5、貴族なのはいいけれど
とりあえず俺は常に体力が許す限りマナの体内循環を試みることにした。
宿題でもあるのだが、マナの循環を続けることでマナの効率や容量が上がると去り際に言われたからだ。
目指せ大魔術師。
そういえばさっき気になる単語を聞いたんだっけ。
“学園に通う貴族の子女”あの会話の通りなら俺は貴族の家に生まれたらしい。
身分制度があるなら生まれは大事だしそこのところを詳しく聞きたい。
ただ……どうやって怪しまれずに訊ねればいいだろうか。
まさか正直に訊くわけにもいかないしなぁ、自分の家について詳しく尋ねる8歳児……怪しすぎるわ。
うーん、貴族、身分、領地、ん? 領地といえば領地の名前が家名になってることが多いよな。
アルシェイル・ドゥ・エラ・ヴィクトワール
この名前の中でアルシェイルというのが俺の名前だというのは分かっている。
真ん中のドゥとエラは分からないが、ヴィクトワールってのが多分家名なんだろう。
これについて訊ねてそこから質問を掘り下げていってみることにしよう。
さて、問題はこの質問を誰にするかだな。
父のフレデリックは忙しいだろうし三女の俺に構ってくれるかは微妙だ。
末っ子ならば末っ子特権でいけるかもしれないが、生憎その特権は弟が持っている。
母のアマンダはどうだろう?
優しいし勉強の一環での疑問という呈でいけばいけるかもしれない。
……いや駄目だ、勉強を抜け出していたアーシェに要所要所でクギを刺すあの鋭さを侮ってはいけない。
ではシアートは……ハハハ冗談を言ってはいけません。
脳筋に体を鍛えること以外の話題など無意味です。
というのはまあ冗談なのでおいといて、鍛錬が趣味のあの兄貴に質問などしたらそのまま「遊んでやろう」と言って遊びという名の鍛錬に付き合わされるに違いない。
こっちはやることがあるのだからご遠慮願いたい。
となると上の姉のレオノーラか。
彼女なら優しそうだし妹の質問にも素直に応じてくれるだろう。
それにあの緩さなら多少おかしなことを訊いたとしてもなんとか誤魔化せるはずだ。
よし、ついでに学園のこともどんなところなのか訊いてみることにしよう。
俺は早速レオノーラの部屋を訪ねることにした。
ノックをすると緩い声が返ってきた。
「はぁい。どなたでしょうか?」
「わたしです。アーシェです。お姉さま、開けてもいいでしょうか?」
「どうぞぉ。ちょっと散らかってるけどねぇ」
許可を得たので部屋の中に入ってみると、白を基調とした家具の落ち着いた雰囲気にアクセントとして可愛らしい小物が部屋の主人の趣味を控えめに主張している。
そしてややその雰囲気を損なっているのが、ベッドの上に鎮座する衣服の数々と大きめのカバンだった。
「ごめんねぇ散らかってて、学園に持っていく衣装を選ぶのにてまどっちゃててね」
「えーと忙しいときにごめんなさい。また出直しますね」
「いいよぉ別に、あとはもうカバンに詰めてもらうだけだからぁ」
なんというか本当におおらかというかのんびりとした人だ。
下手な質問の仕方をして怪しまれないようにいろいろ考えていた自分が徒労に思えてくる。
とりあえず気を取り直して会話という名の情報収集を続ける。
「お姉さまに訊きたいことがあるの」
「それはいいけどぉ。どうして私なのかなぁ?」
(あれ?おかしいな警戒されてる? とりあえずさっき選んだ理由をオブラートに包んで素直に言うか。)
「……えっとお父様達は忙しそうだったし、お兄様はそのまま鍛錬に連れて行かれそうだったからです」
「じゃあミフィスはぁ?」
「……ちょっと怖いので」
「アハハハ、そんなことないようミフィスはちょっと照れ屋さんなだけだよ。ごめんねぇ意地悪なこと言って、ただいつも外で遊んでいるアーシェが私のところに来るなんて珍しくてつい、ね」
俺はとりあえず誤魔化せたと思いほっとする。
「えっと質問の続きをしてもいいでしょうか?」
「うん。なあにぃ?」
「わたしの名前なんですけど、アルシェイル以外の部分ってどういう意味なんでしょう?」
「うーんドゥ・エラ・ヴィクトワールの意味ってことかな?」
「はい。みんなアーシェの部分しか呼ばないならいらないんじゃないかなぁって」
「アハハ、面白いこというねぇ。むしろアーシェ以外の部分のが大事なんだよ?」
「アーシェよりも大事なんですか?」
俺は殊更に驚いたふりをしてさらに続きを促してみた。
「そうだよぉ。ドゥ・エラ・ヴィクトワールはアーシェの身分を示す物だからねぇ」
「そうだったんですか」
「ドゥは貴族であることを、エラは伯爵位を、ヴィクトワールは家名を示しているんだよぉ。つまりアルシェイル・ドゥ・エラ・ヴィクトワールっていうのはヴィクトワール伯爵家のアルシェイルっていう名前の貴族って意味だねぇ」
「ねえお姉さま、ドゥが貴族であることを、エラが爵位を示しているならドゥはいらないんじゃないですか?」
「それはねぇ、爵位を賜っていない貴族もいるから両方いるんだよぉ」
「貴族なのに爵位がない?そんな貴族がいるんですか?」
「陪臣っていってね、貴族に仕える貴族がいるんだよぉ。例えばアーシェに魔術を教えている先生、あの人は普段はうちの領内の学校で教えている家柄の陪臣なんだよぉ」
あの人も貴族だったのか。
ん?領内の学校?学園とは違うのだろうか?
「お姉さま、学校というのは学園とはちがうの?」
「学校はねぇ、領内の平民とあまり裕福でない家の陪臣が無料で基礎教育を学ぶところで、学園はその先の高等教育を学ぶところだねぇ」
「わたしは学校には行かないの?」
「私達はぁ家庭教師を呼んで基礎教育を学ぶから行かなくていいのよぉ」
なるほど教育というのも金がかかるものだからそれを自宅で行うのも一種のステータスみたいなもんか。
それにしても平民に無料で教育って、貴族にしては随分と平民に優しい領主なんだな。
「領内で無料で教えてるなんてお父様は優しいんですね」
「ううん、違うよぉ。何代か前の陛下の国策で「知は力なり」ってことで全ての領地で王家と領主の折半で行われているんだよぉ。初めの頃は随分と批判が強かったけど強行されて、随分荒れたみたいだけどその陛下の治世の後半では目に見えて国力が上がったから今でも続いているんだよぉ」
「すごい方だったんですね」
学校の情報はこの辺でいいとして、次はそのうち俺も通うらしい学園について訊いてみるか。
「お姉さまが通っている学園というのはどんなところなの?」
「学園は唯一王都にだけあって、一定年齢の全ての貴族の子女と学校で極めて優秀とされたごく少数の平民が通っているんだよぉ。我が家だと私とシアお兄様、来年はミフィスも通うことになるわねぇ」
「平民も通えるんですかっ?」
「滅多にいないけどねぇ。成績が極めて優秀であること、学校の責任者が推薦して、領主、うちの場合はお父様の身元保証が必要だからねぇ」
「すごい人が学園にいるんですねぇ」
「それだけじゃないよぉ。うちの国は教育が進んだ国として見られているから、たまに外国からも学園に留学に来るからねぇ」
「外国の方ですか? どんなところなんでしょう。」
俺は予想以上に進んでいた学校教育に驚きながらも、肝心の学園の内容を訊いてみた。
「学園ではどういったことを教えてもらうの?」
「学園ではまず基礎教育の先の高等教育を全員勉強して、そこから先により専門性の高い応用教育を希望者は選択するわ。この応用教育は将来の仕事が決まっている家柄の人や希望している人がだいたいうけるわねぇ。でもね、アーシェはもっと大事なことを学園で学ばなければならないわ」
「な、なんでしょうか?」
俺はこのもったいぶった言い方に恐る恐る訊いてみた。
「それはねぇ将来の貴族としての社交を身に着けることと人脈作りよ。」
「……はい?」
「あら、貴族としては何より重要よぉ? 社交界は失敗が許されない場だから失敗しないための経験が大事なの。全ての貴族の子女が集まる学園がその練習の場として捉えられるのは当然じゃない。それに学園ほど将来の人脈が作りやすい場所はないわぁ」
「……はぁ」
「もう、随分とやる気の無い返事ねぇ。そんなんじゃ駄目よ、学園はアーシェが自分で良縁を掴める最大の機会なんだから頑張ってね」
……ハイ?今なんと言ったかねこの姉は
……良縁?ってことは結婚か?
え、俺は今女なんだけど?
え、女が結婚するってことは相手は男だよな?
え、俺は男と結婚するってこと?
俺はあまりのことに一瞬目の前がまっくらになった。