/ 侵入者 闇に嗤う影 中編
灰の男が姿を消したのを確認し、リチャードが焦りと共に振り返る。
「アンジー!」
奴は〈あの女〉と言った。この場で使うには些か違和感を覚える言葉。
その理由。灰の男の動きに合わせて、別方向からの攻撃班がアンジェリーナに奇襲を加えていなければ、状況的に頷けるものではない。
確実に仕留めるなら、二方向からの同時攻撃。暗殺対象が二人なら、本来そう動くのが道理であろう。
だが今、彼女に対する動きは皆無。
三対六枚の光翼を広げて、頭上に天使の環を戴く戦乙女は、つまらなさそうに胸の下で腕を組む。
「何もないわよ、リッチ」
駆け寄り、両肩に手を置く。
「狙われてる可能性が高い。すぐにここを離れよう」
「どこへ行くつもり?」
どこへ。考えろ。
自分の部屋に戻るのは待ち伏せが考えられる。危険。
周囲の背の高い建物。狙撃の可能性。危険。
建物の影。まだ安全を確保していない場合、袋小路になる。危険。
不可視の幻惑魔法がこうも厄介とは。いつ、どこから来るか解らない。
「どうする……!」
焦るリチャードを窘める、アンジェリーナの静かな声。
「安心して、リッチ。安全なのはここよ」
「どこだ!?」
視線がぶつかる。彼女の細い指が、戦闘で少しズレたリチャードの眼鏡の位置を優しく直して。
「私のいる場所が、あなたにとって世界で一番安全なのよ」
柔らかい笑み。それに気づかされた。
返す言葉もない。
そう。この少女をして暗殺しようなどと考えるのが間違い。
天使は人を超えた域にあって、精霊として崇め奉られる神聖存在。
気が動転していたようで、自分を恥じ入る。
戦乙女を殺害しようと思ったら、あの機神でも連れてくるしかないというのに。
単なる暗殺者の手にかかるような、安い乙女では決してないということを、どうしてかすっかり失念していた。
「すまない。焦ってた」
「いいのよ。私を守ってくれようとしたのだから」
彼女が危険に晒されると考えてしまって、その気持ちが心を騒がせた。
そもそもにおいて、人が戦乙女を守るなど、勘違いもいいところだ。
けれど彼女は、双眸を伏せてリチャードのその行いを是とした。
「本当に、あなたってまっすぐね」
光の粒子となって霧散していく信仰礼装。
「……アンジー、気になることがある。場所を変えよう」
ふと、周囲に眼をやると人々が二人を丸く取り囲んでいる。
戦乙女の姿を見せてしまったのは失敗だったか、と思った瞬間、彼らは跪いて頭を垂れた。
宗教の掲げる聖像の降臨。彼らにとってみれば、それは神の思し召し。
彼らを見て、アンジェリーナが双眸を細める。
「そうね。あっちに人通りの少ない温泉宿があるわ。行きましょう」
冷静になってくると、解ってきた。
暗殺者集団〈天の蛇〉は、一時期噂に聞いたことのある名前だ。
曰く、音も無く対象を葬り、闇へと姿を消す謎の集団。
どうやら大和伝来の暗殺技術を用いるらしい、というのが今回得られた情報だが、今のところ正体不明。
だが、特命大使である自分の情報は漏れていると考えたほうがいいだろう。
となるとあとひとつ。女性を狙っているとのことだが、それはアンジェリーナ以外を差すようだ。
「一体、誰を狙ってるっていうんだ」
道端に佇む温泉旅館の軒先にて、先を歩いていた金髪碧眼の少女が言う。
「リッチ。忘れているようだから言っておくけれど」
振り返る。試すような鋭い視線。
「それって〈大使〉として必要なことなの?」
ぎくりとする。
忘れていたわけではない。だが今、国を背負った立場にいるということの重さを、まざまざと感じさせてくるのは何故なのか。
まるで、立場を弁えろと言われているかのよう。
「……大使とか、そういうのではないけど」
「なら捨ておきなさい。誰も彼も助けられるほど、余裕があるわけじゃないでしょう」
「それでも。女性が殺されようとしてるってのを、知らないふりは……!」
「今は自分の安全を考えることのほうが優先のはずよね。マギーから渡された役目は軽いものではない。そうではなくて?」
「……間違っては、いない」
彼の両手で救えるものは限られている。確かに全ての悪を裁き、諸皆を救いあげるような神の力を持っているわけではない。できることをしようとしただけ。自分のしようとしていることは間違っているのか。
それは、思い上がりなのか。
近づいてきた彼女が正面からリチャードを見る。
挑むような視線と厳しい表情。胸に何かを期した人間の佇まい。
「そうよね。あなたは何のために戦うの? 無差別に人を助けることが、大使のすることなの? あなたが戦えば、また犠牲が出るとは考えないの?」
無辜の民を助けるために、彼の命を捧げることなどあってはならない。
これは、彼女から彼に与えられる〈試練〉の問い。
――ラヴィーネを倒したことで、彼はいつか自分の空疎さに気づき、空っぽの自分に絶望してしまう。
投げかけられた言葉に懊悩するリチャードの苦々しい顔を、見つめる。
苦しんでいるのが見て取れた。本来ならば言いたくもない言葉。
しかし、再び進みだすためには乗り越えなければならない痛みだ。
誰かを助けたい、という彼の気持ちが尊いものであると、彼女は信じるが故に。
「……なんで、だったっけ」
あの時、赤い男や機神と対峙していた時には確かに心にあった強い気持ちが、消えている。
自分はあの時、彼女に何と――言ったのだろう?
――俺は自分の手が届く人を助けたいだけだ。正義も悪も、そんなのは全部どうでもいい。ただ、最初から無理だと諦めて見捨てるような真似が出来ないだけだ! 俺が俺でいるためのものだ!
――それでも進むというのなら、彼女は止めることはしなかった。
だからこそ。その言葉が返ってくると信じていた彼女は、寂しそうに自らの肩を抱く他なかった。
あの合同葬からというもの、戦うことで生まれる犠牲を直視してから、彼についてまわる戸惑い。
アンジェリーナはそれを誰よりも敏感に察して、リチャードにその問いを投げかけたのだ。
人の気持ちは揺れるもの。彼が再び、まっすぐに走り出すことを信じて。
* * *
夕暮れになると、双子の月が空の向こうに薄く面影を覗かせる。
夜には聖天子の名代としてオーガスタ大使との顔合わせがあるので、その準備として一度部屋に戻ってきていたのだが、リチャードの表情は晴れずにいた。
アンジェリーナも特別何かを言ったりせず、首回りの伸びた部屋着を着てソファに腰をおろし、足を組んで物憂げに指に髪を絡ませている。
リチャードは椅子の背もたれ側に体を向けて座り、気だるげに顎を乗せて外の景色を眺めていた。
静かな時間が流れる。夕暮れに夜の帳が混じり、冬の冷気をそよぐような音に乗せて吹き始める海風。
やがて沈黙に耐えかねたのか、アンジェリーナが口を開いた。
「リッチ。その……さっきはごめんなさい。言い過ぎたわ」
「いや、そんなことはない。お前は正しいよ。俺の考えが甘かっただけだ」
返ってきた言葉に立ち上がり、リチャードの背後に立つ。
夕暮れの日差しが差し込む部屋の窓辺に、彼女の姿が映りこむ。
ダルダルの部屋着が半身を隠しているが、太腿から下がどうにも煽情的な脚線美を露わにして視線を奪われる。
「……何が言いたいか、解ってもらえた?」
「まあね」
彼女との口喧嘩はそれなりにしてきている。その度に、彼女が何を伝えたかったかを理解し、把握して、受け止めてきた。
今回もそう。彼女は正しい。間違いなく、自分よりも外交に関しての知識と振る舞いを理解している。
どこか浮かれているように見えたのは、大使に任命されて緊張していた自分の不安を拭おうとしてくれていたのだろう。
厳しい言葉を投げかけたのは、今までどおりの自分ではいられないという忠告と訓戒だったのかもしれない。
「俺って、子供だなぁ」
言われて気づくことの多さに、辟易とする。
しかし、その肩を落とした憂鬱に、彼女の声が一際大きく背中を押す。
「そんなことはないわ! 私は見てきたもの! あなたの戦う姿も、迷う姿も、誰かのために命を賭けて自ら危険に飛び込むところも!
あなたは立派よ! それは誰にでもできることじゃない!」
振り返れば、眼を潤ませて今にも泣きそうな表情。
「なんで、お前が泣くのさ」
「だって……」
泣き虫アンジー。昔から、皆の後ろをついてきてはすぐ転んで泣いていた。置いて行かれるのが怖くて、ひとりが寂しくて。
笑った顔が見たくて手をひいて歩いた過去も、もう遥かに遠い。
今ではこんなに美しくなったというのに、泣き顔だけは変わらない。
慰め方はよく知っている。
「おいで」
リチャードが椅子に腰かけて向き直る。
アンジェリーナが横を向く形で、彼の膝に座った。
顔の左横にさらりとたおやかな金髪が流れて、縋るように擦り付けてくる。
「……今日は、一緒に寝てもいい?」
「仕方ないな」
孤児院の頃から、こうしているといつもよく寝てくれた。
狭い部屋に子供たちと寝ていた時は、これが弟だったり妹だったりしたものだが、一番多かったのがアンジェリーナ。
同い年なのにどこか妹のように感じてしまうのは、そのせいもあるだろうか。
寝室に彼女を運んでから少しして、静かな寝息が聞こえてきた。
横になった彼女の胸元に謹製ぬいぐるみのキングリッちゃん三世を抱かせ、離れる。
夜風にでも当たろうと思い、部屋を出て通路を歩いた。ドアハンドルの刺すような冷たい感触に、少しだけ眼が覚める。
約束の時間までもう少しあるが、先に待ち合わせ場所へ向かっておくのもいいかと、足を向けた。
導力エレベータを下りていくと、艦内都市のすぐ上の階にテラスが張り出した形で位置しており、昼は眺望を楽しみ、夜は洒落たデートスポットとして有名な場所があった。
ここでオーガスタ側の大使が待っているらしいが、詳しいことはメールに書いていなかった。
板状の携帯端末をポケットから取り出す。近年普及し始めたスマートデバイスだ。
「やっぱり、詳細書いてないよなぁ」
場所と時間のみの指定。よく解らないが、ここで待つとしよう。
夜間のテラスは照明でライトアップされ、背丈より高い景観植物がよりいっそうの存在感を主張している。
その根元を囲むようにベンチが置かれ、人がまばらに座る。半透明の足元の導力パネル越しには、テラス全体を循環する水が流れているようだ。
奥のほうにはプールもあるようで、そちらのほうからは賑やかな喧騒が届く。
通り過ぎるのは恋人たちが多いだろうか。環境スピーカーからはなかなかに雰囲気の良い、穏やかな曲が流れている。
多少、独り身のリチャードには肩身が狭いだろうか。
「アンジー連れてくるんだったな、話し相手に」
景観照明のポールに背を預け、腕を組む。
すると、妙な違和感を覚えた。
「……ん?」
不可思議な景色の揺らぎ。
はっとする。あの揺らぎは見覚えがある。
腰のホルスターに提げられたアンサラーに手をかけた。
「……ヤツか!?」
あの刀使いかという警戒を視線に乗せて周囲を見渡す。
数が多い。三人、いや、四人。
散逸的で、まとまりがない。組織だって動いているわけではない?
そこへ、見たことのある出で立ちが闇のなかに浮かんだ。
「……おっ!? おーい! 昼間のお兄さん!」
溌溂とした声音が夜の暗がりに響く。
黄色の円筒帽子にダウンジャケット。
ネックレスを拾って渡した、あの少女だ。
まさかこんなところで、こんな状況で再会するとは。
「お、おお、こんばんは」
そんな、はっきりしない挨拶を返しながら、景色の揺らぎを注視していると。
動いた。全員が、彼女に向かって。
「……まずい!」
あの揺らぎは間違いなく〈天の蛇〉に違いあるまい。狙いが同じ人物ということは、あの少女が件の暗殺対象ということか。
アンサラーを抜き放つ。剣身の背に走る長銃身を向けて。
「伏せろ!」
「わひゃぁっ!?」
撃発、続けざまに四発。五〇口径の強魔装弾を人体が受ければ、いっそ紙を裂くように粉砕するほどの威力を誇る、それを。
軽々と叩き落とす、揺らぎの敵意。
気付いているぞという警告と、リチャードが位置取りするまでの時間稼ぎのための射撃である。
ただ、三人は仕留めた。致命傷ではないが、動くことはできないだろう。最後に残ったひとりと、少女の間に割って入る。
悲鳴。撃発音を聞きつけたか、環境スピーカーから警告アナウンスが響く。
敵意を持った揺らぎが、そのヴェールを脱いだ。
黒髪黒瞳。灰色の羽織をまとう刀使い。
「やっぱりアンタか。まさか一日に二度も会うとはな」
「〈天使狩り〉のリチャード。やはり、お主が立ちはだかるか」
誘いの意味を込めた再装填。ローダーに込められた四発が弾倉に滑り込む――相手、動かず。
昼間の攻防が頭に焼き付いているのだろう。迂闊に接近戦を挑むことの愚かしさを、まざまざと見せつけたばかり。
「この子に何の用がある。暗殺者が襲うには、ずいぶんとかわいらしい相手じゃないか」
「人々を戦に扇動する女狐に、天誅を与えるまでのこと」
「その天誅、人に与えるってことは自分も受ける覚悟はあるんだろうな?」
言って、首だけで後ろを見る。黄色帽子の少女が縮こまっていた。
「あいつらは〈天の蛇〉だ。暗殺者集団のな。一応聞いておくけど、狙われる心当たりはあるかい?」
すると、ちぎれんばかりに首を横に振る。
「ぜんっぜん! 知らない! 帰って!」
「だそうだ。フラれたな、灰色の」
リチャードの双眼が蒼い光芒を宿す。
「それとも、ひとつ俺と踊っていくかい? ちょうどこいつの性能も解ってきたところでな」
照準。アンサラーの剣身部分が蒼い稲妻を走らせた。
「解術――」
途端、身を沈めて距離を詰める灰色の男。黒塗りの鞘から放たれた銀色の輝線が冷たい殺意を乗せて走る。
「隙あり!」
狙いは首。魔法発動までの詠唱とタイムラグを狙ったか。
リチャードはアンサラーが有する剣身部分で白刃を受け止めると、腰を落として銃把を握りこむ。
「――瞬光宿す極星の剣」
瞬間、夜の闇を切り裂く極光が迸る。
膨大な熱と光が夜を昼に変えるほどの眩さで、闇を焼き尽くしていくかの如く。
接近戦を主眼に置いた魔法式の展開のはずが、アンサラーの極大過ぎる出力によって変化した〈斬撃〉である。
そして、その魔導器に変化が訪れた。
今までは鈍い鉛色をした剣身部分だったが、リチャードの魔法行使を皮切りに。
「色が、変わる……!?」
背後で見ていた少女が、呆然とつぶやく。
「……きれい」
それは鮮烈なまでの朱。
最悪の狂気と呼ばれた第零世代の三番機。その本性がこの姿。
刻印銃身に掘られた銘――“you shall be as gods”
恐れ見よ。これなるは〈回答を告げる剣〉アンサラー。
「くっ……!」
左眼に激痛。本来蒼いはずの彼の瞳にも異変が起きている。
視界が赤く染まる。霊障の眼も、魔導器と同じ朱の燐光。
脳裏に囁かれる、意志を持つ魔導器の声。
「……なんだ、これ。〈紅の残照〉……!?」
星座の御印と呼ばれる、世界の外側へと至る力がある。
ゴスペルが〈蒼の深淵〉へと繋ぐなら、アンサラーは〈紅の残照〉への道筋を拓き〈対象に規定された事象変移能力の限界を超越する〉とされる能力である。
すなわち、アンサラーの出力係数は事実上の無限。あらゆる魔導器を超越した力を持つ反面、使用者への反動や負担を完全無視した狂気の産物。
よって、その使用には厳重なまでの制約が課せられていた。
言うなれば、今までこの魔導器は眠っていたも同然の状態。
「こいつ、まさか」
総毛立つ。今まででも埒外な事象変移能力を有しているとは思っていたが、よもやそれが。
「今まで、スタンバイモードだったのか!?」
起動すらしていない、待機状態でのスペックだったとは、彼をして舌を巻く思いであった。




