/ 侵入者 闇に嗤う影 前編
艦内を歩いてみよう、ということで部屋を出る。
この時にはすでにリチャードも学生服からカジュアルな茶色のカーゴパンツとショート丈の黒いジャケットに着替え、前を開いたそこから白いインナーを覗かせるスタイルへと変えている。足元は耐久性重視でショートブーツを履く。
そして、腰の後ろにアンサラーを納めたホルスターを提げる。
大口径四連装、さらに大型の片手直剣。ゴスペルと同型とはいえど、フライアと同じく各部に差異が見てとれた。
特徴的なのは片手直剣ながら、稲妻のようなデザインの剣身部分だ。
第零世代はその全てが近接戦と射撃戦をこなせるよう、銃と直剣を組み合わせたガン・キャリバーという形をとるが、とりわけこのアンサラーはその性質を尖らせている。
超越型魔導器、この意味するところはすなわち魔導器を破壊するための魔導器。
ややあって、彼の後に続いてアンジェリーナが通路に姿を現す。
「寒くないの? その恰好」
その様相は、いつもの白いワンピースから気品漂う大人の淑女へと印象を変えていた。足首まである白のコーデュロイを用いた柔らかなティアードロングスカートはフリルが数度折り重なったふんわりとしたシルエット。上着には淡いピンクのカーディガン、インナーにはタートルネックの白が映える。
そしてなにより先ほど変えた髪型、左の肩から前に流したゆるい三つ編みの先は腰のあたりで白いリボンを結び、その華やかさによりいっそうの艶を添える。
元より纏っている気品と清楚さもあるが、切れ長の面差しに凛とした碧眼も含め、これだけ整った眉目の女性がこう着飾れば女優、あるいはモデルもかくやとばかりである、が。
「大丈夫だけど、お前は派手すぎないか? 逆に目立つぞ」
「どこがよ。かわいいでしょう。今の流行はこうなのっ」
不服そうに眉をつり上げ、両手を広げて見せる。引き直されたリップライナーの艶やかな色味に、眼を惹きつけられた。
「確かに。よく似合ってるけどさ」
「ふふん。もっと言いなさい」
得意げに鼻を鳴らす彼女だが、その首元に輝きがひとつ。
「それは?」
首に提げていたそれを右手ですくい上げて、アンジェリーナが言う。表情にはほんの少しの悲しみを覗かせて。
「さっきの女の子が持っていたのと同じブランドよ。エンブリオ・モノグラムのカメオネックレス。これはもうずいぶん古いデザインだけどね。
私の母さまの……この世にひとつしかない遺影よ」
彼女の唯一の肉親の面影。リチャードは、それがどれだけ特別なものかを推し量ることしか出来ない。
「そうか、お前の母さんの……」
だから先ほどの少女が持っていたネックレスを気にしたのか。
「ということは、新しいものが欲しいのか? 色々聞いてたみたいだが」
それにはきっぱりと横に首を振る。
「気にはなるってだけ。やっぱり私にはこれだけでいいわ。特別に作らせたものだし、一点ものなのよ」
よく見せてもらえば、彫刻の仕上がり、素材の質感、そのどれも今まで見たことがないほどの細かい技巧を凝らしたものだと解る。
彼女によく似た女性の横顔。その優しげな眼差しと柔らかな表情を、彫刻で感じるほどの技の冴え。これほどのものをどうやって作ったのか。
照らされた光によって虹色に光沢を変える。
感嘆の念を禁じ得ない。思わず息を呑む造形美の極み。美しい。
「真珠母を使って作られてるから、柔らかい色合いでしょう」
硬質なカメオの中に、まだその人が生きているような印象。リチャードは芸術に明るいわけではないが、これだけは解る。
このネックレスは桁が違う。ブランドの枠を超えた、玄妙ななにかを感じられた。
「凄いな……ん? 作らせた? 一点もの?」
「ええ。私の持てるお金を全部使ってね」
「……悪い。そこまで大事なものを、不躾に見ちまった」
「いいのよ。あなたなら」
「どうして今日、それをつけたんだい? それほどのものなら、もっとフォーマルな場か儀礼用に取っておくものじゃ?」
例えば、結婚式などの場にこそふさわしいだろう。なにも今日、旅の初日につけなくてもよかったのではないかという彼なりの心配だ。
これに彼女は淡く微笑む。
「あなたの門出だもの。一緒に見てほしいじゃない?」
「……そうか。ありがとう。それならあまり衆目に晒すべきじゃない。服の胸の中に隠しておいてもらえるかい?」
「……どうして?」
「淑女を冬の海風で凍えさせるには、忍びないからな」
* * *
フリズスキャルヴの艦内通路を通り、導力エレベータを使って下へ降りる。
彼らが最初に目指したのは、下の階層。
エレベータからの景色が開ける。一等客層から下の客室層をさらに抜けると、甲板下に位置する艦内都市がガラス越しに一望できた。
都市ひとつが丸ごと入っているということもあって、人々の生活感がそこかしこに見受けられる。洗濯物のかけられた一軒家、和風な東洋造りの食堂、消防警報用の半鐘がかけられた火の見櫓などなど。
時にユーフォリアでも見られる多機能型街路灯など、艦内の空気循環と景観照明を意識した造りも見られる。
どちらかと言えばユーフォリアの東方人街に近い様相だが、さらに言うなれば三大陸の建築様式がごちゃ混ぜになった、いっそ混沌とした風合い。
人々が行き交う通路こそ景観用に舗装されたインターロッキングブロックと呼ばれるもので、荷重が掛かったとき、ブロック間の目地の砂によってかみ合い、荷重分散効果が得られる舗装が用いられている。
これが町並みに意外とよく合い、空気感を壊さないよう共存していた。
古い文化と新しい流行とが混ざり合い、ひとつの世界を織り成す艦内都市。
逆説的に、独自に発達した食文化としてここでしか食べられない名物というのも存在する。
アンジェリーナの目的が、実のところそれだった。
「そろそろお昼の時間だから、早めに着いておきたいわ」
言って、導力エレベータが到着して扉が開くと同時にリチャードの手を引く。
異国の街並み、嗅いだことのない空気の匂い、頭上には日光を導力に変換するパネルの群れ。それら全てが、これからの旅路の始まりを告げるようで、どうにも心が浮き立ってしまう。
そんな高揚感を覚えるのも無理からぬ話であろうか。
眩い電光彩色の看板が掲げられた食堂で食べたのは、パエリアと呼ばれる海産物と東洋の米を一緒に煮込んだ、郷土色の強い料理だった。
店によっては米と煮込まれるのが肉であったり、根菜類であったりと様々らしい。
これに舌鼓を打ち、次は観光。
艦内公園という環境ながら緑の深みは外界のそれ。日陰のベンチで一休みし、近所の子供たちが遊ぶのであろう遊具に触れて、次の目的地。
なんとここには学校もあるようで、学生が通り過ぎる。
彼らが乗る自転車と呼ばれる二輪の軽車輌は、時代に取り残された貴重な文化のひとつであろうか。
交通の際には道路標識が大切らしい。
やがて住宅街に差し掛かる。建築様式が、先ほどの導力エレベータ近辺より近代的な様相になってきた。
すれ違う子供たちの声。年少の学校帰り。和気あいあいと賑やかな声。
その横を通る、四つの車輪をもつ導力革命以前に栄えた原動機を備える自動車。
彼らとてユーフォリアの郊外授業で数度見たことがあるくらいだが、それが纏うノスタルジックな魅力に眼を惹かれる。
「過去に導力革命があったと言っても、その恩恵は大都市の栄えた一部にのみ享受されている。ああして大昔の技術が今も残されているのは、とても貴重な光景だわ」
「この環境だからこそだろう。魔法と器械が共に栄えたと言っても、結局のところ道具は使う人間次第。魔導器がいくら便利といっても、ここの人たちにこんなものは」
自らが腰に提げた魔導器を、指先で叩く。
「必要あるようには思えない」
もっと手軽に、燃料を燃やして走る道具や畑を耕す農機のほうが単純で実用的であり、道路整備も魔法よりずっと原始的でありながら、意図に沿うものとして近隣住民と相談しながら行われるべきものという考え。
人は人の手によって人の世を造る。そこに魔導器は、絶対に必要なものではない。
特に、彼が手にしているものはその全てが戦闘技術。このように下町情緒の溢れる場所にあっては、何の役にも立ちはしない。
「そんなの私も同じよ。戦乙女の肩書きが、ここでどれだけの意味があって?」
「それもそうか。これじゃお互い、時代に取り残されたみたいだな」
くっ、と笑う。
やがて住宅街を抜けると、舗装された道路の上を歩行者が渡る歩道橋が見えてきた。
そこを渡る中間で、先を歩いていたアンジェリーナが立ち止まる。
「……それも、いいわね」
こちらを向く。
悲しげな表情。楽しげだった雰囲気が、少し変わる。
行き交う自動車の音も、通り過ぎる人の波も、少しずつ遠くなっていく。
「どうして?」
「世界に残された、アダムとイヴみたいで素敵だわ」
「俺しかお前を解ってやれないみたいで、俺は寂しいけどな」
「私にはそれ以上に大切なことはないわ」
彼女は本気だ。いつもリチャードの傍らで、彼を支えるために献身的に支えてきた。たったひとり残された家族、あの孤児院で助けられた命を使って、彼だけの戦乙女であろうと尽くしてきた。
それだけが、彼女の生きる全て。生きるよすが。生きるための、理由。
「……俺は、お前をもっと自由にしてやりたい」
「……私は、もっとあなたに束縛されたい」
切なげな表情。いつもと違う装いというのもあって、眼の前の少女が大人に見えて。
リチャードは戸惑いを隠せない。
だめだ。男としてその気持ちを受け入れるわけにはいかない。
この子はただの乙女ではいられない。戦乙女という立場が、天使という境遇が、世界にただひとり残された英雄の血が、この少女を呪いのように縛り付けている。
大国ですら容易に滅ぼすことのできる、世界最強の存在。
それは国家間のバランスにまで作用し、彼女の住まうユーフォリアが世界の貿易に対して有利な条件を引き出す理由にすらなっている。
たかが惚れた男ひとりのために、そのなにもかもを擲つなど。
「ば、バカ言うな。お前、自分の立場解ってるよな?」
一歩。彼女が歩いてくる。
揺れる碧眼には、まるで子供の時の泣き虫が泣きだす前のような、濡れた光が見えた。
また一歩。だめだ。
「お、おいおい。そんな顔で近づかれたら、慰めるのに抱きしめ、」
咄嗟、彼女が走る。反応が遅れた。突進に近い。
肩のあたりに収まる彼女の頭。往来で抱きつかれた。まずい。ここは人が多い。
「、たくなっちゃう、んだけど」
途端、抑揚を抑えた静かな声で。
「動かないで。あなたの後ろ、尾行されてるわ」
息を呑む。一瞬、予想外すぎて頭が働かない。
「油断しすぎよ。まぁ私のかわいさを前にしたら、仕方ないのでしょうけど」
リチャードが背後に気をやるが、なにも掴めない。まるで守るようにアンジェリーナが背中に両腕を回す。これではラブシーン中の恋人同士だ。
軽口に気を取り直す。
「……お前さ。ラブシーンしたいなら、場所を選んでくれ」
「あら。選んだら、してもいいの?」
どうせ手を出せないくせに、と。
「生意気だね」
考えられるのは、周囲の景色に溶け込む幻惑魔法。となると銀翅蝶か。
姿と詳細を解き明かすために、リチャードの双眸が蒼い光を帯び始める。
左眼の失明は今のところ復調しているが、また無理をすればどうなるか解らない。
「……また、戦うのね」
「ああ。離れるなよ、アンジー」
アンサラーに右手をかける。キャリバーに合わせて銃把を削り込み、リチャードが使いやすいように改造を加えた、新しい相棒。今までの相棒ほど使い慣れてはいないが、今はこいつに賭けるしかない。
瞬間、別方向からの殺意。伏兵がいたか。
爆轟。衝撃が足元より突き上げてくる。体が浮き上がる。浮遊感。
崩壊する歩道橋。悲鳴と崩壊音、瓦礫が生み出す煙の濃淡。
「くっ……!」
「着地は任せて」
アンジェリーナが信仰礼装を展開。巻き上がる瓦礫の煙幕を球状に押しのけて、神々しい黄金の翼、三対六枚が広げられた。
光翼が緩やかに羽ばたき、ゆっくりと地に降り立つ。
問題は、これがどちらを狙った攻撃か。
ここで瞬時に判断し、だが決断を間違えば致命的なミスに繋がる場面。
しかも、アンジェリーナは魔導器フライアを持ってきていない。
油断なく周囲を警戒、近づいてくる不可視の殺意を、確実に蒼眼で捉える。
アンジェリーナを離し、アンサラーを抜き放つ。
剣身同士がぶつかりあう金属音。火雷が散る。
「見えてるぜ。〈刀使い〉」
そう零すと、姿を隠すのは諦めたのか相手の幻惑魔法が解けた。
漆黒の髪を頭の後ろで結い上げ、刃物のような切れ長の黒瞳。
しかしその装いは、世にも珍しい意匠。
リチャードは知っている。それがどの国で編まれたものか。
「大和の着物か。羽織と袴だな」
掘りの深い顔をしかめる男。身元を解らなくさせるための灰色の装いだったのかも知れないが、それはさておき……男の持っているこの武器だけは侮れない。
大和特有の技と思想で作り上げられた、製鉄技術のひとつの究極の形。
刀だ。切れ味でいうなら、グラファイトミスリルで製造された魔導器の遥かに上をいく刃。
「お前、銀翅蝶じゃないな?」
灰の男は答えない。武器を弾き、互いの距離が空く――再接近。
速い。魔導技工士との戦い方を心得ている。
距離を空ければ魔法が来る。魔導技工士を殺すなら、魔法を使う前に接近戦で仕留めるのが上策だ。
だがこの男を相手にしての接近戦は、分が悪かろう。
横薙ぎの刀の斬撃を下段からすくいあげる形でいなし、キャリバーが翻って反撃に移る。
「解術――ヴァジュラの雷爪」
振り下ろす。同時、舗装された道路を破滅的な爆轟が襲う。
青白い稲妻が幾度もねじくれた爪痕を空間に残しては消えていく。大気を焦がしたような臭いと帯電した霧と煙を吹き上げる。
暴風が周囲を吹き荒れた。驚異的な事象変移能力。直撃すれば、まず人間など原型を留めまい。
火雷の弾ける音が嵐のように止まない。
「っ……不覚!」
灰の男だろう。視界を奪われ、動きを止められては暗殺者失格だ。
だがそれでも、一切の予断を許さぬ虚ろな銃口が冷たい照準を外していないことまで気づいていたか。
「逃げるなら逃げていい。ただ、所属と狙いだけは教えてもらおうか」
晴れていく霞のなか、蒼い双眸だけが揺るがない。
刀を納めた灰の男が、観念したように苦々しく口を開いた。
「我らは〈天の蛇〉
お前の次は〈あの女〉だ」
そう言い捨てると、羽織の残影を残して幻惑魔法を展開し、姿を消した。




