9、入学したのはいいけれど
石畳で舗装された街道を、ヴィクトワール領から王都の学園に向かう学生達を乗せた3台の馬車が護衛を伴ないながらもさほど警戒した様子もなく進んでいた。
中央の馬車の中では、一行の雰囲気よりさらにのんびりとした会話が流れている。
馬車の中には、ややウェーブがかかった金髪を腰まで伸ばし、豊かさを強調する双丘に女性らしい丸みを帯びた母性を感じさせる身体つきのレオノーラ。
揺れる馬車のせいでずれる眼鏡の位置を時折正し、赤い髪を背中まで伸ばし、レオノーラとは対称的な華奢な体つきは深窓の令嬢を連想させるミフィス。
そして女性の中では高いすらりとした上背に、背中まで伸ばした金に朱が混じった夕陽のような髪を後頭部で一括りにまとめたことで覗くうなじ、しなやかに引き締まっているのににどこか丸みを帯びた女性らしさをもった身体、そして引き締まった身体の中でそこだけ柔らかさを主張する豊かな膨らみを持ったアルシェイル。
この春に入学するアーシェも含めた3人は冬期休暇の終わりに王都にある学園へと向かう途中であった。
「やーもうじき王都だねぇ。そういえばアーシェは王都に来るのは初めてだっけ?」
「そうなりますね。レオお姉様」
「アーシェも学園に入学かぁ。1年しか一緒に通えないけど色々教えてあげるねぇ」
「よろしくおねがいしますね」
「お姉様、その色々の中に余計なモノは入れないでくださいね。アーシェもあまり調子に乗って羽目を外さないように」
「ひどい言いがかりだよぉ」
「そんなことは……」
「どうかしら? お母様からアーシェは目を離すとたまにとんでもないことをしでかすから気をつけるように言われているわよ」
「ア……アハハハ」
思い返せばこの4年の間に色々と前科があったので笑って誤魔化すしかない自分がいた。
わ、わざとじゃないんだよ?
ただ、こっちの非常識と俺の前世での常識が食い違ってただけなんだよ。
例えば、髪が長いので鬱陶しくなって鏡の前でハサミを持って短くしようとしたら、真っ青な顔したエナにハサミを取り上げられてアマンダのとこに連れられてそのまま二人がかりでお説教の嵐、なんてこともあった。
使用人に説教かまされるお嬢様ってどうよ?
いわく髪は女の命で、髪の長さとストレートでの美しさが大事らしく俺のやったことはそれほどありえないことだったらしい。
あとは、今穿いてる下着がかぼちゃぱんつというかドロワーズなんだが、鍛錬をやっている時に動きにくいし蒸れるのでものすごく不便だったのでなんとかしたかったんだ。
淑女の嗜みで習わされた裁縫の技術を活かして自作することにしたんだが、ゴムが無かったのでヒモで両側を留めるヒモパンを作ってみたんだ。
それなりの出来で気に入ってたんだが、着替えるときにエナに見咎められてまたアマンダのとこに連れられてはしたないとお説教の嵐だった。
ああでも、エナの目が届かない自由な寮暮らしになったらまた色々やらかすかもしれないので否定できないけどな、特にパンツ。
「お母様といえばぁ、出発する時にしきりにラーシェルお姉様の方を見てアーシェに頑張れって言ってたねぇ」
「言ってたわね。まあ流石にそこまで期待してはいないでしょうけどね」
「そういえばそんなこと言われてましたね。ヴィクトワール家の娘として恥じない成績を挙げるつもりです」
「「えっ」」
「どうかしましたか?」
「アーシェはぁ、もうちょっと出発の時の状況を思い出した方がいいと思うよぉ?」
俺はレオノーラの言われたことに首を傾げつつ、出発時の状況を思い返した。
一番印象に残っていてまず思い浮かぶのはディノスだろうか、まるで今生の別れのような悲壮さで悲しんでいたので思わず俺ももらい泣きしてしまったのを覚えている。
アマンダは確かにラーシェルの方を見ながら俺に「貴方もラーシェルを見習って頑張るのよ」と言っていたのは覚えている。
ラーシェルというのは、シアートの婚約者で去年シアートと結婚した女性だ。
彼女は意外なことに父のフレデリックが決めた婚約者ではなく、シアートが学園で見初めたレドネア侯爵家の三女だそうだ。
初めは渋っていたものの、彼女自身の素養の高さや三女とはいえ侯爵家の出なのでそう家格的に問題ないので了承したそうだ。
ちなみに、ラーシェルとの婚約を認めたことで、向こうの家にこちらの家の都合より、そちらの家の希望を優先したのだから貸しになるらしい。
貴族の結婚っていうのはつくづくめんどうだと思ってげんなりしたのは内緒だ。
さて、レオノーラに言われて思い出した内容をもう一度思い返してみると……まさかね。
いや……でも……そんな……よし、わからなかったことにしよう。
俺はそっと思い出の蓋を閉じた……まあディノスの泣き顔はちょっと勿体無かったけどな。
姉達の会話に当たり障りの無い返事をしながら心の中で涙を流していると、
「フラメルちゃんもぉ畏まって黙ってないでもうちょっと会話に参加しようよぉ」
「はっ! ですがっ……その……」
レオノーラの会話を振られたフラメルは勢いよく返事をしたもののすぐ尻すぼみになりまた沈黙してしまった。
馬車の道中ずっと沈黙しているので会話に混ざらなかったが、俺達姉妹以外にも実はもう一人乗客がこの馬車にいる。
彼女はフラメル、肩まで伸ばした茶色い髪に、今は俺達に萎縮しているが意志の強い真面目そうな面立ちをしていて、委員長と俺の心の中で呼ぶことにした。
平民なので家名はない、そしてもう一度言おう平民の彼女が領主一族の馬車に同乗しているのだ。
これにはまあ複雑なんだかそうでないんだか俺にはよく分からない事情がある。
彼女は俺と同じで今年から学園に通うことになっている、いわゆる推薦枠の人間だ。
推薦枠の人間なんて国内でも年数人、領内なら滅多に出ないほど優秀な人間なのだが、その扱いは結構デリケートだ。
何故なら領主にとっては得難い未来の人材は、陪臣達にとっては自分達の地位を脅かしかねない邪魔者になる恐れがあるし、王都の学園に通うということは他領の貴族の引き抜きにも警戒しなければならないからだ。
しかも引き抜きの場合、一番警戒しなければならないのは実は学園のお膝元である王都の下級官吏の仕官だったりする。
そんなわけで他領からの引き抜きを牽制しつつ、陪臣達の嫉妬をかわしなおかつ刺激しないようにしつつ、他領に流れないように忠誠心を植えつける為に俺達領主一族はそれとなく配慮して接しなければならないそうだ。
その結果が、馬車での同乗というわけなんだが、萎縮しちゃってるけど大丈夫なのかねぇ、ちょっと緊張を解す為に話しかけてみるか。
「そんなに緊張しないでもっと楽にしていいよ。私と一緒の学年なんだし5年間仲良くしましょうね」
「はっはいっ! アルシェイル様」
「んー、この馬車と学園の中ではアーシェでいいわよ。一応学園では建前では身分をひけらかさないことになっているしね」
そう言って俺はフラメルに軽く片目を閉じて茶目っ気を含んだ笑みを見せた。
フラメルの緊張も少しは解けたようだった。
3人ののどかな会話から、やや遠慮がちながらも4人のかしましい会話になって馬車は街道を進んでいった。
ラグドネア王国最大の都市にして王族が坐す王都ラゲーレに王立トレイリア高等学園、通称“学園”はある。
学園は一部の例外を除き全寮制で、12歳~16歳の間の全ての貴族の子女と極めて優秀と認められたごく少数の平民が通う高等教育の場である。
学園は王族の子女も通うので警護の面から王城に隣接して存在し、王族は寮ではなく王城から通っている。
学園を正門方向から見てみると、校庭の先に見える学生達を受け入れる校舎とその背後にそびえたつ王城、脇に控えるように右手に男子寮、左手に女子寮が見える。
アーシェ達ヴィクトワール領の女子学生達はレオノーラの案内で女子寮に入っていった。
「はぁい、ここが女子寮ねぇ。2年生以上は分かってると思うから各自解散ねぇ。まだ何もわからない1年生はそこにいる寮母のマレーネさんからの説明を聞いてねぇ」
「私がここの寮母をやっているマレーネです。これから5年間よろしくお願いしますね。さっそくですが今から寮の規則を説明します」
いかにもおかあちゃん的な恰幅のいい40代の女性からの規則を羅列すると、
・部屋は二人一部屋で、よほどの理由と都合が合わない限り5年間変わらないので同部屋の住人とは仲良くすること
・掃除、洗濯は寮つきの使用人達で基本的なことはやってくれるが、それ以上を求めるならば各自でやること
・食事は食堂で毎食出るが全員同じメニューなので違うものや個人的に食べたいものならばお金を出すか、部屋に備え付けのキッチンで自分で作ること
・門限は夕刻でそれ以降に外出したい場合はあらかじめ外出許可をとること
・ここの使用人は全員王城に所属している使用人でありその意味を忘れないこと
だそうだ。
なんというか最後の項目以外前世での学生寮と変わらなくて貴族っぽくないな。
まあ貴族って言っても色々いるしこれだけの人数を住まわせるんだからそんなものなのかな。
それに四六時中かしづかれないってのも俺にとっては気楽でいいかもしれないな。
女子寮は4階建てで、1階は食堂や浴場などの公共スペース、2階は一般的な陪臣の家の子と平民の部屋、3階は比較的裕福な陪臣の家の子の部屋、4階は爵位持ちの家の子の部屋になっているそうだ。
こんなとこでも身分格差社会なんだな、まあ同じような地位の奴同士のほうが余計な軋轢生まないだろうっていう配慮なのかな。
というわけで俺は4階に上がって部屋の番号を確認しながら自分の部屋を探した。
「部屋は……ここだな」
俺は一応念のために2,3度ドアを叩いてノックをすると、
「はい。どなたですか?」
どうやらすでに同居人はいたようだ。
「同室になったアルシェイルといいます。入ってもよろしいですか」
「どうぞ」
何気なく部屋のドアを開けるとそこには、着替え中だったらしく同年代の女性の半裸の姿があった。
長く透き通るような銀の髪、手折れてしまいそうな華奢な体つきに、雪原を思わせる白い肌の中わずかに膨らんだ丘の桜色の蕾に俺は目を奪われる。
思わず魅入ってしまっていると、
「あ、同室の方ですか? こんな恰好で失礼しますね」
「……あ、うん。こっちこそノックもせずにごめん」
「ふふふ。まるで殿方のような喋り方ですね」
「あ、すみません。思わず素の口調が出てしまったようです」
「……いいえ、元の喋り方も素敵ですよ。よろしければ同室の中ではその喋り方をなさって頂いても構いませんよ」
「うーん、そっちがそういうのならそうさせてもらおうかな。ああ自己紹介がまだだったな。アルシェイル・ドゥ・エラ・ヴィクトワールだ。アーシェでいいよ」
「ユフィーリア・ドゥ・ネル・アーヴィンです。私もユフィで構いません」
その日はお互いの身の回りの話や領内の話を終日語り合った。
俺は初めて見た自分の身体以外の女性の裸に興奮してなかなか寝付けなかったのは内緒だ。