加護
「『加護』……?」
それは、初めて聞く言葉であった。
ただ、何のことか分からなかったかと言えば、そういうわけでもない。
心当たりは十分過ぎるほどにあったからだ。
「それって、俺があの時あんなことが出来たことと関係があるって理解でいいんだよな?」
あの時、あんなこと。
それだけを聞けば何のことか分からなくてもおかしくはないが、要するにカイルが角ウサギに殺されそうになった時のことである。
あの時カイルは、死んでいるはずだったのだ。
だからこそ死を覚悟したのであり、だがそうはならなかった。
他ならぬカイル自身がそれを回避したからだ。
しかしそれを実行したのは確かにカイルだが、あの時も言ったようにカイルは何故そんなことが自分に出来たのかは分かっていないのである。
今も変わらず、だ。
少なくとも、前世の記憶を認識出来るようになるまでは、間違いなく出来なかった。
とはいえ、それが原因だとも考えにくい。
前世のカイルは喧嘩すらろくにしたことがないような、アラサーのおっさんだったのだ。
剣術など習ったこともないし、それらしいことをしたのは中学時代体育で剣道をやったことぐらいである。
その程度のことであんな動きが出来るわけがなかった。
だからこそ、そこに何らかのカイルの知らない要素が存在している、と考えるのは自然なことであり――
「そういうことね。加護。あるいは、神々の祝福とも呼ばれているもの。それを授かった者は、普通ならば有り得ないようなことが出来るようになると言われているわ」
その説明にも何の疑問もなく、むしろ納得があるだけだ。
そのぐらいのことがなければ、あんなことは出来なかったに違いない。
アレがどれほど有り得ない動きであったのかは、おそらくは実行したカイル自身が一番よく分かっている。
死ぬはずだったのに死ぬ事がなくなった、というだけではない。
その後のことも含めて、アレはカイルでは出来ないはずの動きだったのだ。
そう断言出来るのは、カイルはあの動きのことを知っていたからである。
いや、あの感覚を、と言うべきか。
アレは、カイルが前世で遊んでいたゲームで体験したことのあるものであった。
仮想現実大規模多人数オンラインロールプレイングゲーム――即ち、VRMMO。
その中でカイルが最もはまっていたゲームで、スキルを使用した時のものと同じであったのだ。
しかしそれはあくまでもゲームの話である。
幾らここが異世界とはいえ、ゲームと同じことが出来るわけがない。
故に、有り得ない、ということであった。
まあならその加護とやらがあるのならば使えるようになるのかという話だが……実際使えたっぽいのだから、そういうことになるのだろう。
ただ――
「ふむ……ちなみに、クレアもその加護とやらを持ってるってことでいいのか?」
「……そうだけど、何で分かんのよ」
「いや、普通分かるだろ」
カイルよりもクレアの方が動けていたということだけならば、運動神経や元々の才能ということで納得がいく。
だが、さすがにどれだけ運動の才能があったところで、手に持っている鉄で出来ているはずの剣を光らせることは出来まい。
剣を叩きつけたら地面が爆ぜて穴が開いた、というのはまだ異世界ということもあって理解出来なくはないが、それに関しては明らかに超常の力が関わっていなければ不可能だ。
そしてカイルは、この世界に魔法というものが存在しないということを知っている。
正確には失伝してしまった、ということらしいが、大差はあるまい。
ルイーズから教えられたのではあるが、だからこそ、クレアの力と加護とを結びつけるのは難しいことではなかった。
というか、同じ知識を持っていれば、誰でも同じ結論に持ってくる事が出来るだろうし、それはどうでもいいことである。
カイルが気になっているのは、別のことなのだ。
「まあそれよりもだな、クレアのアレがその加護とかいうものによるものなんだとしたら、クレアはその力を自在に操れるってことか? 少なくとも俺の目にはそう見えたんだが」
「自在に操れる、とまで言っていいのかは分からないけど……まあ、一応ある程度は使えるわよ? 加護ってそういうものだし」
「つまりは、俺はあの死にかけた瞬間に加護を授かった、ってことになるのか?」
少なくともカイルは、あれ以前の段階ではあの感覚を覚えたことがなかった。
もしかしたら前世の記憶を取り戻したのもそのせいなのだろうか……と思ったのだが、どうやら違うようだ。
「いえ、それは違うわね。加護というものは、生まれた時に授かるものよ。けれど、いつその力に目覚めるのかは個人差があるわ」
「なるほど……じゃああの時に授かったんじゃなくて、あの時に目覚めたってことか」
ルイーズの言葉に、随分と都合がいいものだと思ったが、意外とそんなものなのかもしれない。
火事場の馬鹿力というのもあるし、何より如何にもそれっぽい。
「実際のところ、死に瀕した際に加護の力に目覚めるという話は、それほど珍しいものでもないわ。もっとも、そもそも加護を授かるということ自体がとてつもなく珍しいのだけれど」
「あれ、そうなのか。この村に二人もいるって時点でそれほど珍しくもないのかと思ったが」
「そうね……あなたのように加護を授かってはいるけれど目覚めていない者や、目覚めてはいるけれど気付いていない者という者もいるでしょうから、正確ではないでしょうけれど、それでも一つの国にいる加護を授かっている人達――通称加護持ちなどと呼ばれる人達の数は、大体片手の指があれば数えられる程度だと言われているわ」
「そんなに少ないのか……っていうか、目覚めてるけど気付いていない者? そんなのいるのか?」
「加護持ちか否かは、その力を使うことでしか判別出来ないもの。私は加護を持っていないから分からないけれど、加護に目覚めたからといって何か特別な感覚がするというわけでもないという話よ? その辺はあなたの方がよく分かっているのではないかしら?」
「ふむ……確かに」
あれ以前の時と比べて、特に身体的な感覚に変化はない。
前世の記憶に関しては別だが、この調子では別件と考えるべきなのだろう。
となると確かに、あんなことが出来なければ、加護に目覚めたと言われてもカイルはとても信じられなかったに違いない。
「ちなみに、クレアはいつ目覚めたんだ?」
「そうね……一応生まれた時から、かしら」
「ほー、そうなのか。確かに慣れてる感じではあったが……もしかして、クレアが早熟気味なのもそこら辺が関係あったりするのか?」
この世界でカイルはクレアの他に同年代の知り合いがいないので確信を持って言える事ではないのだが、それでもクレアは以前から精神的に成熟気味な傾向があったように感じていたのだ。
ディック達がやってくる前までは、本人の資質か世界的にそういった傾向でもあるのかと思っていたのだが、ディック達を見る限りでは前世の子供達と大差ないようである。
となれば、資質ということになるものの、生まれた時から加護などというものに目覚めていたのならば、そこら辺影響があっても不思議ではないのではないだろうか。
そんなことをふと思ってのことなのだが――
「……さあね。そもそも自分が早熟なのかなんて分からないもの」
「ふむ……言われてみればその通りだな。……ところで、加護加護言ってはいるが、結局具体的にはどういうものなんだ?」
「そうね……神々の祝福とも呼ばれているというのは先ほども言った通りだけれど、基本的にその効果は千差万別と言われているわ。目覚めても自覚出来ないこともあると言われている所以ね」
「確かに、俺の剣は光らなかったしな」
「アタシの加護を、剣が光る効果しかない、みたいに言うのはやめてくれないかしら?」
別にそんなつもりはなかった、と言ってしまうと嘘になるので、肩をすくめておいた。
ジトっとした目を向けられるも、今更その程度のことで怯むようなことはない。
「まあけれど、詳しい話をしてしまうと時間がかかってしまうから、それに関してはまた後で、というところかしら」
「え、何でまた?」
「何故も何も、今は授業の時間ではないのよ?」
「ああ……そういえばそうだったか」
似たような話の展開になっていたので、すっかり忘れていた。
そう思っていたのはカイルだけでないようで、クレアもそういえば、というような顔をしている。
「とりあえず今回伝えたかったことは、魔物と戦うことに関して多少方針の変更があった、ということね。加護に関してはついでのようなものよ」
そしてその言葉で、そうだそういう話だったと思い出し……ようやっとのことで、嬉しさがこみ上げてきた。
まだ魔物と戦えないということに違いはないが、昨日とは違っていつかは戦えそうということになったのである。
それは昨日やったことに意味があったということであり、何よりも夢に近づけるということだ。
これが嬉しくないわけがない。
既に述べたように、この世界はカイルからすると異世界だ。
しかもただの異世界ではなく、カイルにとって非常に望ましい異世界である。
何故ならば、この世界では本当の意味で自身の夢を叶える事が出来るのだから。
この世界には魔物がいて、それを狩る者達がいる。
剣と魔法の世界……と言ってしまうと多少の語弊があるものの、それでも十分ファンタジーな世界なのだ。
即ち、カイルが前世の頃望んでいたような、まさにゲームのような冒険がここでならば出来るのであった。
魔物と戦うことを望んでいたのも、結局はそのためだ。
冒険をする上で必須のことだし、魔物と戦うことは冒険の一部とすら言える。
魔物と戦えるようになるということは、カイルにとって夢を叶えるための一歩を進むということと同義なのだ。
それがそのうちとはいえ可能になるというのであれば、嬉しくないわけがなかった。
もちろんと言うべきか、実際に夢を叶えるためにはまだまだ足りないことだらけである。
昨日のことで魔物と自分との力の差は十分身に染みたのだ。
あそこまで無理をして尚、クレアの力を借りなければ魔物の一匹も倒せなかったことを考えれば、力はまったく足りていないと言えるだろう。
これからどれだけ鍛えればいいのかすらも、まったく分からないほどだ。
それでも、少しずつでも進めていることは確かなのである。
ならばそのうちきっと夢を叶えることが出来るに違いない。
そんな確信と共に、カイルは頬を緩めるのであった。