大規模転移
大規模転移とは、転移するモノの大きさや数、重さを表す意味での大規模ではなく、距離としてのそれだ。
転移とは空間に干渉するものであるため、基本的には距離が離れていくほどに難しくなる。
特に大陸間での転移となると、不思議と安定しないことが多く、通常の転移ではほぼ不可能だ。
それを可能としたのが、大規模転移、というわけである。
「まあ、正直予想通りだけどな」
「そうですね……転移を経験する前でしたら分かりませんでしたが、試練の間へと行くのに転移を経験したばかりでしたし」
『まあ、ですよね。むしろ予想されていなかったら驚きです。ですが、それでもお楽しみいただけると、私は確信を持っていることに違いはありませんが』
「そりゃ楽しみだな。ああ、実に楽しみだ。間違いなく楽しみなんだが……なあ?」
カイルの同意を求める声に、ティナは曖昧な笑みで以て返してきた。
ただしそれは、同意が出来ないからではないだろう。
同意は出来るが、ナナのことを慮っているからこそ、同意を示す事が出来ないのだ。
何故ならば――大規模転移を可能とする魔導具の存在している場所というそこは、どう見ても掘っ立て小屋としか言いようがないものだったからである。
周囲が森なせいもあって、打ち捨てられた部屋以外の何物でもなかった。
「まあ、確かに? 重要なのは機能っていうか魔導具の方なんだから、それがある場所の見た目に関してはどうでもいいっちゃあどうでもいいんだが……」
だがやはり、見た目も大事だと思うのだ。
それによって心構えが、モチベーションが変わってくる。
絶対ではないが、その中身が楽しめるに値するものであればあるほど、外見にも拘るべきだったのではないかと思うのだ。
まあ、今更言ったところでどうにかなるものでもないのだが。
『……なるほど。どうにも乗り気ではないと思いましたが、そういうことですか。ですが、申し訳ありません。ここは今でこそ森の中にありましたが、本来ここはそうではありませんでしたから。周囲にあったものと、そもそものこの国の文化、あとは千年という月日の流れにさすがに耐え切れなかったようです』
「……そう言われてみますと、あの小屋はボロボロではありますが、千年耐えたんですよね。あれはあれで趣があると言いますか、凄いものであるような気がしてきました」
「言われてみれば……いややっぱり無理だな。確かに凄いとは思うが。……ところでアレも、何か魔導具使ってたりその作用だったりするのか?」
『魔導具ではありませんが、魔法は使われていたはずですね。錬金を得意とする第三秘蹟使いが協力することで、経年劣化を抑え風化しないようにされていたはずです』
「ふむ……」
完全には無理ではあったようだが、それでも十分形は保っている。
そんな魔法が使え、さらには魔導具も。
古代文明は今よりも栄えていたとも言われているが、あながち誇張だとは言い切れないようだ。
とはいえそれを二人に聞いてみようにも、現代の文明を知らない二人には答えようがないだろう。
聞くにしても、ここから他の大陸へと移動してからのことだ。
そんな風に自分を奮い立たせながら、さてと呟く。
「まあ、仕方ないのは分かったし、それは諦めよう。じゃ、そういうことで、さっさと別大陸へと移動するとするか。こんな状況になっても、それは結構楽しみなことに変わりはないしな」
「そうですね……普通の転移とはどう違うのかは、興味がありますね。どんな感じになってしまうのか、少し怖い気もしますが」
『おや、お二人とも少し気が早くありませんか? それに、あくまでもここは入り口ですらありません。本当の入り口に降り立てば、お二人にはきちんと満足していただけると思いますよ?』
「……ほぅ? 本当の入り口、ねえ……」
これで終わりだと思っていたら、どうやらそうではないらしい。
しかも、大分自信あり気だ。
「それは楽しみだな……今度こそ、肩透かしになるわけじゃないんだよな?」
『もちろんです。お約束いたしましょう』
「なら分かった。意気揚々と向かうとするか。でもとりあえずは、あそこに向かうことに違いはないんだよな?」
『そうですね。まずはあの中へとお進みください』
そこまで言ってのけるのだ。
これでまた駄目だったらどうしてくれようかと、そんなことを思いながらその小屋へと向かう。
近くで見ても、というか、近くで見ると余計ボロさが目立った。
千年前のだと思えばよく残っているとは言えるし、物凄い貴重な物なのだということは分かるが……それだけだ。
石造りであればまだマシだったような気がするのだが、やはりどう見ても掘っ立て小屋である。
だが萎えそうな心を叱咤しながら、この先に待っているというものに期待し、扉へと手をかける。
そして次の瞬間には、カイルの目の前には広大な、広大すぎる空間が広がっていた。
「……は?」
思わず、呆然とした。
転移したという感覚はなかったし、反射的に後ろを振り向くも、そこには先ほどの森の景色が広がってはいない。
どういうことだと思うも、前方に向き直ればそんな疑問はちっぽけなもののように感じた。
ざっと眺めただけでも、そこには優に直径で数百メートルはあるだろう空間が広がっている。
いや、あるいはキロにも至っているのかもしれない。
広すぎて目算ですら測れない大きさだ。
さらにそれは上にもまた広がっていた。
こちらは百メートルほどか。
まさに規格外の大きさである。
だがこんな場所を一体何に使うのか、という思考に至った時、隣に人の気配を感じた。
そこではティナが、やはり呆然としながらそこを眺めている。
どうやらティナも来た事にも気付かないぐらいカイルは呆然としていたようだったらしい。
『どうですか? これでもご満足いただけませんか?』
その声は、大分得意気であった。
おそらく顔が見られれば、それは見事なドヤ顔を披露してくれたことだろう。
だがこれでは、文句など言えるわけもない。
降参の証として、肩をすくめた。
「ああ、満足したさ。まさかこんなとこに来るなんてな」
言いながら、もう一度その場を見渡すが、やはり信じられないぐらいの広さだ。
そうしてそこで初めて気付いたが、どうやらここの壁は自ら発光しているようである。
見覚えのあるもの……間違いなく、試練の間で使われていたのと同じ素材だ。
つまりここは、天然の大空洞を利用したとかではなく、正真正銘人工物であるらしかった。
もはや脱帽するしかなく、思わず苦笑じみた笑みが浮かぶ。
「……いや、本当に凄いな。だが確かに凄いが、これって何のために使われた場所なんだ?」
『おや、カイル様ともあろうお人が、今更それをお聞きになりますか? もちろん、大規模転移のためにです』
「……これだけの空間が必要、ってわけじゃないよな?」
『はい。それこそ大規模転移をするだけでしたら、先ほどの小屋ほどの大きさでも十分だったでしょう。ここがこれだけ大きい理由は、単純ですよ。この程度の大きさがないと、順番を待つための人達が入りきれないからです』
「……は?」
つまりなんだ、この馬鹿でかい空間は、待合室として使われていた、ということだろうか?
これだけの大きさが必要など、果たしてどれだけの人が利用していたというのか。
『当時はここは人で溢れ、時には身動きが取れないことなどもあったそうです。まあそのせいで笑い話の元となったような喧嘩もしょっちゅう起こってしまっていたらしいのですが』
「ああ……なるほどな。そりゃそうなるだろう」
ふとカイルが思い出したのは、前世の記憶であった。
人ごみというのならば、あっちの世界も負けてはいなかっただろう。
そして同時に気付く。
あんな感じをイメージすればいいのかと。
しかしあっちとは違い、こっちは人口密度やら何やらがまるで違う。
そもそも世界人口も違うはずだし、文化的にも遅れているはずだ。
だがあるいは、千年前であれば、一部は並べていたのかもしれない。
そう考えれば、千年前の文明の凄さと、ここの凄さがより実感として持てたような気がした。
「うーむ……だがあそこからそれほどの人がここに来たってことか?」
『ああ、いえ、実はここは一種の中継地点なんです。特定の大陸へと向かうための待合室であり、ここへは複数の地点から向かう事が出来ます。あそこは他国でしたからあれ一つでしたが、本国でしたら数十はありましたからね』
「そういうのを聞くと、本当に差が凄かったんだなってのが分かるな」
「ですが、ここに人が沢山いたということは、それだけ転移するのに時間がかかってしまったのではないですか? と言いますか、一日で足りるのでしょうか……?」
「お? ティナ、戻ってきたのか」
「あ、はい。話は聞こえていたのですが、圧倒されてしまっていて」
「まあそれは仕方ないことだろう」
カイルが圧倒されながらも、割とすぐに戻ってこれたのは、前世の記憶があったからだ。
休日の都心を歩く人々に、毎日のように経験していた満員電車。
あの光景を見た事があり、実際に一部となったこともあった経験がなければ、きっとずっと唖然とし続けていたことだろう。
しかしそこまで思ったところで、ふと気付いた。
「あれ? でもそういえば何でティナが驚いてるんだ? そっちにはあれみたいなのが数十はあったんだろう? 見たことというか、来たことなかったのか?」
「そう、ですね……記憶にはまるでありませんから、ないみないです。話に聞いたことぐらいならばあるかもしれませんが……」
『……まあ、ティナ様はあまりお出かけになる方ではありませんでしたから。それで、先ほどのティナ様の疑問ですが、確かに多少は待つことになりますが、一人一人転移するわけではなく、数百人という単位で転移するため、そこまではかかりません。あとは、基本的には当日突然来た方には対応していませんでしたから。ここを利用するには、数日前から利用する旨専用の場所で伝えておく必要があったのです。その時に大体の利用時間も分かりますから、それを見計らうことで、実際にはあまり待つこともありませんでした』
「……なるほど。そういう仕組みだったんですか。ですが、逆に言いますと、それでもこの広さが必要だったんですね」
『色々な人がいましたからね。色々な試行錯誤の結果、最終的にはこの大きさになったのだと聞いています』
つまり、システム的には飛行機とかもそれと同じようなものだった、ということなのだろう。
遠くへ移動するためのものだということも同じである。
「……さぞや賑やかで、楽しげだったんだろうな」
『そうですね。特に子供の方などは、それはそれは賑やかで楽しそうでした。そして子供でなくとも、初めて利用する方は色々な期待を込めて、新大陸へ向かう、などとも言ったものです』
「新大陸……」
それはとても、胸躍る言葉であった。
そしてそうか、これから自分はその人達と同じ経験をすることになるのか、と思う。
期待に待ちきれず、口元に笑みが浮かんだ。
「よし、じゃ、そろそろ行くか。ここはここで凄いんだが、だからこそ、早く大規模転移を経験したくなってきたからな」
「そうですね……わたしも、不安よりも期待のドキドキの方が大きくなってきました」
『分かりました。それでは――』
何かを言おうとしたその途中で、不意にナナの声が途切れた。
それはあまりに不自然で、カイルは視線を向けると、首を傾げる。
「……ナナ? どうかしたのか?」
『……いえ、申し訳ありません、少々事前準備が必要なことを忘れていました。ティナ様、手伝っていただけますか? カイル様は、そこでもうしばらくお待ちください』
「え、あ、はい、わたしは構いませんが……」
「……? 手伝いが必要だってんなら俺も手伝うが?」
『いえ、これはティナ様にしか出来ないことですから』
「ふーむ……なら仕方ないか」
当時の人間にしか触れないようなものでもあるのだろうか。
確かに、大陸間を移動するような代物だ。
そういった安全装置のようなものが付いていたところで不思議はない。
そう思って、先へと進んでいくティナの後姿を、カイルは逸る心を抑えながら眺め――
『……ええ、はい、そのまま真っ直ぐに進んで――はい。ありがとうございました、ティナ様。私の言う通りに従っていただけて。おかげさまで……カイル様に邪魔されずに済みそうです』
――何かがおかしい、と気付いた時には、既に遅かった。
「――えっ?」
唖然とするような声がティナの口から漏れ、だがそれもすぐに聞こえなくなる。
虚空から現れた無数の骨に、飲み込まれたからだ。
「ちっ……!」
一体何が起こったのか、アレはナナの仕業なのか、ナナに一体何があったのか。
分からないことは多かったが、そのままではまずいことだけは確かだ。
故に、咄嗟に動こうとし――瞬間、足元を含む周囲から、一斉に骨が這いずりだした。
立ち上がったそれがスケルトンだということや、それと同時にゴーストが現れたのも把握はしていたが――
「邪魔だ……!」
――至高天の加護・異界の理・熟練戦闘・剣術特級・絶対切断:一刀両断。
構わず諸共吹き飛ばした。
だが出来上がった空白を、すぐに周囲のスケルトンが埋めだす。
さらにそれらはそのままカイルへと襲い掛かり始め、この意味の分からない展開に、カイルはそれらを斬り飛ばしながらも、叫ぶ。
「クソッ……! ティナ……ナナ……!?」
しかしそんなカイルの視線の先で、ティナを飲み込んだ無数の骨は、さらにその数を増し、不気味に少しずつ、何かの形を作り上げていくのであった。




