で、めきめきと頭角を現していた。そう、あの日、竹丸に命を救われた、伍助と六助の兄弟である。


あの日から数年後、母親が病によって先立つと、身寄りのない二人はバカ正直に竹丸の元へやってきた。


門番と押し問答をして斬られる寸前、二人の口から竹丸の名を聞いた家臣、真田主税さなだちからによって、竹丸の元へ連れてこられたのだ。


もっとも、真田は二人が偽りを言っていると思っていた。しかし元々清廉潔白な人物であるため、真偽の程をきちんと確認してから、手打ちにするつもりだったのである。


が、驚いたことにふたりの話は本当であった。


あまつさえ主人竹丸(この頃はとうに元服して、名を嵐山武智(たけとも)と改めていた)に、ふたりを養子に取るよう命ぜられてしまったのである。


他の者ならとんだ貧乏くじなのだが、真田は子供に恵まれていなかったので、百姓の子供をどうして養子に、などとぶつぶついいながらも、気づけば二人の子供を溺愛するようになっていた。


やがてふたりが十五歳を迎えるときも、真田の跡継ぎとして迎えようとしたくらいである。しかし、真田家はゆかりのある名家であった。当主がどこの馬の骨とも思えぬ子供を溺愛することを面白く思っていない家臣も多い。


そこで一計を案じた武智は、城下の貧乏な武家の中から当主が病で亡くなり、後は取り潰しを待つだけという極貧の武家を選び、そこの一人娘と兄、伍助を結婚させてしまう。


ここに、木下真伍とその弟、木下六衛が誕生することとなったのだ。


取り潰しを免れた現在の当主、かつての当主の妻は、侍の家の跡取りに百姓の子供と聞いて、烈火のごとく怒ったらしい。


が、しかし、嵐山家の威光には逆らえず、それに取り潰しという最大の不名誉も免れるとあって、しぶしぶ同意した。


家来もなく、婿の来手もない、家系もそう名家とは言いがたい貧乏武家であったから、当主である老婆さえ折れれば、他に反対するものもいない。まして真伍と六衛は嵐山家の次期当主である武智に気に入られているのだ。


木下家は城下の貧乏武家から、一気に城内出入りを許されるほど番付を上げた。


一方の、真伍と六助も正式に侍の身分を得て、願ったり叶ったりといってよいだろう。武智の名采配である。


ただひとり、母の無念を聞かされ、さらに百姓出の男と結婚させられるハメとなった、怒りに燃える木下家の娘、鶴を除いて。



「それにしても木下家とは、まったくちょうどいい家があったものだ」



ニヤニヤ笑う武智の前で、真伍と六衛は首をかしげる。いまやすっかり涼やかな若者に成長した三人は、歳の近いせいもあり、主従でありつつも、ずいぶんと中のいい友でもあった。



「殿、いったいどういう意味でしょう?」


「わからんか、六衛? 真伍は?」


「いや、とんと」


「お前らふたりとはじめて会ったのは、どこだった?」


「それは……村の大きな樫の木の下……ああ、そういうことですか」


「なんだ、兄者? どういう意味だ?」


「まだわからぬのか、六衛。私と木の下で出おうたふたりが、木下の姓を持ったのだ。おもしろいだろう? 縁とはまこと不思議なものだ」


「ああ、なるほど」


「ふふ、まったく六助、いや、六衛は鈍いの」


「兄者とて木刀で殴りつけられても、けろっとしておるではないか。鈍さではわしより上じゃ」


「ははは、確かに、ふたりとも頑丈さだけは、すでにいっぱしの侍じゃ」


「殿、そりゃひどいですよ」



こうして武智はいわくの多い嵐山家の中において、真に腹を見せられる腹心を、そしてそれ以上に重要な、信頼に足る友を二人も得ることが出来たのである。



「それにしても、真伍、六衛、おまえたち、少々気を張っておかねばならんぞ?」



不意に真面目な調子に戻った武智に対し、ふたりは顔を引き締めると座りなおした。



「と、言いますと?」


「六衛、殿は城内での我らの立場を、おもんぱかってくださっておられるのだ」


「うむ。おまえらが農民の出なのは、隠しておらんからな。下手に隠して後で露見する方が何かと良くないと思ったのだが、こうして城内で不安な動きがあるとは、浅慮だったかも知れん」


「しかたありますまい。皆様、どなたも立派な家系の方々ですから。それが我らごとき百姓出の者に大きな顔をされては、面白くないのも当然です」



真伍がこたえると、六衛は不満そうに口を尖らせる。



「しかし、あの方々は、そりゃあお家柄は立派かもしれませんが、武を練るでもなく、知を求めるでもなく、もっぱら権勢争いにのみ血道を上げておられるような方ばかりで、六衛はどうも好きになれませぬ」


「それはわしとて同じじゃ、六衛。だがな、お前が短慮を起こせば、お前とわたしを引き上げてくだすった、殿にまでご迷惑が及ぶのだ。そのことを常々忘れるな?」



そう言われれば、武智のことが大好きな六衛は、もう、黙り込んでうなるしかない。その様子をやさしく見つめていた武智は、にっこり笑って六衛を慰める。



「まあ、そう気を落とすな、六衛。そんなことをやっておられるのも、もうしばらくのことだ。いずれいくさになれば、そんな悠長なこともやっておれまいて」



武智の言葉に、六衛の顔がぱあっと明るくなる。



「戦があるのですか?」



現金な様子に苦笑しながら、武智はうなずいた。



春近はるちか様の代より続いた戦乱も、曽祖父、春嶽しゅんがく様のご尽力によってずいぶん平定された。いまや嵐山家は百万石の大国だ。逆らうものもそうはあるまい 」



ふたりは話の行く末が見えずに、首をかしげたままうなずく。



「ところが父上は、ああいうお人だ。武を持ってこそ武人の誉れというご自分のお言葉を地でゆく、激しい気性の方である。そこに最近、父に入れ知恵するものが現れた」


「ああ、真海和尚ですね?」



武智は真伍の言葉にうなずくと、話を続けた。



「どうやらあの売僧まいすめが、父上をそそのかして東に攻め入らせようとしているのだ。つまり武勇の名高き猛将、常盤海山ときわかいざん率いる東の雄、常盤家に」


「常盤と戦……そりゃまた剛毅な」


「六衛、喜んでいる場合か。常盤とやるとなったら、そりゃあ大戦おおいくさになるんだぞ? 人死にもたくさん出るし、もしかしたらお城だって戦禍を免れられないかもしれない」


「うむ。真伍の言うとおりだ。確かに数だけ見れば、わが嵐山に分がありそうに見える。だが、我が方の兵と常盤のそれでは、実戦経験に雲泥の差があるからな。実質は互角か、 いや、向こうの方が少し有利だろう」


「はい」



不謹慎に喜んだのを反省してか、六衛が小さくなってうなずく。その六衛の素直な様子に顔をほころばせた武智は、ふたりに向かってやさしく話しかけた。



「なあ、ふたりとも」


「はっ」


「ははっ」



あわてて平伏したふたりの頭上に、武智の声が響く。



「私は、領民や臣下の者に、無駄死になど一人たりとも出したくないのだよ。なんとしてでも真海を止め、戦を避けたいのだ」



顔を見合わせたふたりは、主人の口調がいつになく真剣なものであることに気づいて、うなずきあうと、顔を上げた。



「御意」



その表情は武人らしい、厳しいが晴れやかなものであった。




 


「おかえりなさいまし」



丁寧な口利きとはおよそ正反対の冷たい声音が、六衛を迎える。



「あ、義姉さま。ただいま戻りました。兄者は殿とお話があると言うことで、遅くなるそうです」


「そうですか。それで六衛さまは先に?」



暗に「おまえは用なしなのだな?」と皮肉られたようで、六衛は少しむっとしたが、顔には出さずにうなずいた。



「この家のもりもありますゆえ」



六衛の言葉に真伍の妻、つるは、冷ややかな態度を崩さぬまま、皮肉で応じる。



「守っていただくほど高価なものは、この屋敷にはございませんことよ?」


「義母上と義姉さまがいらっしゃいます」


「おやおや、これはありがたいお言葉。ところで夕餉ゆうげはいかがなされます? 釜の火を落としてしまったゆえ、一刻ほどかかってしまいますが」



夫とその弟が帰ってくる前に釜の火を落としていると言うのもひどい話だが、晩飯を食いたければ二時間待てと言うのも、大概ひどい話である。


しかし鶴としては、それでも飯を作ってやるだけ(もっとも作るのは使用人なのだが)ありがたいと思えと言った気持ちなのだろう。


彼女は武家の娘としての気位ばかりが高く、百姓上がりの夫と義弟に対して、優しい気持ちをもつ気になど、さらさらなれないのである。我々にとってはずいぶんと身勝手な女に思えるが、封建社会に生きる人間であれば、むしろ当然と言える心の動きであろう。


社会の常識や規範から抜け出ると言うのは、さほどに難しい。



「いえ、お気使いくださらなくとも。私は表で済ませてきますので」



六衛は悲しそうな顔でそう言うと、汗も流さず、足も洗わずに、きびすを返して表に出た。鶴はその後ろ姿をにらみながら、ふんと顔を背けた。


数分も歩けば、城下のにぎやかな町並みがある。


六衛は重い気分を払拭するように、一軒の店へ入った。



「らっしゃ……おや、木下の旦那。いらっしゃい!」



あるじの甚平が威勢のいい声で出迎える。と、脇の席から声がかかった。



「木下殿! こっちだこっち! 一緒にやりましょう!」



そちらを見れば、腰に長い物をさした男が数人、すでに出来上がっているのか真っ赤な顔で六衛を手招きしている。彼らはみな、足軽頭あしがるがしらの上に立つ足軽大将 である、六衛の部下であった。見れば飲み屋の中は、ほとんど彼ら六衛の部下でひしめいている。



「やあ、みなさん。きてらしたのですか」



六衛は顔をほころばせながら、嬌声の中に入ってゆく。駆けつけ三杯、冷酒をあおったところで、ようやくひとごこちつけた。



「ああ、美味い。沁みわたるなぁ」


「こんな時間にいらっしゃると言うことは、六衛殿、また追い出されましたか?」


「面目ない。どうも義姉さまには嫌われておるようで。百姓上がりですから、仕方ないのですが」


「何をおっしゃる! 六衛殿と、兄上の真伍殿の侍らしきこと、上でみにくく権勢を奪い合う連中に比べて、どれだけ勝っていることか!」



そう言う彼らも最初は、農民上がりの真伍と六衛に対し、ずいぶんつらく当たった。それはもちろん、『百姓上がりが殿様の息子に取り入って、自分たちの仲間になるなどとんでもない話だ』と言う気位のためである。


しかし足軽の中に組み入れられた兄弟ふたりは、身を粉にして働き、他の者が嫌がることを率先して引き受けた。身分違いの中に放り込まれたふたりの処世術であったのだろうが、それでもその働き振り や、兄、真伍のまじめさと機転、弟、六衛の明るさと人懐っこさは、次第に周りのものに愛されるようになる。


さらに、何より力がものをいう軍隊の中に於いて、彼ら兄弟はひと一倍修練に励み、部隊の誰よりも武芸が達者になっていた。強いものを賞賛するのは、 武門に生まれたものや、生まれは武門でなくとも戦を生業なりわいとするものにとって、至極当然の感性である。


ふたりが鉄砲足軽と弓足軽の頭にそれぞれ任命されたときも、抗議の声は上がらなかった。


むしろふたりが頭になってからは、融通が利き、彼らよりさらに上の理不尽な上司にはあくまで理路整然と、しかも相手の面子をおもんぱかった上でやんわり抗議までする、いわば理想の上司であったため、二人の人気は嫌が応にもあがってゆく。


そして、ついにふたりが足軽大将に任ぜられたとき、本人達より喜んだのは、彼らの部下であったのだ。


ふたりの、どれだけ出世しても初めのころと同じく、礼儀正しい態度を崩さないばかりか、昔の部下にまで心を配る姿勢が、彼らの人気を支えていた。


もっとも、足軽時代の昔から共に過ごしてきた仲間にとっては、彼らの礼儀正しさが逆にもどかしい、などと思うものまでいる始末で、理不尽で自分のことばかり考える名家の侍と違い、真っ先に自分たちのことを考えてくれる我らの大将こそ、真の侍であるなどと言い出す者もいる。



「まあ、それでも出自が百姓なのは変わりません。今ほどの地位につけていただけたのも、木下家の名があってのこと。感謝こそすれ、恨む筋合いはありませんよ」



普通のものが言えば 建前にしか聞こえないが、六衛が本気でそう思っていることは、ここにいる部下の誰もが知っている。それだけに、木下家の老婆と娘への反感が募るのも無理はない。


このまま放っておけば、木下家の女たちの悪口になってしまうのは必至だ。


冷酒をもういっぱい呑んでから、六衛は話題を切り替えた。



「それはさておき、みんな知ってますか?」


「なにをです、大将?」


「はは、大将はやめてください。お役目上、大将などと言う大層な役をいただいてはおりますが、私は皆さんの後輩なんですから。六衛で結構ですよ。まあ、そんなことはともかく、どうやら戦になりそうな気配があるんです。これは内密にお願いしたいのですが」



とたん。


店の中は騒然となった。


六衛はあわてて立ち上がり、両手を振ってみなを押しとどめる。



「落ち着いてください。内密に願います」



みなは尊敬する大将の声に大人しく従いながらも、興奮した様子は隠せない。それは無理のないことである。ずっと平和が続くと思われていた時代に、突然の戦というのは、要するにまたとない出世の機会なのだから。



「ところがね、なんと言っても相手がとんでもないのです。いいですか、よく聞いてくださいよ? どうやら殿様は、あの常盤家を攻めようとしているらしいんです」



恐ろしいほどの沈黙が、店の中を満たした。


店の主である甚平も、固唾を呑んで奥に引っ込んでいる。


みな、常盤の怖さを知っているのだ。



「しかし、なんだってまた? 常盤公とは、先々代の殿様が何とか講和を取り付けて以降、お互い不可侵の約定を結んでいるはずじゃあありませんか」


先々代の嵐山春嶽が、一方的とまでは言わないが、かなりの不平等条約を呑んでまでも講和を取り付けたほど、常盤の一族とその武者どもの剛勇は近隣に鳴り響いている。


六衛は苦い顔をして、ぐびりと杯を干すと、ポツリつぶやいた。



「あの売僧ですよ」



それで一同はすべてを理解した。



「あんな売僧の口車に乗るとは……殿は、ご乱心召されたか」


「これ、めったなことをクチにするな」



しかし誰の心にも、同じように苦い思いが広がっている。


その重さを払拭するべく、六衛は明るい声を上げた。



「さあ、呑みましょう。殿様や上の人の意向など、我々にはかかわりのないことです。今度の戦で名を上げて出世し、上のほうに行ってから考えようじゃありませんか」



ところどころで失笑が漏れる。そうだ、しょせん雑兵が考えたって埒の明くものではない。兵は兵らしく、戦いのことだけ考えればいいのだ。



「それに殿様のためにと言うのが嫌でも、武智様のためにと言うのなら、やる気も起きようと言うものじゃありませんか?」



とたんに、みんなの顔が明るくなった。


嵐山の跡継ぎは、さほど人々に愛されているのである。もっともそれは、六衛の熱心な宣伝の効果でもあった。普段は優しく礼儀正しい六衛が、こと「武智様」の話になると、目の色を変え口角泡を飛ばすありさまなのは、有名な話である。


六衛の人柄も手伝って、いつの間にかみなは、ろくに顔を拝んだこと間ない嵐山武智と言う人間に、かなりの好意を寄せるようになっていた。



「ははは、その言葉で一番やる気が出るのは、六衛殿でしょうに」



からかいの言葉に、六衛は強くかぶりを振って胸を張った。



「無論ですとも!」



そのあまりに子供っぽい、開けっぴろげな様を見て、一同は大笑いする。それとともに、この愛すべき足軽大将と、彼が尊敬してやまない武智様のために、どうれ、一肌脱いでやろうじゃないかといった気持ちが、この場の全員の心に広がっていった。



「ああ、そうだ。今日、お城へ行ったとき、武智様と兄上から小遣いを戴きましてね。ちょうどいいから、これでみんな飲み明かしましょう。おやじさん! 酒と肴を適当に見繕ってくれ」



言いながら、六衛が懐から出した小判を見て、全員が雄たけびを上げる。


今度は誰が言っても、騒ぎは収まりそうもなかった。


 



「おや、御酒を召し上がっていらっしゃるのですか?」



冷ややかな、いや、それほど冷たくもない声がかかる。


言われた六衛は、思わず首をすくめて小さく縮こまった。



「は、まことに面目次第もありませぬ。出た先で部下の足軽たちと一緒になりまして、つい……その……いや……イイワケするわけではなく……」


「よろしいのですよ。たまには御酒でも召し上がって英気を養わねば。でも、二日酔いでむくんだ顔のまま、お城に上がってはダメですよ?」



そう言って、ころころと笑う義姉を目の前に、六衛はぽかんと口を開けたまま立ち尽くした。普段は自分のことなど歯牙にもかけないあの義姉が、いったいどうしたことだろう?



「まあ、幽霊でも見たような顔をなさって。私が優しくしているのが、そんなに不思議ですか?」


「いや、そんな……とんでもない」



あわてて両腕をふる六衛の狼狽振りをおかしそうに見つめながら、鶴は微笑んだ。



「旦那様はお帰りにならないそうです。お城の近くでお泊まりになるとかで。母は親戚の家に不幸があり、そちらへ」


「そ、そうでしたか。義姉さまは、お葬式へ行かれなくても?」


「あら、私がいるとお邪魔ですか?」



皮肉っぽい物言いは変わらないが、その艶のある声音こわねには雲泥の差がある。



「いえ、まさか」



言ったきり、居心地悪そうにもじもじしている六衛の様子に、くすりと笑みを漏らすと、鶴はそっと近寄って彼の手を引く。



「さ、こちらへ。私も少し戴きたいのですけれど、おつきあいくださいません?」


「も、もちろん。よろこんで」



やがてふたりは奥の座敷へ。


鶴は珍しく自分で運んできた膳を置くと、六衞と差し向かいに座った。そして六衛の杯に酒を注いだ。袖を押さえた左手が心持ち多めに引かれ、白い二の腕があらわになる。


六衛は目のやり場に困りながら、少し震える手で杯を持ち上げた。


さすがに飲み干してしずくを切り、同じ杯で返杯と言うわけにも行かず、もうひとつの杯を取り上げると、おずおずと鶴に差し出す。受け取った鶴の杯に酒を注ぐ銚子の口が振るえ、杯に当たってカチカチと鳴った。



「震えてらっしゃるの?」


「や、呑みすぎたようです」


「それほど酔ってらっしゃるようには見えないけれど……ねえ、六衛さま?」


「はい?」


「今まで、なんて冷たく嫌な女と思ってらしたでしょうね?」


「とんでもない」


「いえ、いいのです。私の態度が悪かったのは、本当のことですもの。でもね、本当にあなた方を嫌っていたのは、最初だけだったのですよ? 一緒に暮らしてゆくうちに、おふたりの優しい心根はすぐにわかりましたもの」


「あ、ありがとうございます」


「やめてくださいな、他人行儀な。私たちは姉弟なんですからね?」



そう言っておどけて笑う鶴の笑顔が、やけにまぶしい六衛である。



「私があなたに冷たくしていたのは、母の手前なのです。ああいう昔かたぎの人ですから、人の中身より、家柄や身分が大事なのですよ。そう言えば、思い出してくださるかしら? 私があなたに冷たかったのは、母が家にいるときだけだったでしょう?」



そうだったろうか? そんな気もする。なるほど、そうだったのか。


自分も内心ではやはり、義姉の仕打ちに完全に納得していたわけではなかったのだろう。少しばかりは義姉や義母を恨む気持ちも、きっとどこかにあったに違いない。


そう思い当たってみて、六衛はなんだか急に申し訳ない気持ちになった。だからこそ、義姉の優しさが心に沁みる。



「でもね、ひとつだけ残念なことがあります」


「なんでしょう?」



六衛は優しい声音で義姉にそう聞いた。しかし、返ってきた答えに仰天する。



「あなたがお兄様でなかったことです」


「は?」



六衛の心臓が、どくんと脈打った。



「木下家再興のためには、お兄様である真伍様と夫婦にならなくてはなりません。それは充分にわかっております。でも、私の心は、もうずいぶんと前から、あなたに、六衛さまに……」


「そ……な……」



鶴はすっくと立ち上がり、つつつと六衛に近寄ると、そこでぐらりと崩れ落ちた。思わず抱きとめた六衛の胸の中で、鶴は男を見上げて消え入りそうな声でささやく。



「六衛さま、お慕いしております」


「鶴さま、いけません」


「うれしい。初めて名前で呼んでくだすったわね?」


「いけません」


「後生です。はしたないなどと思わないでください。鶴は身体中の勇気を振り絞って、申し上げているのです。女に恥をかかせないでください」



すがりつく身体を離そうと、六衛は鶴の肩に手をやった。


そのとき、えもいわれぬ馥郁ふくいくとした香りが、六衛の鼻腔をくすぐる。とたん、六衛の身体の中心が、見る見る熱くなってきた。


はだけた着物の胸元が目前に迫ってきたときには、六衛に抵抗する力は残っていなかった。そのまま崩れ落ちるように抱き合う。


行灯の炎が、二人の影をゆらりと揺らした。


 



明けて次の朝。


いつもの布団で目覚めた六衛は、昨日のことを思い出してがばと跳ね起きる。もちろん、鶴の姿はそこにない。まさか義弟の部屋で夜を明かすわけにもゆかないのだから当然である。


六衛は、ナマリのように重い身体を引きずって布団から這い出した。


台所に顔を出すと、使用人が朝餉あさげの支度をしている。六衛はきょろきょろと辺りを見回した。と、それに気づいた使用人が、六衛にむかって声をかける。



「旦那様でしたら、まだお帰りになりません。先ほどお使いの方がいらっしゃいまして、六衛さまもそのまま登城なされるようにとのことです」



六衛は黙ってうなずくと、膳の前に座った。


そこへからりとふすまが開き、義母と義姉が入ってくる。相変わらず苦虫を噛み潰したような表情の義母に朝の挨拶をしながら、六衛はちらりと義姉を見た。罪悪感いっぱいで顔を盗み見た六衛の視線など、義姉は知らんフリをしていつもどおり渋面を作っていた。


が、ふと視線を動かして六衛と目が合うと、口の端からちらりと舌をのぞかせる。そのしぐさは妙に可愛らしく、色っぽくて、六衛の罪悪感をさらに刺激した。


六衛はどぎまぎしながら朝餉をかきこむと、あわてて立ち上がる。



「それでは義母上さま、義姉上さま、登城してまいります」



義母は黙ってうなずき、義姉はいつもどおり冷たい声で



「お勤めご苦労様です」



とだけ言った。


六衛は深々と頭を下げて家を出ると、足取りも重く城へ向かう。


使用人が膳を片付け、ふたりっきりになると、老婆は鼻で笑いながら娘を眺める。



「ふん、見たかい、あのビクビクとした顔を。だらしないったらないね。百姓風情が侍だと意気がってみたって、あのへんが関の山さ。おお、いやだいやだ」


「でもこれで、あの真伍に一泡吹かせられますわ。不義密通は死罪ですからね。いくらカタブツとは言え、私はともかく弟を見殺しにするマネはできないでしょう。これで私たちの言いなりになることは間違いありませんわ」



薄く笑った鶴の瞳には、いつもの酷薄な光が戻っていた。



「うむ。しからば私は、真海様にこの旨を伝えてまいるとしよう。かの和尚の思惑通りにことが運ぶのが、いささか怖い気もするが、しかしアレは大人物じゃ」


「さあ、それはわかりませんけれど、あの方が権勢を握れば、必然的に邪魔になる人物、百姓などを跡継ぎによこしてわが家を辱めた武智にも罰が下るのですから、協力するに越したことはありませんわね。信じることは無理ですけれど」


「無論じゃ。この世に信じるに足る人間など居るものか。真海和尚が殿を傀儡かいらいにすることが出来たとして、それに功のある我々も引き上げてくださるなどとは、よもや思っていまい? 」


「それは、まあ」


「かと言って我々が彼の弱みを握れば、うとまれた末に、いずれ消される。適度に使い勝手のいい人間だと思わせておくのが、あの手の人間の下で長生きする心得じゃよ」


「母上は真海和尚の私を見る目つきをご覧になったでしょう? あの助平ボウズ、どうやら私の身体を欲しがっているようです。うまくゆけば、もう少し上手に権力の中枢へ食い込めるかもしれませんよ?」


「どちらにせよ、足軽大将などという卑職ではなく、木下家にふさわしい、由緒正しい武家の婿を取ることが叶えば、私はそれで思うことはない」



もともと足軽大将どころか、跡継ぎもなく取り潰し寸前であったことなど、老婆の記憶からは消えているようだ。母親の妄執にため息をつく娘を尻目に、老母はいそいそと支度をすると、怪僧、真海和尚の屋敷へ向かった。


 



「ふん、木下の大奥さま。それは間違いないのですな?」



真海の鋭くいやらしい目ににらまれて、少々居心地悪い思いをしながら、老婆はガクガクとうなずいた。周りに座っている剣呑な男達の雰囲気に、完全に呑まれているのだ。



「ふ~む。なるほど、なるほど。木下六衛が不義密通、それも兄の妻とか。これはなかなか面白い話を聞貸せていただいた。いや、助かりましたぞ、木下の大奥様。ところでなにか、お礼など御所望ごしょもうかな?」


「いえ、なにも。百姓出の分際で木下を乗っ取ろうとする恥知らずな極道兄弟のふたりと、それを画策した武智に神罰を下されば、他に何も望むことはございませぬ」


「ほほう。しかし、不義密通を論じれば、そなたの娘ごも死罪に問われることは確実であるが」


「鶴とて武家の女、不名誉よりは死を選ぶでしょう。ですが真海様、これは不義密通とは言いながら、その実、手篭めにされたのでございます。武家の女として、私は娘が死を選ぼうとも当然と思っておりますが、しかし、それが百姓に手篭めにされたせいだとあっては、あまりに口惜しく……」


「いや、なるほど、あい判った。何も心配されることはない。すべてこの真海に任せておかれよ。悪いようにはせぬ」


「おぉ、真海様……慈悲深いお言葉、誠にありがたく……な、なにを!」


「何も心配することはない。娘もすぐにそちらに送ってやるから、安心して待っておれ」



周りにいた男達が、目に見えないほどの細かな真海の合図によって、あっという間に老婆を取り押さえると、その喉元に匕首の先を刺し込んだ。老婆は口を押さえられ、うめき声らしいうめき声も出せずに、やがて瞳から光を失う。



「木下の大奥様は、残念ながら娘の不義密通を嘆いて、ご自害あそばされた。せいぜい丁重に葬って差し上げるがよろしい。わしはこれから登城せねばならん。帰るまでには娘をここへ連れて来ておくようにな」



剣呑な男達が黙って頭を下げると、真海はそれきり老婆の遺体などには露ほどの興味も見せず、さっさと座敷を後にした。残された男達は黙々と後片付けに精を出していた。


城に登った真海は、早速、城主、つまり武智の父である嵐山綱紀つなのりへ謁見を求めた。


もちろん、木下真伍の妻、鶴と、弟の木下六衛の不義密通を利用して、彼らを引き立てた上司である武智の責を問うためである。


城主の許しを得て謁見の間に入ると、そこにはすでに武智、真伍、六衛の三人が、綱紀の前で平伏していた。当主の綱紀はぷかりとキセルから煙を吐き出すと、煙草盆の端でトントンと灰を落とし、低い声で話し出す。



「真海、きたか。こちらに来て座れ」


「はっ」



平伏したまま、すすと畳の上をすべるように進み、真海は綱紀の前にでる。彼の謀略を知ってか知らずか、三人の先客は真海にはまったく興味を示さない。綱紀は厳しい表情になると、真海に問いただす。



「真海、おぬしの言うところによると、ここにいる我が息子、武智の家臣、木下六衛なるものが、兄の妻と不義密通を働いたと言うことであるが、おぬしの言い分、しかとそれに相違ないか?」


「御意」



綱紀は居心地悪そうにもぞもぞしている六衛に顔を向けると、同じように厳しい表情で問う。



「六衛、それはまことか?」



言われて六衛は大きく息を吸い込むと、強く首を振った。



「いえ、お館様。一向に覚えがございません」


「ほう、これは異なことを。それでは拙僧がウソをついていると言われなさるか?」



すかさずクチを突っ込んだ真海に向かって、綱紀の檄が飛ぶ。



「真海、控えよ。余が聞いておるのだ」


「御意」



おとなしく平伏しながらも、真海は話の流れに、なにやら違和感を感じ始める。ここの所ずっと通い詰め、あらゆる手練手管を使って陥落寸前まで行ったと思われていた綱紀の態度が、今日はやけに硬化しているように感じられるからだ。


そこで真海は、平伏したまま武智の表情を盗み見た。しかし武智は、まるで高僧のごとく穏やかな態度のまま、涼やかにそこへ座っている。その表情からは何も読み取れない。



「真海の申し立てがウソだというからには、それなりの証拠がなくてはならないぞ?」



六衛は黙ってうなずくと、座敷の隅にいる男に向かって合図をした。受けた男は頭を下げて座敷を出ると、程なくして戻ってくる。その後ろには、数人の人間が連れられていた。



「その者たちは?」



綱紀の言葉に、それぞれが自己紹介する。



「鉄砲足軽頭の、外風平間そとかぜへいまにございます」


「弓足軽頭の、早乙女新吉郎さおとめしんきちろうにございます」


「城下で居酒屋を営んでおります、甚平じんべいでごぜえやす」


「木下家に仕える、下男の新八しんぱちでございます」


「同じく、女中のぬえでございます」



そして最後の一人は。



「木下真伍の家内、鶴にございます」



かどわかして、今晩、その身体をじっくりと楽しんだのち、母娘ともどもあの世へ送るつもりだったはずの女、鶴がここにいるという状況に、遅まきながら自分がかなり悪い立場にいることを感じ取った真海は、すっかり青ざめている。



「ずいぶんとまた集まったようだが、これはどういうことだ?」



その言葉に、武智が進み出た。



「父上、いえ、お館様。六衛の主人として、この場で発言することをお許しください」


「うむ。申してみよ」


「真海殿がおっしゃられた昨晩、六衛は偶然にも、ここな甚平が営む居酒屋にて、自分の部下たち数十人と酒盛りをしていたのでございます。その証人として外風と早乙女を呼びました。また下男と女中の証言によれば、六衛は昨夜から帰っておらず、さらに甚平によれば、店の中で眠ってしまい、そのまま登城したということでなのです」


「そんな、ばかな!」


「真海! 控えろ! お館様は、おぬしに話せなどとはヒトコトもおっしゃっておらぬぞ」


「ぬぅ……」


「そしてなにより、お館様」



ここで言葉を切った武智は、父に向かって怜悧なその顔を向けると、にっこりと笑った。



「当の本人、鶴が、そのような事実はなかったと申しておりまする」



鶴は深く平伏した後、キッと顔を上げて綱紀に向かった。



「鶴、まことか?」


「はい、お館様。残念ながら母は、老齢のせいか少々気狂いの気がございました。わが夫、真伍と、義弟、六衛の出自が武士ではなく農民であることを、かねてより大層気にしておりまして、そのせいで気狂いも進行してしまったのではないかと」


「キサマ! 母親を売るか!」



真海の叫びにかぶせるように、鶴が言い募る。



「お館さま、重ねて申し上げます。私が義弟に手篭めにされたという妄想をもった母は、それを相談するべく真海和尚様に会いに行きました。しかし、いまだに帰ってきておりませぬ」


「知らん! わしは知らんぞ!」



瞬間、武智が立ち上がって叫んだ。



「見苦しいぞ、真海! キサマが父をたばかり、あろうことか常盤家と戦を起こさせようとしていたこと、いまや明白であるのだ。キサマが父によこした茶や菓子の中から、アヘンが見つかったのだからな」


「なんだと? 知らん! わしは知らん!」


「そうでなくて、なぜ聡明な父上が、こともあろうに常盤と戦などすると思う! その上わが家臣に不義密通の罪をなすり付け、兄弟ともども失脚させよう、さらにその主人である私の責を問おうとするなど、まさに盗人猛々(ぬすっとたけだけ)しいにも程があるわ!」


「お館様、これは陰謀です! どうぞもう一度きちんとしたお裁きを!」


「黙れ真海! あれを見よ」



武智が指差した先には、真海の屋敷で老女を殺した例の剣呑な男達が、白装束に身を包んだ鶴の母の遺体とともに、武智の部下によって引っ立てられてきていた。



「な、貴様ら!」



叫ぶ真海を無視して、武智は綱紀の前に進み出る。



「父上、真海は事の露見を恐れ、少々狂っていただけで何の罪もない老婆を、このようにむごく殺しました。先ほど父上に申し上げた、アヘン入りの菓子といい、この売僧の正体はただひとつかと存知まする」


「ほう、それは?」


「わが国と常盤を争わせて得をする者……その者からの間者ではないかと」


「なるほどな……ありそうな話だ」



綱紀がうなずくと同時に、駆け寄ってきた家臣が、暴れる真海を引きずって座敷を出て行った。



「武智、今回の働き、まことに天晴れである」


「恐れ入り奉りまする。臣下として当然のことをしたまででございます」


「うむ、その殊勝な態度はよし。これからも余を助け、嵐山家の繁栄に精を尽くすようにな」


「御意」



とにもかくにも、こうして騒ぎは終結した。




 


数刻のち。


武智の部屋である座敷に、真伍と六衛、それに鶴の三人が座っていた。


真伍はいつもどおり真面目な顔で、六衛はやりきれないといった情けない顔で、鶴は挑むような厳しい顔で、それぞれ武智の言葉を待っている。


上座に座った武智は、一同を見渡して表情を緩めた。



「鶴」


「はい」


「この度はまことに助かった。礼を言う」


「約束さえ守っていただければ、何も言うことはありません」


「うむ。わかった。真伍とは離縁し、木下の当主には、お前の望む者が座ることを許す」


「ありがとうございます。これで母も浮かばれます」



何の表情もないまま、鶴は淡々と礼を述べる。それを聞いた真伍が何事か言おうとすると、すかさず鶴が声を上げた。



「短い間でしたが、弟様と一緒に木下をお守りいただき、ありがとうございました。このたびは私の勝手な言い分により、あなた様の名前に傷がついてしまうこと、深くお詫び申し上げます。どうぞお許しください」



まったく感情のこもらない、しかし完璧に礼儀正しいその態度に、真伍はただ、ああとうなずくしか出来なかった。その脇では六衛が、今にも叫びだしそうにぶるぶると震えながら、顔を真っ赤にして唇をかみ締めている。


鶴に怒ってるのか、自分に怒っているのか、はたまた情けなさに涙をこらえているのか。


余人には知る由もない。



「それではこれで」



驚くほど淡々と、鶴は座敷を後にする。その後ろ姿に武智はほうとため息をつくと、つぶやいた。



「あの者にとっては、家柄こそが本当に大切なものだったんだな。武家の女としては当然の事なのだろうが、あそこまで情なく割り切れるとは、そら恐ろしいものだ」



兄弟ふたりは、黙ったまま下を向いている。



「真伍、六衛、ご苦労だったな」


「はい……」



真伍が答えるが、六衛は顔を伏せたまま、声を出せずにいる。



「六衛、そう気に病むでない。お前は真海に乗せられた義母と義姉に酒にアヘンを盛られて、たばかられたのだ。それは真伍とてよくわかっているだろう?」


「はい、もちろんです」


「でも……武智様……もし薬を盛られていなくても、こらえられたか……私にはわかりませぬ」


「正直な男だ。しかし、それを言って、どうする? 兄を苦しめたいのか?」


「いえ、とんでもない」



そこで六衛は兄を振り返ると、なんとも情けない顔で頭を下げた。



「兄者、すまぬ。兄者……」


「もう言うな。どちらにしろ、私はあの人に愛されていなかったのだ。謝るようなことではない」


「兄者……」



そこで武智は、わざと大声で言う。



「しかし、六衛。お前の人気はたいしたものだな。部下どころか、木下家の下男下女までが、みな口をそろえてお前を助けてくれるとは。日ごろから誠実なおまえだからこそ、ああしてみな助けてくれたのだ」



「みなには、合わせる顔がございませぬ。外風や早乙女などは、いまだに私が何もしていないと信じております。家で酔いつぶれて寝ていたと言うのでは、潔白の証など立てようがないだろうと、わざわざお勤めを休んでまで、ああして来てくれたと言うのに」


「まあ、良いさ。その分は、これからもっと、みなのために働くことで返してゆけばよい」



武智の言葉に、六衛は少しだけ救われたような顔をした。



「六衛、みなが待っておるだろう。行って顔を見せてやれ。それから、これで愉しんで来るといい」



武智は懐から小判を何枚か出すと、六衛に持たせた。六衛は恐縮しつつ、兄を見、兄がやさしく微笑んでいるのを見ると、ほっとした顔で小判を受け取った。



「おい、六衛。間違って木下家に戻るなよ? 今度こそ鶴に殺されるぞ?」



からからと笑う武智は、さらに続けて



「いいか、新しい家が決まるまでは、私の別宅に住め」


「はい、何から何まで、ありがとうございます」



六衛は何度も頭を下げて、座敷を後にした。


 



ふたりきりになると、武智はごろりとだらしなく寝そべり、膳の上から銚子を取り上げる。


そのまま口をつけて呑みながら、真伍に笑いかけた。



「真伍、お前も飲むか?」


「いえ、私は」


「まあ、そういうな。少し付き合え」


「わかりました、少しだけ」



武智の差し出した銚子を杯で受けると、真伍は一口だけ飲んだ。その様子に肩をすくめた武智は、独り言ちるようにつぶやく。



「それにしても、後味がいいとは言えないな」


「御意」


「だが、戦を止め、父をいさめ、真海を葬るにはあれしかなかった」


「御意」


「いや、それはイイワケだな。もしかしたら、もっといい方法があったかもしれない。しかし、私には他に方法が思いつかなかったのだ」


「……」


「真伍、許せ」


「何をおっしゃいます。私達兄弟は殿様に助けられてここまで生きてきたのです。殿様が死ねというのなら、何の躊躇もなく死にます」


「うむ、まったく不肖の身にはもったいない家臣だ。その家臣に妻を弟に差し出せと言い、その妻へは身分の高い夫を約束に義弟を誘惑させ、その弟を罠にはめて真海をいぶり出すエサにしたり。ああ、こうして話していても虫唾が走るような、極悪非道のあるじじゃないか」


「殿……武智様……そのような」



武智は自嘲気味に笑うと、ちょうしの酒をごぶりと飲んだ。



「六衛はいい大将になる。下のものに好かれているし、いい働きをするだろう。だがな、真伍」


「はい」


「将と言うものは、臣下にあまりに人気が出ると、嫉妬し、警戒するものなんだよ。もしかしたら私も、知らず知らず六衛に嫉妬していたのかもしれない。だからこんな計略にはめて、六衛が裏切らないように保険をかけた……無意識にそうしたのかも知れないな」


「武智様がそんな方でないことは、私がいちばん知っています」


「ふふ。お前も私にだまされているのかもしれないよ?」


「それでも、構いませんよ。それに六衛が武智様を裏切るなんて、絶対にありません」


「人の心は、移ろいやすいものだよ?」


「六衛が裏切る前に、私が殺しますから」



淡々とした真伍の言葉に大きくため息をつくと、武智は身体を起こして真伍に酒を注いだ。



「もう、こんな気持ちはいやだなぁ。なあ真伍。私は二度とこんなことをしないで済むよう、もっともっと色々なことを学び考えるよ。臣下にこんな苦労をさせなくても良い、立派な将になる。愚かな将のままでは、お前達があまりにもかわいそうだ」



真伍は黙ったまま、杯を干す。


それから干した後杯を膳に置き、すすと一歩離れて平伏した。そうしておいて、何事かと見つめる武智に向かうと、いつもの穏やかな、しかし強い決意を秘めた表情で静かに口を開いた。



「武智さまの夢に近づくよう、私と六衛を存分にお使いつぶし下さい」



 


嵐山家の歴史上、もっとも勇猛で、最も賢く、そのうえ当代随一の文化人と歌われた文武両道の名将、嵐山武智あらしやまたけともには、両腕とも言うべきふたりの将がいた。


智の真田真伍郎さなだしんごろうと、武の菊島六衛門きくしまりくえもんのふたりである。


彼らが実は兄弟であるとか、元は農民の出であるとか、色々な噂が立つこともあった。


が、すべては噂の域を出ない。



 

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