霞屍
刀鍛冶・槙村の仕事場の隅で、夜風は待っていた。
使い物にならなくなった霞矩を渡すと、槙村は奥に消えた。「この刀が、これほどの状態になるとは……」と呟いて。
魍魎の肉を何度斬っても刃こぼれしないほどの名刀━━それが、ぼろぼろの、見るも無惨な姿に変わり果てた。その原因は、おそらく呪いの力だろうと、夜風は考える。凝縮されたような、濃密な怨念の力。時雨が投げた腕からは、それを強く感じていた。だからこそ、咄嗟に刀を手離してしまったのだ。
巻き込まれれば、自分の腕も危なかった。失っていたかもしれない。そして、半ば魍魎と化した躰ではあるが、再生するという保証はない。それに、夜風自身はそこまでを期待していなかった。人間の特徴を失っていないということもある。傷の治りが早いという自覚はあるが、しかし、ただそれだけであるという確信があった。
手や足を失えば、もう戻らない。
その危機感があるからこそ、気を抜ける瞬間などなかった。
槙村が戻った。
ただならぬ霊気を伴って━━。
それは、彼の持つ鞘から感じる。
とてつもない霊力が込められている━━刀。
霞矩と同じようなサイズだが、同じものでないことは直感で理解できた。
あの名刀よりも、上なのではないか。気圧されるように、そう思った。
「これが最後です」槙村は語った。「わたしらがご用意できるもので、これ以上の物はございません。これが最後のひと振りです」
手渡されるまま、夜風はそれを両手で持つ。瞬間、得も言われぬ気配と力……とてつもない濃度の霊的パワーが秘められていることを実感した。
意識を緩めればそのまま持っていかれそうな、そんな気さえする。圧倒的なその力は、人の手が造ったものでありながら、神をも斬れるのではなかろうかという錯覚を引き起こす。
魍魎の躰など、手応えすら残さぬだろう。
身に余る物ではないか━━そのような不安さえ覚える業物を手にした夜風に、槙村が言った。
「霞屍、そのように銘打ちました」と。
失ったことで手に入れた力。霞矩を上回る名刀・霞屍。それだけを見れば希望があるように思われる。しかし、世界の状況が好転する兆しは見えない。
瀬戸クロエによって呼び出しがかかった。
時雨の出現以降、各地の魍魎化事件は爆発的に増え続け、もはや夜風だけではどうにもならなくなっていた。逆に、出動する機会が減少するという状況になっている。
理由は、夜風の目である。
魍魎の核の位置を正確に見定められる人間は、依然として夜風ただひとり。故に、戦闘に駆り出すよりも、弱点把握のために従事したほうが効率的であるとの判断からだった。
夜風の目は、隔地の映像を通してすら、魍魎の核を見つけることが可能なのだ。
映像から核の位置を見つけて、伝える。現場の部隊が銃器などによって、それを破壊。現在のところもっとも有効かつ効率的な方法が、それだった。
ただし、魍魎の発生頻度が先頃までの比ではなくなりつつある今、霊力を付与した武器の生産も追いつかなくなりつつある。いずれ限界が訪れることは目に見えている。すぐに、弾切れになることはわかりきっていた。
弾丸のひとつひとつには携わらないはずだった阿闍梨の手すら借りているが、それでももう、足りなかった。
弾丸の数も、人員も、それなりにはいるはずだが━━魍魎の数が増えすぎている。
このままではいずれ、生きた人間のほうが少数派になるのではないかと予想されている。
しかもそれは━━かなり精度の高い予想なのだ。
止められなければ、増え続ける。
目下のところ、元凶と目されている時雨の打倒が夜風に課せられた最重要の任務であるが、なにしろ居場所がわからない。
見つけ次第、夜風が出動することになってはいたが、まだ、その時は訪れない。
オペレーションルームの扉をくぐり、夜風はクロエの元へと向かった。
*****
「夜風さん、その刀……」
「霞屍━━新しい武器よ。これが最後らしいわ」
「最後……ですか。あ、準備はできていますので、各地の映像からそれぞれ魍魎の核をポイントしてください。たくさんいます。今現在、全国8箇所で大規模な作戦が展開されています。すべて湖畔公園クラスの規模ですので、大変だと思いますががんばってください」
言われなくても、夜風がやるしかない。なにしろ、それが見えるのは彼女だけなのだから。
いかなるテクノロジーからも隠れる魍魎の核は赤外線や超音波など、どのような方法でも見つけ出すことができない。人間の力では、その正確な位置を割り出すことができない。
それに、一体ごと、場所が異なるのだ。そもそも魍魎の姿自体が千差万別ではあるが、それにしても一貫性のないばらばらな場所に、核はある。無闇に攻撃しても、弾丸の無駄に繋がるだけなのだ。
夜風は彼女のために用意された席に座ると、目の前のディスプレイを向く。
各地で銃を構える人たちの、その視点と同期した映像。そこから魍魎の核をポイントし、伝えるのだ。映像は次から次に送られてくるので、休む暇もない。次々に核の位置をポイントし、その情報を元に現場の人間が狙いを定める。
しかも加護が与えられた弾丸でなくてはならないので、その供給も大変だ。
夜風以上に休む暇もなくなった霊能者たちは、それでも諦めずにがんばってくれている。
自分たちの役割の重要性を、全員が等しく理解していた。あの悪徳霊能者・岸田でさえそうなのだから、他の人間など文句のひとつも言わずに従事している。
それでも、人間の体力には限界がある。
精神力を消耗する仕事であれば、なおのこと。霊能力者たちの限界も、そう遠くはなかった。
「魍魎化の報告は増え続けていますが、今対処できる限界を越えています。とりあえず今は、8箇所の作戦だけに限定します。もう少しですよ、夜風さん」
夜風は集中力を切らさずに、目の前の映像を追い続ける。
全国8箇所もの大規模作戦が数時間で終結した。言わずもがな、夜風の尽力があったからに他ならない。彼女の目がなければ、このようなスピード解決はあり得ないのだ。
発生したすべての魍魎化を解決したわけではない。あくまでも、極めて大規模な主要8箇所を掃討しただけに過ぎない。
だが、人も弾も限界だ。すでに他へ回す余力などない。
ここからは自分の仕事になるだろう。そう、夜風は思った。刀であれば、弾切れはない。
それに、普通の人間では危険過ぎる接近戦も、夜風にとってはどうということもない。
弾丸の心配がない武器に霊力を宿したものを使うこともあるが、普通の人間の場合、どうしても接近戦は危険なのだ。身体能力の優れた夜風とは違い、攻撃を受けた際に絶命する確率が非常に高い。動かない魍魎ならいいが、万一反撃を受けた場合、対処ができなかった。なので、銃などの遠距離武器が優先されるのである。
いよいよとなれば、近接武器に頼ることになるのだろうが━━その時は、仕方ないだろう。
「鹿守、国会議事堂内部に攻撃性の魍魎が発生した。最優先だ、すぐに出るぞ」オペレーションルームに駆け込んできた三上が、有無を言わせず告げる。
ただ、首都へ赴くには、それなりの時間を要する。それでも夜風が出動する必要があるのか、また、それまでに決着は着かないのか、疑問はあった。けれど、質問をしている暇もない。
三上のあとを追い、走るしかなかった。
*****
移動中に説明は受けたが、現場を見れば一目瞭然。
すでに国会議事堂は魍魎そのものと言ってもいいほどの状況で、一見して生きた人間が存在できる場所でないことが、すぐにわかった。
内臓のような太い触手が、建物のあらゆる場所から伸びている。
内部はすでに魍魎の躰で埋め尽くされているのだろう。当然、そこに生存者はおらず、大勢が犠牲となった結果が、今の現状だ。
近づくものがあれば、伸びた触手に食われてしまう。いくつかの核を遠距離から撃ち抜いても、わずかに触手が減るだけで、あまり変わりはない。核のほとんどは建物内部に集まっていて、しかも、手出しができない。
ゆえに、夜風の力が必要だったのだ。
「行きます━━」
「わかった。後方から援護する」
現場に到着するや、夜風が走った。
三上ら魍魎対策課の面々も射撃を開始したが、そもそも核を狙えない限り、根本的な部分を破壊できない。多少のダメージと、夜風のための隙をつくるくらいしか、役には立たなかった。
「はあああああーっ!」気合いとともに、新しい刀"霞屍"を構える。
その迸るような霊力の圧だけで、魍魎の躰が煙と消える。とてつもない力を自覚し、これならばいけると刀を突き出す。
それだけで夜風の前に道ができた。魍魎らの躰を貫き、剥き出しになった核を仕留める。
圧倒的なまでの力は、以前の"霞矩"にはなかったものだ。どれほどの霊力が込められたのだろう━━これは、霊能力者たちが託した最後の希望であるのだろう。
無駄にはできない。
そう思えばこそ、夜風の気迫は増して、獅子奮迅の勢いで魍魎たちの核を消し去っていく。
刀と、身体能力と、そして眼。この三つを併せ持つ夜風にしかなし得ない戦いにより、内臓の地獄と化していた議事堂が元の姿を取り戻す。
しかし、その大部分は破壊され、もはや通常の使用が困難な状態となっていた。
それでも国の━━世界の状況を見れば、たいした問題ではないと言える。
いつの間にか人類は、歴史の瀬戸際へと追いやられていた━━。




