冒険の始まり
何かがあったのだろうな、ということを察するのは、カイルには難しいことではなかった。
たかが一月、されど一月。
共に過ごしたその時間は濃いものであり、その程度のことが察せないわけがないのだ。
だがそれはそれとして、事実はそこに横たわっている。
どんな事情があって、何があったのだとしても、ナナが自分達を裏切ったことに変わりはないのだ。
何をどう察してみせたところで、全ては後の祭り。
対話は既に試みた。
けれどその甲斐はなく、今もこうしてスケルトンやゴースト、それにあの龍を模した何かは襲い掛かってくる。
そこに問題はない。
スケルトンやゴーストなど、腕を一振りするだけで纏めて数体、上手く狙えば十体以上を倒せるのだ。
どれだけ数がいたところで問題になるわけがなく、あるいはあるすれば、それは徒労に似た思いを抱くことか。
そして龍モドキに関しては、論外だ。
確かにでかいが、それだけ。
威力も速度も、何もかもが龍と比べるのすらおこがましいほどであるし、そもそも動きがどう考えても戦闘に慣れたもののそれではない。
それに大きいということは、それだけ攻撃を与えるのが容易だということだ。
龍は大きくとも、素早く、また鱗が信じられないほどに硬かったがために、大きさが欠点足りえなかっただけである。
骨という脆いもので出来ているアレは、ただ弱点を晒しているだけであった。
故に……あとはもう、時間の問題だ。
時間が経てば経つほどにアレは不利になっていき、やがてティナの救出は叶うだろう。
それがアレの……ナナの最後である。
「……悪く思うなよ。俺ではお前を救えない」
言葉と共に、周囲のスケルトンを消し飛ばし、また一歩終わりへと向かう。
この事態の、カイルがナナと名付けた少女の。
カイルではナナを救えない。
裏切りの代償などと嘯くつもりはなく、ただカイルの身勝手な都合で切り捨てるだけだ。
何かがあった結果こうなったのが分かっても、その理由を知りようがなければどうしようもない。
何よりも、天秤に載っているのは自身とナナではない。
ティナとナナだ。
であるならば、救助が可能と思われる方を選び取り、そうでない方が切り捨てなければならないのである。
冒険に憧れた。
今も憧れている。
けれど、冒険と無謀は同義ではない。
その先にあるのが自己満足では、冒険と呼ぶことは出来ないのだ。
ティナとナナとを天秤に載せ、ナナを選ぼうとする行為など……ああ、許されるわけがないだろう。
だから、カイルはナナを見捨てる。
思考の果ての当然として、そこにどんな理由と想いと願いがあるのだとしても。
カイルの手で、カイルの意思で以て、ナナをここに『斬り』捨てる。
ティナは嘆くだろう。
責められるかもしれないし、恨まれるかもしれない。
それを受け止めるその覚悟は出来ている。
……いや、本当は嘘だ。
そんなもの出来てはいないし、したくもない。
何が悲しくて仲間を、友人を殺さねばならんのか。
まだ話し足りないことは山ほどあった。
聞き足りないことは数え切れないほどであり、共に見てないものは多すぎる。
旅の終わりはいつか訪れるものだとしても、これはあまりにも突然に過ぎるだろう。
だが、それでも――
「……お別れだ」
――至高天の加護・異界の理・熟練戦闘・剣術特級・絶対切断:一刀両断。
ゴーストとスケルトンを纏めて腕の一振りで消し飛ばし、そこに振り下ろしてきた龍モドキの前足へと、剣先を跳ね上げる。
読み易すぎだ。
――至高天の加護・異界の理・熟練戦闘・剣術特級・絶対切断・疾風迅雷・連撃:紫電一閃。
振り抜いた瞬間、前足のみならず、その根元までがごっそりと消失した。
『――――――――!!!!!!!!』
骨でも痛みはあるのか、あるいは怒りの咆哮か。
骨が軋み、擦り合う音が、絶叫の如くその場に響く。
どうやらアレは全体の骨を融通しあっているらしく、消し飛ばした箇所がすぐに元に戻るが、それは体裁を整えただけであって、再生したわけではない。
つまり全体的に見れば、確実にその密度は低く、脆くなっていっている。
そして、ティナが中に囚われているというのに、カイルがそれを何の遠慮もなく攻撃している理由は、単純にして明快。
「いいのか? そこまで薄くして。そろそろ、届くぞ?」
――至高天の加護・異界の理・熟練戦闘・剣術特級・絶対切断:一刀両断。
言った瞬間、振り抜いた剣撃によって生じた衝撃により、それの胸部部分が一気に削れた。
ティナが何処に囚われているのかは、最初から何となく分かっていたのだ。
それなのにすぐに救出しなかったのは、自身の一撃がアレにとってどれほどの痛手となるのかが分からなかったからである。
だからやりすぎてしまうことがないように、まずは周囲のスケルトンなどで試しながら、多少やりすぎても問題はないと思われる腕に対してしばらくは試していたのだ。
だがそれも、もう終わった。
龍モドキの全体的な骨の総量も検討が付いたし、例え密度を高くしたところで――
『――――――――!!!!!!!!????????』
「……言ってるそばから、か」
胸部部分が元に戻ると同時、明らかにそこの密度が増していた。
しかしそれはもう、大事なものをそこに隠していると言っているも同然だ。
まあ、それは知っているので今更ではあるのだが……そんなことをするぐらいならば、ティナの位置を移動させるべきであった。
そうすれば、こっちも迂闊には攻撃出来なくなっただろうに。
アレからは確実にナナの意思を感じるため、ティナを盾にすることこそないだろうが、それでもこちらの手が滑り誤る可能性はある。
だからその場合、こちらの腕は自然と鈍らざるを得ないのだが――
「……あるいは、あっちも誤る可能性を考えて……いや、言っても詮無きことか」
結局のところ、結果は変わらない。
少し強めに腕を振り抜き、その場に一瞬の空白地帯を作り出す。
それは本当に一瞬で埋められてしまったが、それで十分だ。
――至高天の加護・異界の理・熟練戦闘・剣術特級・絶対切断:一刀両断。
続けて振り抜いた斬撃によって、密度を高めたはずの胸部が、先ほど以上に大きく削られる。
そして狙い通り、そこからは白い髪を持つ少女が顔を――
「ティナ、もうちょっとだけ待っててくれ。すぐに――」
「――カイルさん、助けてください!」
こちらの言葉を遮るように叫ばれた言葉に、カイルは一瞬、剣を持つ手に力がこもった。
即座に龍モドキの胸部が元に戻り、ティナの顔が見えなくなる。
だがその直前で、カイルは確かに頷いてみせた。
その言葉に。
そこにあった意図に。
あれは、救助を願うものではなかったのである。
嘆願だ。
彼女を助けてあげてくれと、友人の救出を頼むものであった。
ティナとナナ、両方を助けるのを最初から断念していたのには、理由がある。
ティナとは違って、ナナは何故だかアレ全体に気配が散っていたのだ。
あの中の何処にいるのかを特定するのは、ほぼ不可能であった。
一縷の望みを賭けて、ティナのローブの中に変わらずいてくれることを願っていたが、それは叶わなかったようである。
一瞬だけ見えたそのローブには、穴が空いていたのだ。
小さな、ビー玉程度のものがそこから転げ落ちたような大きさの穴。
既にあそこにはいないのは間違いないだろう。
というか、あそこにいるのであれば、ティナもわざわざ嘆願などすまい。
つまりナナを助けるということは、アレの中からあの小さな球体を探しだすということである。
それ自体ほぼ不可能であるし、さすがにそうなればティナも無事で済むとは限らない。
ナナの意思を感じたところで、どんな状態にあるのかは分からないのだ。
いざとなれば、という可能性を考えておくのは当然である。
だから、最初からどちらかのみとしか考えていなかった。
そして結論は、先に述べた通りである。
……ああ、だが――
「……頼まれたってんなら、仕方がないな」
口元を苦笑の形に歪めながら、呟く。
ティナがあそこで何を感じて何を考え、嘆願してきたのかは分からない。
さすがのカイルもあの一瞬でそこまで読み取るのは不可能だ。
しかしそれでも、彼女が本気でそれを願ったことぐらいは分かる。
それは確かに、無謀だろう。
犠牲の上でしか、この先の道は存在しない。
そんなことは分かりきっていることであり、ならばこれは不可能への挑戦だ。
では諦めるか?
否。
否である。
それは確かに無謀ではあるが、頼まれた末でのことであるならば、また別の意味を持つ。
そこにあるのが自己満足ではなく、その先に確かに意味があるのならば、それは十分冒険足りえるのだ。
それは屁理屈だろうか?
――ああ、その通りである。
だがだからどうした。
それでも、理屈は成った。
自分すら騙せない下手くそな嘘を吐く理由はもうないのである。
無謀?
不可能?
――望むところだ。
何故ならば……それこそが、真の意味での冒険だろう。
出来ることをやるのは冒険ではない。
出来ないかもしれないことを、不可能と思えることをやるからこその、冒険だ。
そして何よりも、それを成し遂げるからこその、冒険である。
絶望も諦観も犠牲も、全ては必要ない。
その先にこそ、望んだものはあるのだから。
故に、今こそ告げよう。
自分達の望みを叶える、その決意表明として。
――さあ。
「――冒険を始めようか」
目を爛々と輝かせ、口元には笑みをたたえながら、少年は冒険へと足を踏み入れたのであった。




