嵐の夜は連鎖して
三年前のできごとにもなる、俺と親父と母と妹の四人でいつも通りの十八時にまるでスライスチーズのように意味のそぎ落とされたみたいなテレビ番組へと意識をむけながら目の前の晩御飯を機械仕掛けのように口元へと運んでいたところ、突然よくも判らない言葉を叫びながらそこそこにおおきなテレビを持ちあげそのまま窓の外へと放り投げそのあとを追うように二階から身を投げた親父の一連の行動に驚きながらも、ああ、ついに狂ったかとも思う。そういう兆候はあった。酒と煙草を酸素のように取り入れる親父が仕事をやめたのは親父の発狂から一箇月ほど前のことでありそれ以前では酒と煙草を除けば真っ当な人間であった親父は、けれどそこに無職というひと欠のピーズが嵌ったことによりたぶんなにかしらの歯車がとまった。親父を親父として起動させていた歯車、それがどういったかたちをしているのかは判らないけれど少なくともそれは親父にとって命と等価であるほどに大切なものであったのだし、それは俺だっておなじだ。歯車がとまったのはすぐに判った。簡単なことだ。ひととひとの集団にひとでないものがあればすぐに判るし、それはつまり雰囲気とか気配というもので、きっと俺らのなかにはそういうものを捉える感覚の器官がある。ズレていると妹は云っていたけれどまさに親父は少しずつの速度でずれていてそれはまるで大地震の前兆のようにときおり深い地響きが鼓膜を揺らしそういうとき俺と妹はきまって互いの視線を確認しあいその音を確かなものとしてきた。そして、親父の発狂。予測はできていたけれどそれが事実として目の前で起こると恐ろしいもので俺は口をあんぐりと空け放り込んだから揚げの欠片がそこからぼとぼとと落ちてゆくのにも気づかずに、ただ、ああ、とうとう来たんだな、やっぱり駄目だったんだな、なにか優しい言葉でもかけてやるべきだったのかなとも思うところで、妹の指は携帯端末の一九九の番号
を叩いている。すぐに救急車が来る。けれど家を出てみても親父の姿はみつからない。俺は気が動転していて衝撃で地面に埋まっちまったんじゃないかって叫びながらシャベルで雑草の生えた庭の地面を掘るけれど妹は冷静で、近所の住民に聞き込みをしどうやら親父はそのままなにかを叫びながら西のほうこうへ走っていったのだということが判る。「西!西だよ!あのひと裸のまんまなんか叫びながら四角いもんかついで西に走っていったんだよ!」、飼い犬の散歩中だったという女は茶けたミニチュアのダックスフントを抱きかかえながらまくしたてるようにそう云ってそれを訊いた救急隊員はそのほうこうへと救急車を走らせる。沈黙。まるで嵐の過ぎた夜のような嫌な静けさが俺と妹を揺らし、もしかしたらあれは夢のなかのできごとなんじゃないかっていう疑問系が浮かんでくるけれどそうじゃないことを庭に投げ捨てられた親父の衣服が殴りかかるように語る。「親父、狂っちゃったね」と妹は云う。ああ、そうだよ。親父は確かに狂っちまった。けれど妹の言葉のなかには自己の責任とか嫌悪とかが渦巻いていて、いやいや、そうじゃないだろと俺は思う。そういうことはよくある。自然的な災害だとか偶発的な事故とか、そういったものは仕方なしに俺らの世界を壊す。それを運命だとか宿命と呼ぶことを俺は良しとしないけれど、それはほんとうにそういうことなのだ。親父は壊れた。けれどそれって、俺らには、いや、親父自身にだってどうしようもないことだったんじゃないか? そういうふうな考えが頭のなかを壊れるようにながれて、結局のところ俺の口から出たのは短い同意の言葉ただそれだけだった。違うだろと俺は思う。けれどもう、それは俺の意思とは関係なしに漏れ出てしまった言葉なのだ。それを妹のほうだって理解してくれていると思う俺は馬鹿げているだろうか? けれど少なくともそういうふうに思わないことにはいかず、いつも以上に居心地の悪い躰を引きずるようにして家へと帰り、俺は気づく。ああ、そうか、狂っているのは親父のほうだけではなかった。あるいは親父は正しかったのかもしれない。それはある種の予感であった。親父の行動はその時点でみれば確かに壊れていたのだけど、それはもしかしたらある未来ほうこうへむけたひとつの明るい行為であって、それはつまり自己防衛だとか自己免疫と呼ばれるものであって、そうした様々が親父を助けようとした結果なのかもしれない。そしてたぶん親父はいまもなお逃げ続けているし、逃げ続けていたのだろうし、これからさきも逃げ続ける。それはつまり逃避の連鎖だ。親父はこれからさき死ぬまで一生走り続けなければいけない。そうした運命的な逃避を、けれど俺は肯定できるのか? やはり俺は、あるいは妹は、もっと親父を正しいほうこうへと軌道の修正をしきちんとした方角をむかせてやるべきではなかったのか? けれど、そんなことが果たして可能なのか? 後悔と疑問はいくらでも湧いて出てきた。そしてたぶん隣に立ち尽くす妹のほうであっても、それはおなじなのだ。親父が叫び、テレビと一緒に飛び降り、救急隊員がやって来、俺がシャベルで地面を掘り、女が西のほうこうを指し、救急隊員が消え、一連のやりとりを終え、やっとの思いで家へと戻ってくるまで、彼女はずっとここにいた。つまりいまでもなお冷静な目をもってから揚げのひとつを口元へと運び続ける母の姿をみながら、俺はただこれがどうか夢であることだけを妹の震える躰を抱き寄せながら祈った。
少しだけほんとうのことを云うとそれから親父がみつかることはなくまた母もそのあとを追うようにある朝消えた。親父と母が消え三年。そのちょうど針の重なるタイミングで俺らはひとつの約束をした。「つまりあの日のできごとはすべて夢であった」、それは悪くない考えであると思ったし、妹もそれに同意した。互いに社会に出た俺らが会う機会は少なく、それでもどうにかして週に一度はこうして邂逅を交わすのはひとえに淋しいからだろうと思う。俺の家は簡素で調度と云えば壁一面を埋める本棚と一台のゲーム機以外にはほとんどみあたらない。テレビくらいは買うべきだと妹は云う。けれどそれを俺が静かに否定すると、それより深く追求はしない。妹は料理がつくれないので妹が家を訪れたときは俺がぜんぶをつくる。と云っても俺もそこまで料理ができるわけでもなく適当な知識でつくったビーフシチューをふるまう。それでもなかなかのできで妹が文句を云う素振りはない。「あるいは嵐はまだ過ぎ去っていないのかもしれない」、あらかた料理を片づけてしまってから妹は云う。そうだねと俺はとりあえずは同意しておく。そうだね、確かにこの世界ではいまもどこかで嵐が起こり続けている。「けれどそれって俺たちには関係のない話だろ?」「そうだね。でもそういうことは世界じゅうで起きているんだなって、わたしはいまそう思ったよ」「それってつまりあの日のこと?」「ねえ……」「判ってるよ。俺は夢のなかの話をしてるんだ」「悪夢のね」「そう、あの日のひどい悪夢の話を」、それで会話は途切れた。けれど俺はいまもたまに思う。いまでもなおひたすらに走り続ける親父。走り続けるほどになにかを抱え、そのかわりになにかを捨て、そぎ落とし、ひたすらに走り続ける親父。それってなんだか他人の気がしない。そういうふうなことが、もしかしたら俺らの身にも起きているのかもしれない。なにかを背負い、なにかを放り投げ、ひたすらに尽きるまでの走り続ける。それはつまりリレーの様相をしている。誰かが走り、倒れ、それをみてまた誰かが走り、倒れる。その連鎖のたびに背負うものがふえてきて、最後のほうでは黒くておおきなものに押しつぶされたなにかがある。それっていったいなんだろう? 母は死んだ。それはもう過ぎたことだ。そしてそれは、きっと夢のなかのできごとだ。けれどこうも思う。そうしてみえる暗い未来のほうこうをみずして、そっとここで立ち尽くすことも、ある意味では悪くもないんじゃないかって。ひたすらに叫びとおすことと、無表情に笑うこと。ひたすらに走り続けることと、諦め立ち尽くすこと。ひたすらに押しつぶされることと、冷静に切り裂くこと。そういったふたつがまるで螺旋階段の様相で天にまで昇っていく様子を、いまの俺だったらたやすく想像することができる。「結局のところ正しいのはどっちだったと思う?」、帰り際、ためしに俺はそう尋ねてみる。むろん答えはないだろうと思った。妹がそんなものを考えるはずはないし、考えたとしても、その考えを口にすることはないんだろうって。けれどそれを裏切るように、妹はそっとはにかんでみせた。そして、「正しいのはいつだってわたしだけだよ。そうでしょう、お兄ちゃん?」、そうして妹は去った。その後ろ姿をみながら、そうであったら嬉しいと俺は思ったよ。