再戦 その2
意外にもと言うべきか、次の魔物は比較的すぐに見つかった。
ここは既に魔物の縄張りであり、そこであんなことをしたのだ。
正直しばらく警戒されて見つからなくともおかしくないと思っていたが、無用の心配だったようである。
とはいえ、それは他の魔物に気付かれなかったというよりは、単に魔物が警戒慣れしていない、ということなのかもしれない。
この森はかなり広く、リディアも未だ全てを見て回れたわけではないが、おそらくこの森に住み着いている魔物は一種類だけである。
それは即ち、この森にはそれらの天敵が存在しないということだ。
野生動物ならば、既に述べたように猪や熊などが存在しているが、それらでは万が一にも勝ち目はないだろう。
それぐらい、魔物とその他の生物との間には絶対的な差が存在しているのだ。
というよりも、だからこそ魔物は魔物と呼ばれている、と言うべきなのかもしれないが。
それはもちろんのこと、魔物の中では弱かったとしても変わることはない。
「……カイル」
「……分かってる」
リディアが名を呼ぶと、カイルは緊張が混ざった声で頷いた。
何を分かったのかは言わなかったしリディアも聞かなかったが、それは言葉にするまでもないことだからだ。
魔物を見つけた、というところまでは先ほどと同じである。
だが今は先ほどとは明確に異なることが、一つあった。
それは、まだ魔物まで十メートル以上離れているというのに、その姿が肉眼で捉えることが出来ている、ということだ。
先ほどのように、魔物との間に上手い具合に遮蔽物となるようなものはなかったのである。
魔物の様子からいって、既にこちらに気付いているのは間違いなかった。
――角ウサギ。
その魔物の名がポツリと呟かれた。
その姿を視界に収めながら、カイルの様子を伺ってみると、その身体は僅かに強張っているように見えた。
一年前の話はリディアも聞いているし、おそらくはその時のことを思い出しているのだろう。
とはいえ臆しているわけではなく、その瞳から冷静さは失われてはいない。
どうやって戦うのかを考えているのだろうということがその様子からは見て取れた。
角ウサギはその外見からして油断されやすいし、油断しなかったとしても注意を向けられやすいのはその角だ。
確かに角ウサギの角は熊相手だろうとその胴体へと容易に風穴を開けるし、注意すべきところであることに違いはない。
しかし真に注意すべきは、その脚力であった。
角ウサギは助走などをしなくとも、その場から脚力だけで一瞬にして四、五メートルほどの距離を縮めることが出来る。
つまり角だけに注意を払い、これだけ離れていれば安全だろうと気を抜いていると、次の瞬間には身体に風穴が開いていてもおかしくはないのだ。
実際角ウサギに対して知識の乏しい初心者冒険者や村人が、それによって毎年少なくない数命を落としている。
クレアが先ほど足を止めた位置も、それを見極めた上でのものであった。
先ほどのカイルの頷きは、そういった諸々を理解している、といった類のものだ。
カイルとの付き合いは一年程しかないが、そこを勘違いしない程度には濃い時間を過ごしている。
だから歩き出したカイルの背中を、リディアは特に心配することなく眺めていた。
そんなカイルを観察するように、角ウサギはその場に立ち止まると、ジッとカイルのことを見つめている。
それはもしかしたら、好奇心だったのかもしれない。
リディアはこの森を歩き回ったが、角ウサギ達との交戦は避けていた。
正直リディアからすれば今更過ぎる相手だし、狩ったところで旨味は薄い。
特に狩る意味がなかったので、避けたのだ。
もちろん通常であれば、野生動物を狩るよりは魔物を狩るべきである。
最弱の魔物だろうと明確な脅威と成り得るし、何よりも野生動物よりも余程儲かるからだ。
魔物の肉は問題なく食べられるものが多い上に旨いことも多く、また毛皮や爪、角ウサギであればその角などはそれなりの値段で取引される。
狩れるのならば、狩らない理由の方がないのだ。
しかしこの村の場合は別である。
角ウサギは基本的にこの森にこもって外に出てこないので、手出しをする必要がないのだ。
角ウサギは見た目通りの量しか餌を必要としないし、ここはそれなりに野生動物が豊富である。
それだけで十分、ということなのだろう。
そして毛皮などを取ろうとしたところで、無駄になるだけだ。
何故ならば、ここの村には行商人が訪れることがないので、売れる先がないからである。
爪や角などは主に武器や防具に用いられるものであるため、ここでは必要としないし、毛皮は野生動物のもので十分だ。
肉もまた同様である。
角ウサギの肉は旨いことは旨いのだが、それほど飛びぬけてというわけではないし、見た目の通り取れる量が少ない。
猪や熊を狩った方が効率がいいのだ。
そういったわけで、角ウサギ達は人間というものをほぼ知らないはずである。
村の狩人はあくまでも野生動物専門であるため、こんなところまでやってくることはない。
角ウサギは魔王出現後も比較的元の性質を残している存在であるため、そういったことがあってもおかしくはないだろう。
とはいえ、それも好奇心で済んでいる間だけの話だ。
無遠慮に近づいてくるのを見れば次第に警戒心は高まり、間合いに踏む込んできたら躊躇はすまい。
そのことを、当然のようにカイルが分からないわけがない。
だがそれでもカイルは足を止めることはなかった。
クレアのようにギリギリで止まることなく、そのままさらに足を進める。
瞬間――
「――っ」
カイルの身体が真横に飛び退いたのと、角ウサギが飛び掛ってきたのはほぼ同時であった。
いや、動いたタイミングであれば、カイルの方が早いぐらいか。
しかし、それでかわせはしたものの、かなりギリギリではあった。
あとほんの少しでも動きタイミングが遅ければ、きっとカイルは角ウサギの角にその身を貫かれていたことだろう。
だがカイルの顔に焦りはない。
カイルが地面に着地した時には既に角ウサギの準備は終わっていたが、それを目にしてもカイルの表情はこゆるぎもしない。
再び襲い掛かってきたそれを、カイルはその場で転がるようにしてまたもやギリギリのところで回避した。
「やれやれ……彼はこんな時でもいつも通りだね」
そんな光景を眺めながら漏らしたリディアの呟きには、色々な意味での呆れがあった。
その意味するところは、口にした通りのもの。
いつも通りだったからである。
カイルは戦闘を行う際、大体の場合において余裕を持って何かをするということをしない。
最初の頃は実力の問題で出来ないのかと思っていたのだが、そうでないのだということにはすぐに気付いた。
余裕を持って攻撃をかわせるような状況でも、カイルは常にギリギリまで待ってからかわしていたからである。
それは見極めに自信があるから、というわけではないのは確かだ。
ギリギリでかわそうとして失敗することがよくあるし、かわせたとしても次の行動に活かせないこともまた多いからである。
その行動は、まるで紙一重でかわすこと自体を目的としているようでもあった。
あまりにも目に付いたため、以前に一度問いかけてみたことがある。
無謀にしか見えないその行動は、それはわざとやっているのか、と。
しかし対するカイルは、きょとんとしたものであった。
そして返答は、余裕をもってかわせるのならばそうしているし、単純に実力が足りないからそうなっているだけだ、というものである。
そこにリディアは、嘘を感じなかった。
少なくとも、カイル自身はそう思っているのだろうということは間違いない。
だが。
「……本当に、何一つ変わってないじゃないの、アイツ」
後ろから聞こえた声に、リディアは視線を向けることはしなかった。
既に心配などしてはいなかったが、万が一ということも有り得るのだ。
カイルから目を離すわけにはいかなかった。
それに、見るまでもないと思っていたのもある。
その顔に浮かんでいる表情は、きっと自分と大差ないだろうからだ。
そうして、角ウサギの攻撃をギリギリでかわし、それ以外何も出来ずにいるカイルのことを眺めながら、ふと思う。
やはりか、と。
とうに気付いていたことではあるが、こうして客観的に見てみるとよく分かる。
カイルの動きは、非常に無駄が多かった。
攻撃をかわす前の動作、かわした後、かわす動作そのもの。
一つ一つは小さくとも、重なっていけば隙となってしまうようなものだ。
しかしだというのに、何故か正確に角ウサギの攻撃をギリギリでかわせてもいる。
まるで隙を作り出すことで、敢えてそうなるように計算しているかの如く、だ。
しかもその無駄は、回避を重ねるごとに少しずつなくなっていっている。
それでもギリギリなのが変わらないのは、かわすタイミングが遅くなっていっているからだ。
無駄がなくなっていっているのは、そっちに関してもなのである。
やがてカイルの動きから、無駄は完全になくなった。
まだ回避のタイミングに関しては余剰があるが、それも次第になくなっていく。
最小の動きのみで、さばき……ついには、防御以外の目的でその剣が振るわれる。
角を紙一重でかわすと、そのまま隙だらけの胴体に向けて叩き込まれた。
「まったく……本当にいつも通りだな」
初見であったり、未だ慣れていない攻撃を受ける場合、カイルはいつもああいう行動を取る。
ギリギリで回避を続けることで最適化を行い、最後には反撃まで可能となるのだ。
だがそれでいてカイルは、最初は回避するだけで精一杯だったのに何故反撃出来るようになったのかと尋ねると、慣れたからだとか答えるのだから困ったものである。
多分今もそう思っているのだろう。
だが生憎と、人類の適応能力はそんなに高くはない。
そもそもそんな十回程度かわしただけで対応出来るのならば、きっと人類はもっと魔物を狩れるようになっているはずだ。
しかし現実には、そんなことになってはいない。
かつて一度戦った事があるとはいえ、その時は戦力に差がありすぎて対応出来ないままだったそうなので、そこはあまり関係がないだろう。
つまりは、カイルがおかしいというだけのことであった。
「……クレアとの模擬戦の時から兆候はあったし、あなたから聞いてもいたけれど……こうして自分の目で見るとこれはまた呆れるほかないわね」
「だろう? これで自覚しているのならばまだ分かるのだが……あるいは、自覚していないからこそなのかもしれんがね」
カイルはおそらく、無意識のうちに自分を不利な状況へと置いている。
自分を鍛えるために、だ。
実際のところ、極限の状況というのは最も人を成長させるものではある。
強敵と戦うだけではなく、その強敵の実力が自分よりも上で、かつそれに打ち勝つという状況が最大限の成果を得られるのだ。
カイルはどうにも意図的にそういった状況を作り出そうとしているようなのである。
ただ、意図的ではあるが、あくまでも無意識にでもあるのだ。
多分ひたすらに強くなろうとしているがために起こっていることなのだろう。
もちろんと言うべきか、無謀すぎる行為ではある。
普通は止めるべきなのだが……カイルはああして対応できてしまっているがために、どうにも止めづらいのだ。
失敗したとしても命に関わるような状況には決してもっていかないし、結果的に成長してもいる。
こうして角ウサギと戦う事が出来るようになったのも、間違いなくその成果ではあるし――
「……まあ、先ほども言ったけれど、あなたの思う通りにすればいいと思うわ。私は余計な口を挟むつもりはないから。見たところ問題はなさそうだもの。ただ、あとはあるとしたら攻撃の方、かしら?」
「そっちは本人も自覚してるんだがね……」
攻撃に移る事が出来たカイルであるが、それで角ウサギを倒すことは出来なかった。
魔物だけあって、皮膚等も普通の動物などに比べれば遥かに硬いのだ。
吹き飛ばされはしたものの、その身体にあるのは一つの切り傷だけ。
浅くはないが、致命傷には程遠いものだ。
そう、この一年カイルは頑張っていたし、結果本人は意識していないものの、身のこなしなどはああして角ウサギ程度ならば圧倒的出来る程度にはなった。
だが攻撃の威力だけは、どうにもあまり上がらなかったのだ。
もっとも、リディアとしてはあまりそっちも気にしてはいなかった。
今はしっくりきていないだけで、何か切欠があればそっちもすぐ伸びるだろうと、何となく感じていたからだ。
そしてその何かを与えてやるのが、自分の役目である。
「ま、何とかなるだろうし、ワタシが何とかするさ」
「そう……なら、期待していましょうか」
それはおそらく、自分にだけ告げたものではないのだろう。
カイルは結局のところ、一年経っても加護の力が使えるようにはならなかった。
それはリディアの責任ではあるが、事実でもあり……だがそれでも、ここまでの力を示したのである。
計画の変更は必要あるまい。
ちらりと、後方に視線を向ける。
何となくその顔に安堵の色があるように見えるのは、気のせいだろうか。
以前のルイーズならば有り得なかったことではあろうが――
(まあ、何だかんだでルイーズも変わってきている、ということなのだろうね)
心の中で呟きながら視線を戻し――一瞬だけ、クレアの横顔が目に入った。
ジッとカイルのことを見つめ、唇をかみ締めている顔を。
何を考えているのかは、何となく察しがついた。
クレアはおそらく、自分とカイルが戦ったらどうなるのか、ということを考えているのだろう。
そして想像の中では、その結果は芳しくなかったと思われる。
それが正しいかは分からないし、間違いだとも言えない。
ただ、少なくとも現時点では、戦えばまずクレアが勝つのは間違いのないことだ。
クレアの全力を凌ぐ手段がカイルにはないからである。
一週間続けたところで、それは変わらないだろう
しかし、二週間続けた場合にどうなるかは、分からない。
その時点でもクレアがまだカイルに勝てるとは、正直リディアには断言出来る自信がなかった。
クレアの攻撃は先ほど見た通りのものであり、実はアレでも全力ではない。
二週間程度でどうにか出来るようなものではないはずなのだが、それでもカイルならばあるいは、と思ってしまうのである。
きっとクレアも似たようなことを考えているに違いない。
カイルの適応能力の高さは、それほどのものなのだ。
アレはきっと自分よりも上の存在ならば上の存在であるほど、その真価を発揮するに違いない。
それを無意識のうちに認識しているからこそ、カイルはあんなことをし続けているのだ。
そんなことを考えながらカイルを眺めれば、最早何の心配もないようであった。
角ウサギの攻撃は一度も当たらず、カイルの斬撃が角ウサギの身体を切り裂くだけ。
まだもう少し時間はかかりそうだが、それは即ち時間の問題ということである。
とはいえ、既に言ったようにリディアは最初からカイルのことは心配してはいなかった。
アレはこの結末も込みでの意味だ。
こうなるだろうということは、予測出来ていたことなのである。
むしろ、正直に言ってしまうのであれば、先ほどのクレアの方が余程心配だったぐらいだ。
クレアは確かに一年前と比べれば信じられないほどに成長した。
一撃であれほどの威力を出すことは、既にリディアにも不可能なほどである。
言い方は悪いが、その成長速度は異常と言ってしまっても過言ではない。
少なくとも今までリディアが目にしたことのある者で言えば、明らかに別格……あるいは、別種と言ってしまってもいいぐらいに、有り得ざる成長速度であった。
もっとも、それ自体はさすがだと思えるものではあるし、それでこそだと思えるものでもあるのだが……その代償とでも言うべきか。
クレアは時折妙に不安定になることがあるのだ。
クレアは今の時点で、大人と対等に話が出来る程度の知能はある。
だがそのせいで、気負いすぎているようにも思えるのだ。
確かにそれは仕方のないことではある。
クレアは自身が何をすべきかということを、既に知っているのだ。
気負うなという方が無理な話だろう。
逆に気にするなといったところで、それは無責任な発言としか捉えられまい。
しかしそれでも、リディアには行き過ぎているように感じられるのだ。
今はまだいい。
気負いがいい感じに作用し、成長速度にも繋がっている。
だが……いつしかその気負いが、取り返すのつかないことを引き起こしてしまいそうな気がしているのだ。
言ってしまえばそれはただの勘である。
根拠などはない。
そのせいか、ルイーズには言ってみたところで一蹴された。
少なくともルイーズが何も言わないということは、ルイーズの中では問題ないと判断されているということなのだろう。
ルイーズの判断を疑うわけではないが……それでもやはり、不安が消えることはない。
杞憂で済むならばそれが一番なのだが、などと思いながら、視線の先ではちょうどカイルが角ウサギへと止めを刺すところであった。
剣を突き刺した角ウサギの様子をしばし伺い、本当に倒せたことを確認すると、カイルが大きく息を吐き出す。
それからこちらへと向けられた顔には、安堵と達成感と、それと希望のようなものが感じられ……リディアの顔には自然と、苦笑めいたものが浮かんでいた。
それから、カイルが上手くやってくれればいいのだがと、そんな他人任せなことを思いつつ、リディアもまた息を一つ吐き出すのであった。




