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レインヴの冒険 砂漠と旅人

作者: 雅片

 広い広い、広大な砂漠。馴染みのあるこの砂漠で、今日に限って見慣れないものが目に映った。

 もの……者? 人だ、あれは。

 青いターバンをまとっている青年は橙色の目を凝らしながら、その〝者〟を見た。どうやら年端のいかない少女のようで、十分な装備もなしにのんきに砂漠を歩いているようだった。仕事帰りで砂漠を渡り、途中で一休みをしていた青年トレグは重い腰を上げる。相棒の、ベルという名の砂漠を得意とする馬に乗り少女の元へ向かった。


「もし、お嬢さん」

 ふわりと少女が振り向いた。その髪は白色であったが、ちょうど光の当たり方によってきらめきが変わるダイヤモンドのように、不思議な髪色をしているように見えた。トレグがその髪に目を奪われていると、少女は嬉しそうに口を開いた。

「こんにちは」

 にこにこと挨拶をする少女に呆気を取られる。もうこんにちはという時間帯でないのもそうだが、自分が悪人だったらどうするつもりだったのだろうと、なにぶん注意力が欠けているように思えた。改めて近くで少女の身なりを見るとこの砂漠を抜けるにはあまりにも軽装で、ベルのような乗り物も従えていないようだった。少女に引き返せと警告したかったがもう日は傾き、じきに夜が来るだろう。

 幸い、彼の入念な性格から水や食料はたっぷりとある。トレグは少女に分からないようにため息をついたのだった。

テントを張り、ベルに餌をやる。その様子を少女は目を輝かせて眺めており、その瞳も髪と同様に不思議な色をしていた。見た目も行動も子供のような彼女の素性はともかく、経緯はやはり気になった。しかし注意が先かとどこから話そうか考えていると、少女はテントの手前にあるたき火の辺りに座り、自ら話をし始めた。


 少女の名前はレインヴというらしい。

 良い名前ですねと、いささか定型的な返事をしながらレインヴの隣にトレグも座る。

「何故そのような軽装で砂漠を?」

「この間渡ったばかりの砂漠だったので、いけるかなぁと」

「……私この地点まで半日かけてきたのですが、レインヴさんもここまで歩きで、一人で? あなた歳は?」

「はい! 十四歳です!」

「……」

 呆れを通り越して怒りすら覚える。この砂漠は他の砂漠地帯と比べると小さい方だがそれでも広く、最短でも十日はかかる。この砂漠は雲も多く太陽が遮られ、砂奥深くの地下に氷石と呼ばれる冷気をまとう石が溜まっているため暑さはないが、夜は冷え危険な動物も少なくない。幼い頃からこの砂漠を渡っているトレグですら装備を何度も確認し計画的に砂漠を渡るのだ。

私に出会わなければ今頃どうなっていたのやら、と眉をひそめると少女はのんきに笑った。

「まあ、仕方がないですね」

 きっとこれも何かの縁だろうと、話をしていて普段より遅くなった夕飯を二人分用意する。レインヴは社交的、好奇心旺盛な性格のようで食事を食べテントに入り寝る準備をしている間も会話が途切れる事はなく、食事やテントの中に入った時の物珍しそうな反応は見ていて退屈しなかった。いつもの一人で過ごす夜とは違うささやかな温かい時間に、まあこれも悪くないかと思いながら明日からの計画を練り直す。この少女と砂漠を抜けるのならば多少は目的地に着くのも遅くなるだろう。そうだ、レインヴの目的地を聞いていなかった……彼女は十四歳と言っていたが親は、他に仲間は……。疲れた身体は睡眠を欲しているようで、横になったとたんに眠気にとらわれた頭はもううまく働かなかった。重いまぶたは開きそうにない。

「トレグさん……あれ、もう寝てしまうんですか? 明日もしかしたら私、外見が少し変わってしまうかもしれないけど気にしないでくださいね」

 外見が変わる、とはどういう事なのか理解できなかったが明日聞けばいいだろう。明日もきっと疲れるに違いないから今日はもう休まないと。眠気に襲われてしまったトレグの口はうまく動かず、あぁ、うんと言葉にならない返事を返しながら眠りについたのだった。



 リィリィ……ああ、こんな所にまで鳥はいるんだな、と夢から覚めたばかりの頭で考える。まぶたを開くとテント越しに優しい光が朝を教え、レインヴの思考を刺激した。

 まだ寝息を立てているトレグを起こさないよう静かにテントの出入り口である布をまくし上げると、きらりとするものが目に映った。

 昨日空を覆っていた雲は薄く太陽が顔を出している。昨日は雲越しの夕暮れで砂が少し赤く感じたが、今は砂の色に光が反射してまぶしい銀色だ。寝起きの目に急な光が差し込んだせいか、砂漠の波が自分に押し寄せてきそうな気分になり少し頭がふらついた。しかし、レインヴの気持ちとは裏腹に砂漠はどっしりと落ち着いて座るだけで動くことはない。この延々と輝く風景をもっとよく目に焼き付けたいとテントの前にそろえておいた靴をつかむと、靴の奥の影がうごめいた。

「うわぁぁ!?」

 思わず靴を砂漠の山へ放り投げる。レインヴの靴はぼすっと情けない音を立てて砂に埋まり、蛇だか虫だかが靴の中から這い出てきた。テントに引っ込み心臓を押さえていると、どうしたとトレグが飛び起きて声がしたレインヴの方を見た。トレグはしばらく目を見開いたまま動かず、レインヴはゆっくりと振り向いて苦笑いをする。テントの出入り口から風が吹き込むと、レインヴの髪がさらさらと揺れたがその色は青色で、瞳は橙色に変わっていた。ちょうど、トレグのターバンに隠れた青色の髪と、橙色の瞳と同じ。レインヴはどこから説明しようかと目を泳がせた。


「とりあえず、先程の叫び声が大した事じゃなくて安心しました」

 トレグが砂山に埋まった靴を持ち上げると銀の砂がさらさらと靴からこぼれ、もう蛇だか虫だかはいなかった。

「外に置いていた靴にここの生き物が隠れるのはよくある事です。昨日注意しておくべきでしたね」

 私こそお騒がせしました、とレインヴは頭をかいた。

「それで、その姿は……」

 トレグがちらちらと不思議そうにレインヴを見る。昨日の白い髪や綺麗な瞳は、トレグが見慣れている自分や自分の一族と同じ色に変わっている。しかもトレグは一日中ターバンを巻いていてまだ一度もレインヴに自分の髪を見せていなかった事から、さらに不思議に感じた。しかしレインヴは、

「あーはい、見た通りで私……私の一族は他の一族の人と接するとよく髪の色とか変わっちゃうんですよね!」

 と、さらっと笑顔で言った。トレグは拍子抜けしたようで彼女につられて、はは、と苦笑いをしたのだった。

「とりあえず、朝食を食べましょうか。時間はたっぷりとありますから、移動しながらお話しましょう」

 レインヴの一族はとても珍しい特性があるようだった。この世界のそれぞれ一族はまとまって行動する事がほとんどだが、もちろんずっとというわけではない。レインヴの一族も普段はまとまって各地を周り商売をして生きてきたが、他の大きな街に出稼ぎに行く者や旅に出る者、他の一族の所へ嫁に行く者など、一族の輪から外れる者はもちろんいた。その中でこの不思議な特性は現れる。一緒に過ごした別の一族の者と同じ色に変わるという特性。同化して他の者の安心感や信頼を得たいという本能に近い能力らしい。この世界の生物たちは同じ仲間ごとの外見に個性がある事が多いので、レインヴ一族のこの特性はそれなりに効果があるのかもしれない。

 朝食を済ませ、果てしない砂漠を歩きながらレインヴは語った。朝に見せていた輝かしい太陽の光は雲に遮られ、砂の銀色は落ち着きを取り戻す。トレグが言うにはこの砂漠の空は雲に遮られて、朝以外太陽は拝めないのだとか。

「不思議な特性ですね。よく何かを操ったりだとか、どういう環境が得意だとかの能力は聞きますが……私も今まで色々な人と接してきましたが、あなたの一族のような話は聞いた事がない」

「元々珍しかったみたいですけど私たちはもうだいぶ一族の人数が減ってきちゃったみたいで、少ないからあまり話が出ないのかもしれないですね」

 砂の混じった風がレインヴの髪を撫でる。確かに自分の一族であるこの青は、どこかトレグに安心感を与えた。だが白い髪の時にも印象に残っていた、ダイヤモンドのような不思議な髪の光はその青にも残っている。瞳も同様に。

「そういえば、あなたの一族の……他の方たちは今どこに?」

 トレグはあれこれ詮索するのはマナー違反だと心得ていたが、十四歳というまだ一人旅をするにはいささか幼く、良くも悪くも子供らしい彼女のいきさつは気になるしどうにも心配だった。疑問を投げかけるとぴくりとレインヴの肩が揺れた。

「……そうっそれです! 私がこの砂漠を渡ろうとしてたのは一族の別グループと合流しようとしていたからなんです。この砂漠を西北に抜けた街に、仲間がいると聞いたので」

 砂漠を西北に抜けた所と言えばそこそこ商売で賑わっている街でトレグの目的地とは少しずれていたが、なんとか送っていけるだろう。目的地がはっきりした事から彼は安心したが、また疑問が浮かぶ。

「砂漠を渡ろうとする前はどうしていたんです? そういえば昨日も、最近この砂漠を渡ったとか言っていましたが」

「この前砂漠を渡った時まではずっと同じ一族の仲間と一緒でした。実のところ、その時は仲間と荷車で移動してたので一人で渡るのちょっと不安だったんですよね! トレグさんが声をかけてくれて助かりました……あ、それでえっと。この間砂漠を渡った後南東の方の街にいたんですけど色々あってその仲間とはお別れして、それで同じ一族の別の仲間が西北の方にいると聞いていたので、いま会いに行こうとぜっさん初めての一人旅中というわけです!」

 一瞬レインヴの瞳が切なげに揺れる。気のせいだろうか、彼女の瞳はしっかりと前を向いていた。こういう出会いの旅仲間には深く追求してはいけない事もあるだろうとトレグは目をこすり彼女と同じようにまた前を向き、歩を進めた。

 彼はいつも、砂漠での一日は長いものだと感じていた。しかし今日はやけに短い。雲越しからの太陽の光は二人と一匹の影を段々と伸ばしていく。まだ夕暮れには時間があったがちょうどいい穴ぐらがあったので今日はそこにテントを張る事にした。砂に埋もれているが洞窟のような、割と大きな横穴。前はこんな所に穴なんてあっただろうかとトレグは記憶をたどるが、レインヴがテント張りを手伝おうとしたらしくテントの構造にうんうんと唸っていたので彼の疑念はそこで途切れ、苦笑しながら彼女に指南し始めるのだった。



 朝にしか見る事ができないまぶしい太陽の光が砂漠三日目の朝を知らせる。レインヴが目を覚ましトレグの方を見ると、彼もほぼ同時に起きたようで目をこすっていた。

「ああ、おはようございます」

「おはようございます!」

 外の空気と同じように爽やかな朝の挨拶を済ませ、靴の中を確認し外へ出る。

「今日も良い景色だね」

 外にいるベルにも挨拶をする。ブルルッ……と返事をするようにベルが首を振ったのでレインヴは嬉しくなりベルの長い首に抱きつき、砂漠地帯に生息する馬の特徴である背中のコブを撫でた。トレグは早々にテントを片付け外で適当な所に火を起こし朝食の支度を進めていたので、手伝うために彼の元に行こうとしてベルから離れると、ベルがうなり声を上げた。どうしたのかと振り返るとベルは穴の奥を見つめていた。レインヴたちがいるのは穴の入り口付近でそこには光は差し込んでいたが、少し進んだ穴の奥は暗い。

「ベル、そこに何かあるの?」

 ベルは穴ぐらの暗闇を大きな瞳でにらみながら唸るだけで、怯えているのか怒っているのか判別がつかない。トレグの元に駆け寄ろうと暗闇に背を向けた瞬間、何かがきしみ岩が崩れるような音が背後で響いた。


「トレグさん!!」

 何も知らず朝食を作っていたトレグが振り向くと、慌てた様子で自分の元に走ってくるレインヴとベル……とその後ろにとても大きな虫の姿。

「な……!?」

 虫の腕についているハサミと尻尾の毒針。サソリのような姿のその虫は、おそらく昨日の朝レインヴの靴の中にいた奴と同種だろう。見るからに危険そうな見た目から、砂漠の生物に慣れていないレインヴはわたわたと軽いパニック状態に陥っている。

「ミシッと穴の奥が崩れたと思ったらなんかなんか~!」

「へえ、驚きました……これほど大きなタレサがいるとは! あ、タレサというのはサソリの仲間のようなもので……」

「えっそんな冷静に解説とか始めちゃうんですか! 見た目からして明らかに危なそうですけどっ」

「落ち着いてください。あの種は確かに毒を持っていますが、とてものろい生き物です。すぐには襲ってこないでしょう」

 最初はその大きさに驚いたものの、案外平然としているトレグを見てレインヴは少し落ち着いたようだった。

「じ、じゃあ……」

「ですがあまり大丈夫とは言えないかもしれませんね」

「えぇ!?」

 のそのそと距離を縮めてくる大きな虫は透明感ある赤黒さで少し不気味だ。

「のろいと言っても私が知っているタレサはこれよりもだいぶ小さいものですから。それこそ靴に入るくらいの。ですがこれは……」

 馬で引く荷車より一回りほど大きいそれは、歩幅が大きい分おそらく普通のタレサより足が速いはず。早足で出発すればその虫が追いつく事はないだろうが、いつまでも付いてこられると困るしおちおち休憩してもいられない。しかし遮るようなものが少ないこの砂漠では移動しながらこの虫をまくのは困難だろう。

「仕方がないですね。ここで足止めして先に進みましょうか」

 ああ折角おいしそうに作れた朝食が無駄になってしまうなぁと残念に思いながら、トレグはレインヴを抱えベルの背中に乗せた。トレグの考えを把握できていないレインヴは頭の上に、はてなマークを三つ四つ浮かべている。

「奴をここで足止めします。あなたはベルにしっかりとつかまっていてください。いいですね」

「え、えっ? 一体何をするんですか?」

 わたわたと焦りながらもベルの手綱を握る。その様子を確認しながらトレグは説明した。

「この砂漠には氷石という石が地下の奥深くにたくさん埋まっているのですが、この辺りはどうやら地表にも氷石が露出しているようなのです。この穴ぐらも、よく見ると氷石が混じっている」

「ヒョウセキって冷たい、溶けない氷って言われてる……」

「そうです。氷石はとてももろいですからそれを利用してタレサを足止めしようと思います。この土地をちゃんと調べたわけじゃないので上手くいくかわかりませんが」

 かん高い独特な鳴き声を上げ、のそのそと近づいてきたその虫は最初こそ寝起きだかで動きが鈍かったものの徐々に本来の動きを取り戻している。

「というわけですのでベルと遠くに避難しててくださいっ」

 虫の様子を見たトレグは早口でまくし立てベルの腹を叩くと威勢のいい音を立ててベルは走り出した。


「さて」

 レインヴを乗せたベルが離れていくのを見ながら懐に手をかける。虫は毒針を掲げ、どうやらトレグを朝食にするつもりのようだ。

「どうしたらそんなに成長しちゃうんですかね。さぞ餌を取るにも苦労するでしょう」

 穴ぐらから這い出てくる大きな塊にぼやく。今日の朝食で調理する予定だった肉の一つを穴ぐらと自分から離れた所に放り投げ、懐から取り出した火薬玉を手に持つ。明らかにトレグを狙った方がお腹一杯になれるはずなのだが、かぐわしい肉の香りを放つ小さな肉の方へ一直線に向かった虫はどうやら知能はさほど高くないらしい。今のうちに、と。トレグは虫を刺激しないよう穴ぐらへ素早く向かっていく。穴ぐらに火薬を仕掛け、肉を使い再び穴までおびき寄せて穴ぐらごと発破する……外に放った肉を虫が食べ終えてしまう事を危惧しながら、早く、早くと作戦を練って後ろにうごめく気配を気にしながら準備に取りかかったのだった。


「トレグさん大丈夫なのかなっ……」

 レインヴは走っているベルに振り落とされないように後ろを向くが、ベルが蹴った砂埃で視界が霞み状況がいまいちわからない。レインヴにとってトレグは穏やかな印象が強くあんな大きな動物と戦えるようには思えないので引き返したかったが、自分がいても足手まといだろうと不安になるだけだった。レインヴが落ち込んでいると、ベルはここなら安全だと感じたのか走るのをやめて辺りをうろうろしている。

「……うん、無事である事を祈ろうね」

 トレグがいるであろう遠くの穴ぐらを心配そうに見つめるベルを撫でる。

 瞬間、鈍い轟音が広い砂漠に響いた。地面がきしみ、砂山がざらざらとこぼれていく。

「どわあっ!?」

 とたんにベルはいななきレインヴを振り落として崩れていく穴ぐら目がけて全力疾走と言わんばかりに走り出した。何が起こったのかと、振り落とされた際に打った背中をさすり呆気に取られながら穴ぐらの方を見ると、穴ぐらだけでなくその周辺の砂漠も轟音と共に崩れていっていた。ベルは崩れる砂の波に突っ込んでいってしまったようだ。

「ベ、ベル……トレグさん……!!」

 砂に足を取られながらも立ち上がり名前を叫ぶが返事はなく、つかの間の轟音も静まり、レインヴの声だけが砂漠に残った。泣きそうになりながらもふらふらと穴ぐらがあった場所へ向かう。崩れ去っていく銀の砂の中には薄い水色の大きな宝石のような塊がたくさん混じっていた。おそらくこれが氷石だろう。太陽の光がなくてもきらめいているその石は、まさに氷のように透き通っている。普段なら心を奪われ真っ先に手に取るに違いないが、今はそれどころではない。

「トレグさん!! ベル……!」

 心細くなる静寂をかき消すようにもう一度名前を呼ぶ。


 すると、崩れて落ち着いていた砂がうごめいた。

「……! トレグさん! ベルッ!!」

 勢いよく砂と氷石を撒き散らし、トレグを背に乗せたベルが砂の中からレインヴの目の前に姿を現した。

 ブルルッ……と誇らしげに主人を降ろしたベルと、疲れきった顔をしたトレグは砂まみれなものの外傷はないようだ。

「ト、トレグさぁぁ~ん……っ!」

 自分でも情けないなと思うほど声を震わせながら、砂まみれのトレグに構わず飛びついた。

「レインヴさん! ご無事でなにより……」

「それはこちらの台詞です!」

 トレグは砂を払いながら、ずびずびと鼻を鳴らすレインヴを受け止める。

「そんなに心配なさらなくても、私の一族はこれでも元々戦闘民族だったんですよ?」

 聞いているのかいないのか、レインヴはずびっと鼻で返事をした。

「思いのほか氷石がもろく埋まっている範囲が広かったようで……予想外でした。火薬の量を多めに見積もっちゃったからですかね」

 穴ぐら少し崩れる程度だと思ったんですけどねぇ、と頭をかきながら微笑む。そのトレグの様子を見て、レインヴも鼻水を拭いて笑った。


「さあ、旅を続けましょうか」


 あの類の虫は気温が低くなると動きが鈍くなる。そのうえ氷石の重みと砂に埋もれているのだから、あの虫が地面に顔を出す頃には私たちを見失っているだろう。砂漠の生き物は普段から砂と共に暮らしているから、砂に溺れて死んでしまう事もない。

 朝から疲れたせいか昨日よりゆっくりと、砂を踏みしめるように歩を進めながら話す。



それからは何事もなく、穏やかな旅が六日続いた。



「見えてきましたね」

 別れの時は刻々と近づいていく。朝を迎え、少し歩いた頃。延々と続いていた凹凸の少ない砂漠に、一つの塔のようなものが出っ張っているのが見えた。

「あれはスクリッオの角と呼ばれる岩です。あそこの根元まで行き、辺りを見渡せばあなたの目的の街があるはずですよ」

「……ここで、お別れなんですね」

「……はい」

 トレグの帰る場所はスクリッオの角が見えてきた辺りから北へ真っ直ぐでレインヴの目的地とは少しずれる。食料もあの虫と出くわした時に荷物をまき散らしたせいか心配な量になっていたので無駄というには惜しいが、なるべく体力と時間の消費は避けたかった。トレグは申し訳なさそうにレインヴを見る。

「本当なら街まで付き添いたいのですが……」

「いえ、本当にここまでありがとうございました。あったかい毛布とおいしいご飯、楽しいお話から何まで、なんとお礼を言ったらいいか!」

 年端のいかない少女はのんきな笑顔で答える。

「心配ですね。街に着いたらこの氷石を売ってください。あなたの仲間とすぐ合流できるかもわかりませんし、しばらくの飯と宿代にはなるでしょう」

「はい!」

「この辺りに危険な動物はさほどいないと思いますが街に着くまで十分に気をつける事。氷石は割と珍しいものですから十、いえ二十白硬貨の値はつくでしょう。あの時少し拾っておいて正解ですね、良いお小遣いになります……悪徳商人には気をつける事」

「はい! お母さんみたいですねトレグさん!」

「……心配ですねぇ」

 レインヴは小さな鞄の中の荷物を確認し準備を整えた。名残惜しい砂漠のそよ風が青色の、彼女の髪を撫でる。

「トレグさん。また、会えるでしょうか」

 疑問ではなく願いに近いその問いにトレグは目を伏せる。この世界は一生をかけて周っても足りないくらい広いと言う。

「……流れ行く旅人の間には、イチゴイチエという言葉が重宝されているようですよ」

 イチゴイチエ、一期一会。二度と繰り返される事はない一生に一度の出会い。そんな意味の言葉を、難しい問いに曖昧な解答として答える。

「その言葉、なんだか知っているような」

 もう二度と会えないかもしれない、だから今の時間を大切に……母も温かい口調でその言葉を、そんな事を言っていた気がする、と上を向いた。

 そしてレインヴは身震いした後、勢いよく遠くの岩に目がけて走る。トレグは驚いたもののもう名残惜しさはなく、銀の砂を巻き上げる爽やかで乾いた風が吹き抜けた。砂にまみれた靴を軸にくるりと振り返ったレインヴはトレグと最初に出会った頃の、彼女本来の髪色に戻る。瞳も本来の、トレグとは違った輝きを持つ色に戻っていた。


「さようならー!! どうかお元気でーっ!!」

 レインヴは精一杯声を張り上げた。トレグは手を上げ応える。それを見た少女はもう振り返る事なく歩き出す。

 トレグからは見えてはいなかったが、少女はのんきに笑顔だった。



「レインヴさんに言いそびれてしまいましたねぇ」

 トレグもまた、少女を見送った後歩き出しベルを撫でながら呟いた。なんとお礼を言ったらいいか、と彼女は言っていたがお礼を言うべきはこちらだったのかもしれないと。

「これからはまた寂しく一人で砂漠です、か……」

 その言葉を言うと同時にベルが暴れる。ああ君もいましたねぇごめんよとなだめるが、その後ろ姿は少し寂しげだった。

 まあいいか、もし、次に会った時にでも言えばいいさ。二度と会えないかもしれないが、そう決まっているわけではない。彼女にはああ言ったが私はただの仕事帰りで別に旅人ではないのだから、いつかきっと、また。

 そうですよね。とベルに理屈っぽい問いをかけると肯定したように頭を振る。ご飯がいつもよりおいしく感じた事、面倒なテント張りが楽しく思えた事、砂漠の砂が初めて美しく思えた事……案外寂しがっているのは年下の少女ではなく自分の方なのかもしれない、と情けなくなり苦笑する。トレグはレインヴという少女の姿を思い、彼女を真似て上を向き、のんきに笑ってみた。そうしてまた前を向き、光によって色や輝きを変える、彼女の髪を思い起こさせる砂漠の砂を歩いていく。


 トレグとベルは軽い足取りで残り短い砂漠を渡っていくのだった。

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