変わった日常と変わらぬ日常
正直に言ってしまえば、男は不満を持っていた。
持たないわけがない。
元々の扱いに不満があったからこそあんなやつらの誘いに乗ったというのに、結局やっているのは同じような下っ端のお使い同然のことなのだ。
喜んで従ってやる道理などあるはずもなかった。
とはいえ、それでもあそこに比べればマシなのも事実だ。
蔑まれるような目を向けられることもなければ、陰湿なまねをされることもない。
まずは実力を示せというのは、その通りと言えばその通りである。
だがだからといって、納得出来るかはまた別の話なのだ。
「ふんっ、あんな怪しげなやつよりも俺の方が使えるって、一目で分かるだろうに……ちっ、見る目がないやつらだ。まあ、所詮は、ってことなんだろうがな」
呟きながら舌を鳴らし、目を細める。
そもそも、お使いの内容の方も問題なのだ。
自分が選ばれたのはあの国出身だからということもあるのだろうが、指定された場所には人が住んですらいないはずなのである。
何を探しているのかは知らないが、あれらが望むようなものがあるとは思えない。
「つーかせめて何を探してるのかぐらい教えやがれってんだ。怪しいものがあったら報告しろじゃねえよ」
そんなに信用出来ないのかと思い、直後に信用出来るわけがないかと自分で気付き、三度舌打ちを漏らす。
むしろこれで男を信用し重用するようならば、とんだ間抜けだ。
しかしそれが分かっても不快だし、不満が消えることもない。
「ふんっ……まあいい。今は我慢してやるよ。あいつらの絶望に歪んだ顔が見られるならな……」
その時のことを想像しながら、男は暗く歪んだ笑みを浮かべる。
実に楽しみであった。
だがそれを見られるのは、まだ先のことだ。
何よりもそのためにはまず、成果を詰まねばならない。
「あんな辺境に行ったところで何があるわけでもねえだろうし、成果の詰みようもなければ、実力を見せることもできねえだろうけどな」
とはいえ、言われてしまった以上はどうしようもない。
不満を抱えながらも、男は鼻を鳴らすのであった。
風を切るような音が耳元を通り過ぎた瞬間、カイルの身体は動いていた。
半ば自動的に最適な行動を選択し、腕を振るう。
さすがにここ最近同じことばかりを繰り返しているためか、そこによどみはない。
腕を振るう速度、体重を移動するタイミング、腰の回転とそこから伝わっていく力。
まるでパズルのピースがピッタリはまったような感覚に、頭の片隅で完璧だなと思った。
だが同時にカイルは、心の中で呟く。
完璧ではあるが、それだけだ、と。
そしてそれ以上の思考をすることは出来なかった。
それよりも先に腕へと感触が伝わり、そのまま剣を振り抜いていたからだ。
完璧で、間違いなく今の自分に出来る最高の動きをしたことの結果が示される。
空中で首を刎ね飛ばされた角ウサギの身体が、地面へと落下し叩きつけられたのだ。
それ以上動き出すことは、もちろんない。
しばしの残心の後、カイルはゆっくり息を一つ吐き出した。
「合計で三十五、か……やっぱまだまだだな」
それから、今度は溜息を吐き出す。
三十五。
この角ウサギを倒すのに要した斬撃の数であった。
一匹の魔物を倒すのに、今のカイルではそれだけの攻撃が必要だと言うことである。
最後の最後に最高の一撃が放てたものの、アレは既に魔物が弱っていたからだ。
魔物が万全の時に放てなければ意味はないし、かといって今のカイルが先ほどと同じことをしようと思えば隙だらけの身体を晒すことにしかならないだろう。
まだまだカイルの力は色々な意味で不足しているのだ。
「さて、と」
まあしかしそんなことは、今更の話だ。
何度も思い知らされているし、何だったら毎日実感している。
それでも前に進み、自分の夢を叶えるためには、クヨクヨしてなどはしていられないのだ。
そんなことを自分に言い聞かせるようにして思いながら、カイルは剣を仕舞うとその場にしゃがみこむ。
今倒したばかりの角ウサギを持ち帰るためだ。
別に放置しておいても適当な野生動物やら何なりが処分するのだろうし、最終的には土に帰るのだろうが、それは如何にも勿体無いだろう。
折角の肉なのだから。
とはいえ正直に言ってしまえば、実は肉はそれほど貴重ではなくなっている。
リディアが定期的に猪やら熊やらを狩ってきてくれるし、もう自分達でもやろうと思えば出来るのだ。
一年前までならばいざしらず、今は貴重な肉なのだからと言って持ち帰る意義は薄い。
だがそれでも、自分が殺した命である。
強くなるため、冒険をするためという、自分勝手以外の何物でもない夢のため、こうして殺しているのだ。
ならばそれをありがたくいただいてこそ、最低限の礼儀となるものだろう。
それも結局は自分勝手な自己満足でしかないが、このまま放置するよりはマシなはずだ。
刎ね飛ばした首と胴体を手に持つと、立ち上がり、森の外へと向けて歩き出す。
まだ日は高いものの、今日はこれで終わりであった。
この森は角ウサギを生態系の頂点として成り立っている。
そのため、角ウサギを狩るのは日に一匹までとリディアに言われているのだ。
むやみに乱獲してしまうと生態系を乱し、ここもどうなってしまうか分からない。
今は角ウサギも動物達も森に引きこもっててくれているが、下手に村の方に来てしまったり散らばられたりしたら村の人達の不利益になってしまう。
それは避けなければならなかった。
もっとも、この森の角ウサギは今までまったく手付かずだったはずなので、実際にはあまり気にしなくても大丈夫だろうとのことだが……気にするに越したことはないだろう。
何かあってからでは遅いのだから。
そんなことを考えながら、今日も小さな獲物を両手に持ち、孤児院への道を進む。
この森はそれなりに広いものの、さすがに一年もの間毎日のように通っていたら慣れる。
その足取りに迷いは見られなかった。
「……一年、か」
と、不意にそんな言葉を呟いたのは、今自分の頭を過った思考に、そういえばもうそんなになるのかと思ったからだ。
一年。
そう、カイル達が初めて魔物と戦い、倒した日から、一年の月日が流れていた。
その間に何か変わったことがあったかと言われれば、特にない、という答えとなるだろう。
実際その通りなのだから仕方がない。
さすがに何一つ変わったことは起こらなかったと言ってしまうと嘘になるが、言及するようなことがなかったのは事実だ。
それでも敢えて言うならば……この時間にカイルが一人で森に来れるようになったことが、変化と言えば変化だろうか。
ふと視線を上に向ければ、生い茂った木々によって頭上は覆われ、まともに空を見ることは出来ない。
だが大雑把な時間を感じ取ることは可能であり、僅かに差し込んできている日差しは、真昼間のそれであることを示していた。
そう、今は昼前の時間なのだ。
それなのにカイル一人でこうして森に来れていることは、一年前では考えられないことではあった。
それが可能となった理由としては……一年とはいえ時間は確実に流れており、さらには子供の成長は早い、といったところだろうか。
と、そんな思考を続けているうちに、視界に変化が生じた。
森が途切れ、青空が広がったのだ。
視線を下ろせば、そこにもまた遮るものはなく、遠くには村と、そして外見だけは一年前から変わらぬ孤児院が見える。
少し足早に、そこへと向かった。
カイルが孤児院へと戻る際に使うのは、基本的に裏口だ。
それはカイルが外に用事がある場合は大抵森に行くからで、森から戻る場合には裏口のが近いからではあるものの、ここ最近の場合はもう一つ理由がある。
両手に持っているものが、それであった。
一見ウサギにも見えるものの首と、その首が失われた胴体を持っているのだ。
さすがにこの状態で正面から入るのはちょっとアレだろう。
別にその場面を見られたところで村の人達から不審がられるようなこともないだろうが、何となく気分的な問題である。
ともあれそうした、見方によっては不気味とも取れる格好でカイルは孤児院へと戻って来たわけだが、人は意外と何でも慣れるものだ。
特に感受性の高いうちであれば、尚更。
直後にカイルへとかけられた声には、喜びだけが含まれていた。
「あっ、カイ兄ちゃん!」
視線を向けるまでもなく、その姿はそこにあった。
随分と大きくなってきてはいるものの、未だ一目で幼子だと分かる外見に、声と同様の笑みがその顔には浮かんでいる。
血の繋がりはないものの、カイルの弟と呼んで差し支えのない存在である、ディックであった。
「おかえり! 今日もお肉取ってきてくれたの!?」
「ああ、ただいま。まあ結果的に、だけどな」
「やったー!」
肉は既に貴重なものではないが、それを食べられることを嬉しいと思うか否かはまた別の話だ。
全身で喜びを表現する弟の姿に、カイルは口元を綻ばせる。
と、その視界の端に、ふと小さな影が映った。
だがカイルがそれを訝しむことがなかったのは、そこにいるのが誰なのか分かっていたからだ。
「ナタリアも、ただいま」
「あっ……!」
見つかっているとは思わなかったのか、声をかけられた小さな影――ナタリアが身体を小さく震わせたが、それで観念したように隠れていた角から顔だけを見せる。
「その……おかりなさいっ」
それだけ言うと、すぐに顔を引っ込めてしまったが、僅かに覗いている手足がまだそこにはいることを知らせている。
相変わらずというか、妹の方はどんどんシャイになって来ている気がするなと、苦笑を浮かべた。
「ね、ね、カイ兄ちゃん、それお昼に食べるの!?」
対してこっちは昔から変わらずちょっと積極的過ぎるというか、肉に食いつきすぎじゃないかとも思うが、まあこのぐらいの子供はこんなものかもしれない。
そしてそれが子供の特権だ。
「それは母さんに聞いてみないと分からないが……というかまあ、母さんに相談ってところか? 生憎と昼も夜もってほどには取れないだろうしな」
意外にもと言うべきか、当たり前と言うべきか、孤児院の食料を管理しているのはルイーズなのだ。
これをどう扱うのかはルイーズ次第となる。
「っと、母さんで思い出したが、そういえばお前ら何でここにいるんだ? 今の時間は母さんと勉強中のはずだろ?」
「あ、うん、そのはずだったんだけど、追い出された」
「追い出された……?」
「うん。なんか作り直さなくちゃいけない、とか、カイ兄ちゃんはやっぱおかしい、とか言ってた!」
「んん……?」
何故自分がディスられてるのかは分からなかったが、なんか計算違いがあったとかいうことだろうか。
作り直されなければならないというのは、状況から考えるに学習指導要領的な何かだろう。
二人の学習速度が予想よりも速かったとか、そういうことなのかもしれない。
二人――ディックとナタリアがルイーズから授業を受けるようになってから、まだ一年ほどしか経っていないのだ。
いくらあのルイーズとはいえ、その程度の想定外は発生しても不思議ではないだろう。
そう、カイル達が始めたのと比べると一年ほど遅いが、ディック達もようやくルイーズから授業を受けるようになったのである。
そしてそれが、カイルが一人で森に行くことに出来るようになった理由の一つだ。
さすがに同じ時間にやるわけにはいかないため、ディック達の授業は昼前に行われているのである。
その時間を利用して、ということだ。
あとは単純に、授業を受けれる程度にはディック達も成長してきたからでもある。
まだまだ目を離すことは出来ないものの、常に見ていなくてもよくなったというのは大きい。
特にそれまでは、三人同時に見ていなければならなかったのだから尚更だ。
ただ、二人がある程度安心して見ていられるようになった代わりに、一人からは目を離せなくなってしまったのだが――
「ん? ああ、戻ったのだね、カイル。おかえり」
「にーたんおかーりー!」
と、声に視線を向ければ、そのもう一人がそこにはいた。
ただし声からも分かる通り、一人でいたというわけではなかったが。
「ただいま、二人とも。それと、リディアさんはローラの面倒見ていてくれてありがとう。いつも助かってる」
「なに、ワタシも狩り以外に出来る事があればとずっと思っていたし、これまではずっと君が頑張っていたのだからな。気にする必要はないさ。それに、ワタシが好きでやっていることでもあるからね」
その言葉はこちらを気遣って、というわけではないのだろう。
実際ローラを背負っているリディアの顔は嬉しげに緩んでいるし、ローラはローラでそんなリディアにしがみ付ききゃっきゃと楽しげにしている。
確かに問題はなさそうであった。
尚、これもまたカイルが安心して森に行く事が出来た理由でもある。
自分の足で歩き回れるようになったローラは常に見ていなければならないほど危なっかしいのだが、その役目をリディアが引き受けてくれたのだ。
まあというよりは、積極的にリディアがやりたがった、と言うべきかもしれないが。
まだ諦めてはいなかったらしい。
だが今回は前回の反省を活かしたのか、ローラを無事懐かせることに成功したようだ。
それを受けてか、最近ではディック達もリディアのことを避けなくなったようだし、今はまだカイルがディック達の世話を主に見ているが、そのうち完全にリディアに取られてしまうのかもしれない。
そんなことを何となく思い、それがありえそうなことに、カイルは苦笑を浮かべた。
と。
「お? クレア?」
ふと近くにあった部屋の扉が開くと、中からクレアが出てくるところであった。
とはいえそれは、ただの偶然だったようだ。
ちらりと一瞬だけこちらに視線を向けるも、すぐに視線をそらす。
「……戻ったのね」
「ああ、ただいま」
「……おかえり」
そうしてそれだけを口にすると、そのまま歩き去ってしまった。
視界の中でリディアが苦笑を浮かべるのが分かったが、おそらくはカイルも似たような顔をしていたことだろう。
クレアの姿が見えなくなってから、リディアが溜息を吐き出した。
「どうやら、相変わらずのようだな」
「そのようで」
そう言ってカイルが肩をすくめたのは、これがいつも通りのことだったからだ。
理由はどうにもよく分からないのだが……何故かカイルはクレアから避けられているようなのである。
以前にも似たようなことはあったものの、あの時は気のせいだろうと思える程度でしかなかった。
しかし一年ほど前から続いているこれは明らかにそうだと感じるもので、しかもここ最近は特に顕著だ。
それは一見怒っているようでもあり、だがカイルにはその心当たりがないのであった。
「ふーむ……そのうち元に戻るだろうと思って放っておいたが、さすがにそろそろ謝っとくべきか? とはいえ理由が分からんのに謝るのもなぁ……」
「あー、いや、今はまだ放置で正しいだろうね。多分今は君が何を言っても意味はないだろうし、謝罪は下手すれば逆効果だろう。せめて自分で折り合いをつけるまでは待つべきだろうさ」
「うん?」
どうやらリディアは何か知っているようであったが、言わないということは、カイルには言えないようなことか、言わない方がいいようなことなのだろう。
「何だよカイ兄ちゃん、クレア姉ちゃんと喧嘩でもしたのか?」
「……喧嘩、したの?」
「けんかー?」
「いや、そういうわけじゃない。ちゃんと仲良しだぞ?」
ほんとー? などか言ってくる弟達の頭を撫で、苦笑を浮かべながら、ふと、そういえばこれも変化と言えば変化なのだろうか、と思う。
弟達のことや、リディアのことや、クレアのこと。
僅か一年の間では言及するような大きな出来事は何もなかったが、小さな変化でもいいのであれば、それらは確かに変化だろう。
変わっていないように思えるのは、ルイーズぐらいだろうか。
それでも弟達の授業をするための時間を割くようになったことを考えれば、カイルには見えていないだけで、ルイーズにも変化はあるのだろうが。
そして言うまでもなく、カイルにもまた変化はあった。
森に一人で行くようになったのはもちろんその一つで、見方によってはクレアのこともそこに含まれるのだろう。
出来ればクレアに対するような変化はあまり歓迎したくはないのだが……言ったところでどうなるものでもない。
おっさんの経験値を持っていようとも、人間関係というのは一筋縄でいくものではないのだ。
さてどうしたものかと思いながら、カイルは溜息を吐き出すのであった。




