化け物のいる教室
M県S市、葉御風神社。
魍魎化現象の唯一にして最新の対策部署がこの場所である理由━━それは、世界で最初の魍魎化が起きたとされる場所が、ここだからである。さらにはM県自体が、魍魎化事件の多発地域となっているという理由もある。
なにより、世界中でただひとり、魍魎化に抗うことに成功した少女・鹿守夜風がこの街の住人だったという理由が、一番大きい。彼女が最初に魍魎化した事例でこそないが、最初の人物と同年代だったということが、重要視されている。しかし、そこからなにかしらの解決法が生み出されたことは、今日にいたってもなお、なにもなかった。
セーラー服姿の夜風が地上階へのエレベーターを待っていると、運悪く、寝起きの貝塚に見つかってしまう。
できれば朝一番から会いたい相手ではなかったが、同じ場所で暮らしている限りは、どうしても避けられないことだった
「夜風ちん、今から学校かい? さすが女子高生。できればついて行きたいところだが、仕方ない。男子生徒には気をつけろよ、なんたって夜風ちんはスーパー美少━━あっ!」
勝手に喋りつづける貝塚を無視して、到着したエレベーターに乗り込んだ夜風は、無慈悲に「閉」のボタンを押した。悲しそうな貝塚の顔がすぐに消える。
*****
魍魎対策課の、さらにはその上の政府の方針なのだそうだ。
いわく、学生たるものすべからく勉強すべし。
わたしは学生なのだろうか。半分化け物のような自分が、勉強をする意味はあるのか。それらの疑問は夜風の中に常にありつづける、けして治らない熱病のようなものだった。
教室の一番うしろの席に座る夜風には、誰も声をかける人間はいない。それどころか、近寄ろうとする同級生さえ、皆無だった。
魍魎対策課が夜風の正体を知らせているわけではない。それでも噂というものは、どこからか必ず悪い虫のように涌き出してきて、気づいた頃にはそこいら中を這いずっている。
夜風の容姿だけは、男子生徒の視線を集めるものの、彼女に声をかけようと決意する者はなかった。好奇心よりも、得体の知れない存在への恐怖心が、彼らの中では勝っていたのだ。
移動教室があるということで、クラスメイトが誰もいなくなった教室。夜風はいつも取り残されて、一番最後に移動するのだが━━そんな彼女しかいない教室に、はじめて見る女生徒が足を踏み入れる。
なよやかな姿態で、どこか軟体動物を思わせるその歩き方は、夜風にとってすらも少し不気味だと思わせるものがあった。きっと、一般の生徒であれば、拒絶反応を示すのではないか、と予想した。
「すみませぇ~ん」と、野末で蛙でも鳴いたかのような声を発した少女は、くねくねと左右に蠢きながら、上目遣いに夜風を見つめる。
学校で、こんな風に声をかけられることは、ほとんどない。慣れない夜風はなんと返したものか困惑すると「なにか?」と短く声を絞り出す。
「鹿守さん……あのぅ」落ち着きがない、というよりは止まっていられるだけの筋力がなさそうなその少女は、ぐねぐねと動きながら話す。「わたしは一年の、目高島です。あのぅ、うちのお姉ちゃんは魍魎化して死んじゃいました」
「……………………」
━━だから、何?
内心ではそう思うが、口には出さない。夜風にとってはなんの感慨も湧かない、他人の不幸を教えられても悲しくも嬉しくもない。なぜそれを夜風に話すのかすら、理解できなかった。
「だから、きっと、そのうち、わたしも魍魎化すると思います。そんな気がします。鹿守さんは、そのぅ、一度は魍魎化したんですよねぇ?」
やはり、情報は漏れている。いや、最初から世間に拡散されていたのではないか。と、夜風は思う。誰もわざわざ夜風のことを言いふらす人間は、部署の内部にはいないだろう。それなのに世間一般の常識であるかのように、学校の誰もが知っている。今さら忘れてもらうこともできないのであれば、認めるより他にない。
「そうよ」と、夜風は短く答えた。
「どうやって元に戻れたんですか、なにか方法があるなら教えてほしいです」
その話か━━夜風はフッと息を吐く。
当然何度も聞かれた。あらゆる質問を受けた。様々な検査を行った。しかし、当人にも第三者にも、なにがどうなって魍魎化を防げたのか、その後に夜風が超人的な能力を獲得できたのか、それを解明し説明できる人間は誰もいなかった。
「わからない」
目高島の横をすり抜けると、夜風は教室を出ようとした。その前に、廊下の窓外を落下していく女生徒を目撃してしまった。
しかも━━その女生徒の躰は、落下の途中で首と足の細胞が爆発的に増殖して、上と下に長くなりながら落ちていった。
魍魎化だ。
誰かが屋上から飛び降りたに違いない。飛び降りる前に魍魎化がはじまったのか、飛び降りてからはじまったのか━━いずれにしろ、彼女はもう助からない。魍魎化したことで、ただ助からないばかりか、周りを巻き込む危険な化け物へと変貌した。
大人しいやつならいいけど━━わずかばかりの期待を胸に、夜風は階下へと向かう。
悲鳴が上がった。
一階廊下の、中庭側から逃げてくる女生徒を追いかけるように、長く伸びた大蛇のような魍魎が向かってくる。スピードは速く、女生徒の足を上回っている。口のような穴が開くと、内部に刺のような牙が覗き━━女生徒の半身を持っていった。そのまま速度を落とさずに突っ込んできた魍魎を、夜風は上に飛んで避ける。着地と同時に隠し持っていた短刀を抜き、魍魎へと突き立てる。進みつづける魍魎の躰は、横に長く傷ついていった。
公舎の壁を突き抜けた魍魎の先端が止まると、頭の部分が戻ってくる。夜風を標的と決めたように、また再び公舎の中へと突進をはじめた。
━━狂暴なやつ。
これほど猛然と暴れまわる魍魎は、ひさしぶりだった。そもそも、日中に魍魎化現象が起きること自体が稀である。だから狂暴なのか? 答えがどうであれ、短刀では分が悪い。核を見つける必要がある。おそらく、女生徒の本体にあるはずだ━━。
夜風は中庭へ向けて走った。飛び降りた女生徒の躰はそこにある。しかし後方から迫りくる魍魎の頭が、夜風を目掛けて襲いかかる。
すれすれでかわすが、わずかに触れて弾き飛ばされた夜風は、廊下の壁に叩きつけられた。
「くっ━━!」短刀がない。衝撃の瞬間、手元から失ってしまったようだ。
肩が痛む、足元も覚束ない。危機的な状況だが、時にはこんなこともある━━。
夜風の方に、再び引き返してきた魍魎が迫り━━しかし近づく前に、その長大な躰が嵐のような銃撃により集中攻撃を受ける。窓外から、ガラスや壁ごと撃ち抜かれた魍魎が動きを止めて、横たわった。
「大丈夫かよ、夜風ちん! 大丈夫なら今がチャンスだぜ」機関銃を持った貝塚の声が届くと、夜風はギリッと歯を食い縛り、動いた。
ちょうど進行方向側に転がっていた短刀を拾い上げると、中庭へと急ぐ。
大木のようになった元女生徒の躰が、まるで昔からそこにあったかのように存在していた。その周辺に、何人分かの壊れた躰が散乱している━━すでに犠牲となった生徒たちだ。
元々半分以上魍魎になったことのある夜風には、魍魎の核がわかる。はっきりと見えるわけではないのだが、どこにそれがあるのか、正確な位置を感じ取ることができるのだった。どのような種類のレーダーにも感知されない魍魎の核。その場所を的確に見抜くことができるからこそ、夜風は特別な存在だった。
「夜風ちん、刀いるかい?」
わざわざ夜風の愛刀・霞矩を持ってきてくれたらしい、貝塚。さすがに短刀では不便がある。特に体積の大きい魍魎に対しては不向きだ。なので、夜風は正直に有難いと感じた。
「ええ、ありがとう」素直に礼を言い、霞矩を受け取った夜風は、そのまま魍魎の核めがけて跳躍し、刀を深く突き刺した。
かすかに少女の声のようなものが響いた気もするが、誰の耳にも空耳程度に届いただけで━━魍魎となった少女はその躰を今度は煙へと変えると、高く、天に向かって消えていく。
夜風と貝塚は、その煙の行く先を見守るように、しばし立ち止まり空を見上げる。
魍魎こそ消えはしたが、犠牲となった生徒の遺体は残されたまま━━事後処理までをも含めてが、魍魎対策課としての仕事だった。夜風も自分と同じ制服を着た生徒の躰を、貝塚とともに運び出す。その様子を、生き残った生徒たちが観察していた。
━━もうここには居られないだろうか。
ふと、夜風はそんなことを考えてみるが、だとしてもなにも問題はないなと決めて、すぐに忘れてしまうのだった。




