想定外の言葉
その場を一通り見渡すと、カイルは一つ息を吐き出した。
視界に映る穏やかな寝顔に、耳に届くのは穏やかな寝息。
今は昼を少し過ぎたあたりの時間帯であり、即ち子供達の昼寝の時間だ。
そしてカイルは今まさに子供達を寝かしつけたところなのであった。
「ふぅ……ようやく寝てくれたか」
「……何よ? 言いたい事があるんなら言えばいいじゃないの……」
「いや、別にないんだが……」
拗ねるような声が聞こえ、カイルが苦笑と共に視線を向けると、クレアはむすっとした顔を見せていた。
おそらくは何の役にも立てなかったと思っているからなのだろう。
だがカイルの台詞は本音である。
それどころか――
「むしろ、手伝ってくれて助かったぐらいだぞ?」
既に幾度か述べたことではあるが、子供達の面倒を見るのはカイルの役目である。
そしてクレアの役目は、家事全般だ。
互いにやることがある以上は、たとえ手が空いていたとしても手伝う必要はない。
だが今朝の日課の最中に交わした言葉のせいか、誰かが泣いていればという話であったにも関わらず、クレアは家事の合間を縫って子供達の面倒を見るのを手伝ってくれたのである。
クレア自身は割とおっかなびっくりとではあったが、普段は中々遊んでくれないクレアが遊んでくれるとあって子供達は嬉しかったのだろう。
クレアにばかり構われに行って、こちらとしては助かった思いながらも、少し寂しさすら感じるほどであったのだ。
「寝るのをぐずってたのも、クレアともっと遊びたかったからだろうしな」
「そ、そう……? それならいいんだけど……」
こちらが本音を言っていると分かったのか、クレアは照れたように頬を染めると、一転そっぽを向いた。
それに苦笑を浮かべながら、さてと呟く。
「とりあえず、母さんとこに向かうか。少し待たせただろうしな」
「そ、そうね……少し急ぎましょうか」
以前にも述べたように、子供達が昼寝をしている時間とは、即ちカイル達がルイーズから授業を受ける時間だ。
しかしいつもは昼を食べ終わったらすぐにディック達は昼寝をしてしまうのだが、クレアともっと遊びたかったからか今日は中々寝てくれなかったのである。
ルイーズはいつも昼食を食べ終わるとそのまま授業の準備を行っているため、少し待たせてしまったに違いない。
カイル達は足早に、だが音を立ててしまわぬよう気をつけながら寝室を後にした。
そのまま廊下を進めば、大した時間もかからずに昨日も来た部屋が目に入る。
その前に立ち、適当にノックをすると、カイル達は勉強部屋へと足を踏み入れた。
「母さん、いる?」
途端に視界に広がったのは相変わらず殺風景な部屋ではあるが、椅子の一つはやはりと言うべきか埋まっていた。
座っていたのは改めて言うまでもなく、ルイーズである。
ただ、そこまではいつもと同じではあるのだが、今日は少し待たせてしまったためか、その手には本が持たれていた。
暇つぶしに何かを読んでいたのか、ワンテンポ遅れて、俯いていた顔が持ち上げられる。
「あら、少し遅かったわね」
そうしてそんな言葉を口にしたものの、その割にはその声は抑揚に乏しかった。
こちらに向けられた黒の瞳の中には、苛立ち一つ見つからず、まるでこうなることが予め分かっていたかのようである。
いや、というかおそらくは、昼食時の様子から実際に予測出来ていたのだろう。
昼食時もクレアはディック達の相手をしていたことだし、ルイーズはそういうところがあった。
勘が鋭いと言うか、分析能力が高いと言うか。
時折まるで未来でも見ているかのように、現在の状況から正確に先を予測することがあるのだ。
まあ今回のことを予測するのはそう難しいことでもなかっただろうが。
自身と同じ色のそれを眺めながら、それでも相変わらずだと思いつつも、一応言い訳はしておく。
「まあ、クレアが一緒に遊んでくれたからか、あいつらの寝つきが悪くてな」
「そう……それならば仕方ないわね。クレアもご苦労様。昼も思ったけれど、今日はよくやってくれてるわね」
「べ、別にっ……これぐらい当たり前のことでしょっ」
そう言いつつも、そっぽを向いたその頬が赤く染まっていることに、カイルは僅かに口元を緩める。
ここは外観はともかくとして、僅か六人しかいないこじんまりとした孤児院だ。
互いの役割がはっきりしていることもあるせいか、ルイーズはあまり褒めるということをしないのである。
クレアは慣れていないからどう反応していいのか分からず、それでも嬉しさは隠し切れないといった様子だ。
そのことを微笑ましく思いながらも、カイルもとりあえず座るかと椅子へと向かい――しかしそれは途中で止められることとなった。
もちろんと言うべきか、止めてきた相手はルイーズである。
「とりあえずここに集まったけれど、今日は別の場所に移動するわ」
「移動って……するのは別に構わないが、他に授業が出来そうな部屋なんてあったのか?」
確かにこの建物は、住んでいる者の数と比べ無駄にでかい。
孤児院だということを考えれば小さいよりはいいのだろうが、空き部屋だらけとなっているのが実情だ。
そしてあくまでも空き部屋であるため、ここ以上に殺風景であり、本当に何もない。
そんなところで一体何をするというのか。
「いえ、移動する先は他の部屋ではなく、外よ」
「は? 外?」
「外って……外の日は明日でしょ?」
「ええ、これまではそうだったのだけれど、これからは二日に一度は外で行うことにするわ」
「何でまた?」
「あなた達を魔物と戦わせることに決めたから、よ。今のままのペースで鍛えていたのでは、いつになるか分からないもの。そのことは、あなた達自身が一番よく分かっているでしょう?」
それは確かに、その通りであった。
一昨日はギリギリもギリギリのところで勝てたのであり、ほんの少し何かが違っていたら、どちらか……いや、両方が死んでいてもおかしくなかったのだ。
相変わらずカイルの加護はうんともすんとも言わない以上は、次も上手くいくとは限らない。
しかもカイル達が望んでいるのは、本来魔物と一人で戦うことなのだ。
今のままでは、どう考えてもそれは不可能である。
そのことはクレアも分かっているらしく、悔しげな顔をしながらも黙って頷いていた。
「理由は納得したが、外に行くんならリンダさんに話をしとく必要があるんじゃないか?」
「既に話しておいたわよ。もう少ししたら来てくれると思うわ」
「そりゃまた手回しがいいこって」
「……でも、それってリンダさんがいい加減大変なんじゃないの? 元々三日に一度でも楽ではなかったでしょうし」
「ああ、確かに。俺達が何か返そうにも、返せるもんってないしな」
「その心配は無用よ。あなた達が魔物と戦えるようになるための変更って言ったら、喜んで引き受けてくれたもの。魔物と戦えるようになってくれるなら、見返りはそれだけで十分とも言っていたわよ?」
「あー……そうか、そういったことも見返りになるのか」
この村に住んでいる人達は、その大半が農民だ。
そのおかげでカイル達も飯を食う事が出来ているわけだが、代わりとばかりにいざという時に戦力となる人はほぼいない。
狩人が一人だけいるが、その人は野生動物専門なのだ。
さらには正面から戦って勝てるほどの戦闘能力はないため、魔物を相手になど出来るわけがない。
そんな状況にも関わらず、この村から徒歩十五分ほどの場所には魔物が出現する森があるのだ。
森の奥から出てくる事がないとはいえ……万が一ということを考えれば、魔物を倒すことの出来る者が誕生するということは心の安らぎを得るためにも対価として十分なのだろう。
「……でも、それだけで見返りとして十分だとは思えないし、他にも何か考えた方がいいかもしれないわね」
「ふむ……魔物と戦うためにはどうせ森の奥に行く必要があるんだから、帰りに適当な獣でも狩って戻るか? 魔物を倒せるようになれば、さすがにそこらの獣に負けることはないだろうしな」
「今からそういうことを考えるのもいいけれど、せめてまともに戦えるようになってからにしなさい。ともあれそういうわけで、戦闘訓練は二日に一度にしようと思っているのだけれど、異論はないわね?」
あるわけがなかった。
まだまだ知識が足りていないという自覚はあるものの、やはりまずは十分な力がなければ冒険をすることは出来ないのだ。
魔物と戦うための力を鍛えてくれるというのであれば、否やなどあるわけもない。
どうやらクレアも異論はないようであった。
まあクレアも魔物と戦いたがっていたわけであるし、その方向を優先してくれるというのならば問題はないのだろう。
と、そこでふと気付く。
そういえば、クレアが何故魔物と戦おうとしているのかを聞いた事がなかった、ということをだ。
そもそもクレアが魔物と戦いたいと思っているということも先日までは知らなかったのだから、当然なのかもしれないが。
だが不意に頭を過ったその疑問を、カイルはクレアに尋ねることは出来なかった。
その前に――
「ああ、そうそう、これからは授業内容の方も変えるわよ? 今日からは、二人で模擬戦を行ってもらうことにするわ。二人とも真剣に、相手を殺すつもりでやること。いいわね?」
「……は?」
ルイーズがそんなことを言ってきたからであった。