カイルと加護
それほど広くはない部屋の中に立ちながら、ルイーズはその場を見渡した。
殺風景な部屋だ。
机が二つに椅子が三つ。
必要最小限の物しか置かれていない、勉強部屋であった。
とはいえこれはルイーズの意向というよりは、単純に物を仕入れる事が難しいからだ。
何せルイーズ達の住んでいるこの村は辺境も辺境の村であり、どれほど辺境なのかと言えば、行商人すらも訪れないほどなのである。
もっともそれには別の理由もあるのだが……周囲に他の村もないため、必要最低限の物しか元々手に入れることは出来ない。
村人の大半が農家を営んでいるため食料に関しては問題ないが、その他の物に関しては期待するのが間違っているというような状態なのだ。
それが故の有様、というわけであった。
まあ、他の物が手に入れられたからといって、この部屋に並んでいたかどうかに関しては、また別の話となるわけだが。
ともあれ。
「さて……それでは先ほども言った通り、加護についての詳しい話をしましょうか」
大人しく座ってこちらの話を聞いているカイル達のことを眺めながら、とはいえさてどうしたものかとルイーズはその胸中で呟いていた。
詳しい話をするのはいいのだが、詳しく話をしすぎるとカイルに気取られてしまう可能性が高い。
そのうち話をするつもりはあるものの、さすがにまだ早すぎる。。
問題はないとは思うものの、警戒をしておくに越したことはないのだ。
せめてカイルが魔物と戦えるようになることが最低限の条件だろう。
最重要国家機密というものは安くはないのだ。
頭の片隅でそんなことを考えながらも、ルイーズは既に話の切り出し方について結論が出ていた。
というか、それに関しては最初からほぼ決まっていたとも言うが――
「とりあえず先ほどのおさらいになるけれど、加護とは神々からの祝福とも呼ばれているわ。これはいいわね? そして加護というものが具体的にどういうものなのかということを知るためには、その理由を知るのが最も早く、つまりはそう呼ばれているのには何らかの意味があるということになるわ。さて、ではその意味とは何なのか……いえ、もっと言ってしまえば、神々からの祝福とは何なのか、ということだけれど……これについて、カイルはどう考えているかしら?」
開始早々の質問。
しかしそれに対して、カイルは不満などを向けてくることはなかった。
むしろ、なるほどそうきたかとばかりに考え込み始める。
それは予想通りというか、狙い通りであり、またいつも通りの反応だ。
カイルはただ一方的に情報を与えられるよりも、こうして自分で考えることを好む傾向にある。
ルイーズはそれを知っているし、それによってカイルの認識の程度を知る事も出来るので、授業の始まりは割とこんな感じでルイーズの質問からとなることが多いのだ。
そして慣れているが故に、カイルが思考から戻ってくるのも早い。
考え込むように俯いていた顔がすぐに持ち上げられると、その口が開かれ――
「ふーむ、神々からの祝福……神から与えられた力ってのじゃそのまますぎるから、いっそ神の権能の一部とか、そんなんか?」
そうして発された言葉に、ルイーズは一つ息を吐き出した。
それが正解だったからである。
確かにカイルには神というものがどういうものなのか、ということを既に教えてはいた。
神々は世界の創造者であり、世界の管理を行う者でもあることや、神々は権能と呼ばれる力を振るう事が出来、それは世界の法則そのものであることなどを、だ。
だからその答えに至れたところでおかしくはないのかもしれないが……それでもルイーズの息に含まれていたのは、呆れ交じりの感心であった。
相変わらずだと、そう思ったのである。
「……とりあえず、カイルの言ったことで合っているわ」
「お、当たってたか」
「なんていうか……本当にアンタは相変わらずよね。何でそれが分かるのよ」
「何でって言われても、ただの勘だしな……あと、相変わらずとか言われても、特に心当たりはないんだが?」
そう言って首を傾げたカイルは、おそらく本気で言っているのだろう。
今までに何度か似たようなことがあったが、その度に同じようなことを言っていることを考えれば間違いない。
クレアがそんなカイルに溜息を吐き出したのも当然のことであるし、正直ルイーズとしても似たような心境ではあった。
そもそもの話、神のことからして本来は八歳児にするような話ではない。
当然だ。
世界の管理やら法則やらの話をしたところで、理解出来るわけがないのだから。
しかも正確に言うならば、その話をしたのはカイル達が三歳の時である。
尚更理解出来るわけがなかった。
だがカイルは間違いなくその全てを理解しているし、さらには今の話だけであっさりと神々からの祝福の意味に辿り着いたのである。
最早呆れる以外に出来ることはなかった。
しかしそれをルイーズが深く考える事がなかったのは、慣れたからである。
こんなことはカイルを相手にしていればよくあることなのだ。
それに、難関と呼ばれ成人した者でも理解出来るのは極一部と言われるような高等学院の授業内容を理解した上で意見を述べた時に比べれば、まだマシであった。
それでも、ルイーズはこういうことがある度に、カイルのことを再認識するのである。
やはりカイル・ハーグリーヴズは天才である、と。
だがその上でも、やはり昨日のことは予想外すぎるものではあったが――
「んー……それにしても、ってことは、昨日のクレアのアレも権能ってことか。剣が光ったり馬鹿力になったりする権能……馬鹿力の権能、か……?」
「何でよ……! っていうか、どんな権能よそれ……!? そもそも剣が光るって要素はどこにいったのよ!?」
「馬鹿力過ぎて剣が光った」
「光るわけないでしょ……!」
そんな風に騒いでいる二人を――主にクレアが、ではあるが――眺めながら、ルイーズは昨日のことを改めて思い出していた。
カイルが加護持ちだということは、本当に予想外だったのだ。
ルイーズがカイルが加護を持っているかもしれないと考えなかったのは、単純にその希少性ゆえである。
クレアを見つけた時、偶然同時期に見つけた赤子にも加護があるなどと考えるのは、普通では有り得まい。
あるいは、それこそカイルならば考えたのかもしれないが、それは無意味な仮定である。
凡人なルイーズでは考えることすらなかったというのが現実なのだから。
とはいえ、カイルが加護持ちであるということは確かに予想外ではあったが、そのことをルイーズが意外だとは思わなかったのは、これまでの積み重ねがあったせいだろう。
こんなことは初めではないし、むしろよくあることなのだ。
そんなことは、カイルに初めて授業を行ってみせた時から知っていた。
「さて、二人の仲が良いのは知っているから話を進めるけれど、加護は権能の一部であるが故に、発現する力には差がある……というのは、改めて言うまでもなさそうね。あなたの先ほどの言葉は、間違いなくそれを理解したものだったもの」
「まあ神は沢山いるってのに、加護を与えるのが一柱だけってのは考え辛いしな。その上で、神の数だけ権能があるってことを考えれば、自然とそういう発想に至るだろ? そもそも加護の効果は千差万別ってのは既に聞いてたし、一部ってことは、同じ神の加護を与えられても、違う効果が発揮されるってこともありそうだしな」
「……これから話そうとしたことを、先に言われてしまったわね」
「……だから何であんたはそんなことが分かるのよ。アタシがこの話を聞いた時にはまったくそんなこと思いつかなかったんだけど?」
「って言われてもな……それはクレアだからなんじゃないか?」
「どういう意味よ……!?」
その言葉は冗談ではあったのだろうが、同時にカイルの本音でもあったのだろう。
カイルはクレアのことを、歳の割には聡明で早熟気味な娘、などと考えている節があるからだ。
だがそれは明確に間違いである。
実際のところ、クレアもまた一般的には天才に分類される存在だからだ。
その精神年齢は既に成人と大差なく、それは知恵や知能といった点においても同様だ。
加護を授けられた者は、精神が早熟となる傾向にある、などと言われているとはいえ、それで説明が付かない程度にはクレアは天才なのである。
しかしカイルからすれば、そんなクレアですら多少早熟気味な八歳児でしかないらしい。
だというのに、何故かカイルは自分のことを平凡としか認識していないから妙な齟齬が発生するのだが……だからこそ、ルイーズは昨日二人で魔物と戦わせて見せることにもしたのだ。
ルイーズは、カイルとクレアに授業という形で様々な知識を与えている。
だが本来それは、クレアのためだけに行われるものであった。
クレアを基準とするため、カイルについてこれるとは思っていなかったのだ。
それを始めたのは今から五年前なのだから、当然ではある。
三歳児に、世界の成り立ちなどが理解出来ると思うわけがない。
しかしカイルは、それを理解してみせた。
先に述べたように神々の話や、その先の話まで。
それこそ、クレアですら理解できないようなことまで、だ。
当然と言うべきか、それは完全な予想外であった。
そもそもカイルをその場に加えたのも、最初はクレアのためでしかなかったからだ。
カイルはそれを行う前の時点で、多少の片鱗を見せていた。
早熟という言葉では済ますことの出来ないほどの、成人もかくやとばかりの言動。
それはクレアに若干の劣等感を抱かせるほどのものであり……だがだからこそ、利用できると思ったのだ。
カイルは理解出来ず、クレアだけが理解出来るのであれば、クレアは自信を持つことが出来、またやる気になるだろうと。
その目論見は、半分だけは成功した。
確かにクレアはやる気にはなってくれたからだ。
ただし、自信に関しては先の理由により不可能であったが。
そしてそんなことがあったからこそ、二人で魔物と戦わせたのだ。
今度こそ、クレアに自信をつけさせるために。
それが今後のクレアには、必要だと思ったから。
あのカイルが手も足も出ず、そんな相手にクレアは多少なりともやり合う事が出来る。
そのことが分かれば、それは自信に繋がるはずであった。
そうしてカイルには魔物と戦わせることは諦めさせ、クレアは実力をもっとつけてから、とするつもりだったのである。
そう、まだというあの言葉は、本来クレアのみとはいえ、言うつもりの台詞ではあったのだ。
カイルにも告げている時点で、目論見は再び崩れているわけだが。
まったく以て、カイルは相変わらず予測の出来ないことばかりをしてくれるものである。
「で、ところで、結局クレアに加護を与えたっていう神は一体何の神なんだ?」
「そうね……ちょうど今その話をしようと思っていたのだけれど、基本的にはどの神が加護を与えたのか、ということは分からないわ。というよりは、それが分かるのならば、加護に目覚めたのに気付かないということはないでしょう?」
「ふむ……言われてみればその通りだな。ということは、加護によってどんな力が使えるようになるのかってことも、自分で色々試す以外に知る方法はないのか」
「そういうことね。まあ、神の力の一部ということもあって、分かっていないことも多いもの」
「なるほど……ああ、ところでクレアに聞いてみたいことがあったんだが、加護の力ってどうやって使ってるんだ?」
「どうやってって言われても……説明するのは難しいわよ? どうやって手を動かしてるのか、って聞かれているようなものだもの。アンタだって分かるでしょ?」
「いや、それが分からなくてな」
「分からない……? 分からないってどういう意味よ?」
「そのままの意味だぞ? 加護の話を聞いてから実はずっと試してるんだが……まったく加護の力とやらを使える様子がなくてな」
「……は?」
カイルの言葉に、呆然といった顔をクレアは見せたが、ルイーズも似たような気分であった。
そんなことを聞いた事がなかったからだ。
加護に目覚めた者は、以降その力を自在に使えるはずなのである。
クレアが言っていたように、まるで手を動かすが如く、当たり前のように。
ルイーズ自身は加護を持ってはいないものの、話を聞く機会は幾度もあった。
今は数えるほどしかいない加護持ちだが、昔は違ったのだ。
そして話を聞いた全員が同じことを言っていたので、加護とはそういうものなのだと思っていたのだが――
「……嘘、というわけではないのよね?」
「こんなことで嘘吐いたところで意味ないしな」
「それもそうね……」
カイルの夢のことを思えば、逆ならば有り得たかもしれないが、わざわざ加護の力が使えないなどと嘘を吐く意味はない。
何よりも、加護でなければ有り得ないような動きをルイーズは既に見ているのだ。
最後、角ウサギの攻撃を受け止め、動きを止めたのだって、本来のカイルでは不可能だろう。
だから事実なのだろうが……これは困ったものである。
「……まあ、元々あなたの加護の力がどういうものなのかは、よく分からないものだったもの。これから調べていくつもりではあったから、それと平行して何故あなたが加護の力を使えないのかということも調べていきましょうか」
これから調べていくつもりだったというのは本当だ。
色々な加護持ちを見たことのあるルイーズでも、カイルがどんな加護を授かったのかはよく分からなかったのである。
故に検証をするつもりではあったのだが……それでも、予定通りというわけにはいかなそうであった。
カイルが加護の力を使えることを前提として先のことを考えていたのだが、それもまた考え直す必要がありそうだ。
しかも加護持ちであることは間違いないのであろうから、余計複雑になりそうである。
確かなのは、結局やることが多いことに違いはないということか。
カイルの加護の検証は一先ず必須であるし、クレアもやる気は刺激されたようだが、いい加減何らかの形で自信をつけさせないとならないだろう。
そのうちカイル達を魔物と戦わせることを決めた以上は、戦闘の仕方もそれに沿った方法を教える必要がある。
ただそれに関しては、ルイーズでは力不足だ。
知識はあっても、ルイーズに魔物との戦闘経験はあまりないのである。
それでも教えられないことはないものの……やることが増えたことも考えれば、そろそろ彼女を呼び寄せるべきかもしれない。
本当はもう少し後で呼ぶ予定ではあったが、言っても仕方のないことである。
そうして先のことを考えながら、ルイーズはそっと溜息を吐き出す。
本当にカイルは、こちらの思う通りにはならない。
だがあるいは、自分達に本当に必要なのはそういうことなのかもしれないと、加護の力が使えないというのに気にした様子を見せないカイルの姿を眺めながら、ルイーズはそんなことを思うのであった。
その場を見渡しながら、カイルは一つ息を吐き出した。
視界に映っているのはディック達の寝顔だ。
たった今寝入ったところであり、既に外は薄暗く夜となっていた。
授業を終えてからすぐにディック達は戻ってきて、そこからはいつも通りディック達の面倒を見ている間にあっという間に時間が過ぎていったのだ。
夕食も終えていて、あとはカイルも寝るだけである。
カイルの精神状態はともかくとして、この身体は一応まだ子供なのだ。
まだ夜になったばかりではあるが、子供の面倒を一日中見た後で起き続けるのはちょっと厳しかった。
それでもまだ眠気が来ないのは、昼間ディック達の面倒をリンダに見てもらっていたのと、今日聞いた話が色々と興味深かったからだろう。
加護。
神々の祝福とも呼ばれ、神々の権能の一部を与えられ、使えるようになるという力。
まあ、カイルはまったく使える気配がないのだが。
昼間ルイーズ達に話したことは嘘でも冗談でもなかった。
話を聞いてから何度も試そうとしたのだが、あの感覚を覚えることはなく、何の変化もなかったのである。
クレア曰く、本来ならば身体の一部を動かすように、当たり前のように使えるとのことだから、何かがおかしいのは確実だろう。
だがぶっちゃけた話、カイルはそのことはあまり気にしていなかった。
確かにあの力が自在に使えれば夢に近付くことは出来るのだろうが、別に使えないからといって近づけないわけではないのだ。
検証してくれるというのであれば否やはなかったが、個人的にはどちらでもいいのである。
しかしそれはそれとして、興味深い話であったことに変わりはない。
今までも度々思っていたことだが、如何にも異世界然といった話であったこともあり、大いに好奇心を刺激されたものだ。
もっとも、何となくルイーズやクレアは何かを隠しているような気配もあるのだが……どうでもいいと言えばどうでもいいことではある。
以前からそんな感じを時折覚えていたこともあり、今更であった。
それに別に嫌な感じはしないので、彼女達にも色々あるということなのだろう。
カイルだって前世の記憶のことなどは結局話していないし、これから話す予定もない。
話したところで意味がないからというが理由の大半だが、秘密を持っていることに違いはなく、ならば他人を糾弾する資格などあるわけがないのだ。
そんなことを考えながら、カイルは横になった。
眠気はまだ来ていないが、眠くなくとも明日は来るのである。
ちなみにここは見ての通り寝室だが、クレアの姿はない。
クレアには別の部屋が用意されているというわけではなく、家事をやっているからだ。
おそらくは今は食器を洗っているところだろう。
それを悪いなとは少し思うが、代わりにカイルはディック達の面倒見ているのである。
先に寝るのも、何だかんだでそれだけ体力を使うからだ。
そんなどこか言い訳めいたことを考えながら、目を瞑る。
前世の記憶を認識出来るようになったのは既に昨日のことだが、明確に眠ると意識するのは今が初めてだ。
自然と昨日と今日の出来事が頭を巡る。
結局夢に近づけたのか、近づけなかったのか分からないような二日間ではあったが……まあ、いつも通りと言えばいつも通りだ。
カイルは変わらずに、夢を諦めずに進むだけである。
そんなことを考えている間に、気が付くと睡魔が忍び寄ってきていた。
さて明日はどうなるのやら、などと思いながら、カイルの意識は夢の中へと落ちていったのであった。