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取り戻した記憶

 ――ああ、これは死んだな、とその瞬間カイルは納得に似た感情を覚えた。


 迫る魔物、鋭利で硬質な角、伸びきって隙だらけの自身の身体。

 数瞬先に自分がその角に貫かれているだろうことを想像するのは、難しいことではなかった。


 見知った少女の驚いたような顔に、少しだけ罪悪感を覚える。

 数瞬後にはそこに悲しみが加わってしまうのだろうことが分かるからだ。


 だがそれでも、安堵の方がずっと強かった。

 咄嗟のことではあったが、身体が動いてくれて良かったと心底思う。

 自分の命が失われてしまうことよりも、幼馴染であり妹でもある彼女を助けることが出来たということの方が遥かに重要であった。


 後悔はないのかと問われれば、もちろんあると答えるだろう。

 ただしそれは彼女を助けたことにではなく、夢を叶えられそうにないということにだ。


 そう、カイルには夢があった。

 いつの頃からか自然と抱いていた、それは衝動にも似た想い。


 ――冒険に憧れた。


 胸が躍り心が沸き立つような、そんな冒険をしてみたいと思った。


 そのために知恵を蓄え努力を重ねてきたのだが、どうやらその夢を叶えることはまた(・・)出来ないようで――


 ――また(・・)


 ふと自分の思考に疑問が浮かんだのと、それが溢れ出してきたのはほぼ同時であった。


 見たことがないはずの光景、知らないはずの知識……そして、かつて自分は一度死んでいるということ。

 様々な事が一瞬にして脳裏を駆け巡り――なるほど、とカイルは納得を覚えた。


 しかしそこで、無情にも時間切れが訪れる。

 すぐそこに迫っていた角と自身の身体との距離がゼロになり――


 ――至高天の加護・異界の理(偽)・熟練戦闘(偽)・剣術特級(偽)・神速(偽):流水の構え・奥義の極(偽)。


 瞬間響いたのは、肉が貫かれた音ではなく、甲高い音であった。

 カイルが身体の前にかざすようにして持ってきた剣に、突き出された角が触れたのだ。


 とはいえそのままでは押し切られてしまうだけであったろうが、故にカイルはその勢いに逆らわなかった。

 まるで流れる水が如く、衝撃を受け止めることなく受け流す。


 そして本来ならばここから次の行動へと移行するのだが、今のは強引に強引を重ねたような動きだ。

 さすがにそれは叶わず……また必要もなかった。


 次の瞬間、後方で轟音が響いたからだ。


 その音を耳にしながら、カイルの身体は崩れた体勢そのままに地面へと転がるも、即座に跳ねるようにして立ちあがる。

 そうして音のした方へと視線を向けてみれば、そこには予想通り腕を振り切った体勢の少女の姿があった。

 先ほどの音は、少女の攻撃によって魔物が吹き飛ばされた際のものだったのだ。


 少女を称賛するように、カイルは口元を緩める。


「さすがだな」

「……ふんっ。そんなことが出来る力があったのに今まで隠してたアンタに褒められたって嬉しくないわよ」


 だが褒めたにも関わらず、彼女は大層ご立腹といった様子であった。

 カイルがそれに反論せず苦笑を浮かべるだけに留めたのは、その言葉が事実だったからではなく、そう捉えられても仕方ないと思ったからだ。


 それと、言い訳をしている場合ではなかったからでもある。


「別に隠してたわけじゃないんだが……それよりも、どうする? 逃げとくか?」


 そう尋ねたのは、吹き飛んだと思しき先で、それ(・・)が未だ健在だったからだ。

 つい今しがたカイルが命を奪われかけた魔物――角ウサギ。


 それなりにすさまじい音がしたと思ったのだが、それでも致命傷には遠かったらしい。

 さすがは魔物といったところか。


「馬鹿言ってんじゃないわよ。逃げるつもりがあるならとっくに逃げてるわ。そもそも今のは少し慌てちゃったせいで十分な一撃を放てなかっただけで、ちゃんとした一撃を与えることが出来れば倒せるってのに、何で逃げなくちゃならないのよ。それに仮に勝ち目がないんだとしても、全てを出しつくしたわけでもないのに逃げるなんて、まっぴらごめんだわ」


 その言葉に、カイルは先ほどと同じように、しかし少しだけ異なる意味で口元を緩めた。

 同感だったからだ。

 ここで逃げるようならば最初からこんなことはしていないし、折角異世界に転生したというのに、それでは勿体な過ぎるだろう。


 ――カイルは、所謂転生者である。

 しかも、異世界へのそれだ。

 意識は眼前から離さず、つい先ほど自覚したばかりのそれを思いながら、一つ息を吐きだした。


 そのことに対し、混乱はない。

 自覚したのは確かについ先ほどのことだが、それ以前から知ってはいたからだ。


 カイルはこれまで生きてきた中で、稀に違和感に襲われたことがある。

 見た事がないはずの物を見た事があるような、聞いた事がないはずの事を聞いた事があるような、そんなことがあったのだ。


 そしてだからこそ、カイルが前世の記憶を認識した際の最初の感想が、納得なのである。

 道理でと、納得したのだ。


 故に思い出したというよりは自覚したと言うべきであり、気付くことはなくとも常にそれはカイルと共にあった。

 自分がカイル・ハーグリーヴズという名であることにも、今の自分が八歳の少年であることにも、現在幼馴染兼妹な少女と共に魔物と戦っていることにも、何ら認識の齟齬が発生しないのはそのためだ。


 それでいて、元アラサーのおっさんであることや、一度死んでいるということにも違和感はない。

 死ぬ間際、冒険が出来なかったことを未練に思っていたことにもだ。

 今の自分の夢が冒険をすることなのは、むしろ当然に思うほどである。


 今ここでこんなことをしているのも、まさにそのためなのだから。


「さて……その意見に異論はないんだが、かといってどうする? さっきからずっと手を抜いてたわけじゃないんだろ?」


 しかし今は、それについて考えている場合ではない。

 思考を戻し、隣へと問いかければ、彼女は言葉を詰まらせた。


「うっ……それはそうだけど……」

「このままじゃさっきの繰り返しになるだけだぞ? アレも警戒強めたみたいだしな」


 先ほどの繰り返しというのがどういうことを意味するのかは、カイル達の姿を見れば分かる通りである。

 二人して全身傷だらけの状況を見れば、説明するまでもないだろう。


 要するに、一方的に押され続けていたということであった。


 さらにはそれだけではなく、命まで奪われそうになったのだ。

 つい先ほどのことであり……カイルが、ではなく、少女の方が、であった。

 先ほどのは咄嗟にカイルが庇ったからこそ、結果的に二人とも助かったのである。


 それを理解しているが故に、彼女は言葉を詰まらせたのだ。


「な、ならアンタが何とかしなさいよ……! さっきも何とかしたみたいに……!」


 それは本気で言ったというよりは、おそらく売り言葉に買い言葉的なものだったのだろう。

 何せ生まれた時からの付き合いだ。

 その程度のことは分かる。


「そうだな……じゃあアレの動きは俺が何とかして止めてみせるから、後のことは今度こそ頼んだぞ?」

「……えっ?」


 だから頷かれるとは思ってなかったのだろうし、晒されることとなった間の抜けた顔を眺めながら、カイルは苦笑を漏らす。

 だがすぐに視線を前方に戻すと、気を引き締めた。


「来るぞ。気を引き締めろ」

「あっ、わ、分かってるわよ……!」


 頷きつつも、そこに何かを問いたげな気配があるのは分かっていたが、敢えてカイルはそれを無視した。

 その理由は幾つかあるものの、最も大きいのは答えている場合ではなかったからだ。


 こちらを警戒して動かなかったのだろう角ウサギの姿が、次の瞬間視界から消えた。


「っ……!」


 それとほぼ同時に、隣から緊張に身体を固くしたような気配を覚えるも、それは当然のことである。

 アレの方が自分達よりも圧倒的に強いのだから。


 角ウサギという名前の通り、それの姿はほぼウサギそのものである。

 違うとすればその額に角が生えているというところだけであり、体長は五十センチ程度とこれまた少し大きめのウサギといったところだ。


 だがどれほど愛くるしい外見をしていようとも、魔物は魔物である。

 そしてこの世界の魔物とは、力を持たない一般市民からすれば災厄とほぼ同義だ。

 それほどの力を有した存在だということである。


 それが誇張などでないというのは、この光景を目にすれば一目瞭然だろう。

 姿の見えない角ウサギに、周囲の木々から響く、何かが蹴りつけているかのような音。


 否、ような、ではなく、そのままの音である。

 角ウサギは目に捉えきれないほどの速度で周囲の木々の間を移動しているのだ。


「っ、これ、は……!?」


 それに対し隣から戸惑ったような声が聞こえてくるのは、先ほどまで角ウサギはこんなことはしなかったからだろう。

 先ほどまでは正面から突進してくるだけであり、だからカイル達は傷だらけ程度で済んでいたのだ。

 最初からこんなことをされていたら、きっとカイル達はとうに殺されていたに違いない。


 だから戸惑うのは当然であり……しかしすぐにそれも引っ込んだ。

 戸惑っていたところで意味はないと気付いたから、というよりは、別の理由だろう。

 自意識過剰でなければ、こちらに一瞬視線を向けた後に落ち着いたように見えたからだ。


 だが彼女が、カイルが落ち着いているから、あるいは角ウサギが突っ込んできても先ほどのようにカイルが何とか出来るのだろうと思って落ち着いたというのならば、それは過大評価というものである。

 何故ならば、カイルは確かに落ち着いているものの、どうして落ち着いているのか自分でもよく分かっていないからだ。


 ついでに言うならば、先ほど自身の命を救った動きについてだが、アレもまた何故あんな動きが出来たのか、カイル自身理解出来ていない。

 加えて言うならば、それでももう一度あの動きをするのは不可能だということだけは分かっていた。

 理由は単純で、先ほどの動きの基点となった右足の感覚が、先ほどからないからだ。


 とはいえ、そのこと自体に不思議はない。

 先ほどのアレは間違いなく本来ならばカイルに出来ない動きであった。

 ならば代償が生じるのは当然のことだろう。


 過大評価とはそういう意味であり……しかしそれらのことを自覚しつつも、やはりカイルの心に焦りは少しも生じることがなかった。


 開き直りかと言われれば、そうなのかもしれない。

 ここで焦ったり戸惑ったところで意味がないのは明白だ。

 だから開き直っても不思議はないのだが、何となくカイルは違うのだろうと思っていた。


 理由はない。

 先ほど彼女の言葉に頷いた時と同じだ。

 理由はないが、何故だかそれでも出来るとカイルは()っているのである。


 そして。

 相変わらず角ウサギの姿を捉えることは出来ていなかったが、やはりカイルは何故か、角ウサギが左手側から自分の心臓目掛けて突っ込んでくるということを識っていた。


 ――至高天の加護・異界の理(偽)・熟練戦闘(偽)・常在戦場(偽)・気配察知特級(偽):奇襲看破(偽)。


 カイルが左へと視線を向けたのと、角ウサギが突っ込んできたのはほぼ同時。

 何故攻撃を当てた彼女ではなく先にこちらを狙ってきたのかは分からなかったが、好都合ではあった。

 庇う必要がないのであれば、失敗する道理はない。


 瞬間、カイルは右手に持っていた剣を投げ捨てた。


「っ……!?」


 隣から驚愕の気配が伝わってきたが、その時にはもうカイルと角ウサギは激突していた。

 直後にカイルが顔をしかめたのは、両手から激痛が伝わってきたからである。

 まあ、前に突き出し、重ねたそれが角によって貫かれているのだから、当然ではあるが。


 カイルの両手を貫いた角は、そのままカイルの心臓を目指し、皮膚を、肉をかき分け……だが、心臓に到達する、そのほんの僅か手前で止まっていた。

 カイルの小細工のような手が通用したから、ではない。


 再度繰り返すことになるが、角ウサギは災厄とも呼ばれる魔物の一匹だ。

 その程度の小細工をしたところで、関係なく貫かれていたはずである。

 魔物はそんなことで止められるようなものではないのだ。


 しかし、それだけのことで実際に角ウサギの攻撃が食い止められているのもまた事実であった。


 ――至高天の加護・異界の理(偽)・熟練戦闘(偽)・常在戦場(偽)・体術特級(偽):金剛不壊・極(偽)。


 その理由はカイルにも理解出来てはいなかったが、出来るという確信を何故か持っていたのと、目の前にその事実が存在している、ということだけは確かであり――


「――クレア!」


 瞬間、カイルは少女の名を呼んだ。

 呆然としていた少女――クレアが、その声に押されたかの如く、反射的に剣を振り上げる。


「っ……カイル、全力で行くわ……耐えなさいよ……!」


 だが反射的だった動きはそこまでであり、直後クレアの瞳に確かな意思が宿る。

 そしてその言葉の意味することは瞬時に理解出来た。


 振り上げたクレアの剣が、まばゆい光を放っていたからである。

 それがどれだけの力を秘めているのかは一目で理解出来……背筋を冷たい汗が流れ落ちた。


 それでもその場から逃げることがなかったのは、クレアのことを信じていたからである。

 自分には当てないということと、目の前のこれを倒すということを。


 角ウサギの方も本能的にそれを感じ取ったのか、逃げようとするかのように身体を捻ろうとするも、カイルがそれを許さない。

 激痛が走り続けている手で、しっかりとその頭を捕まえ――


「ぶっ飛びなさい……!」


 その言葉と同時、振り下ろされたクレアの一撃が角ウサギの身体へと叩きこまれた。


 瞬間、轟音が炸裂すると共に、剣に込められていた光が解き放たれたかの如く周囲が光に満ちる。

 カイルの視界もあっという間にそれに塗り潰されてしまい、どうなったのかを確認することは出来なかった。


 それでも手の中から重みが消えたことで、上手くいったのだろうことを悟る。

 そうして、両手の激痛によってこれが夢ではないのだということを認識ながら、カイルは安堵するように大きな息を吐き出したのであった。

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