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ご主人様と〇〇い本

サブタイトル:ご主人様と〇〇い本

作者:神井千曲

「全く……一体どうやったら、たった数日でこんなに散らかす事が出来るのか……」

 思わずそんな言葉が口を突く。

 床上に散らばった多数の魔道書。そして、得体のしれない鉱石や骨などの標本類。そして瓶に入った様々な色の液体や粉末。



 ここは、カデスという街。大陸中央、やや西部にある城塞都市だ。

 そしてこの屋敷は、この街において天才魔導師として名高い我が主人オグナ様の屋敷。そして私は、彼に仕える奴隷のヒナク。

 奴隷……。

 そう、私は奴隷なのだ。

 この鍵付きの首輪が、その証。

 私の祖父ベルガントは、一代で財をなした豪商。しかし後を継いだ父は残念ながら商才には恵まれなかったらしい。

 十年ほど前に起きた魔王軍の侵攻による混乱で、祖父の商会は大きな損害を被った。祖父は再興に力を注いだが、心労により亡くなってしまう。残された父は、それを持ち直すことが出来なかった。

 結果、私たち一家は離散する羽目になったのだ。

 両親は幼い弟を連れて行方知れず。私と兄に残されたのは、多額の負債。

 そしてそれと引き換えに、兄と私は奴隷の身分に落とされたのだ。

 とはいえ犯罪を犯した訳ではないので、今のところは酷い扱いを受けていない。

 兄は親戚の商家で奉公する事になり、私は祖父の友人であった魔導師ハリム師――オグナ様の父上だ――に引き取られたのだ。

 一応、借金のカタという形になるのだろうか?

 そうして私は、この屋敷で働く事となったのだ。



 ちなみに現在、この屋敷の使用人は私一人。そして住人もまた、主人であるオグナ様一人。

 広大な屋敷の中でたった二人っきりとは、寂しい限りだ。

 本来の主であるハリム様と奥様は、現在魔道師学院の講師として遠い街へと赴任されている。

 そして私以外の使用人は、オグナ様の奇行に耐えかね、皆辞めてしまった。

 ……そう。奇行。

 オグナ様は様々な魔道具の製作を得意としているが、それに夢中になるあまり時として妙な振る舞いをするのだ。

 寝食を忘れて制作に没頭したと思いきや、書庫に籠もりきりとなったり、また時として日がな一日ぼうっとしていたりとか……

 まぁ、なかなか理解しがたい性癖(クセ)ではある。

 正直言って、私も時々引いてしまうのだが……この奴隷という身分ゆえに、逃れることは出来ない。

 とはいえ、私自身はそこまで追い詰められた事は無いのだがな。

 でも、昔はもうちょっと……

 おっと。それはともかく……早くこの部屋――オグナ様の私室――の掃除を終わらせて、昼食の準備にかからねば。

 とりあえず床上の魔道書の山の本を拾い上げて埃を払い、壁際に寄せて整理する。

 本来なら本棚に戻すべきなのだろうが、どうやら内容ごとに入れる棚が決まっているらしいので、現状はこうするしかない。

 私ではその辺の区別がなかなかつかないからだ。

 私は読み書きは一通りできるものの、流石に高度な魔道の知識はない。

 それに、何か妙な“力”を感じるものもあるので、中を見るのもはばかられる。危険な本も少なくないとの話だし……。

 せっかくこうして平穏に暮らせるのだ。虎の尾を踏む愚を犯すわけにはいかない。なので、ひたすら機械的に埃を払い、大きさごとに本を積む。



 そうすることしばし。

 ようやく床上が片付いてきた。

 では、箒で落ちた埃をまとめねば。そのついでに、家具の隙間の埃も掻き出してやる。

 ……うっぷ。

 思いの外飛散する埃の量が多い。これは、かなり汚れているな……。

 が、我慢して掃除だ。

 次は、瓶や標本の入った戸棚と本棚の隙間だ。ここを片付けねば、この部屋にはこびる埃を駆除出来ないであろう。

 箒を突っ込み……ん? “何か”がひっかかって……

 掻き出そうとするが、“何か”は大きすぎて出てこない。

 一体何があるのだろうか?

 その場所を覗いてみる。

 隙間の奥にあるのは、どうやら本らしい。

 本、か。

 もしかして、オグナ様が無くしてしまったものなのだろうか? ならば、拾っておかねば。

 箒の柄を使い、本を引っ張り出す。

 ン……あと、ちょっと。……これでよし。

 出てきたのは、ハードカバーの本だ。何かの資料本かな?

 ……ん? もう一冊?

 奥にあった少し薄い本も、何とか手繰り寄せる事に成功した。

 やれやれ、上手くいったな。とりあえず埃を払って……

 って、この本……女の人の、裸の絵が……


「い〜や゛〜〜っ!」


 思わず投げ捨てようとし……思い留まる。

 おそらくコレは、オグナ様のものだろう。私の立場からして、これを傷つけたりする訳にはいかない。

 とっ、とりあえず綺麗にして、と……よし。

 う……む。それにしても、一体どんな中身何だろう? ちょっと……ちょっとぐらいなら見てもいいよね?

 まずは表紙をめくってみる。

 ふむ……。あっ、お、男の人も⁉︎

 へ、へぇ……なるほど。アレがああなって……で、こっちがこう。それがああなると……

 ……。

 …………。

 ……はっ⁉︎

 おっと、いけない。今は片付けをせねば!

 とりあえず、これは後でさっきの所に隠しておこう。

 ともあれ、こういうのを持ってるということは、……オグナ様、ちゃんと女の人に興味があったんですねぇ……。

 私はともかく、他の女の人にも興味が無いようでしたし。それに、同年代の女の方をこの屋敷に招かれたことなどなかったですしね。夜会に行かれた時も、すぐに帰ってこられたし……。だからてっきり、“そっち”の趣味があるのかと。

 オグナ様の男友達はそれなりにいたようだし。

 にしても、私がここで引き取られたのも“そういう”目的があったのだろうけど……。当のオグナ様が私に対して全く“そういった”素振りも見せなかったのは、やはり“女”とは見られていなかったからなのだろうか?

 ……それなりには成長したんだけどなぁ。ちょっと悲しい。

 じっと胸を見る。

 あっ、いや……“そういう事”を望んでいたわけではなく、“女”として、ね。そう。女として……

 でも、この絵の(ひと)くらいあればいいのかな? いや、これは幾ら何でも……

 あっ……それはおいといて。

 もう一冊の方も埃を払っておかねば。

 まぁ、こっちは流石に普通の……普通の……

 って、まさかコレは奴隷メイドの官能小説!?


「え゛ぇええええ゛え〜っ!」


 どどど、これは一体どういう事⁉︎ ままままさかッ、オグナ様が私をそういう目で⁉︎

 いいいやでも、今まで全くそんな素振りもなかったし……

 これは一体……

 あ……もしかして、こんな奴隷が欲しかったという事かもしれない。

 あぁあああ……やっぱり私、女としてはダメなのかな〜。

 そんな考えに至り、思わず頭を抱えてへたり込む。



 と、扉の向こうで何やら音がした。

 オグナ様か? 研究が一段落したのだろうか?


「ヒナク、ちょっと来てくれ!」


 オグナ様の声。

 落ち込んでいても仕方がない。できる仕事をしなければ。

 私は慌ててそれらを本の山の上に置き、部屋を出た。



――廊下

 私が扉から顔を覗かせると、何やらご主人様が奥の工房から、布に包まれた“何か”を乗せた台車を押して出てきたところだった。


「スマン。ちょっと荷物を押さえていてくれ」


 と、オグナ様。


「はい。ご主人様、すぐ行きます!」

「すまんな」


 私の返答に、オグナ様は少し嬉しそうに笑った。

 私も少し、嬉しい。


「これでいいですか?」


 私は布越しに“荷物”を押さえる。

 金属のような硬い感触だ。どうやら丸みを帯びている形状のようだ。


「ああ。十分だ。……気をつけろよ」

「はい」

「よし。行くぞ」


 オグナ様が台車を押す。

 そして台車は荷物を崩す事なくオグナ様の私室へと荷物を運び込んだ。


「よし。無事にここまで来れたな。ありがとう」


 額の汗を拭うと、オグナ様は白い歯を見せた。

 細面で、端正な顔。朽葉色の、柔らかで波打つ髪。浅葱色の瞳。高い鼻梁。象牙色の肌。そして、長身であるがで引き締まった体躯。

 間違い無く、黙って立っていれば数多の女が言い寄ってくるであろう。

 そう。黙って立ってさえいれば。

 オグナ様がひとたび口を開くと、たちまち周囲の女性は離れて行ってしまうのだ。

 ……勿体ないとは思うのだがな。

 少々人付き合いが苦手で、少しばかり言動が怪しく、少しばかり他人には理解しがたい趣味趣向を持っているぐらいなのに。

 私ならば……おっと。

 それにしても……コレは一体何だろう?

 いや……気にしないでおこう。

 好奇心は時として猫すら殺す。魔導師が関わる事物ともなれば、なおさらだ。


「ご主人様ー。今日の昼食はどうされます?」


 私はそれを見なかったことにしてオグナ様に声を掛けた。


「あー、そうだな。でも……今試したいことがあるんだ」

「はい?」


 ……嫌な予感しかしない。


「これなんだ」


 台車の上の荷物を指差す。


「えっ……また何か作られたのですか?」


 やはり、またくだらな……いや、研究の成果が完成したのだろう。


「うむ」


 彼は一つ頷くと、台車上の布に手をかけた。

 そして、


「見るがいい!」


 払いのけられた布の下から現れたのは、銀色に輝くいくつかの金属塊。

 その形状的には、鎧か何からしいが……


「……コレは?」

「はははははは……素晴らしいだろう? 格好いいだろう⁉︎ これが私の研究の成果ッ! 魔導鎧というものだァーッ!」


 いきなり芝居染みた台詞を吐き、妙なポーズをとった。

 ……どうやらスイッチが入ってしまったようである。残念なことだ。


「……はぁ」

「何か反応が薄いな」

「あっ……いえっ、私如きにはとてもとても理解できるシロモノではございませんので……。武術の心得も素人同然ですし」

「そうか……」


 私の気のない返事に、オグナ様は肩を落としてしまった。

 ……仕方ない。


「でも、素晴らしいモノであることは素人目にも分かります。流石ご主人様!」

「うむ……そう言ってくれるか」


 とりあえずおだててみたが……嬉しそうだ。一安心。

 もうひと押しかな?


「コレは一体どの様なモノなのでしょうか? 私如きにはとても理解出来ません」

「そうか……ならば、説明しよう! コレは着用者の魔力を大幅に増幅する“力”があるッ! しかも、並みの鎧よりも堅固に出来ているのだ! さらに従来型に比べてかなりの軽量化を成し遂げているッ! ゆえに、この鎧を量産の暁には、この街を脅かす魔族など軽く叩き潰すことが出来るのだ! ふはははは!」


 主人は興奮して一気にまくし立てた。ついでに悪役よろしく高笑い。

 ……ちょっとうるさい。おだてすぎたかもしれない。

 というか、女性関係で失敗するのはいつもこれだ。失敗に学んで欲しいものだが……


「ところで、コレはもう完成なのですか?」

「いや、まだだ。最後の調整が住んでいない」

「そうですか。なら、一旦……」


 休憩して……と言おうとした直後、


「ヒナクよ。コレを装着してみよ」

「えっ……」


 そうくるか。

 それにしても……何故私が⁉︎

 嫌な予感が当たってしまった様だ。

 コレをひとたび装着してしまったら、一体どうなるのだろうか? 無事に脱ぐことができるのだろうか……


「どうした?」

「あのっ、今から……ですか? 私、これから食事の準備が……」


 なんとかしてこの場から逃れねば。

 しかし……


「なに、食事は後でもいいさ。なんなら白狼亭でも連れて行ってやろう」

「はい……」


 一見爽やかな笑顔でそう言われてしまっては、覚悟を決めるしかないか。

 ちなみに白狼亭とは、この街にある食堂兼宿屋。

 由緒ある店で、そこの料理はこの街の領主がお忍びで食べにいくほどだという。

 それなら……これが終わったら、美味しいものたくさん食べさせてもらおう。


「では……まず、これからだ」

「はい」


 開き直った私は覚悟を決め、鎧を装着していく。

 いや、されていく、だな。

 脛当てと足の鎧。

 膝と太もも。

 腰回りの装甲と、胴。

 籠手と肩当て。

 そうして装着していくわけだが……


「あの……何か大きすぎるというか……」


 膝や肘が曲がらない。

 鎧が大きすぎるのだ。

 私の身長は40サン(約160cm)にも満たない。おそらくこの鎧は、45サン(約180cm)ほどの者が装着するのが適しているのだろう。

 そう。オグナ様ぐらいの身長だ。


「むぅう……仕方がない。誰か雇って……」

「それを着ようなどというもの好きは、なかなか見つからないと思いますが……」


 思わずそう突っ込んでしまう。

 少しばかり魔力に敏感な者には、分かりやすいほどの強力な魔力が感じられる鎧だ。

 普通の人間なら尻込みしてしまうだろう。


「ううう、煩いわー! ならば私自らが装着し、この威を示してくれるわ!」

「えぇっ? あのー、オグナ様⁉︎」


 万一の事があったら私が困るんですけどー。

 って、ちょっと……


「あああの、無理矢理脱がさないで下さいー」


 半ば強引に鎧を剥がされたせいで、服のあちこちがめくれ上がったりしている。スカートなども……

 あ、何か視線が……


「あっ、あのっ、見てないですよね?」

「モチロンダ」


 スカートを抑えつつ問う私に、オグナ様は目をそらしつつそう答える。

 ……これはウソをついてる顔だ。

 確かに減るものではないけど……

 とにかく、残りの脛当てなどを脱ぐと、台車の上に乗せた。


「では、手伝ってくれ」

「はい……」


 良いのかなー。

 とはいえ主人の命だ。

 言われた通りに装着を手伝う。



――そして、しばしのち

「ふむ……どうかね?」


 鎧を着けたオグナ様は、ポーズを取って私に見せる。


「格好いいと思います」


 ……その天井を指差す妙なポーズはともかく。

 あと、鎧の装飾が少々過剰なのも気になった。

 この鎧のベースは、この街の衛士のモノだろう。

 それ自体はシンプルで機能的なデザインだ。数多の実戦経験を基にして設計されたモノらしく、いかにも質実剛健といった風だ。

 それだけにこの鎧に憧れ、衛士になろうという若者も少なくないと聞く。

 が、オグナ様がそれを改造した結果、装甲表面に何やら奇妙な模様が多数施されてしまい、色々ぶち壊しな有様だ。

 その模様自体に魔力増幅のための仕掛けが施されている様だが、もっといいデザインはなかったのだろうか……


「ふむ……そうか」


 と、答えたものの、オグナ様の目には微妙な疑念の色がある。

 ……気のせーですよ。気のせい。


「それよりも……調整にかかりましょうよ。お腹もすいてきましたし」

「……そうか」


 何か声に元気がない。


「では……」


 オグナ様が本の山の一つに掌を向けた。

 まさか……


「フン!」


 と、本の山が持ち上がった。

 呪文の詠唱もなくそんなことができるのか。


「見たか! 魔力の増幅機能により、無詠唱で魔法を行使できるのだ!」

「なるほど……」


 確かにそれは素晴らしいことだ。呪文詠唱なしで魔法を行使すれば、恐ろしいほどの魔力を消耗してしまう。

 膨大な魔力を持つオグナ様といえど、無詠唱での魔法行使はそれなりに消耗するはずだ。

 しかし、今のごオグナ様にはそういう兆候は見られない。

 この鎧の“力”は確かなものなのであろう。



 そして本の山は空中を音もなく移動し……


「あっ……」


 途中で落下してしまう。

 再び散らばる本の山。


「うむ……魔力制御の精度が……」

「あ゛〜〜っ! せっかく片付けたのに〜!」


 思わず叫んでしまった。

 また掃除がやり直しなのだ。仕方がないだろう……多分。


「おっと、すまなかった」


 鼻白み、謝るオグナ様。


「あっ、いえ……すぐに片付けますから」


 私は慌てて本を拾い上げる。

 オグナ様も本を拾おうと……


「あ……」


 したところで何やら固まってしまった。


「……?」


 どうしたのだろう?

 その視線が、私が持つ本に注がれている。

 右手に持った本を見る。と……これはあの奴隷メイドの本。そして左手には、女の人の裸が表紙の薄い本。


「あっ……」

「あ゛〜〜っ!」


 オグナ様の叫び。

 しまった! 元の場所に戻しておけば……

 そう思った直後、


「オワタ……ジンセイオワタ……」


 地の底から響く様な声がオグナ様の唇から漏れた。

 そして彼は頭を抱え、へたり込む。

 え? 何もそこまで思い詰めなくても……

 私はどう声をかけたものかと考えあぐねる。

 と、


「え゛」


 膨大な魔力がオグナ様の身体から噴き出した。

 ただでさえ常人を遥かに上回る変じ……ではなく、魔力を持つオグナ様だ。それが鎧によって増幅されれば……


「ひえ゛ー」


 物理的な“圧”を持った魔力の嵐に、私は吹き飛ばされそうになる。

 が、なんとか踏みとどまろうと棚に手をつき……

 その衝撃で、小さな瓶が落下した。

 瓶は床上へと落ちていく。

 慌ててそれをキャッチ。

 ……よかった。割れてない。

 それにしても、これは……

 そう思った直後、瓶の中で黒い影が蠢いた。


「……へ?」


 そして、私の掌の中で、その瓶は乾いた音を立てて割れた。

 その中から飛び出す“何か”。

 それはオグナ様に向かって飛ぶ。

 アレは……よくわからないが、イヤな予感がする。


「逃げてください!」

「へ? ンガググ」


 私の声に、オグナ様は我に返る。

 しかし、間に合わなかった。その口中に“それ”が飛び込んでしまう。

 そして、


『ひゃ〜っはっはっはっはっ! ようやく……ようやく解放されたぜぇ! コヤツの魔力のおかげでなぁ!』


 オグナ様ではない“何か”の“声”。


「……何者⁉︎」

「オレサマは魔王軍第一軍所属、准魔将ヴォルザニエス配下の正騎将オルファン! 今こそオレサマをあんなモノに閉じ込めた魔導師(クソヤロー)に……」


 なるほど。ヴォルザニエスといえばこの街を攻めた魔族の将。この魔族は、その際にこの街を護る魔導師に囚われてしまったのか。

 あ……そういえば、ハリム様があの戦いの時に魔族を捕らえたとか言ってたな。

 つまり、コイツのこと?

 その話によれば、大した相手じゃなかったとかいう話だけど……


「無視すんじゃねェ!」

「あ、スイマセン」


 オグナ様の口を借りたオルファンとやらの怒声に、思わず謝ってしまった。

 とはいえ、どうしたものか。オグナ様は乗っ取られてしまった様だ。

 ……仕方がない。


「オグナ様を返しなさい! “封魔”!」


 魔物の力を封じる呪文を放つ。

 しかし、


『効かねェな〜』

「!」


 あっさりと弾かれる。

 何故⁉︎ あのレベルの相手ならば……

 いや、もしかして、


「そうか……鎧が!」


 例えザコレベルの敵であっても、鎧のために魔力は増幅されるのか。しかも、膨大な魔力を持つオグナ様の身体を乗っ取っている。

 これは、まずい。一体どうすれば……

 私は思わず手の中の“何か”を握りしめた。


『ひゃはははーっ! この身体、そしてこの鎧ィ! オレサマは運がいい。これでオレサマは無敵だぜェ〜!』

「何てこと……」

『貴様ごときザコには用はない。ではまず……この街の領主でも血祭りにあげてくれよう」


 オルファンは掌を窓に向け……


『フン』

「ひえ゛ーッ!」


 窓とその周囲の壁が吹き飛んでしまう。

 当然、片付けたはずの室内もメチャクチャだ。


「あ゛あぁああぁあ……」

『ではさらばだ!』


 そしてオルファンは壁の穴の向こうへと身を躍らせた。

 ……。

 …………おのれ。

 ……おのれ、腐れ魔族!

 私の苦労を無に帰すとは言語道断ッ! ついでにとはいえ、オグナ様までさらうとは許しがたい!

 必ずや成敗してくれるッ!

 私は慌ててそのあとを追う事にした。



――街中

 オグナ様の屋敷の前は、嵐が過ぎ去った後の様な有様であった。

 ……とにかく追わねば。

 私は破壊の後をたどって魔族の後を追い始めた。



『ひゃーっはははッ! ニンゲンども……オレサマの“力”を見るがいい! ……“衝弾”!』


 妖惑追いついた私が目にしたのは、まるで悪夢の様な光景であった。

 放たれた不可視の弾丸が建物の壁を砕き、柱をへし折る。


「うわーッ!」

「何だ、あの鎧男ォ⁉︎」

「とうとう変態魔導師が乱心しやがったー!」


 オグナ様を乗っ取ったオルファンが、街中で暴れている。そして逃げ惑う町の人々。

 衛兵たちもかけつけてきているが、あっさりと蹴散らされている。

 これではオグナ様の評判は悪くなってしまう……かも。

 ……今までもあんまりいい評判はなかったけど。

 でも、とにかく止めないと。

 この街区は、領主の館にも近い一等地。それだけに、とんでもないことにもなりかねない。

 せめて、時間稼ぎぐらいは……。


「待ちなさい! “縛鎖”!」


 私が放った魔力の鎖がオグナ様の身体にまとわり付き……


『おぅ? ……フン』


 しかしそれはあっさり引きちぎられてしまう。

 ……ダメか。

 所詮シロウトに毛が生えた程度の魔法では、足止めにもならないか。


『ほう……あの時の女奴隷か。まだ邪魔をするか』

「!」


 オルファンに乗っ取られたオグナ様は、その掌を私に向ける。

 これで、終わりか。

 仕方がないか。でも……もう少し私、は。


『うおっ⁉︎』


 しかし、すぐにオルファンは飛び退った。

 直後、光の槍が飛来。

 オルファンは慌てて魔力障壁を張り、それを防ぐ。

 助かった⁉︎

 それにしても、一体誰が今の魔法を⁉︎


「街を荒らす不届きものめが! 私が相手だ!」


 そして颯爽と現れたのは……

 筋骨隆々とした体躯の、髭面の大男である。

 そのまとう気配(オーラ)は強烈で、圧倒的だ。

 オルファンも気圧された様に後ずさった。


『何だ、テメ、エ……?』

「……食人鬼(オーガー)?」


 などとつぶやいてしまったが……よく見れば、腰には装飾が施された柄をもつ剣を下げており、大男本体とは不釣り合いに身なりは良い。

 まさか……身分の高い人⁉︎


「……」

『?』

「?」


 一瞬の沈黙。

 そして、


「誰が食人鬼か貴様らー!」


 食人鬼……ではなく大男は、怒鳴るや否や腰の剣を抜き放った。

 そしてそれを、一気に振り下ろす。

 ……へ? 速い⁉︎

 太刀筋が全く見えなかった。

 いや、あれは……って、


『けひゃあ〜〜ッ⁉︎』

「あ゛あ〜〜〜っ! ごめ゛んなさい、ごめんなさい゛〜〜」


 襲いくる衝撃波。オルファン、そしてついでに私まで吹き飛ばされる。

 それでも何とか着地し、ふらつきながらも立ち上がる。

 それにしても、今の技……


「あ……あれは⁉︎ そういえば聞いたことがある……」

『知っているのか⁉︎ そこの……えっと、奴隷メイド』

「あれは……あれは確か、光輝(かがやき)の太刀!」


 いきなりオルファンに話を振られてしまい、つい反応してしまった。

 光輝の太刀とは、体内に存在する潜在的な“力”を収束し、剣を通して解き放つとかいう技だった……はず。話に聞いただけだから、自信はない。


『何だと⁉︎ あの“勇者”が使ったという剣技だとでもいうのか? ヤツは、一体……』


 いや、何となくわかってしまったんですけどねー。

 それにしても、何でこんな場所にをほっつき歩いていたのか。


「私はこのカデスを預かる太守、シェカール! この街を荒らす輩は見過ごす訳にはいかぬ!」


 出てきちゃたよ、太守様。

 魔王と戦った“勇者”と同門だとかいう剣の達人だったはず。あの技を使える数少ない人物だ。

 ……というか、お供の方々はー?

 あ……向こうから何人か走ってくる。あれかな?


『ひゃはははっ! 丁度いーじゃねーか! もらうぜ領主サマ? その首をよー!』

「ぬかせ! この不届き者が! 我が剣の錆となるがよい!」


 再びその剣から銀の光が放たれる。

 しかし……


『ひゃはっ! 二度とその手はくわねぇ! ……“反射”!』


 淡く輝く結界に跳ね返されてしまった。

 そして、


「のわーっ⁉︎」

「シェカール様ー⁉︎」


 あ……

 領主様、吹き飛ばされてるがな……


「不覚! よもやあれを跳ね返されるとは……」

「シェカール様……外出の際は、たとえお忍びでも護衛をおつけ下さいとあれほど……」

「馬鹿者! かわいい娘と触れ合う数少ない機会に、むさい男どもを連れ歩けるか!」


 ようやく追いついた護衛の兵士に助け起こされる。

 いるんだよねー。言っても聞かない人。ウチの主人とか。ウチの主人とか……

 にしても、娘思いの父親か……。イイデスネー。娘を売り飛ばす様なのとは……

 あ……やっかみだ。いかん、いかん。


「父様。任せて」


 と、一人の少女が進みでる。

 十二、三歳ぐらいかな? 黒髪の、かわいい女の子だ。あのおっさ……じゃない、領主様の娘なんだろうけど……母親似か。多分。


「魔族がとりついてるみたい。だから……“神呪”」

『へひゃッ⁉︎』


 と、オグナ様の動きが止まった。

 あれは、神々の力をかりた神聖呪文か。魔族が最も苦手とするもの。

 何やら神々しいオーラがオグナ様の周囲に立ち込めている。あれでは、低レベルの魔族は動けまい。


「すまぬな。では……私の手でとどめを刺してやろう」


 領主様が剣を手に……


「あっ……あの……」

「何か?」


 ギロリと睨まれる。

 思わず後退りそうになった。

 が、勇気を出さねば。このままでは……


「その方は私の主人、オグナ様です。実験の最中に魔族に取り憑かれてしまった様なのです。今の行状は操られているが故のものです。どうか、どうかご慈悲を……」


 震える声で、許しを乞う。


「ふむ……その様だな。兜のせいで気づかなんだわ。しかし、実験で魔族に乗っ取られたのは彼奴の失態ではないか? しかも、街に損害が出ているのではな」


 やはり、駄目なのか……

 と、さっきの少女が口を挟んだ。


「その鎧、父様が依頼した魔導兵団用のものじゃない。それなら、責任の一端は父様にもあるんじゃないの?」

「む……う……」


 ああ。そういえば何か依頼があったとかで張り切ってたんだっけか。


「アスリがそう言うならば、仕方がないか。しかし、どうやって……」

『ひゃはーっ! スキありだぜー!』


 魔族が拘束から逃れようと……


「ちょっと黙ってて!」

『んがっ⁉︎』


 私はさっきから握りしめていたものを投げつけ……開いた口にすっぽりとハマる。

それは、翠の石がはまった四角い金属の小札。

 ん? アレ、何だっけ。

 あ……確か、瓶の中にオルファンと一緒に入っていた……


「あれは、魔除けの護符!」


 魔族の“力”を抑え込むものだ。

 どうやらそのせいか、オグナ様の動きが再び止まった。


「好機!」


 女の子――アスリといったっけ? ――が呪文を唱えはじめた。

 そして、


「……“封魔”!」


あれは、魔を封じる呪文。

しかも、護符の力を引き出すよう、呪文を改変している。

そして、


『あ゛ーッ』


 オルファンの絶叫。

 護符が輝くと同時に、黒い影がオグナ様の身体から抜け出した。

 逃すわけには行かない。


「“封魔”!」


 と、影が凝固し、人型をなした。

 あれがオグナ様を乗っ取った魔族の姿か。


『“縛鎖”!』


 そして、少女の呪文でオルファンは捕らえられた。

 何やらわめいていたが、衛兵たちによって取り押さえられた。

 そして、オグナ様は……

 何やら虚ろな目で立ちすくんでいる。


「オグナ様ー! 正気に戻られたのですかー」


 私は彼に駆け寄った。

 だが、反応がない。

 ……これは⁉︎


「膨大な魔力が彼の体内で渦巻いている。このままでは……」


 アスリの呟き。

 確かに恐ろしい程の魔力を感じる。

 これだけの魔力がコントロールを失ってしまっては……。

 このままでは、オグナ様は死ぬ。

 過大な魔力が肉体を蝕む病気も存在するのだ。それどころか、行き場を失った魔力が暴発し、オグナ様が木っ端微塵になるばかりか周囲に甚大な被害をもたらすだろう。

 何とか目を覚まさせねば。


「オグナ様ー! 目覚ましてくださいよ!」


 肩に手をかけ、揺さぶる。

 が、反応はない。

 それどころか、まとう魔力が物理的な圧となって私を吹き飛ばそうとする。


「離れて! 危険だから……逃げなさい!」


 アスリの声は、切迫している。

 けれど、諦める訳にはいかない。

 私の主人だから。


「大丈夫。だから……オグナ様! お願い、目を覚まして!」


 何とか首筋にしがみつき、耐える。

 でも、どうすれば目を覚ましてくれるのか? ただ衝動的に行動してしまったが。

 どうすれば……。

 ……。

 ……そうだ。

 我を忘れた時と、同じ事をすれば良いのかもしれない。

 ダメ元でもやってみる価値がある。

 私はその耳元に、何とか口を寄せた。

 そして、


「…………」

「⁉︎」


 “その言葉”をささやいてみる。

 と、微妙な反応があった。

 これは……いけるかもしれない。


「………………」

「……!」


 虚ろだった目に、かすかに光が宿った。

 荒れ狂っていた魔力が、少しづつ収束しているようだ。


「おお……やりおるわ、あの娘。一体何をしたのか?」

「それは……」


 領主様の問い。

 アスリは少し顔を赤らめ、視線を反らせた。

 あ……聞かれてしまったかな? 何か聴覚を強化する呪文使ったみたいだし。

 と、とりあえず……あと、一息。


「………………。オグナ様」

「うわーっ⁉︎」


 と、オグナ様の叫び。

 そして、頭を抱えてへたり込んだ。

 私がささやいたのは、あの二冊の本にあった台詞だ。

 同じショックを与えれば、うまい具合に正気に戻るかもしれないと思いやってみたのだ。

 少し……いや、かなり恥ずかしかったが。


「オワタ……オワタ……」


 当のオグナ様は膝を抱えて虚ろな瞳で呟くのみ。

 とはいえ……彼が正気かどうかはともかく、魔力は完全に収束していた。


「良かった……」


 私もまた、その傍にへたり込んだ。



後日

「ご主人様ー」


 返事がない。まるで屍のような目をしている。そして、その首には首輪があった。


「ご主人様ってばー」

「ああ……」


 オグナ様は、石の入った袋を抱えたまま、気の無い返事をする。


「それはそこに置いてください」

「ン……ああ、わかった」


 オグナ様はそれを下ろし、また来た道を戻って行く。


「おい、何ノロノロやってるんだ! 日が暮れちまうだろうが!」

「すいませんー!」


 向こうで、何やら怒声がする。

 あー、オグナ様……また叱られたか。


「オイ……そこの魔族! サボってんじゃねぇ!」

『ひぃ〜〜スイマセンスイマセン!』


 オルファンだっけ? あの魔族の声もする。

 彼もまた、奴隷としてここで働いている。



 ここは、オグナ様が魔族に操られて破壊した建物の一つ。

 私たちは、その修理のため、人足に混ざって働いている。

 そう。奴隷として、だ。

 とはいえオグナ様に関しては一時的なものだ。

 魔族に操られての事というのもあるし、これまでの功績もあるから比較的軽い処分で済んだ。

 だが、街に損害を与えたので、それ相応の刑に服する事となった。それが、この修理への参加だ。

 ちなみに私はといえば、オグナ様を止めた功で幾らかの報奨金をもらうことができた。

 これでようやく、私自身を買い戻す為の資金が貯まる。

 買い戻す。つまり……

 とはいえ、今すぐにこれを使うつもりはない。

 解放されたとしても、身寄りもなく無一文に近い状態では、まともに暮らす事もできまい。

 なので、もっとお金を貯めないといけない。

 それに何より……まだ私はオグナ様に仕えたいのだ。

 と、背後からの足音に振り返る。

 そこには、砕石が入った袋を抱えて戻ってきた我が主人の姿があった。

 そう。私はあの方と暮らしたいのだ。だから……


「頑張りましょうね、オグナ様!」

「お、おう……あっ」


 一瞬呆然としたオグナ様は手を滑らせ、袋を落としてしまった。

 そこは……足の上。


「って、ア゛ッー!」

「あーっ、ごめんなさい、ゴメンナサイー!」


 私は慌てて“治癒”の呪文をかけた。

 ともあれ、今の私たちは平穏無事に暮らしている。

 多分……世は全て事もなし、だ。

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