裏切り新左
権力が人を変える。
よくある話だ。
人の歴史において、幾度となく見られる光景である。大は一国一城の主から、小は寂れた農村の村長まで、ヒトと言うものは権力を得た瞬間、豹変する場合がある。いや、むしろその本質を露呈するのだろうか?
流れ者、新左が初めて村にやってきたのは、もう、四年も昔のことだ。
その頃、村は廃村一歩手前の、本当にさびしい状態だった。新左は村の者の白い目など気にも留めず、村はずれの廃屋に住み着いて、周りの荒地を耕した。
たくましい身体から滝のような汗を流し、新左は朝から晩まで牛馬のように働く。
やがて。
薄気味悪く思っていた村人の中からも、少しずつ新左に接触する者が現れた。そんな彼らが口々に言うのが、「新左は無愛想だが、決して悪い男ではない。丁寧に作られた野菜は、おいしくてよい出来だ」と言うものだった。
新左は少しずつ村の中に溶け込んでゆく。
無口で無愛想なところも、彼の作る野菜の味を知った者から見ると、無駄口を利かずにいい仕事をする、信用できる男だと言う評価に変わる。そのうち新左に野菜の作り方を聞きに来るものも現れ、人々はだんだん活気を取り戻していった。
近隣の村々にも、この村の野菜のうまさが知れ渡り、徐々にだが訪れる者や帰って来る者も現れ始めた。村はますます活気を取り戻し、それはやがて領主の知るところとなる。領主は生産力の上がった村に対して、莫大な税をかけた。
村の者たちは口々に泣き言を言いながら、それでも唯々諾々(いいだくだく)と従うよりない。
はずだった。
奇跡、と言っていいだろう。
驚くべきことが起こった。
税率を下げてもらうため、領主に直談判しに行こうと言う取り決めがなされ、高齢の村長がその任につこうとした矢先。彼は病に臥せってしまった。代わりに誰かが、領主のところまで行かねば、村は干からびてしまう。
しかし、残忍で有名な領主の下に直談判に行くと言うことは、死を覚悟すると言うことだ。代々村を守ってきた村長ならまだしも、ほかの者、特に帰ってきたばかりの若い者などは、みなしり込みしてしまう。
「くじ引きで」と言う悲しい取り決めがなされたとき、声を上げるものがあった。
新左である。
「私がゆこう」
「し、新左? おまえさんが?」
新左は黙ってうなずいた。元は流れ者の新左だが、今ではすっかり村の重鎮だ。彼の野菜の知識によって村は救われたのだから。しかし、誰も行きたくない領主の元へ行ってくれると言うのも、確かにありがたい話だ。
少数の反対を押しのけて、新左がみなの代表として領主の元に向かうことになった。村総出で彼の旅立ちを見送りながら、新左が帰ってくることはないかもしれない、と言う思いがみなの心を深く沈めた。
しかし、奇跡が起きた。
新左は生きて帰ったどころか、領主と交渉して税率を下げてもらうことにも成功して帰ってきたのである。
英雄凱旋。
村は三日連続でどんちゃん騒ぎのお祭りをやり、新しい英雄を褒め称えた。もっとも、騒いでいたのは村の連中ばかりで、新左のほうはいたって無口なものだったが。いったいどうやって領主を説得したんだと、つめかける人々の質問に、新左はひとことも答えず、ただ、帰り際に小声で
「野に潜むと言うのは、なかなかに難しいものだ」
とだけ言った。それを聞いた村の人々は、
「もしかしたらあの人は、名のあるお人なのかもしれない」
「そういえば、あの斬新な野菜の作り方も、外国の方法か何かではないだろうか?」
「やはり、只者ではないと思った。たたずまいが違う」
などと口々に好き勝手なことを言う。しかし、おおむね新左を次代の指導者と仰ぐつもりなのは、みなの一致した思いであった。
やがて、高齢と病気で倒れた前村長に代わって、新左が次の村長になった。
もっとも選挙などがあるわけでもなく、領主からの通達であったのだが、珍しいコトながら、領主の決めたことと村人の希望が一致した、数少ない例となったのである。
新左は大きな屋敷(とはいっても、村のみなよりも大きいという程度の、みすぼらしい屋敷だったが)を与えられ、税の取立てや、村の一切合財を仕切る権利を得た。村に来てたった四年で、彼は小さいながらもひとつの村を完全に掌握したのである。
そして、彼は豹変した。
まず、近隣の村長たちを一堂に集め、その席で会話をうまく誘導し、村で連合して領主にたてつこうと言う相談をするように仕向けた。そして、その詳細のすべてを領主に報告したのである。その場にいて、ほとんど発言しないまま、新左は村長たちを完全に操ってしまったのだ。
恐ろしい才能と言えるだろう。
あっという間に捕らえられた村長たちの中には、何で自分があの時そんな恐ろしいたくらみをしたのかさえ、判然としないまま牢獄につながれた者もあったと言う。そして、あたりの村は統合され、一挙に新左の管轄下に置かれた。
もっともこれについては、村人もむしろ喜んだ。
私利に追われ、領主のご機嫌伺いばかりしていた村長たちに代わって、最近有名な、領主に税率を下げさせたと言う奇跡の村長が自分たちの村長になったのだから。
そんなご機嫌伺いばかりの村長たちが、どうして領主に逆らおうなんてたくらみを持ったのだ? と言う疑問もないではなかったが、それを新左と結びつけて考える者はいなかった。人々は支配されることに慣れていたので、そんなことを詮索するよりも、いい村長に恵まれたことを喜ぶ声のほうが大きかったのである。
しかし、それもここまでだった。
「領主様のために、大きな城を築くのだ」
最初、その言葉が新左の口から発せられたとき、人々は声を失った。
やがて「だまされたのだ」と言うことに気づき、新しく大きくなった村は怒り一色に包まれる。新左は税率を下げさせる代わりに、村を統合して、城を作らせる約束をしたと言うのだ。が、燃え上がった怒りの炎は、胸の中で不完全燃焼を起こし、くすぶり、見る間に消えていった。
なぜならそのときにはもう、新左の屋敷に、領主の家来である屈強な侍たちが、我が物顔で出入りしていたのだから。
それからは地獄だった。
村人の本業である野菜作りには女子供が充てられ、男たちはみな、朝から晩まで牛馬のように働かされる。ムチを持った見張りが容赦なく人々の身体を打つ。毎日毎日、休むまもなく働かされるため、新左の言った『城をめぐる外堀を作る作業』は見る見る進んでゆく。
村の人々は、新左をのろいながら、へとへとになるまで働いた。
消えていたはずの小さな火種は、徐々にくすぶり始める。
それはそうだ。あのにっくき新左が、領主と共に工事の進み具合を見に訪れるようになったのだから。頭の中で憎んでいるのと、実際に本人を目の前にして怒りを耐え忍ぶのでは、エネルギーの圧縮率が違う。
くすぶりは 、すぐに炎を上げ始めた。
「どうせみな死んでしまうなら、その前に、領主と新左に一矢報いてやろうではないか?」
村人の一人が言い出したその魅力的な考えに、人々は取り付かれた。その言い出した男が、昔、いちばん新左と仲のよかった男だと言うことに気づけるほど、人々はもはや冷静ではいられなかったのである。
慎重に計画が練られ、やがて決行の時が来た。
首謀者の合図と同時に、周りにいた村人たちは、見張りの侍たちへ一斉に襲い掛かる。虚を突かれた侍たちは、情けないほどあっさりと討たれてしまった。 当然、領主と新左の前に、村の人々が詰め寄る。
そしてまさに、みなが襲いかかろうとした瞬間。
地鳴りのような音が響き渡った。
驚いて後ろを振り返った人々は、そこに具現化された絶望を見る。地鳴りは、馬のひづめの音であった。村人たちの数十倍の人数の侍が、騎馬に乗って突然、現れたのである。それを見て領主は大声を上げた。
「見ろ! 嵐山様の軍勢だ。貴様ら百姓など、芥子粒のように吹き飛ばされるぞ!」
死を覚悟していたとはいえ、彼らは普通の農民である。
自分たちに数倍する侍が駆けつけてくれば、本能的に身体がすくんでしまうのも、無理はないだろう。彼らは手にしていたクワやカマを取り落とし、へたへたとその場に座り込んでしまった。すでにあきらめ切って、泣き出す者までいる。
領主はその様子に、意地の悪い高笑いをあげた。そして、これから彼らに対して、どんな報復をするつもりかということを、ニヤニヤ笑いながら喋りだす。その内容の恐ろしさに、村の人々は恐怖で震えだしていた。
と。
ぷす。
領主は高笑いをやめ、自分の胸から生えてきたモノに見入った。周りの連中も、そのあまりに現実感のない光景に、ただ、見入っていた。
「な……あ……」
見ている方も当事者も、同時におかしな声を上げる。言葉にならないその声に答えるかのように、領主の後ろから凛とした声が響き渡った。
「見苦しい男だ。もういいから、キサマは先に行って閻魔の前で申し開きをしてこい」
言葉が終わると同時に、引き抜かれた刀傷から血が噴出す。領主は胸を押さえて、あわあわと妙な声を上げながら、やがて絶命した。あっけに取られる人々に向かって、刀を引き抜いた声の主、新左が声を上げる。
「みな、本当によくがんばった。これでもう、何も心配することはない」
ふざけるな! 貴様も仲間だっただろうが!
そう叫んでもいいようなものだが、事態について来れない人々は、ぽかんと口をあけるばかり。
「驚くのも仕方ない。だが、おまえさんたちは、無駄な城を作っていたんではないんだよ」
そういって、今しがたまで彼らが作業してた場所を指差す。
「あれは、城の外堀じゃないんだ。見てごらん。あれは川の氾濫を防ぐための水路なんだよ」
噛んで含めるようなその説明に、話を聞いていた村人たちの間には、さらに混乱がおきる。
「つまり、どういうことなんで?」
その声に、さらに優しい顔で新左は答えた。
「最初はね、私は村の隅でひっそりと生きてゆくつもりだったんだ。もう、いい加減疲れてしまっていたからね。だけれど、やはり私の血がそれを許してくれなかったようだ」
そう言って新左は、自嘲気味に笑う。
「もっとたくさんの野菜を作るために、地質……つまりこの土地のイロイロな特性を調べいたら、どうもこの地は昔、水の底にあったと言うことがわかった」
「そういや、ひいじい様か誰かに、そんな話を聞いたことがある」
誰かが言うと、新左はうなずいた。
「そう、そんなに昔のことじゃないはずなんだ。そしてそれは、近いうちにまた川が氾濫して、この地が水に沈んでしまう危険も示唆している。私には時間がなかったんだ」
「でも、それならそう言ってくれれば」
新左は首を横に振った。
「野菜なら、直接利益になるから、みんなにも勧めやすい。 みなも言うことを聞いてくれるだろう。だけど、流れ者の私が、来るかどうかも判らない川の氾濫に備えて水路を作ろうと言ったって、誰も協力してくれはしない」
言われてみればその通りなので、みな、うつむくしかない。
「あまりにも時間がなかったので、悪どい手も使ったし、みんなには苦労をさせてしまった 。けれど、もうこれで大丈夫だ。川が氾濫しそうなったら、その水門を開ければいい。村が水に沈むことは、もう決してないよ。安心するといい」
「しかし……」
人々は、後ろに迫る軍勢に視線を向ける。
「ああ、大丈夫だよ。彼らには帰ってもらおう」
「そんな馬鹿な。できるわけがない」
「そうだね……新左では無理かもしれない。でもね……」
新左はここで初めて、みなの前で満面の笑みを作って見せた。
なんともいえぬ、男らしい、強くやさしい笑みであった。
「嵐山新左衛門なら、きっと大丈夫だよ」
嵐山春嶽の次男坊、嵐山新左衛門は、乱心者として座敷牢に幽閉されていた。一説には父の非道なやり方を幾度となくいさめたため、とも言われているが、真偽の程は定かではない。
ただ言えるのは、この次男坊は猛将ぞろいの嵐山家にあって珍しく、学問に秀で、古今東西のいろいろな知識に精通した教養人であったことだけは間違いないようである。後世、生きて嵐山家のために働けば、その能力、百万石に値しただろうと言われている。
が、しかし、彼は二十四の若さでこの世を去った。
病でも、合戦でもなく、ただ数百人の農民を救うためだけに、腹を切ったのである。
事の露見による 『お家取り潰し』を恐れた嵐山家は、乱心者の自害として、彼の死を闇の中に葬り去った。あまりに目撃者が多かったためにごまかしようもなく、本来であればクチを封じられるはずの村人たちには、一切お咎めもなかった。
「それじゃあ、新左、いや新左衛門様。あんた、この責任を取って腹を切りなさるのか?」
誰かがそう聞くと、新左衛門はこともなげにうなずく。
「それしかないだろうね。私がここでそんな死に方をすれば、お家大事の彼らは この騒動を、まず間違いなく、なかったものとして扱うよ。そうすればもちろん、君らにもお咎めはないさ」
「本当に?」
「うん、大丈夫。これだけの人数を、理由もなく皆殺しにするのは、さすがに父上もしないだろう。人道的な理由じゃなく、この村の納める税金のためにね 。そういうところは、とても現実的な人だから、逆に信用できる」
新左衛門は、外国の本で読み知ったウインクをしてみせる。もちろん、村人たちには、何のことだか意味はわからない。 きょとんとした皆の顔を見て、新左衛門は肩をすくめる。
それから、そんな自分におかしくなったのだろう。新左衛門は大声を上げて笑った。
「でも、どうして、わしらのために……」
「なあに、気にすることはない。生きて戦をすれば、幾人も殺すことになるんだ。それなら自分が死んだほうがいいさ。 少なくとも、そのほうが私の好みだ。それに、先に死ねば、あの世ででかい顔ができるだろう?」
「新左衛門様……」
いつの間にか寄り集まって、悲痛な表情で彼を見つめる村人たち。
新左衛門はもう一度、微笑んだ。
「どうせいつかは 、みんな死ぬんだ。それなら戦で何人も殺して、たくさんの人を不幸にし、その挙句に自分も死ぬよりは、世話になったあんたたちを助けて死にたい。 その方が、よっぽど気が利いてると私は思うんだよ。ただ、それだけさ」
「世話だなんて。わしらのほうが世話になってばかりで……」
新左衛門は首を振る。
「とんでもない。城の中で謀略にまみれて生きるより、みなと生きた四年間の方が、私にとってはよほど濃い人生だったよ。 素朴だけど力強い、大地に根ざした生き方が出来た。本当に感謝してるんだ。みんなありがとう」
人々の中から、すすり泣く声が聞こえる。
すると新左衛門は、ぱん! と手を打った。
「ほらほら、ダメダメ。もう湿っぽいのは終わりだ。私は満足して死ぬんだって言ったろう? あのときのお祭りみたいに、景気よく送り出してくれよ。私は先に逝って、みんなの来る準備をしておいてやろうって言うんだから」
おどけたその言葉に、人々は涙をこらえた。
彼に返せるものが笑顔しかないのなら、笑って送ろう。
人々はこの優しく強い男に笑顔を見せた。泣き笑いではあるけれども、それは新左衛門が今までもらった中で、最高に美しい笑顔だった。新左衛門は満足そうにみなの顔を見ると、くるりときびすを返して、やってくる侍の群れに向かって歩き出した。
そして、一度だけ振り返ると、ひょいと手を上げて、輝くような、開けっぴろげな笑顔で言った。
「お先に」
散歩にゆくようなその背中を、人々はいつまでも見送っていた。