半年後の現在
早いもので、気が付けばリディアがここに来てから半年が過ぎようとしていた。
その間に色々なことがあったものの……半年経った今最も強く思うのは、個人授業になった意味は大きかった、ということか。
以前までのカイル達は、揃ってルイーズから色々なことを教わっていた。
だが同じことを聞いていたとしても、カイルとクレアとでは当然のように理解に至るまでの時間が互いに異なる。
それは才能の差ではなく、単純に前提となる知識量の差だ。
カイルは一応前世で大学まで出ていたし、世界が異なるとはいえ色々なことで応用は利く。
その頃はそれを認識出来ていなかったものの、あるという事実は変わらないため、カイルはクレアよりも先んじることが出来ていたのだ。
しかし共に学んでいる以上は、カイルだけが分かっていればいいというものではない。
必然的にクレアが理解出来るまで待たねばならず、どうしても効率的とはいかなくなってしまっていたのである。
だが個人授業をするようになって、そういうことはなくなった。
自分が理解出来次第次に進むため、効率的に知識を吸収出来るようになったのだ。
この半年分の成果は、それまでの一年、あるいは二年分にも匹敵するかもしれない。
まず間違いなく不満など何一つない、満足のいく半年間であった。
ただ、そうして着実に知識を蓄え、ある意味では充実した半年間を過ごしていたカイルではあったが、それはあくまでも授業に関してだけのことでもある。
それ以外に関しては別というか……そもそも何一つ変わってはいないのだから、今更特に思うようなことはないのだ。
そう、リディアという大人が来たにも関わらず、ディック達の面倒は相変わらずカイルだけが見ているのであった。
とはいえ、繰り返すことになるが、カイル自身はそれに関して特に何か思うところがあるわけでもないのだが――
「その……毎日本当にすまない。ワタシも出来ることならばみたいのだが……」
「いやまあ、人には向き不向きってのがあるし、仕方ないんじゃないか? 別に俺は負担に思ってるわけでもないしな」
「だが、やはり君にだけやらせているというのは心苦しい。……ワタシは君達に教える立場ではあるが、その時間は短く、それでもここでずっと世話になっているからね。その見返りとして、というわけではないが――」
「よし、分かった。誤解の生じ得ないようにはっきりと言うが、邪魔だし俺の手間が増えるだけだから何もしないでくれ」
「…………うむ、分かった」
しょんぼり、といった風に明確に落ち込むリディアを眺めながら、カイルは思わず溜息を吐き出した。
一見すると凛々しいといった外見のリディアにそういうことをされると必要以上に哀愁が漂って見えるのだが、ここで甘い顔をするわけにはいかない。
そうしたところで、子供達もカイルにもいい迷惑にしかならないのだから。
というのも、確かに結果的にはカイルが変わらず子供達の面倒を見ることになっているが、別にリディアが何もしなかった、というわけではないのだ。
むしろ来たばかりの頃は積極的に手伝ってくれようともしたのである。
どうやらリディアはかなりの子供好きのようなのだ。
だが子供が好きだからといって、子供からも好かれるとは限らない。
逆に過度に愛情を注ぐ余り敬遠されてしまう、というのはよくある話だ。
そしてリディアは見事にそうなった。
最初の頃は物珍しさもあったのか、警戒心が解け慣れ始めるようになるとディック達も積極的にリディアへと向かって行っていたのだが、それが仇となったらしい。
普段は凛々しい態度を崩さないリディアが、まるで頑固爺のところに孫が遊びに来たかの如くデレまくったのである。
それは見ている方からしてもやりすぎだというのが分かるぐらいであり……ディック達からすれば尚更だったようだ。
今ではリディアが近付くだけで怯えるし、逃げるし、しまいには寝付きも悪くなる。
初日の頃の方がまだマシだったという有様で、まさに百害あって一利なし状態なのであった。
尚、食事の時も、リディアだけ一人離れた場所にいるという、罰ゲーム状態である。
さすがに若干哀れに思うものの、基本的には自業自得なので仕方があるまい。
ずっとこのままということはないだろうから、その間に加減というものは覚えてもらうしかないだろう。
ところでどうしてそんな話をしているのかと言えば、今日のリディアの授業は孤児院で行われているからである。
最初は簡単な雑談から始まっていたのだが、そこから最近の様子などを聞かれ、様子も何も基本子供達の世話をするので忙しく、的な流れだ。
今日は妙にそわそわしてたので、最初からその話をするつもりだったのかもしれないが、まあどうでもいいことではある。
ちなみに孤児院の中でやる以上は当然のように座学だ。
基本的にリディアの授業は外での実戦形式での実習が主ではあるが、座学が行われないわけではないのである。
戦闘は最終的には全てが実践あってこそとなるが、だからといって理論が不要というわけではない。
それにリディアは、戦闘以外にもう一つ重要な役割を担っている。
それは、加護だ。
加護についてはルイーズよりもリディアの方が詳しいため、リディアからはたまにそういった話も聞いている、というわけである。
まあカイルの場合は、単純に加護の話を聞くだけには留まらないのだが。
尚、孤児院は無駄に広いので、ルイーズと授業を行う部屋とは別である。
今頃クレアとルイーズは、いつも通りの授業を行っていることだろう。
閑話休題。
「さ、それはさておき、そろそろ今日の本題を話さないか? ……ま、話しても無駄だって言われれば、その通りではあるんだが」
「……いや、そうだな、すまない。確かに君からすれば、さっさとその話をしろというところだろう。とはいえ……」
そうしてリディアが言葉を濁した瞬間、カイルはリディアが何を言おうとしているのかを大体のところで予測出来た。
いや、出来ないはずがないとも言うか。
何せ、自分の加護のことなのだから。
リディアが来てから既に半年以上が経ち、カイルが加護に目覚めたのはその三週間ほど前である。
だが未だにカイルは、その力を使うことが出来ずにいたのであった。
今日はそれに関しての話、ということだったのだが――
「やっぱり……って言うと若干嫌味っぽく聞こえるかもしれないが、やっぱり何も分からない、か?」
「別にそう聞こえるということはないが、君はワタシに嫌味の一つも言う権利はあるからね。……本当にすまない」
「いや、別にリディアさんが悪いわけじゃないんだから、謝る必要もないだろ? 俺は気にしてないしな」
「そういうわけにもいかないさ。これはルイーズから依頼され、ワタシが受けたことなのだからね。それを果たせないということは、恥ずべきことだよ」
神妙にそんなことを言うリディアではあるが、カイルは本当に気にしていないのだ。
いつか思ったように、別に加護の力というのはカイルにとって必須というわけではない。
あればそれに越したことはないが、そんなものはなくとも冒険は出来るのである。
ならば問題はない……と言いたいところだが、きっと言ったところでリディアの気は済むまい。
そしてここでそれを関係ないと言えてしまうほど、カイルは無慈悲な人間ではなかった。
仕方がないなと、そっと息を吐き出す。
「じゃあまあ、その代わりってわけじゃないが、折角今日は座学の時間を取ったんだし、リディアさんの知ってる限りで加護ってのはどういうものなのか、ってのを説明してもらってもいいか? ちょくちょくと聞いたことはあったが、そういえば改めて聞いてみたことはなかったしな。それが何かのヒントになるかもしれんし」
それは気分転換させるための言葉ではあったが、まるっきり嘘というわけでもなかった。
リディアは確かにルイーズよりも加護のことを知っているのだろうな、と思うことは幾度もあったし、一度しっかりとした話を聞いてみたいと思っていたのだ。
ただ、主な理由としては、単純な好奇心故ではあったが。
「ふむ……確かに改めて話したことはなかったか。ルイーズから基本的なことは説明していたと聞いていたし、都度付け加えていただけだからね。加護は知識のあるなしで何かが変わるわけでもないとも言われているし……だがまあ、良い機会と言えばその通りでもある、か。分かった、この程度で代わりになるとは思わないが、改めて説明するとしようか」
そう言うと、カイルの本心などは知らないリディアは、少し得意気な表情を浮かべた。
リディアの年齢は二十台の中頃と聞いていたし、いつもは凜としているせいかそれよりも年上に見えるぐらいなのだが、今はむしろ少し幼くすら見える。
その様子をどことなく微笑ましく思ってしまうのは、前世の記憶のせいだろうか。
普段はあまり他人と自分との年齢を気にすることはないカイルだが、本来ならばリディアよりも年上なのである。
そのことを何となく不思議に、またどこか面白く思っていると、リディアが話を始めだした。
「まず、加護は一般的に神々の祝福などと呼ばれているが、これは間違いだ」
「……え?」
なんか最初から予想外の言葉が出てきたんが、などと思いリディアの顔を眺めていると、リディアも何故か不思議そうに首を傾げていた。
「どうした? これは常識だろう?」
「いや、母さんからは、普通に加護は神々の祝福って呼ばれてる、としか聞いてないんだが?」
「……なるほど。クレアの悪い癖が出たか」
「母さんの悪い癖?」
「そっちのが合理的だとかいって、面倒だったり邪魔だったりする説明を省くことさ。凡そ合ってればそれで問題はないでしょう、とか言ってね」
「……あー」
それは凄く思い当たる節のあることであった。
ルイーズの授業の中で、カイルが既に知っていることについて話す時、時折そういったものが混ざっていたのである。
言ってしまえば、円周率を三だと断言してしまうようなものだ。
間違ってはいないのだが、正しくもない。
だが確かにそうした方がスムーズに説明できるという時、ルイーズはそういったことをしていたのである。
カイルはそれをてっきり、こっちの世界ではそうだとか、現時点ではそう認識されている、とかいうことだと思っていたのだが……これは後で色々と確かめる必要があるのかもしれない。
「まあ、とにかくそういうわけで、加護が神々の祝福だということは間違いだ。正確には、加護の多くは神々の祝福である、というところか?」
「ふむ……つまりは、加護は神々以外からも与えられる事がある、と?」
「そういうことだね。ただ、そういうことは滅多にないし、現在では皆無に等しい。ルイーズがその説明を省いたのは、そのせいだろう」
「なるほど……ちなみに、具体的には?」
「そうだな、基本的には神と同等の力を持っていれば他の存在でも可能、ということらしいが、そういうわけだからそもそもがほぼいない。余程の力を持った精霊か、あるいは龍あたりか。昔はそういった存在が加護を与えた事がある、という話を聞いた事がある程度ではあるがね」
「ふーむ……龍、か。現在では皆無に等しいってのはそういう意味か」
この世界には魔物がいるし、龍というものもいる……と、されている。
断言する事が出来ないのは、昔はちょくちょく見ることもあったらしいのだが、近年ではほぼないからだ。
確か最も最近見かけたのも六年近く前だという話だし、絶滅したのではないかという話まで出てくるほどなのである。
出来れば冒険の果てに龍などと戦いたいと思っているカイルとしては是非とも生きていて欲しいのだが……いや、あるいは、絶滅したと思われる龍を見つけ出すというのも、浪漫的にはありだろうか。
と、脇道に逸れかけた思考を戻す。
「精霊も神が去った後はこの世界と同化したって話だから、まあ今では有り得ないだろう。っと、話が少し逸れたね。故に加護とは、そういった力あるモノが自らの力の一部を貸し与えるものだとされているのさ」
「……加護は神々の権能の一部だとか神自身から聞いたとかって話をこれまた母さんから聞いた覚えがあるんだが」
「それは一応間違いではないよ。ただし、神が与えた加護はそうなる、というだけの話だ。精霊はまだしも、龍は世界の理である権能を使えるわけがないからね。だから龍の与えた加護は、単純に龍の力の一部を使えるようになった、というだけの話さ」
「それはまた浪漫のある話だなぁ……」
「現実にあったのならば、の話だがね」
「え……? もしかして作り話だったりするのか……?」
「その可能性はある、というだけの話さ。何せワタシも、そういった話がある、と聞いただけなのだからね」
確かに、確認するすべがない以上は、そういうことになるのか。
だがどうせならば、浪漫が欲しいものである。
「さ、ともあれ次へ行こうか。そして加護とは生まれた時に授かるものとされてはいるが、実際にはそうとは限らない。神々から与えられる場合はそうであるらしいが、そうでない場合があるからね」
「まあ、神以外が加護を与えられるって時点でそれはそんな気はしてたな。龍とかが人が生まれた瞬間を認識しようとするかってのは疑問だし」
「そういうことだね。やろうと思えば出来てもおかしくはないが、龍もそこまで暇じゃあるまいよ」
「だろうなぁ。で、話がそう来たってことは、次は力が目覚めるのは個人差があるって話か?」
「話を先取りしようとするんじゃない。まあその通りだがね。ここに関しては君も知っている通りだろう」
「省きようがないというよりは、例外が沢山ありそうだから、か?」
「そういうことだ。基本は生まれた時から使えるか、成長してから突然使えるようになるか、死に瀕した際に目覚めか、というところではあるが、細かく分けていくと際限がないだろう」
何せカイルが目覚めた状況からして特殊だ。
前世の記憶が蘇ったのとほぼ同時になど、他にそんな者がいるのかすらも怪しいものである。
「一応リディアさんは、成長してからある日突然、のパターンなんだっけ?」
「ああ。成人と同時だったね。もっともアレは、単純にその日偶然気付いた、という可能性もあるが」
この世界での成人は十五であり、その時にはある程度お祝いのようなことをするらしい。
しかも一年に一度、成人の日のようなものがあるため、成人した者は一堂に介し、さらにはその者達を祝うために沢山の人達も集まる。
そしてリディアはその時に初めて、特定の人物が光の膜のようなものに包まれていることに気付いたのだそうだ。
「あの時は驚いたものだよ。しかも聞いてみたら、彼らは全員が加護持ちだというのだからね」
「そりゃ驚くよなぁ」
「だがそのおかげでワタシは希望していた騎士になることが出来た。加護を与えられる事が必ずしも幸せに繋がるとは限らないが……少なくともワタシは、感謝しているよ」
「ふむ……」
その口調は、加護のせいで幸せになれなかった、あるいはなれないだろう人のことを知っているような口ぶりではあったものの、敢えてカイルは尋ねることはなかった。
何となく言いたくなさそうな感じではあったからだ。
故にカイルの口から出たのは、別のことであった。
「そしてクレアは、生まれた時からのパターン、か」
言いながらふと、カイルはクレアの顔を思い浮かべる。
別に深い意味があるわけではなく、そういえばここ最近あまり喋っていないなと思っただけであった。
しかしそれも当然と言えば当然ではある。
基本的にカイルもクレアもやることがあるのだ。
以前までは共に授業を受けていたからこそ話す機会もちょくちょくあったが、それがなくなれば話す機会も減るのは道理である。
かといって特に話したいことがあるわけでもないのだが……ふと気になったのは、つい先日リディアからクレアに一太刀入れられたという話を聞いたからか。
カイルの方は、半年経っても相変わらずであった。
一太刀入れるどころか、変わらずあしらわれているだけである。
どうやらクレアとは確実に差が開き始めているようだ。
とはいえ、それは最初から予想出来ていたことでもある。
加護のことを抜きにしても、クレアの戦闘センスがずば抜けているということは、分かりきっていたことなのだ。
そんなクレアがリディアから直接指導してもらえるのならば、その才が開花しないわけがあるまい。
このままクレアはどこまでいくのだろうか……などとは思いつつも、もちろんカイルも諦めたわけではない。
その才を羨ましくないと言えば嘘になるが、凡人は凡人らしく少しずつ進んでいくしかないのだ。
こうしてリディアから話を聞いているのも、その一環である。
クレアに比べれば、地を這うようなものでしかないのかもしれないが――それでも。
「まあクレアはクレアで、その中でも少し珍しいパターンではあるのだがね。もっとも、珍しさの度合いで言えば君の比ではないが」
「その珍しさがもっと役に立つ方向だったらよかったんだがなぁ……」
諦めるつもりはないと、強く思いながら、カイルはそんなことを言いつつ、リディアの話の続きに耳を傾けるのであった。




