/ フリズスキャルヴ
ユーフォリア首都ブレイダブリクがあるのは、この世界テラ・アウストラリスの中でも南方に位置するインコグニタと呼ばれる大陸だ。
ここから海を渡って北西に向かえば魔法宗教国アルテリア、北東に新興工業国オーガスタが存在する。
中央大陸は両者のさらに北となるが、今回はひとまず置いて。
リチャードがこれから向かうのはオーガスタの有する海洋都市メガラニカ。
三大陸の間に横たわるイストミア海を超えた先で、世界でも類を見ない貿易の中心、人口も三〇〇〇万を数える大規模都市である。
無論、それだけ膨大な人口を誇るとなると、貿易の手段も単なる飛行船や船では追い付くものではない。速度が命となる物流の要には数十年前から超巨大な飛行船が用いられ始めた。
その名も全長七キロシャールを超える、ティアマト級航空旅客船〈フリズスキャルヴ〉
宿泊施設や商業施設、上下水道をはじめとする基幹インフラなど、ひとつの都市を丸ごと内蔵した貿易船である。
双頭型の飛行甲板を先頭に、鈍色に日の光を反射する鋼の巨体。
この甲板が必要に応じて導力パネルを発生、または消失させ、内部の都市へ日光を届ける役割をしている。
全体的に前方から後方へは戦艦よろしく縦長のスタイルで、空中戦艦もかくやと言える対空砲と対地攻撃用の武装がなされ、さながら戦闘機動艦の様相を呈しているが。
その威容、まさに要塞そのもの。
これだけの規模の質量が、当然のように空を飛んでいるのは何度見ても呆気にとられる。
「空が暗くなった。帰ってきたのか」
乗降予定の客が集まる港湾区の岸壁内景観ラウンジにて、逆光に浮かぶ船体の影を見上げたリチャードがつぶやく。
このフリズスキャルヴがテラ・アウストラリスの物流を一手に担っていると言っても過言ではない。
ユーフォリアから始まり、オーガスタを渡って中央大陸へ向かい、最後にアルテリアを経由して、再びユーフォリアへ戻ってくる。
その航路を一年を通して休みなく飛び周り続けるため、貿易船ながら高級な世界周遊の旅客船としての面も持つ。
全長七キロ、全幅三キロ、全高二キロを超える途方もない巨体が、ゆっくりと海面へ沈んでいく。
水面を騒がせる衝撃に伴って、海風に水滴が混じり始めた。ガラス越しに吹き付ける風に、甲板からの警告音とアナウンスも伴ってくる。
「ただいま、接舷中です。ご注意ください」
幾度も艦体から押し寄せる波が岸壁にぶつかり、水の花を咲かせるように散っていく。
フリズスキャルヴはその質量と内に抱える物量から、専用の装備と係留装置が備わったパドックにしか停泊できない。
リチャードの隣、小型トランクケースを左手で引くアンジェリーナが、白いワンピースの学生服にベージュの防寒着を着込んで佇んでいる。
「これから長い搬出入の時間よ。半日はかかるでしょうね」
艦体の横腹、複数の搬出口が開き始める。
途方もない全国からの物資が詰まった輸送コンテナを、これからパドックの導力クレーンとベルトコンベア、さらに導力トラックも総動員しての搬出作業だ。
艦体整備も含めると、丸一日はかかるかもしれない。
景観ラウンジ内の人間が、一斉に荷物を手に提げ、あるいは引いて改札ゲートへと流れ始める。慣れた動きだ。もう何度も乗ったことがあるのだろう。
早めに動かないと、下船した客でここも混み始める。
「そうだな。行こう」
長い旅路の予感に、彼の面差しは少しだけ強張っていた。
ユーフォリアの人間であれば知らぬものはいない〈戦乙女〉へは、民間時不接触という法律が定められている。
街のどこで見かけても話しかけられない限りは声をかけてはいけないし、横を通り過ぎる際には必ず道を開けて頭を垂れなければいけない。不躾に眺めるなどもってのほか。
世界に平和を齎した、救国の英雄。その威名は未だ根強く。
だがそんなものは彼女からすれば鬱陶しいだけの慣習でしかない。どこ吹く風で流行のファッションを眺めてはショッピングするし、好きなお菓子も買う、リチャードを連れてグルメ店巡りにも足を向ける。
年頃の娘らしい一面を知った国民は、とりあえずのところ積極的に関与しなければいいのだと察して過ごしているのが実状だった。
ただ、そこはそれ、かの有名な戦乙女に取り入ろうとする輩も少なくない。
下船して通路向かいからやってくる人々が彼女を見る。アルテリアからの渡航客が軒並みぎょっとした表情をしているのは、見ていて痛快ですらあるが。
そのうちのひとり、若い男が声をかけてくる。
「ねえ、君。放送で見たよ」
なんとこれを素通り。一瞥すらしない。
無邪気な子供たちであれば微笑と少し手を振るくらいはするのだが、人を寄せ付けないオーラは変えられないらしい。
ただ、道行く人が足を止めて、かつ、かつ、と足音高く進む彼女を眺めるのは、やはり憧憬や尊敬、そして畏怖の感情が見てとれた。
リチャードも特別、彼女の態度を咎めることはしない。
これは仮面だ。彼女が外界と対峙する際、必ず被る外面。
誰であれ似たものは持っている。社会や他者に見せる自分。対人関係で求められる役割への人格。そういったもの。
誰にも責める筋合いはない。
「アンジー。オーガスタで流行の服とか探すのか?」
だから、くだらない話題でごまかすことにする。少しでも彼女の気が紛れるように。可憐な一条縛りが、不安げに揺れたから。
「そうね。これから冬だから、もう春物を出しているところもあるでしょう。あとオーガスタはお化粧品とアクセサリーが有名だからそれも見ておかないと。それに麺料理も良さそうなものが多かったかしらね」
「へえ。俺はどうするかな」
通路が終わり、いよいよフリズスキャルヴ艦体への入り口に到着。
「あなた麺料理好きでしょう? なにか目当てのものはないの」
「なにも考えてなかったよ。遊びに使える時間、あればいいけど」
まるで物資搬入口のような、見上げるほど無骨な両開きのゲート。
「……ん?」
なにか落ちている。リチャードには解らなかったが、ティアドロップ型ネックレス。銀色で細い鎖。滴型に反射を返す宝石が見て取れた。
「なんだ、これ」
リチャードが拾う。
アンジェリーナが某かのブランド名をつぶやく。
「貴重なものよ。誰か探してるかも」
すると、少し前方に人影が見えた。
自分の服のポケットに手をいれ、なにかを探している。黄色のツバがついた円筒帽子を被って防寒着を着てはいるが、下のデニムの脚線から女性とわかる。
これだろう、と察してリチャードが足早に進んだ。
「失礼。お嬢さん」
女性への対応は紳士的に。アンジェリーナの教えの通り、丁寧に言葉を選ぶ。
「探し物はこれかい?」
人影が振り返る。眼鏡をかけているが、一目で整った美貌を見てとれた。
艶やかな黒髪を肩のあたりで切り揃え、すっと通った目鼻立ちが造形美を感じさせる。健康的な肌の白さと意志の強そうな瞳の輝きに、いっそ見惚れてしまうほどの魅力を感じさせる人物。
「えっ!?」
リチャードの手に持っていたネックレスに瞠目し、どうしてそれを、と眼で訴える。
「今そこで拾ったんだ。お嬢さんのものかい?」
察して、少女ははにかむ。こちらを向き、安堵に胸へ手を当てた。
聞く者に元気を与えるような張りがありながら、少女らしい丸みを帯びた声。
「あ、拾ってくれたんだ! ありがとう、お兄さん!」
「気にしないでくれ」
「これ、結構レアものなんだ! 失くしたと思って焦ったよぉ」
余程のことだったのだろう。大事そうに受け取ると、相好を崩した。人目を惹きつける面差しではあるが、服装がどうも活動的すぎる印象に違和感を覚えた。
例えば、変装。お忍び。そういった類のなにか。
「それ、エンブリオ・モノグラムよね。ユーフォリアでは見かけなかったものだわ。とても良い意匠」
アンジェリーナが口を挟む。これに気を良くしたか、黄色帽子の少女がぱっと明るく表情を変えた。
「わかる!? これねー、オーガスタの本店にしか売ってないんだ!」
「あら、そうなの。モデル的に今のものではないし、昔のデザインとも少し違う。期間限定かコラボ品だったりするかしら?」
「お、そうそう! お姉さん、すご! よくわかったね!」
人懐っこい性格なのかもしれない。あのアンジェリーナが押されている。押されているが、どうにも気になるらしく聞き取り調査を続けていく。
「今も売っているの? 私も気になるわ」
「うーん、まだ店頭にあったかなぁ。噂じゃ生産少なかった気がするよ」
「それじゃ、諦めたほうがよさそうね」
ぐっと両手を握りこんで、励ます少女。決然とした眦。
「いやいや、勝負は最後までわからないよ! お姉さん綺麗だから、ちょっとだけこれ付けてみる? サービスだよ!」
これにはさすがに心が揺れたようだが、他人に触れるのは未だ恐怖が勝るらしく。
「お気持ちだけいただくわ。自分で手に入れたいし」
「そっか。それじゃ、健闘を祈るよ!」
言って、敬礼。軍人ではなさそうだが、そうして朗らかに笑うと今度はリチャードを見る。
「お兄さんもありがとね!」
会話のペースを握られている。これがこの少女の魅力なのか、もっと話していたい気持ちになってしまう。
「お気になさらず」
覗き込んでくる。まじまじと見られてたじろぐ。
「お兄さん、ちょっとカッコいいね?」
苦笑を返して。
「よしてくれ。俺も見惚れるのを我慢してるんだ」
いつもの調子で剽軽にかわす。相手はなにかを探る表情。
「ふーん……お兄さん、名前はなんていうの?」
「リチャードだ。リッチでいいぜ。金はないがな」
「好きなものは金と女よ」
「おいっ! 誤解されるだろ!」
余計な一言に鋭く視線で抗議するが、これに少女は呆気にとられたが、すぐ朗らかに笑った。
「あはっ! おもしろいね、お兄さん。私はセレーネだよ。またね」
親しげに手を振り、トランクを引いて去っていく。嵐のような印象を与える少女だったが、アンジェリーナが顎に手をあてて、首を傾げる。
「……どうしてここにいるのかしら」
「ん? 知り合いだったのか?」
「……呆れた。あなた、知らないの」
何のことか解らず。
アンジェリーナは肩を竦めて艦内を進んでいった。
* * *
この船は豪華客船というわけではないが、高級ホテルもかくやというほどの設備を備えた広いスイートルームを備えている。
今回、特命大使の任を帯びたリチャードに割り当てられた部屋がここだ。
「もうちょっと……狭くていいんだけどな」
扉を開けると、待っていたのは宮殿もさながらといった豪奢な様相。
海を見渡せるガラス張りに、白く清潔な壁一面。絵画も飾ってある。
さらに巨大な壁かけモニター、ベッド二台、ソファーベッド一台、ガラスの向こうに専用バルコニーが見えて、そこに木製のチェア二脚、テーブル。
あまりにも広すぎた。落ち着かない。学生寮の手狭さがすでに恋しい。
「よかったじゃない、広くて」
というのも、元凶はこの少女。
「俺、コンフォートでよかったのに……」
「嫌よ。私が狭いじゃない」
どうあっても別室はダメということで、渡航チケットの都合にひと悶着があったのを思い出し、リチャードは溜め息をひとつ。
突然アンジェリーナが行くと言い出した時のマーガレットの苦労がしのばれる。
「あとでマギーにお詫びしないとな」
「え? どうして?」
こちらを向きながらリボンを解きつつ、押し戸になっているバスルームへの扉をお尻で押し開けながら、一条縛りを解く少女。
さらりときめ細かな金髪が拡がる。金糸に光が流れるようだ。
「さすがに料金やばいだろ……ん、シャワーか?」
「いいえ、少し髪型を変えるわ。やっぱり人目があり過ぎるから」
なるほど確かに、あの建国祭のスピーチが世界中に放送されたことを考えれば、ある程度の変装はしておくべきかもしれない。
「ねえ、リボンは白のままがいいかしら」
彼女が使っているリボンは昔からリチャードが送っているものだ。女性がつけるリボンはその色によって様々に理由があるのだが、何故か彼女は白以外をあまり喜ばなかったので、半年に一度は白のリボンを買わされているのだが。
今回、なにやら色が違うものを持ってきているらしい。
ふと思い出す。白のリボンは何の意味があったか。
学生服のポケットから板状の携帯端末を取り出して、画面を指で滑らせる。
意味を調べると……
「嘘のない気持ち、まっすぐな愛……」
ふむ、と頷く。顔が少し赤くなったのを、ガラス窓越しに認めて。
「初めて知った」
背後から声。恐らく洗面所で鏡の前にいるのだろう。
「ねえ、赤でいい?」
赤。赤ってなんの意味があったか。そういえば前に買わされた記憶がある。
「あなたのことを大切に想っています……」
恥ずかしさに身悶えして、絞り出すように答える。
「ど、どっちでも似合うと思うぞ」
「うん、知ってる。で、どっち?」
さも当然とばかりに、彼女は淡いピンクのリップライナーを唇に引いて、柔らかく微笑んだ。
「……私は白のほうが、いいけどね」
その囁きは誰に聞こえることもなく。
長い金髪をゆるい三つ編みにして抜け感を出し、左の肩口に流す。彼女の雰囲気は今までの淑やかな一条縛りの女性像からフェミニンな印象を与える、清楚で上品な姿へと変貌を遂げた。




