決着
甲高い音が響いた瞬間、思わずカイルは舌打ちを漏らしていた。
「――ちっ」
振り抜いた腕に返ってきた手応えが硬質なものであったのと、こうしてまんまと釣り出されてしまったこと、その二つの意味を込めてのものだ。
素早くその場から飛び退り、目の前のそれを眺めながら、カイルは息を一つ吐き出す。
視線の先では、全身鎧姿のそれがゆっくりと身体をこちらへと向けるところであった。
その余裕を見せた動作に、もう一度舌打ちを鳴らす。
今度のそれは、未熟な自分への苛立ちを込めたものだ。
本当はカイルはこうして突撃するつもりはなかったのである。
クレアが倒されるまでどころか、倒れ伏しても尚、だ。
あのクレアが戦闘で押され、そのままあっさりと倒されてしまったのである。
無策で飛び込むなど、無謀以外の何物でもあるまい。
だから本来はもっとギリギリまで観察を続けるつもりだったのだが……さすがにトドメを刺すと言わんばかりに剣を振り上げ構えられたら、そんなことを言っている場合ではなかった。
たとえそれがブラフだと分かりきっていたとしても、である。
そのまま何もしないでいることなど、出来るわけがなかった。
だがそれでも本当は、見逃さなければならなかったのである。
あるいは、そのままクレアが殺されてしまっていたとしても、だ。
勝ち目がない戦いを挑むのは、ただの馬鹿である。
「……ま、どうやら俺はただの馬鹿だったみたいだがな」
口の中だけで自分への呆れを呟き、しかしすぐさま意識を切り替える。
馬鹿ならば馬鹿で仕方がない、その上でこの状況を何とかするしかあるまい。
そうして相手を油断なく見据えながら、思考を回転させていく。
いつ無慈悲な刃が飛んでくるとも限らないので、本来は思考に回す余裕などはないのだが、そうしなければ勝ち目がゼロな以上はどうしようもない。
最大限に警戒しつつも、駄目だったら駄目で仕方ないと開き直る。
とりあえず、助けを求めるというのは色々な意味で無理だ。
今は朝の日課としての模擬戦の最中であったため、周囲にルイーズの姿はない。
助けを求めるには呼びに行くしかないが、背中を向けた瞬間にバッサリとやられるだろうことは間違いないだろう。
まあそれ以前の問題として、そもそもこの場から脱出出来たところでルイーズは頼りにはならないが。
戦闘能力とは別の理由によって。
ルイーズは今日、客人を迎えるためと言ってカイル達が目覚めるよりも先に家を出掛けていったのだ。
その客人とは、カイル達に本格的な戦闘を教えるためにルイーズが呼び寄せた知人であるらしく、さらにその人はルイーズよりも加護について詳しいため、カイルの状況について調べさせるつもりでもあるとか。
今日はその人が来てくれる日であったために、ルイーズが迎えに行ったのである。
故にルイーズは頼りにすることは出来ず、ルイーズ以外の村人達にはろくな戦闘能力はないというのは、以前にも触れた通りだ。
カイルがクレアが戦闘をしている時に助けを呼びに行かなかったのも、そういう理由によるものである。
つまりは自分の力だけでこの状況を何とかしなければならないということだが……さて、改めてそのことを自覚したところで一つ整理してみよう。
この状況が酷く不可解なものだということをだ。
アレは一体何者で、何の目的があって突然自分達に襲い掛かってきたのか、という時点で不可解はあるも、それを一先ず置いておくにしても不可解な点が多すぎる。
特に、現れた場所に関しては不可解そのものだ。
何故ならばアレは、森の中から現れたのである。
しかしこれまた以前にも少し触れたが、この周辺に人の住む集落はカイル達の住んでいる村しかないはずなのだ。
森の向こう側から人が現れるということは有り得ない。
しかもカイル達が攻撃される瞬間にまで気付けなかったということは、森の中で身を潜めていたということだ。
それ自体も不可解だが、さらにわざわざ攻撃してくるということもまた不可解である。
カイル達は模擬戦をやっていただけだし、終わるのを待っていればいいだけなのだ。
敢えて危険を晒す必要はなく、カイル達のことを襲う必然性がない。
だが必然性がないということは、要するにそこには何らかの理由があるということだ。
そこまでを考え、カイルは息を吐き出した。
何となく考えを整理することは出来たが、ここまでだ。
さすがにこれ以上は許してくれまい。
とはいえ、思考の整理がてら大体の方針は決まった。
あとは――
「出たとこ勝負、ってな……!」
自らを鼓舞するように叫びながら、地を蹴る。
相手が動き出そうとするその一瞬先に、斬撃を叩き込んだ。
瞬間、硬質な手応えが返ると共に呆気ないぐらい簡単に受け止められるが、そんなことは分かりきったことである。
先ほど死角を狙いながらの全力の一撃が、同じように簡単に受け止められたのだ。
多少タイミングを狙った程度の攻撃でどうにか出来るわけもない。
しかしそれを想定していたからこそ、スムーズに次の動作へと移行することが出来た。
動きを止めることなく、すかさずの連撃。
上段の一撃から、軸足を中心に、腰を、上半身を回し、薙ぎ払い。
胴を狙った斬撃は鈍色の剣に阻まれるも、それもやはり想定通りだ。
無理に押し込もうとすることなく、刃を滑らせる。
それと同時に一歩を刻み、さらにもう一度回転。
腕をしならせるように、真横から繰り出し――直前で今度は、剣先を真下へと向ける。
そのまま斜め上へと跳ね上げた。
「……ちっ」
だがやはり腕に返ってきたのは同じ感触であり、自身の剣の向こう側にあったのは、微動だにしない刃だ。
思わず漏らした舌打ちと共に一歩分後方へと飛び退き、しかしその開いた距離を助走として飛び掛かる。
振り下ろした腕へと、硬質な感触が返った。
猛攻、というよりは、単なるがむしゃらに近い。
カイルには最初から分かっていたからだ。
防戦に回ったらその時点で終わる、と。
そもそもカイルは、別に防ぐのが得意なわけではない。
それでもクレアとやり合う時のスタイルが主に受け流すことを目的としたものなのは、単純にそうしないと勝ち目がないからだ。
積極的に攻勢に出たところで返り討ちにあうのがオチだからである。
たとえば、同時どころか明確にカイルが先んじて攻撃出来たとしても、クレアに一撃を放たれた時点で諸共薙ぎ払われてしまう。
これは大袈裟に言っているわけではなく、実際に体験したことなのでただの事実だ。
カイルが防戦に回っていたのは、そうして凌ぎつつ必勝の時を待たなければ勝てなかったからなのである。
とはいえ、この相手ならば攻め勝てると思ったのかと言えば、そういうわけでもない。
クレアを圧倒していたことを考えれば、同じことが起こった可能性の方が高かったのだ。
それでも攻勢に出ることを選んだのは、それ以外に手がなかったからである。
先に述べた通りだ。
カイルは防御が得意なわけではない。
クレアの攻撃を凌げていたのは、それだけクレアの攻撃を受け続け、慣れたからでしかないのだ。
カイルはクレアの攻撃だからこそ先が読め、受け流す事が出来る。
しかしそれにしたって、本当にギリギリなのだ。
少しでも気を抜けば受け流し損ね、それが原因で負けたことは多々ある。
それなのに、クレアよりも明らかに上の腕を持つ相手の攻撃を凌げると思えるわけがないのだ。
だからこそこれは、半ば以上博打でしかなかった。
しかもそれは、終わっていない。
カイルはずっと、いつ薙ぎ払われ、やられてしまってもおかしくないような博打を打ち続けているのだ。
今この瞬間にだって薙ぎ払われてもおかしくはなく、相手がそうしてこない理由は分からない。
容易にこちらの攻撃を防げていることを考えれば出来ないわけがなく……だがそれを何故などと考えている余裕はなかった。
様子見だろうとなめているのだろうと、何だって構わない。
ここで何とか――
「――」
瞬間、目の前のそれが何かを呟いたような気がした。
あるいは気のせいかもしれず、だから次の瞬間にカイルが振り抜きかけていた剣を立てかけ、眼前で盾のように構えたのは、半ば本能的なものだ。
そうしなければまずいという反射的なものであり――音は、遅れて聞こえた。
明確に感じ取れたのは腕に伝わって来た衝撃と、全身に叩きつけられた、それと同質のものだ。
僅かに覚えた浮遊感は、もしかしたら先ほど似たようなものを受けていたことで覚悟が出来ていたということなのかもしれない。
だがやってきた衝撃はあの時の比ではなく、背中が地面に叩きつけられても身体は止まらず、幾度も回転し全身を打ち付けることでようやく止まった。
「ごほっ……!」
血反吐を吐くような咳をしつつ、剣を杖代わりとするような体勢でいられたのは、ただの偶然だ。
それでも、直後に顔を上げて次の行動に備える事が出来たのは、きっと今までの鍛錬の成果である。
もっとも、それが意味があったのかはともかくとして。
「――っ!?」
上げた視界の中に、あの鎧姿は存在していなかった。
あんな墨でもぶちまけたかのような真っ黒な鎧を、見失うわけがない。
方角が間違っていないのは、遠くに倒れ伏したままのクレアの姿が見える時点で明らかだ。
だというのに見失ったというのならば、それは――
「……っ」
振り返ったのは、ただの勘であった。
しかしそれが正解だと告げるように、眼前にあるのは夜の如き漆黒。
振り被られている、剣が見えた。
成す術はない。
カイルの頭が、瞬時に正確な答えを導き出した。
崩れた体勢、突き刺さっている剣、圧倒的なまでの実力差。
ここから何をしたところで、カイルにはその一撃を防ぐこともかわすことも出来ない。
それは推測ではなく、事実によって指し示される絶対的な真実だ。
そして、だからこそカイルはそれを待っていたのである。
剣が振り下ろされ――瞬間カイルは、左腕を前に突き出していた。
それに意味はない。
まるで差し出したように、無造作に腕を伸ばしただけなのだ。
剣の軌道の先にあるだけのそれに斬撃を止めることなど出来るわけがなく、無駄に斬り落とされるだけに過ぎない。
刹那の時も稼げずにただ失うだけであり――だが。
あるいは、だから。
振り下ろされた斬撃が、左腕に触れるその直前で、不自然に止まった。
繰り返すが、カイルは何もしていない。
カイルがやったことは、無駄に左腕を差し出したことだけだ。
本当にそれだけの、斬撃が止まるはずのない行為であり……しかし、その状況を認識したのと、カイルが動いたのは同時であった。
反射的な行動――ではない。
カイルはこうなるであろうことを、予測していたからだ。
だからこそ、狙い通りに、狙い通りの場所へと蹴りを叩き込む。
もちろんのこと、それは全身鎧によって阻まれた。
痛みを感じるどころか、衝撃すらほとんど通ってはいないだろう。
だが、それでよかったのだ。
ほんの少しの衝撃で十分であった。
不自然に斬撃を止めたことで重心の狂ってしまった身体に、その膝裏へと僅かな衝撃が伝われば。
「……っ!?」
改めて言うまでもなく、全身鎧とはただそれだけで重いものである。
鍛えていけばその状態でも何の苦もなく動く事が出来るようにもなるだろうが、それでも重いという事実は消せないのだ。
それは、重心が崩れ倒れかけた身体で支えきれるものではない。
そして下手に耐えようとしてしまえば、その反動はさらに大きくなり……尻餅をつくどころではなく、漆黒の鎧が仰向けに倒れこんだ。
その事実と、カイルが剣を引き抜き、地を蹴っていたのはほぼ同時であった。
倒れながらも剣を離さなかった手と、即座に起き上がろうとしていた身体を抑えるように、両の足をそれぞれの上に乗せる。
最後にもう一つ、その首筋に剣を突き出す。
――チェックメイト。
「……俺の勝ち、ですね」
そう告げた言葉に、即座に返事があった。
「ほぅ……? なるほど確かに一見勝負があったようにも見えるが……君の剣で本当にこの鎧が貫けるのかね?」
声は、予想通りに少し高いものであった。
しかしそれはともかくとして、指摘した内容はその通りである。
刃を突き刺す隙間も見えず、見るからに硬そうなこの鎧を貫くことは、カイルには出来ない。
それは試すまでもないことであった。
だがそれで問題はないのだ。
別にそんなことが出来る必要はないのだから。
「まあ確かに不可能でしょうが、必要もないでしょう?」
「ふむ……何故かね?」
「相手の喉元に剣を突きつけたらそれで勝ち。模擬戦ってのは、そういうものでしょう?」
次の返答には、僅かな間があった。
さらに言うならば、それは意味ある言葉でもない。
くつくつと響いたのは、押し殺したような笑い声であった。
「……いつ気付いたのかね?」
「おかしいと思っていたのは最初から。疑念が膨れ上がったのはクレアが切り伏せられた時で、確信したのはついさっき差し出した左腕の手前で剣が止められた時ですね」
「ほぅ……? それだとつまり、あの時には確信していなかったということになるが?」
「事実その通りですからね。まああの時点で八二ぐらいではそうなんだろうなとは思っていましたが。ただ、判別を付かせるための材料がありませんでしたから、確証には至っていなかっただけで」
「それはまた……確率が高いと思っていたとはいえ、呆れたものだ。違っていたら、君は無駄に腕を失う羽目になっていたのだぞ?」
「その場合は、どっちにしろ腕なんで気にしてる場合じゃなかったでしょうし」
「……なるほど。確かにその通りかもしれんね。ところで、そろそろ退いてもらっていいかね? 勝負は君の勝ちで終わったのだから」
「あ、はい。分かりました」
頷きながらカイルがその身体から降ると、漆黒の鎧がゆっくりと立ち上がった。
しかしそこで終わったわけではなく、そのまま流れるようにその手が頭部へと流れる。
そして外された瞬間に紅い髪が広がり、赤茶けた瞳がこちらを向く。
そこにあったのは、想像していたのとそう遠くない女性の顔であり――
「さて、色々と言いたいことはあるとは思うが……まずは自己紹介をさせてもらおうか。リディア・ノークスだ。一応君達の戦闘指南役として呼ばれたわけだが……正直最初からこんなことになってしまって申し訳なく思っている。だが出来ればよろしくしてもらえれば幸いだ」
言葉の通り申し訳なさげというか、バツの悪そうな顔をしながら、彼女は予想通りのそんな言葉を口にしたのであった。




