一つの終幕
「馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な……! キマイラ……キマイラだぞ……!? キマイラが一撃で殺されるなぞ、有り得るわけがない……!」
両断されたキマイラを眺めながら、男が狂乱したような声を上げていたが、正直に言ってクレアの心境としては似たようなものであった。
たった今目の前で起こった出来事だというのに、それはとても信じられるようなものではなかったのである。
なのにクレアが混乱することがなかったのは、多分頭のどこかでカイルならばこんなことをやっても不思議ではないと思っていたからなのだろう。
そのことに気付き、クレアは苦笑を浮かべる。
散々戦闘能力では自分の方が上だと思っていながら、心の底では違っていたのだということを理解したからだ。
それはきっと、あの時からずっとそうだったのである。
ふとそんなことを考えてしまうなど、気を抜きすぎであったかもしれないが、クレアは問題ないと思っていた。
まだ全てが終わったわけではなく、元凶とも言うべき男が残っていたものの、クレアは既にそのことを気にしていない。
気にする必要がないということを知っていたからだ。
「まあ好きなだけ叫んでればいいと思うんだが、起こったことは何一つ変わらんぞ? ――お前の末路もな」
「っ……!?」
今の状況を忘れていたのか、聞こえた声に男が視線を向けるも、それよりも先にその眼前へと剣が突き出された。
反射的に男が睨みつけるが、それを受けても男の前に立っているカイルには当然のように怯んだりした様子はない。
クレアからではカイルの顔は見えなかったが、その程度のことならば顔を見るまでもなく分かる。
カイルがとても怒っている……怒ってくれているということも。
「さて……お前が何者だとか、そういうことはどうでもいい。一つだけ答えろ。お前はあんなのを二匹も引き連れて、一体何をしようとしていた?」
「……二匹?」
そこで思わずクレアが呟いてしまったのは、二匹もいるとは思ってもいなかったからだ。
しかも何故それをカイルが知っているのか、とそこまで思って、思い至る。
おそらくもう一匹の方はリディアが相手しているのだろうことをだ。
クレアでは手も足もでなかったが、リディアならば何とかなるはずである。
そしてカイルがここに来ることになった経緯も何となく分かった。
それでもよく間に合ったというか、この場所に辿り着けたものだと思うが――
「……はっ、二匹? 俺が連れてきたのが二匹だけだとでも思ってやがんのか? おめでたい頭をしてるガキだな」
「……っ」
そんなことをぼんやりと考えている中、男が放った言葉にクレアは息を呑んだ。
そうだ、カイルが遭遇したのは二匹なのかもしれないが、男が連れてきたのが二匹だけとは限らないのである。
またキマイラがこの場に現れてしまうかもしれないと思い、想像し、思わずクレアは身を硬くしてしまう。
しかしその言葉を聞いて、カイルは別のことを感じたようであった。
カイルの口から、呆れたような溜息が吐き出される。
「おめでたいのはお前の頭だろ? そんなんで騙せるとでも思ったのか? 本当に三匹以上いるんなら、お前はそれを悟らせるようなことは言わない。お前がそういうクソみたいな性格をしてるってことは一目で分かったからな」
「っ……クソガキが……!」
「あっ……!? カ――」
それに気付いた瞬間、クレアは叫ぼうとした。
カイルの死角から角ウサギが忍び寄っているのが見えたのだ。
状況から考えて、間違いなく男が操っている。
だがその時にはもう遅かった。
クレアが叫ぶ前に角ウサギはカイルへと飛び掛かっており――その角がカイルに届く前に、角ごと両断されていた。
「で、終わりか? というか、お前が魔物を使役出来るってことは分かってるんだから油断なんかするわけがないだろうに……本当におめでたい頭してるんだな」
「っ……オレを蔑むな……! オレを馬鹿にするんじゃねえ……!」
叫びながら、最後の悪あがきとばかりに男がカイルへと飛び掛かるが、さすがに今度はクレアも声を上げることはしなかった。
どう見てもそれは一般人そのものの動きであり、それでカイルがどうにかなるなど思えるはずがない。
そして動きは一般人であろうとも、男が実際にはそうでないのは議論の余地もないことである。
「ならそれに相応しい行動をしろっての。こんなことをして、賞賛されるわけがないだろ」
呆れたような呟きと共にカイルの腕が振るわれ、男の頭が刎ね飛ばされた。
既に空中にあったためにその身体の勢いが失われることはなかったが、カイルが横に一歩動くだけでそれは無様に地面へと激突する。
落ちてきた首がその傍に転がり、憤怒の顔を自らの身体へと向けていた。
それを見下ろしながら、カイルが一つ息を吐き出す。
クレアもまた全てが終わったことに安堵の息を吐き出し……ふと、気付いた。
「あっ……ねえ、殺しちゃってよかったの?」
「ん? 事情を聞き出さないでってことか? まあ、あの様子じゃ何をしようとも話そうとしなかっただろうからな。むしろ下手に生かしておいたらろくなことしなそうだったし、これが最も無難だろ」
「……そうかもしれないわね」
男の目には狂気のようなものが浮かんでいたようにクレアには見えていた。
何よりも男は、間違いなく魔物を操っていたのだ。
どれだけの範囲、どれだけの数を操れるかにもよるが、それ次第ではとても厄介なことを引き起こしていたに違いない。
色々と気になることはあったものの、確かに対応としては最も無難なものであった。
「さて……それじゃまあ、とりあえず帰るか、って言いたいところだが……悪い、さすがに限界っぽい」
「え?」
限界って何が?と思ったのと、カイルの身体がその場に倒れこんだのはほぼ同時であった。
一瞬何が起こったのか分からずに呆然とし、だがすぐにカイルへと駆け寄る。
「カイル……!? アンタやっぱ無理して……!?」
「いや、無理をしたのは確かだが、別に怪我が原因とかじゃないぞ? 本来の俺では有り得ない動きをしたからな……その反動で動けないってだけだ」
「……本当に?」
「嘘を吐いてるように見えるか?」
「……見えない、けど」
しかしカイルならば、クレアに悟らせないように嘘を吐くなど簡単なことだろう。
というか、本気でカイルが嘘を吐いた場合、クレアがそれに気付ける自信はない。
クレアはそこまで自分のことを信用していなかった。
「まあとはいえ、しばらく動けないだろうからな。悪いがリディアさんを呼んできてくれないか?」
「……何でリディアさんを? っていうか、アンタをここに残していけるわけないでしょ!?」
ここには魔物だって出るのだ。
しばらく動けないというのならば、残していけるわけがない。
「いや、魔物に関してなら心配はいらない。ここにはキマイラの死体があるからな。多少の力量差ならばともかく、角ウサギとキマイラなら、死体であっても角ウサギが寄ってくることはないはずだ」
「……じゃあ、アタシもここに残るわよ。どうせここまで待ってたら、そのうち探しに来てくれるでしょ」
「駄目だ。それじゃいつになるか分からんし……今だって相当辛いはずだろ?」
その言葉はクレアに向けられたものであった。
そしてそれは事実だ。
何とか動いたり喋ったりすることは出来るものの、本当は身体中至る所が痛い。
だがだからこそ、クレアもここでジッとしていたいというのも本音ではあるのだ。
あるの、だが――
「…………分かったわよ」
カイルにただ真っ直ぐに見つめられ、結局クレアが折れることになった。
視線を少しだけそらしながら、頷く。
「すぐに戻ってくるわ。それまでここを動くんじゃないわよ?」
「動きたくても動けないっての。あと確かに早ければありがたいが、無茶はするなよ? 急いだ結果大切なお前が傷つくようなことがあったら、俺はまったく嬉しくないんだからな」
「っ……分かってるわよ!」
その言葉に他意はないのだろうと分かってはいても、クレアは自分の頬が赤く染まっていくのを抑えられなかった。
だからそれを誤魔化すように叫ぶと、カイルを適当な木に寄りかからせ、素早くその場を後にする。
全身から痛みを訴えてくる身体を無視し、リディアを連れて戻ってくるために駆け出すのであった。
すぐに背中の見えなくなったクレアの消えた先を眺めながら、カイルは溜息を吐き出した。
無茶をするなって言ったのに、どう見てもアレは無茶をしているだろう。
有り難くはあるのだが、後で説教をする必要がありそうだった。
「……そういえば、避けられなかったな?」
と、ふと先ほどのクレアの様子を思い、そんなことを呟く。
ここ最近はずっと何か話すようなことがあってもクレアは気まずそうにしていたのに、今回はそんなことはなかったのだ。
以前と同じような感じであり……さすがにそんな場合ではなかったからだろうか。
「このまま元通りになってくれると有り難いんだが……さて、どうなることやら」
そんなことを暢気に考えているのは、先ほどクレアに語って聞かせたことが理由であった。
角ウサギはここにやってこない可能性が高く、未だ両手からは血が流れ続けているものの、実際には大したことはない。
身体が動かないのは無茶した反動だ。
さすがに加護の力を使っても、今のカイルではキマイラを倒すなどそのぐらいしなければ出来なかったのである。
そう、加護の力。
今更言うまでもなく、先ほどカイルが当たり前のように使っていたものではあるが……別に自在に使えるようになったというわけではなかった。
何故か先ほどは使えて当然と思い、実際に使えていたわけだが、また使えなくなっている。
それでも反動のことなどはきちんと分かっているのだから、不思議なものであった。
「……ま、別にどうでもいいことだな」
何故先ほどは使え今は使えないのか。
そんなことはどうでもいいことであった。
そのおかげでクレアを助けることが出来たということだけが、カイルにとっては大事なことなのだ。
後のことは些事である。
人を初めて殺したということも。
「……意外と何とも思わないもんだな」
だがそれはきっと、とうに覚悟が出来ていたということなのだろう。
この世界での人の命は、前世のそれと比べれば遥かに安い。
魔物などというものがいる時点で簡単に失われてしまうものだし、盗賊などに堕ちてしまった者達と殺し合いをするということも珍しくないことだ。
少なくとも冒険をしようとするならば、避けては通れない道である。
だからいつかは人を殺すことになるのだろうなと漠然と思っていたし、その覚悟もしていたつもりであった。
それがつもりで終わらなかったということを、今回のことで証明出来たということである。
とはいえ、嬉しくはないし、せめて慣れたくはないものだなと思う。
――気を抜いていたと言われれば、その通りではあった。
しかし気を抜いていなければどうにか出来たかと言われればそれはまた別の話だ。
きっと何をどうしていたところで、それはどうしようもないことであった。
――至高天の加護・異界の理(偽)・熟練戦闘(偽)・常在戦場(偽)・気配察知特級(偽):奇襲看破(偽)。
――至高天の加護・異界の理(偽)・熟練戦闘(偽)・常在戦場(偽)・体術特級(偽):金剛不壊・極(偽)。
何かを考えるよりも先に、カイルの身体は動いていた。
反動で動けないなどと甘えたことを言う暇もなく、全力でその場から飛び退く。
そして直後に覚えたのは、納得であった。
まるで初めて加護を使った時のように、カイルはその時、なるほどと思っていたのだ。
加護は有り得ざることを可能にするし、今のカイルでもそれを使えばキマイラを倒すことが出来るほどの力を得ることが出来る。
だが。
それを遥かに超えるような力の前では、どうしようもないのだ。
そんな思考に至った瞬間、カイルは大木に背を叩きつけられていた。
「かはっ……!」
しかもそれは何本もの木に叩きつけられた末でのことであり、それほどの勢いでカイルは吹き飛ばされていたということであった。
全身がバラバラになったかの如き衝撃と痛みを覚え、ろくに受身も取れぬままに地面へと落下する。
次の瞬間カイルが視線を上げていたのは、反射的なものだ。
地面に出来上がった巨大な影に、何かが上空へと現れたのだと咄嗟に理解し――
「――なっ」
視界に映った姿に、絶句した。
それは、巨大すぎるものであった。
全長にしておそらくは五十メートルはあるだろう。
しかしカイルが驚いたのは、その有り得ざる大きさにではない。
その存在そのものだ。
雄大なその姿にである。
見間違えるわけがなかった。
それは、絶滅したのではないかとすら言われていた存在。
何物をも通さぬ漆黒の鱗、理知と暴虐を秘めた目、空の王者である証の翼。
龍であった。
その時カイルが何を感じていたのかは、本人も分からないことだ。
恐怖であったのかもしれないし、感動であったのかもしれないし、あるいは別の何かだった可能性もある。
だが何にせよ、それ以上の思考を続けることは出来なかった。
まるで今思い出したかのように、全身が一斉に強烈な痛みを訴えかけてきたのだ。
あまりの痛みに、強制的にカイルの意識が途切れる。
――その間際。
『――ほぅ、今の一撃に耐えるか。よかろう……どうやら貴様には十分な資格があるようだ』
そんな声が、聞こえた気がしたのであった。
というわけで、第一章は終了、ということになります。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
もし少しでも面白く感じていただけたり、続きが気になるなどありましたならば、下にある評価欄から評価などをしていただけましたら幸いです。
第二章ではようやく主人公が最強っぽくなる予定です。
それでは、引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。




