破滅の歌が聴こえる
ついに大国が"デーモン"により壊滅状態となった。呼び名こそ異なれど、日本の"魍魎化"と同一の現象であるが、面積で圧倒的に日本を上回る国のほうが先に音を上げたのは、ひとえに霊的な力の差であった。彼の国にも霊能力者はたくさんいる。しかし、武器にスピリチュアルなパワーを付与するという能力が及ばず、通常兵器では歯が立たず、泥むばかりの戦闘は、やがて当然のように人間側の劣勢へと変化していった。
日本に比べ、攻撃的な"デーモン"ばかりだったというのも理由にある。
いずれにしても、彼の国はもう終わりだ。
大統領も、とうに亡くなっていた。
日本もいずれそのあとを追う。
もはや時間の問題で、その時間も数えるほどにしか残されてはいない。
決定打は、魍魎対策本部の壊滅だった。
その日、夜風不在の時間を見計らったかのような来客が訪れる。
彼女の同級生である目高島蛍子と名乗る少女がやってきた。すでに壊滅した学校の生き残り。いや、ほとんどの住民が魍魎と化した街の生き残り━━。
彼女自身も魍魎化する懸念はあったが、最早"その程度"の心配をする段階でもなかった。それに、いざとなればこの場所には武器がある。まだ、彼女一人をやるだけの武器が残されている。目高島が瞞着したわけでも、本部が騙されたわけでもない。そもそも目高島自身、そんなことになるとは露ほども考えてはいなかった。そして━━生き残りの彼女を追い返すこともできず招き入れた本部施設の中で、目高島蛍子は魍魎化した。
「くそがっ、だからオレは言ったのに!」どんな状況だろうとも、部外者を入れることに反対していた貝塚。しかし、このようなことになってしまった以上は、後の祭りだ。
ハンドガンで応戦する貝塚であったが、そんなものでは怯みもしない魍魎。つい先ほどまで目高島だったそれは、爆発的な増殖力で増えつづけ、あっという間にワンフロアを埋め尽くした。
霊能力者の何人かが犠牲となり、刀鍛治の工房も破壊された。
下階に追いやられた者たちは、脱出の道すら無くし、すでに命運は尽きたようなものだった。霊的な力ですら止まらない、魍魎は決壊したダムの水が如く溢れて下階へも到達すると、いかなる攻撃を受けながらも進みつづける。ダメージなどないようなもので、異常な増殖を繰り返す細胞は肥大するばかり。
どれだけの弾丸を消費しても、移動をつづける核を撃ち抜くことなど不可能だった。掠りもしない。
「ダメだって……こいつはもう、どうにもならねぇよ。夜風ちん、オレは━━」
魍魎に飲み込まれた貝塚の意識は、すぐに途切れた。
同時刻、息子の天馬を守りながら最後まで抗った三上春も、腕の中の息子ごと、魍魎の躰に飲み込まれた。夜風不在の穴は大きく、彼女以外の人間に、この地獄を打開する術はない。
最後の通信を終えた瀬戸クロエも、静かに目を閉じると━━激しい勢いで覆い被さるように襲い来る魍魎の波に沈んだ。意識が途切れる寸前、彼女の耳に歌うような声が聞こえた。それが実際の音だったのか、確かめることもできずに。もう二度と、光の届かない深淵へと沈む。
「まるで壊滅的な地震のよう……施設が沈むわ」
最も最後まで生き残っていた草加部蜜の体感では、建物それ自体が徐々に沈下していくような感覚があった。地下にある施設が、さらに地中深くへ沈みゆくような感覚。それをもたらしているのは、施設全体に広がった目高島蛍子の魍魎が原因だったが、彼女がそれを知る時とは、すなわち最後の瞬間を意味している。
そして実際に沈みゆく施設は、下へ下へと向かう魍魎の勢いによるものだった。
すでに地下深くへ到達した魍魎が地盤を削り、それにより部分的に沈下している。どれほど硬い岩盤をも削る化け物の体組織は、地中深くに根を張るように広がっていく。
魍魎の一部が施設の最奥に閉じ籠っていた蜜の元へと辿り着くのも、時間の問題だった。
やがて、ようやく見つけたかのように分厚い扉をぶち破って現れた魍魎が、次の瞬間には最後の生き残りを飲み込んでいた。
扉が破られてから草加部蜜の意識がなくなるまでは、ほんの一瞬の出来事だった。
こうして、最後の砦が陥落した。
もはやこの国に、魍魎を倒せる組織は存在しない。ただし、仮に存在したとしても、守るべき大地も人間も、もうほとんど残されてはいなかったのだが。
*****
まるで大森林の巨木のような魍魎が、地上を蹂躙していた。その密度は濃く、今ではもう生きた生物が歩けるだけの場所もない。それほどまでの地獄絵図と化した世界で、それでも抗い続ける一人がいた。
━━鹿守夜風。
足場もなにもない、魍魎そのものの上を跳び渡りながら、少しでも多くの斬撃を与えようと躰を動かし続ける。
すでに核など見えない。目に映らなくなったというわけではない。魍魎の核は、そのすべてが地中深くへと移動しており、地上を暴れまわる魍魎たちの中には、急所となる部分がなくなっていた。
これではさすがの夜風でも、どうにもならない。霞屍の霊力により、いくらかのダメージを与え、体組織を削ることはできている。だが、魍魎は核を破壊しなければ、消滅することはない。
血肉にまみれ、それでも止まらず━━。
血肉舞う夜の風の中、すでに誰のために何をしているのかもわからなくなった頃。
逃げ場もなくなりつつある夜風が、最後の居場所を必死で守る。
その眼前を━━魍魎の組織の中に浮かび上がった時雨の顔が通過する。刹那、あの女の声が届いた。
『あらぁ……まだ、そこにいたのぉ…………』
声は一瞬のことで、時雨の顔もすでにない。あの女も大地を埋め尽くす魍魎の一部となり、その体組織の中を流れているのだろう。まるで、血液のように。
振り回す刀で自分一人分の空間を守るのだが、これはもう、先がない。夜風自身、すでに大勢が決したことなど、とうに自覚していた。
わずかに躓く。弊履を足の動きだけで脱ぎ捨てて、ボロボロのソックスも半ば布切れと化している。それでも服だけはまだ無事で━━この期に及んで着衣のことを気にかけた自分がおかしくて。夜風はふふっと微笑った。
力が抜ける。体力の限界だった。
手からこぼれた霞屍が落ちる。
もう疲れた━━どこを見ても魍魎の躰しか見えないが、他に見るべきものもないのでそれを見る。
これは一体、なんなのだろう。
どうしてこんなことになったのだろう。
これが、この世界の最後の姿だなんて……。
わずかばかりの空間に魍魎が雪崩れ込み━━夜風の全身を、飲み込んだ。
うねる。
波のように。
世界すべてを覆い尽くす津波のように。
地上に存在する生けるものすべて。
あらゆる構造物。
海中に存在した生物。
大海の水も。
なにもかもすべてを、魍魎はその躰の中へと取り込んだ。
今まであった世界が、丸ごと魍魎へと置き換えられてゆくような、そんな工程だと、もしも観察する人間がいたのなら、思ったことだろう。しかし、そのような観察者はいない。
少なくとも、惑星の中においては。
*****
まるで胎児に逆戻りしたような。
母の体内で、血液の流れる音を聞いた。そんな覚えているはずもないような記憶さえ呼び起こす。温かく、しかし居心地の悪い、とても良くないものの中を流れている。
それだけはわかる。
(わたしは死んだのだろうか?)
目を閉じたまま。いや、目は開かず、躰も動かすことができない。呼吸もしていない。なのに、なんとなく感じる感覚はあった。
意識も━━そう、これはまだ、意識がなくなってはいない。それが判断できるようになると、夜風の頭は思考を始める。
(わたしはまだ生きている。でも、ここは魍魎の中で、外に出る方法はない。きっと、わたしが特殊な者だったから、完全には取り込まれず、取り込めずに、こんな状態になっているのだろう)魍魎の一部にはなりきっていない。なれないのかもしれない。
でも、だからといって、どうしようもない。
霞屍もなく。なにも武器のない夜風には、脱出する術がない。
魍魎の躰の中を、異物のように━━いや、異物そのものとして流されているのだ。
自分の現状を把握しても、それでどうにかなるわけでもなかった。
血液が流れるような、大地の鳴動のような、人々のざわめきのような━━音の中に、歌が聴こえる。
歌━━のような、微かな音が。
それが歌なのか、声なのか、あるいは空耳なのか、実際の音なのか。なにもわからない。わからないが、どこか悲しげな、まるで世界の破滅を嘆くような、そんな音に思えた夜風はこう思った。
これはきっと地球が上げた悲鳴なのだろう、と。
死にゆく世界のどこかで核の炎が上がったが、すでに世界そのものと化した魍魎にはほとんど影響がなかった。
空も海もすべて。
血と肉の塊のような細胞によって、満たされていく━━。




