幕間 とある村の顛末
この世界の葬式は火葬が一般的ではあるが、それと同じぐらい墓の下には遺品しか埋めないことも多い。
その理由は主に二つある。
一つが、アンデッド対策だ。
スケルトンなどの魔物は、基本的に死者の怨念が自らの死した肉体に宿り、それを晴らすために動く存在だ。
それを防ぐために火葬をするのだが、時にはそれでは不十分な時もある。
怨念が強すぎる場合は、燃え残った骨だけを繋ぎ合わせ動き出すことがあるのだ。
だからそもそも骨すらも残さないということである。
とはいえ、大抵の場合はそんなことはないので、余程の場合でしか有り得ない。
明確に強い怨念を抱きながら死んでいったと分かる場合を除けば、火葬で済ますのが一般的だ。
だが時にはそれすら出来ないことがある。
それが二つ目の理由であり、墓に遺体を埋めない時はこちらの場合であるのが大半だ。
まあ厳密には、埋めたくても埋めることが出来ない、と言うべきなのだろうが。
何せ埋めるもの自体がないのだから。
即ち、遺体が戻ってこなかった場合であった。
損壊が激しすぎて、あるいは死体すらも残らなくて。
そういった場合に、それでもせめて遺品を埋めることで墓とするのである。
そして今回その村に作られた墓も、そちらの理由により作られたものであった。
故人の名は、カイル・ハーグリーヴズ。
教会すらもないので、葬式は質素で簡単に行われた。
出席者は村人全員。
そこには二歳と半年を過ぎたばかりのローラも含まれている。
この世界の命は安く、軽い。
死など日常茶飯事で、そこら中に転がっている。
しかしだからといって悲しみまでもが軽くなるわけではない。
ローラだけは、にーたんはー?と不思議そうにしていたものの、葬儀の最中は沈痛な空気が漂っていた。
そしてさらにそこから一週間。
さすがに村全体からその空気は薄れつつあったが、孤児院の中は今日も相変わらずの空気であった。
「……いい加減鬱陶しいわね」
不意に呟かれた言葉。
その意味するところを瞬時に察したリディアは、だが同意することなく苦笑を浮かべた。
「そう言ってやるな。すぐに切り替えろって言う方が無理だろうさ」
「あら、だからしばらくは黙って待っていたんじゃない。もう一週間よ?」
「まだ一週間、だ」
ルイーズの言葉に反論しながら、リディアは溜息を吐き出す。
それはルイーズの言葉が正論でもあるからだ。
人の死が他人へと悲しみを与えるということはこの世界でも同じだが、死が身近にあるために基本的にはそこまで悲しみに暮れるということはない。
どれだけ親しい者が死んだとしても、早ければ三日ほど、遅くとも七日、平均で五日程度で、人々はそれ以前と変わらぬ生活を過ごすようになる。
ただしそれは、あくまでも慣れているからで、受け入れているからだ。
慣れていないならば、それ以上かかってもおかしくはない。
そしてこの村で人死にが出るのは始めであった。
かつて存在していた隠れ里が滅んだ結果、誰も訪れることがなくなったこの場所を再建したのは、クレアのためだ。
この村はクレアがやがて勇者として旅立つ時までの間、クレアが身を隠し、さらには鍛えるためだけに作られたのである。
それから約十年。
誰一人として欠けることがなかったが、今回ついに死者が出てしまった。
しかもその相手は、よりによってカイルだ。
さらに言うならば最後に会っていたのはクレアであり、クレアはリディアを連れてくるためにその場を離れたのだという。
その状況が余計にクレアを落ち込ませているようだ。
「まあ整理が出来ないのは当然だろう。せめて死体が見つかれば……というのはちょっと言い方がアレだがね」
「でもその通りではあるわ。もしかしたら、と思っているからこそ、余計に切り替える事が出来ないのでしょうし」
厳密に言えば、カイルは死亡が確認されたわけではない。
現場に到着した時にリディアが見たのは、周囲の木々が薙ぎ倒されているという状況と、その終点だろうと思われる場所にあった大量の血痕のみだ。
生きている可能性は絶望的に低いものの、可能性はゼロではないし、それは今も変わっていない。
だがそれから一週間もの間周囲を探し回ったというのに手がかり一つ見つからないという時点で、死亡したのだと判断せざるを得なかった。
死体は持ち去られてしまったのか、跡形も残らず消し飛ばされてしまったのか、あるいは必死に逃げた先で力尽き、野生動物か角ウサギに食い尽くされたか。
それ以外に考えられなかったのだ。
そんな状況だからこそ、何がカイルを殺したのか、ということも分かってはいない。
ただ、角ウサギでないことは確実だ。
あの場にはキマイラの死体が転がっていた。
そんな場所に角ウサギがいれるわけがないし、角ウサギにあそこまでの状況を作り出せるような力はない。
しかし難しい話でもなかった。
キマイラなどが出てきて、それを連れてきたという男もいたのだ。
同様の何者かがいたところで不思議はあるまい。
問題があるとするならば、リディアはまったくそんな存在に気付かなかったということだが……それほどの強者だったということなのだろう。
強者であればあるほど、自らの気配を隠したり抑える手段は持っているものだ。
あの光景を見る限り、キマイラ以上であったのは間違いなく――
「……まあ、カイルとクレアには悪いが、クレアがあそこに残っていなかったのは幸いだったと言っていいだろうね」
「……そうね。クレアを失ってしまったら、色々な意味でどうしようもなかったもの」
もちろん、リディアはリディアで責任は感じている。
リディアがもっと早くキマイラを倒せていれば……あるいは、せめてその場に留まっていれば。
クレアと行き違いにならなければ、まだ間に合ったかもしれないのに。
だがそのことでいつまでも落ち込んでいない程度には、リディアは大人であった。
切り替えることが出来たし、切り替えなければならない。
リディア達の目的はクレアを魔王を倒せるほどの勇者にすることなのだ。
その他のことは些事だし、些事にしなければならないのである。
「まあ、いつかは経験させなければならないことだったことを考えれば、今だというのは悪くなかっただろうさ。それにカイルのおかげで色々と前倒しに出来た。あと一週間ぐらいは問題ないはずだ」
「……そうなのだけれどね」
そんな話をしながら、よどみなく手元の羊皮紙に何かを書き続けているクレアを眺めながら、リディアはそれに、と心の中だけで呟く。
そもそも吹っ切れきれていないのは、ルイーズも同じだろうに、と。
リディアとルイーズの付き合いは長いのだ。
その振る舞いが本心からのものか、偽悪的に振舞おうとしてのものなのか程度は判別出来る。
そしてその振る舞いはともかくとして、吹っ切れていないのは当然だと思う。
リディアがここまで簡単に吹っ切れるのは、慣れていることもあるが、カイルとの付き合いは二年もなかったからだ。
それがルイーズは約十年であり、クレアはそれに加えて生まれた時からでもある。
一週間で吹っ切れないのは、人として何らおかしいことではない。
ルイーズがあの二人を含めた孤児院の子供達とあまり触れ合おうとしないのは、道具として見ようとしているからだということは分かっていた。
理由がどうあれ、利用していることに変わりはないのだ。
だからいざという時に簡単に切り捨ててしまえるように、良心の呵責によって判断が鈍ることがないように、そうしているのである。
だがあるいは、本人すらも気付いていないのかもしれない。
ルイーズが子供達を見る目は、間違いなく母親のものだということに。
愛情の示し方は一つではない。
そのことが分かるぐらいには、リディアも歳を取っているのだ。
故に、息子の死を母が嘆くのは当然のことですらあり――クレアがやってきたのは、そんなことを考えている時であった。
リディアが今いるのは、孤児院長室である。
ずっと篭りっきりのルイーズを心配してのものであり、子供達だけにするためでもあった。
だから、というわけでもないのだが、ノックと共に扉を開け中に入ってきたクレアの顔を見た時、リディアが最初に抱いたものは驚きだ。
しかしその後に浮かんだ感情は、溜息と共に押し流す。
クレアの顔に浮かんでいたのは、覚悟を決めた者のそれであった。
クレアがずっと自分を責めていたことは知っている。
それでも放っておいたのは、意味がないと分かっていたからだ。
どんな慰めをしたところで届くわけがなく、折り合いは自分でつけなければならないのである。
そしてどうやらもう折り合いをつけてしまったらしい。
もう一度だけ、リディアは溜息を吐き出した。
「授業再開の申し出かね?」
用件を先読みして切り出せば、クレアは黙って頷いた。
その瞳には覚悟と……恨みに似たものが浮かんでいる。
「……アタシに力をちょうだい。今とは比べ物にならないほどの、誰にも負けない力を。アレを……魔王を殺すための力を」
それは望ましい言葉であるはずだったが、リディアは思わず視線をそらしてしまった。
クレアはあの日以来、魔王に対して恨みのようなものと殺意を抱いている。
カイルへの悔恨を募らせるのに呼応するように、それらは日に日に強まっていた。
だが無理ないことなのかもしれない。
クレアの話を聞く限りでは、あのキマイラ達は魔王に関係していたのは間違いないだろう。
自分達に関係していたのかは分からないが、少なくともそれだけは確かだ。
そうなると、カイルを殺したのも魔王の関係者だと想像するのは容易なことである。
仮にそうでなかったとしても、あのキマイラ達が間接的な要因になったのは事実だ。
ならば何にせよ、魔王達に恨みの矛先が向くのは当然のことであった。
復讐は無意味などと綺麗事を言うつもりはない。
何よりもそれが魔王を倒すことに繋がるのならば、こちらとしては望むところですらあるのだ。
止めさせる意味は一つもない。
だがそれでも……あるいは、だからこそ。
自分達は本当に救いようがないと、リディアは三度溜息を吐き出すのであった。