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とある獣人奴隷の2

「ただいまー、今戻ったよルシア」


「お帰りなさいませタクト様!」


いつもと同じ時間、日が落ちてすぐにタクト様が屋敷に戻ってくる。

私は昼間に何度も練習したように、満面の笑みで元気よく挨拶をして出迎えた。


「あれ、何かいい事でもあった?」


「何かおかしいですか?」


「いや、なんだかいつもより元気そうだから」


タクト様は自分の変化を感じ取ったようだが、悪い方向には解釈されていないようだ。

まあこの抜けた男が私の感情なんて見抜けるはずがないけど。


「いいことですか……あるといえば、ありましたね」


「へえ、じゃあ食事でもしながら聞かせてもらおうかな」


「はい! すぐにご用意致しますね!」


明るく元気な獣人奴隷を演出しつつ、テキパキと仕事をこなす。

今日の料理は、過去タクト様に好評だったものを集めてみたものだ。

いつもは好みなんて気にもしていなかったから、思い出すのに随分苦労した。


「うわ、僕の好物ばかりじゃないか、本当に今日はどうしたんだい?」


テーブルに座ったタクト様が感嘆の声を上げる。

私は事が予定通りに進んでいることに内心ほくそえみながら、最後のダメ押しに移る。


「タクト様」


そう言って私は地に両手と膝を付き、深々と頭を下げた。

以前聞いた、タクト様の生まれた国で最上級の謝罪を示す作法を思い出したのだ。

実際に見たわけではないが、恐らくこんな感じで問題ないはず……


「タクト様、今までのご無礼、本当に申し訳ありませんでした!」


「えっ!? どうしたのルシア?」


タクト様が若干うろたえている様子を感じ、そのまま練習通りに続ける。


「タクト様に助けられ、こんなに良い生活をさせていただきながら、今まで反抗的な態度をとってしまって申し訳ありませんでした。

私、怖かったんです。人間の奴隷になった獣人はひどい扱いを受けるって聞いて、毎日毎日不安でした。

でもタクト様は全然そんな事なくて……先日頂いたルナール草をみていたら、急に申し訳なくなってきちゃって……」


顔は伏せたままグスッっと鼻を鳴らすふりをし、余計な物言いが入る前に言いたいことを続ける。

プレゼントを貰った事が良い方向に動いたという刷り込みを行うことも忘れない。


「今までタクト様の優しさに甘え、我儘ばかりしていて本当にごめんなさい。

これからは心を入れ替えてお仕えしますので、どうか私を捨てないでください。

私にはもう……タクト様しかいないんです」


言いたい事を言い終わった私はそのまま顔を下げ続ける。

確かこの格好は、相手から声がかかるまで動いてはいけないのだ。


そのまま数分の沈黙が流れる。

ちょっと不気味だ。

さすがに昨日まで反抗的だった奴隷が急に心を入れ替えたとか無理がありすぎただろうか?


長い沈黙に不安を感じ、ちらっとタクト様のほうを覗き見てみる。

するとそこには、テーブルに座ったまま涙を流しているタクト様の姿があった。


「ルシア!」


一瞬目が合ってしまったその瞬間、タクト様は椅子から立ち上がり私を立たせて体を抱きしめる。

そしてそのまま、むせび泣きのような嗚咽を始める。


「ごめんねルシア、今まで不安だったんだね。気付いてあげられなくてごめん。

でも大丈夫、僕は全然怒ってなんかないよ、むしろ凄く嬉しい、ありがとう、よく言ってくれたね。

ありがとう、これからもよろしくね」


この様子からすると、どうやら私の話を聞いて感動しているようだ。

疑われている気配は全くない。

ひとまずは作戦成功だ。


……私の服がタクト様の涙と鼻水でベトベトなのを除いては。





それから私は、タクト様に好意を持たれるよう、そしてタクト様に好意を持っているかのように振る舞い続けた。


このミッションインポッシブルな状況を何とかするには、1にも2にも情報とお金が必要。

それらを手に入れるため、私はタクト様から様々な事を聞き、また貰ったプレゼントを密かに換金するなどして着々と資金を貯め続けた。


自由時間を使っての脱出経路の確認も続けていた。

現状ではどうにもならないが、もしかしたら必要になる時が来るかもしれない。

本当は奴隷紋の解呪ができないか調べたいところだが、獣人奴隷が奴隷紋の解呪方法を調べていたなんて事がタクト様の耳に入ったらこれまでの苦労が水の泡だ。

今は耐えるしかない。



タクト様はというと、あれから私へのタッチが露骨に増えた。

もちろん嫌だが、そこで拒否してしまっては篭絡できないので、我慢して相手をしている。

最近はその行為もエスカレートしてきて、胸や太ももなども躊躇いがちにではあるが触ってくるようになってきた。

先日などは、寂しいと言ってベッドに潜り込んで来たのだ。

追い返すわけにもいかず、頭を撫でながら一晩過ごしたが、あの姿で甘えた声を出してくる様は本当に気持ち悪かった。


しかしいくらタクト様がヘタレ男だとしても、さすがに好意を向けられていると思っている状態でずっと何もないという訳にはいかないだろう。

タクト様の行動も次第に遠慮が無くなってきている。

それがいつかは分からないが、覚悟は必要かもしれない。





そうこうしているうちに、気付けばこの家に来てから半年が経とうとしていた。

暑い季節は過ぎ去り、時折吹く風は冬の到来を告げていた。


「……もう冬支度をする季節、里の皆は大丈夫かな」


庭の掃除をしながら、遠くに見える山を見て呟く。

私のいた里はそれほど裕福ではない。冬の前は皆で狩りをして食糧や燃料をため込むのだ。

食糧の備蓄が足りないと、冬の間に死者が出る事もある。

この時期は毎年、皆気が立っていて大変だった。


しかし私は今、そんな苦労のない場所にこうしている。

不思議なものだ。

もちろん今も里には帰りたい、家族や友達に会いたいという願いはあの時から何も変わっていない。

しかし正直に言ってしまえば、暮らしはここの方が何十倍も豊かなのだ。


「そろそろタクト様が戻ってくるかな」


そう考え、ほうきをしまって家の中へと向かう。

その途中、もう一度だけ振り返って、遠くに見えるふるさとの山を見て目を細めた。



準備は整った。

心の中でそう呟く。


あれから色々考えた。

失敗は許されない、確実にタクト様の心を自分に向かせなくてはいけない。

その為なら何でもやった。


従順で、ひ弱で、可愛らしくて、タクト様無しでは生きていけない。

そんな自分をずっと作ってきた。


正直言って、苦痛だと思わなかった日はない。

元々獣人族は男も女も戦士なのだ。

男女関係なく、10歳から狩りに出て、15歳で大猪以上の獲物を狩る儀式を行う。

それを乗り越えられて初めて大人の一員となるのだ。


そして、その儀式で特に息の合った男女がいれば、番いとなる事が許される。

そういった者がいなかった場合は、後日親達が話し合いで番いを決めるのだ。


……私にはいた。


アルノンという、ちょっと背が低めの幼馴染が。

私は成人の議を彼と二人で行い、見事大熊を仕留めたのだ。

それが縁となり、私はアルノンと番いとなった。

奴隷商人に捕まったのは、それから僅か数か月後の事だ。


きっと心配している。

この数か月間、私の心の中にはずっとアルノンに対する罪悪感が渦巻いていた。


「……今日、話そう」


覚悟を確認するように何度も一人頷き、そしてそっと奴隷紋が刻まれている腹部に手をやる。

そこはまるで食べ過ぎた後のおなかのように、ほんの僅かに膨らんでいた。


私は……タクト様の子を身籠っているのだ。




その日の夕食時。

いつものように上機嫌でその日の仕事内容を語るタクト様の話を聞いた後、私はここ一番の勝負に出る事にした。


「タクト様」


「え、な、なに?」


タクト様の会話を半ば遮るような形で声を上げる、そして真剣な顔で立ち上がった。


「タクト様、お許しください……」


何の事か分からないと言った顔でこちらを見るタクト様。

それはそうだ、タクト様に妊娠の事は話していない。

余り早期に話してしまうと、堕胎しろという事にもなりかねない。

それにお腹が張ってこないと、男は妊娠しているという実感が湧かないと思ったのだ。

だから誰が見てもそうと分かるまで隠しておいた。


「タクト様のお子を……授かってしまいました……」


言った瞬間、周りの空気が凍ったように静まり返る。

タクト様は握ったフォークをピクリとも動かさずに、口を半開きにして私を見ていた。


緊張する。

私はタクト様を篭絡できているだろうか。

奴隷が子など言語道断と言われたらその時点で全てが終わる。


「あ……」


タクト様が発したのは、間抜の抜けた一言だった。

元よりこの人に気の利いた言い回しなど求めていない。

しかし見るに、タクト様も何をどう言ってよいか分からないといった様子だ。

本当に頼りにならない男である。


「奴隷という身分で主人の子など恐れ多いと存じています。

ですが……この子は紛れもなく愛するご主人様の子。

ご主人様に認めてほしいとは言いません、ですがせめて産む事をお許し頂きたい……」


「そんなの当たり前だよ!」


私が事前に決めた口上を述べていると、突然タクト様は大声でそれを遮って立ち上がった。

そして私の前に来て体に手をまわしてくる。


「ごめん、急だったからびっくりしちゃって……でも、そんなのわざわざ許しを得る必要なんてないよ。

もちろん産んでいいに決まってる、いや、産んでください!」


そう言って私を抱きしめながら、おなかの辺りに手を当ててきた。


「……ほんとだ、ちょっと膨らんでる。ごめんね、全然気が付かなかった」


「いいえ、私も不安で……隠していましたから」


「隠す必要なんて無いのに、ルシアは僕の大切な人なんだから」


そう言って嬉しそうに私のおなかを撫でる様を見て私は安心する。

予想よりもタクト様の信頼を得ていると感じたからだ。

ならば、今ここで言ってしまうほうがいいだろう。


「タクト様」


「うん?」


「あの……とても恐縮なのですが、お子を産むに際して、私の体に付けられた奴隷紋を……外していただけたらと」


「奴隷紋?」


「はい……これ、この文様です。これの効果なのか分かりませんが、時々頭痛がしたりする事があるんです。

私はどうなっても構いませんが、お子に何か悪い影響があったらと思うと……」


「ああ、これ……まだあったんだ、うん大丈夫、消しちゃおう」


そう言ってタクト様が私の腹部に手をやると、その掌が一瞬光輝いた。

そう思った瞬間、私の体に刻まれた奴隷紋が、まるでガラスが割れるように甲高い音を立てて粉々に砕け散って消えていく。


「ごめんね、すっかり忘れてたよ。ルシアが僕を裏切る事なんてあるわけないのに……もう大丈夫だから安心して」


本当に何でもない、ちょっと忘れ物をしてしまったというような気軽さでタクト様はそう言い、そして笑った。


私は……正直この場でこの男を八つ裂きにしてやりたかった。


この半年間、タクト様の機嫌を損ねないように耐えに耐え。

タクト様の好みや性格を調査し、性癖を探り出し、それこそ何でもやった。

時にはむず痒くなるような甘い声を出し、時には娼婦のように男をねだった


いい歳をした中年相手に、まるで母親のようにかいがいしく面倒を見、どんな我儘にも応えてきたのだ。

子供が出来てしまったのは予定外だったが、私に拒否権などない以上妊娠はある程度避けられない。

それも覚悟して、情に訴えかける道具として利用したのだ。

ここから逃げたいという事を悟られたら終わり、念には念を入れて、考えられることは何でもやった。

それもこれも全てはこの一瞬のため。


それを……まるで肌に止まった蚊を叩く程度の気軽さで行ってしまうなんて。

しかも、ああ忘れてただって?

どれだけ私を馬鹿にすれば気が済むのだ。


このまま喉笛に食らい付いてやりたい気持ちをぐっと堪え、笑顔を作る。

ここで怒りに身を任せる訳にはいかない。

せっかくここまで来たのだ、もう私を縛るものは何もない。

我慢だ……あとほんの僅かの我慢……


私は引きつりそうになる顔を何とか抑えながら、タクト様と一緒に素晴らしい一日を演出し、何とか床に就いた。

さすがに妊娠が知れたので夜の務めは無かったが、タクト様が一晩中横で私のおなかを触っているのが無性に腹立たしかった。



――――



次の日

長い夜が終わると、私はまだ日も登らないうちに起きだし、いつもの家事を行う。

はやる気持ちを抑え、タクト様の食事を作り、掃除をし……これが最後だと思うと自然と心も軽くなるというものだ。


「ご機嫌だね、でも無理しなくてもいいよ、もう一人の体じゃないんだから」


気分よく鼻歌を歌いながら家事をしていると、後ろから声をかけられた。

この緊張感のまるでないぬぼっとした声……この半年間、私を事あるごとに苛立たせてきた声だ。


「ありがとうございますタクト様、でもこれは私のお仕事なのです。

タクト様が私を気遣って頂いているように、私も自分の出来ることを全てしてあげたいんです」


振り返って満面の笑みでそう返すと、タクト様はだらしない顔をしてウヘヘと笑う。


心にもない会話……一体何度繰り返してきたことだろう。

何度自分の心を押し殺してきただろう。

だけど、それももう終わりだ。



食事を取り、上辺だけの会話をし、笑い、頬を染め……

何度となく繰り返してきた作業を終えると、タクト様はいつものように出かける準備を始めた。


「それじゃあ仕事に行ってきます。

これからは少し仕事は抑えるようにするよ、大切な時期だしね、一緒にいてあげたいから……」


「ありがとうございますタクト様、でも私はそのお気持ちだけで充分幸せなんです。

タクト様には大きな使命がおありです。私は大丈夫ですから、今も困っている皆の為にお仕事を頑張ってください」


「はは、ルシアは本当に良くできた女性だよ……ゴードン侯爵の紹介で来る女性とは大違いだよ。

ありがとう、じゃあ行ってくる!」


玄関先で抱擁をし、キスをして送る。

ああ、鬱陶しい、早く私の前から消えてくれ。


ニコニコと笑顔でタクト様の姿が見えなくなるまで見送り……

その姿が見えなくなった瞬間、私は何度も練習した脱出のための行動に移った。





この日の為にタクト様におねだりして作ってもらった外行きの服。

派手過ぎず、みすぼらしすぎない、誰が見ても大して印象に残らない服に着替え、皮のバッグに金貨を詰める。

この日の為に少しづつ金目の物を換金していたのだ。

バレないように少し怪しい換金所を使ったのでだいぶ足元を見られたが、それでも獣人の里であれば10年以上遊んで暮らせる額が入っている。


「手荷物は最小限に……目立たないようにフードを被って……」


急いで身支度を整えていると、ふと視界の端にいつかタクト様に貰ったルナール草が目に入った。


「これなら荷物にはならない……」


私は反射的に鉢に植えてあったルナール草を引き抜き、バッグへ押し込む。

行きがけの駄賃としては上等だ。


そして準備が整うと同時に、屋敷の外へと歩き出した。


何度も開け閉めしてタクト様を送り出した大きな扉を開け、その先にある鉄の門を開く。

何度も繰り返してきた事だったが、今日は違う。

今日のこれは、私の解放の扉なのだ。

そう思うと僅かに心臓が高鳴る。


「これで……やっと!」


私は自分の足で屋敷の門を潜り抜け、久しぶりの外の世界に足を踏み出した。

自由を得た大きな喜びと。

お腹に感じる小さな重みに、ほんの僅かな不安を抱きながら。


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