10、観光するのはいいけれど
朝日が射し込むのを感じて目が覚めると、昨日なかなか寝付けなかったせいか少しけだるく欠伸をひとつした。
ふと視線を感じて目を向けると、ユフィが隣のベッドに腰掛けてじっとこちらを見つめていた。
こちらは寝ている体勢なので自然と見上げる恰好になり、朝日を背負って逆光の中、ユフィが寝るときに纏っていた薄手のネグリジェが透けて肢体があらわになり目を奪われていると、
「おはようございます。ごめんなさい、かわいい寝顔だったからつい見とれてしまって」
「……あ、ああおはよう」
俺が咄嗟に返せたのはその一言だけだった。
(うーん。昨日の今日でこれとは……自分の裸にはもう慣れたけど他人の女性の裸にはまだ慣れないな。)
「どうしました? 顔が赤いみたいですけど大丈夫?」
「だっ大丈夫! なんでも、そうなんでもないから」
女性の裸を見て赤くなったなどど言うわけにもいかず、俺は良い言い回しも思いつかずただ誤魔化すしかなかった。
「そっそういえばユフィは今日の予定はどうするんだ?」
「入学式までまだ3日あるから王都観光かな? アーシェも一緒にどうかしら?」
「ごめん。お姉様から呼び出しがあるんだ」
「そう、残念ね。じゃあ今度また一緒に行きましょうね」
なんとか誤魔化せたと思いほっと一息つくと、
「じゃあ着替えて一緒に朝食を摂りに行きましょう」
「わかった」
そしてユフィの着替えを目撃してまた赤面を誤魔化す羽目になった。
朝食を摂ったあと呼び出された場所に向かうと、そこにいたのはレオノーラだけではなく昨日まで一緒に馬車で移動したヴィクトワール出身の生徒達がいた。
「やあ来たねアーシェ、同郷者のお茶会にようこそぉ」
「お姉様、お呼びとあって来ましたがこれは一体何の集まりでしょうか?」
「これはねぇ、故郷を離れた地で同郷の者同士親睦を深め合いましょうってお茶会なのぉ」
「……はぁ」
(親睦も何も昨日まで馬車で一緒だっただろうに何を言ってるんだ?)
「という建前で集った情報交換の場よぉ」
「……」
(面倒くさいことに俺を巻き込まないでほしい。隙を見て逃げるか。)
「何を黙っているのぉ? 再来年からはアーシェが定期的に主催するのよぉ」
「え? わたしがですか?」
「そうよぉ。来年はミフィスが主催するけど、ミフィスが卒業したらアーシェがやらなければならないのよぉ」
「え、いや……でも」
「たくさんの情報が集まるこの学園で自領の学生をまとめて情報収集をするのは領主一族の務めなのよぉ」
「……」
「まああと2年あるんだし今は横で見ているだけでいいわよぉ。今回はまだそこまで情報も集まってないだろうしねぇ」
「……そうですか」
(やりたくないので辞退しますって言うことが出来る情報はないのだろうか。)
「でも一つだけ耳寄りな情報はあったけどね」
「なんでしょうか」
(俺にとって耳寄りだといいなぁ。)
「そろそろだろうと言われていた第一王子殿下の入学が確定したそうよぉ」
「そうですか」
(なんだ王子の入学かどうでもいいな。あ、でも入学ってことは俺と同い年か面倒だな関わらないようにしよう。)
「むー、反応悪いなぁ。殿下といえば一番の玉の輿じゃないもうちょっと関心もとうよぉ」
「無茶を言わないで下さい。そんなことを言うならお姉様が狙えばいいでしょうに」
「私は大人しくお父様が決めた相手と結婚するからねぇ。シアートお兄様の件もあって私の婚約相手はお父様が決めたいだろうしねぇ」
「そうなんですか」
「アーシェも殿下とまでは言わないけど良い相手を見つけなさいねぇ」
「……」
(嫌ですと言えない哀しみ。ノーと言える日本人になりたい。あ、もう日本人じゃなかったわ俺。)
このままレオノーラと会話を続けているとどつぼに嵌りそうなので俺は何か逃げ道は無いか必死に探すと、集団から離れて隅に一人ぽつんと佇んでいるフラメルが目に入る。
「お姉様、あちらにフラメルがいるのでちょっと話てきますね」
「むー。話はまだ終わってないけどまあいいかぁ。フラメルちゃんをよろしくねぇ」
俺はそそくさとレオノーラから離れてフラメルに話しかける。
「フラメル調子はどう? 同室の子とは仲良くできた?」
「アーシェ様、はい、さいわい同室の子も同じ推薦枠だったので仲良くなれました」
「学園ではやっていけそう? 何か困ったことがあったらここにいる人達に相談しなさいね。同じヴィクトワール出身なんだから」
「……ええ、そうですね」
フラメアは歯切れ悪そうに答えた。
「どうしたの? 何だか言い難そうだけど」
「……いえ、その……私は平民ですから」
「ああ、ごめんなさいね。ちょっと配慮が足りなかったわ」
「いえ、アーシェ様は私とも気安く接してくださいますしお気になさらないで下さい」
迂闊だった、フラメルは平民なのであまり周りから良く思われていないのを失念していた。
上が目をかけているフラメルにわざわざ直接的な嫌がらせをするような奴はいないが、かといって積極的に親しくする奴もいないのがこのボッチの状況だった。
「ま、まあ何かあったらわたしのところに相談に来なさい。あまり力になれないかもしれないけどね」
「そんな、そのお気持ちだけで十分です」
これからはもっとフラメルを気にかけることにしよう。
そんなこんなでフラメルと話し込んでいるとレオノーラが、
「あらぁアーシェとフラメルがこんなに仲良くなっていたとは知らなかったわぁ。今日はこの後アーシェを連れて王都で観光がてら買い物に行こうと思ってたけど、親睦も兼ねてフラメルちゃんも一緒に行きましょうか」
「私などを連れて、よ、よろしいのでしょうか?」
「いいわよぉ。それにフラメルちゃんは王都に伝手が無いからどこに何があるか知らないでしょう。アーシェのついでに私が案内してあげるわぁ」
「光栄です」
「……(フラメルと一緒ならアーシェも逃げないだろうしね)」
「何かおっしゃいましたかお姉様?」
「なにもいってないわよぉ」
「そうだ、貴方達も一緒に来てくれるかしらぁ」
「「か、畏まりました。」」
レオノーラはついでとばかりに近くにいた上級生の男子生徒二人に声をかけたが、何故かその二人は目元が引きり微かだけど恐怖の色が見えた。
何故そんな反応をしているのか疑問に思ったが、俺が身をもってその理由を知ることになる時にはすでに俺も抜け出せなくなっていた。
「あらぁこれはいいわねぇ」
「レオノーラ様これなんていかがでしょう?」
「へぇフラメルちゃんもなかなかセンスがわかってるわぁ」
『……帰りてぇ』
「何か言ったアーシェ? そんなとこで立ってないでこっちに来て一緒に選びましょうよぉ」
「アーシェ様はこれなんてお似合いになるんじゃありませんか?」
「わーいいわねぇちょっと合わせてみましょうかぁ」
どこまでもハイテンションなレオノーラとフラメルとは対照的に俺のやる気と足は鉛のように重い、それでもまだマシだと思えるのは店の外で待たされている荷物持ちで付き合わされた男子生徒二人がいるからで、彼ら二人なんて顔が青を通り越して死相が半分見えている状態だ。
そしてこういった買い物をしたことが無いらしいフラメルが恐ろしく高いテンションでレオノーラと盛り上がってる。
一体ここで何軒目だっただろうか、そろそろ両手の指では足りなくなってきたはずだが、
「……あの、お姉様、そろそろ寮に戻りませんか?」
「なにいってるのよぉ、まだ半分しか廻ってないじゃない」
(まだ半分ってこっちはすでに限界なんですけど。)
「ですが彼らが持てる荷物の量もそろそろ限界ですし、あまり目立つとよからぬ輩に目をつけられますよ」
「そのために学園の制服を着ているんだから表通りなら大丈夫よぉ」
レオノーラが言うには、学園の制服は王都では知られており、学園の生徒=貴族(一部例外有り)なので貴族と知ってわざわざいざこざを起こす奴は王都で治安の良い表通りならいないそうだ。
わざわざお茶会の後学園の制服に着替えさせられたのはその為だったのか。
ちなみに学園の制服は上着は男女共にシックな深翠色のブレザータイプで、下は女性は足首までのスカート、学年によって下の色が赤、黄、黒、青、白の順で変わるそうだ。
「……でしたらお姉様、ちょっと別のお店を覘きに行ってもいいかしら?」
「駄目よぉ。お友達のフラメルちゃんを放っておくつもりぃ?」
「……ですが、その」
(いいじゃないかちょっと位、だいいちフラメルはレオノーラと一緒に買い物してて楽しそうじゃないか。)
フラメルを持ち出されて強く出れない俺に対してフラメルが助け舟を出してくれた。
「レオノーラ様、私はもう十分堪能しましたしアーシェ様の希望を聞いてあげては頂けないでしょうか?」
「うーん、しょうがないわねぇ。じゃあちょっとだけよ?」
「ありがとうございます」
そうして俺はこの買い物地獄から束の間だが脱出できた……戦友を置き去りにして、……すまんそんな目で見ないでくれ。
ようやく手に入れた貴重な自由で俺は幾つか気になっていた物を探し始めた。
「あ、これいいな」
「これは面白そうだ」
「これは……やめとこう」
魔術具店、武具屋、食べ物の店で物色する様は買い物をしているレオノーラととても良く似ていた。
そして時が経つのも歩いた道筋も忘れて買い物に没頭していると、
「……ここ、どこだ?」
当然ながら迷った。
幸いこの広い王都のどこからでも王城の姿は確認できるのでそれを頼りに進んでいると、
「……やばい、もっと迷った」
いつしか表通りから外れて人気もまばらな裏通りに来てしまっていた。
「まいったな。せめて表通りまで戻らないとこのままだとまずいな」
さきほどのレオノーラの言うとおりならば、表通りなら学園の制服さえ着てれば問題ないそうだがここは人気の少ない裏通り、こんな所を一人で制服を着て歩くなど鴨が葱背負って鍋まで持参しているようなものだ。
じわじわと押し寄せる不安と焦燥を必死に押し殺していると、
「そんな恰好でこんな所で何をしているんだい?」
「っ!」
不意に後ろから声をかけられ慌てて振り返ると、そこには学園の制服をやや着崩した金髪の優男が立っていた。
「ふーん。赤……一年生か、大方初めて王都に来たおのぼりさんで観光に浮かれてこんなところに迷い込んだってところかな?」
「そ、そうです」
「ここは君のような子にはあまりお勧めできない場所だ。良ければ案内してあげようか?」
「えっと、あの」
(案内してくれるのはありがたいが、こんな場所で会うなんて怪しい……でもこのまま迷子っていうのも駄目だしどうしよう。)
俺の逡巡を知ってか知らずか、
「おっと初対面の子に対して挨拶もしないのは失礼だったね。僕はダフィード・ドゥ・エア・クレメンス、見ての通りの学園の3年生だ。後輩が困っているのなら助けてあげるのは先輩として当然だからそこまで警戒しないでほしいな」
そう言って俺でもほれぼれするような見事な所作で貴族の挨拶をした。
これだけ見事な挨拶をこなせるなら学園の生徒というのは信用してもいいかもしれないと思い、
「アルシェイル・ドゥ・エラ・ヴィクトワールです。道案内をよろしくお願いいたしますね」
「お安い御用だよ」
そして俺はダフィード先輩の案内で表通りを目指した。
ダフィード先輩と一緒に話ながら歩くことしばしして、
「ほら君が行きたかったのはここら辺じゃないかな」
「あ、そうです。ありがとうございます。本当に助かりました」
「じゃあ僕はこれで、またねアーシェちゃん」
先輩が気さくに別れの挨拶をして去っていってから少しして、
「レオノーラ様、アーシェ様を見つけました」
「あー。やっと見つけた。もうどこに行ってたのよぅ」
「お姉様、すいません」
「探したのよぉ。まったくどこを遊び歩いてたのかしらぁアーシェは」
「ごめんなさい。道に迷ってしまって」
「まったく、今度買い物する時はアーシェを一人にするのは禁止にしようかしらぁ」
「そんなぁ……ごめんなさい反省しているので許してください」
「アーシェ様、買い物は楽しかったですか?」
「それはもちろ……あ」
「アーシェは本当に反省しているのかしらぁ」
「すみません。すみません」
フラメルの方を軽く睨むとフラメルは茶目っ気を含んだ笑みでこちらを見ていた。
どうやらこれは一人でどこかへ行ってフラメル達に探し回らせた俺への軽い意趣返しらしい甘んじて受けるしかないか。
その後俺はレオノーラに平謝りをしてなんとか許してもらった。
今日は色々な事があって疲れた俺は、部屋に戻ってベッドの上に横になりながら先に帰っていたユフィに今日の顛末を話すと、
「まあ! 一緒に行こうって私の誘いを断っておいて観光ですか? どうして私も誘ってはくれなかったんでしょうか? ひどい! お友達だと思ってたのに!」
「いや……あのときはまだ買い物に行くなんて決まってなくてだね……」
しどろもどろになりながら必死にユフィの機嫌を宥めることになった。
今度二人でどこかへ出かける約束をしてなんとかユフィの機嫌を取り戻した俺はようやく解放されて床につくことが出来た。
(そういえばダフィード先輩にもう一度会ったら今度はちゃんとしたお礼をしないとな。)
今日は色々な事がありすぎてとても疲れた俺はすぐに微睡みの中へ沈んでいった。