柳葵
「あ、梅岡さん」
初めて会った日から一週間、彼女は勉強にここに通っていた。どうやら二学期の中間テストがかなり悪かったらしく、期末で少しでも挽回しようとここでの勉強を始めたようだ。
「今日は早いんだね」
「掃除がなかったの」
ここ最近、彼女についてよく分かったことがある。
それは、彼女がクラスで若干「嫌われている」という事だ。
嫌われているというか、「浮いている」と言った方が正しいだろう。そうなった理由は彼女がオタクだから。
友達がいないわけではない。しかし、友達は皆別のクラスで、休み時間とお昼以外、余り会わないから一人でいることが多いんだとか。俺もあまり親しい人はいないし、人のことは言えないが。
「毎日大変だね、これは選別」
「やった、ココアだ! 柳君こそやらなくていいのぉ~?」
「俺は平均をキープしてますから」
「むぅ~……」
彼女は頬を膨らまし、ココアを飲む。風船みたいに膨らんだ顔が、ちょっと可愛らしい。だけど腰くらいまで伸びた、長く綺麗な黒髪は首元が暑そうだ。
かなり涼しくなってきたが、日中少しだけ暑い十月は、キンキンに冷えたコーラを飲むより、やはりアイスココアがちょうどいい。
「ただ次のテストは、ちょっと範囲広いよなぁ……」
「うん、もう数学なんてやんないでゲームやりたい~」
「そんなこと言ってないで勉強しろ。章末不合格だったんだろ?」
「はぁ~い……」
勉強を再開したようだし、俺も本を読むか。
カバンを降ろし、入り口近くの本棚へ向かう。この辺りは辞典や図鑑がたくさん並ぶ。
今日はこれにするか。
本を手に取り、席に戻った。
「……ぁ~」
「……」
飽きてきたなこりゃ。
俺がここに来てから一時間、さすがに集中力が切れてきたようだ。シャーペンをころころして遊んでいる。まぁ普段から勉強はあまりしない方だし、結構頑張った方だと思う。
「今日は何の本読んでんの?」
「ん? ああ、花言葉辞典」
「? 花言葉?」
子犬のように小さく首を傾げる。
「知らない? 象徴的な意味を持たせるため植物に与えられる言葉で、例えば薔薇の花言葉は『愛情』、桜だったら『精神の美』みたいな」
「じゃあ柳君は?」
「……え?」
何を言っているのだろうか。
「ほら、柳も葵も植物なんでしょ? だったら花言葉あるんじゃないかなーって」
興味津々な目で見つめる。その様子は構ってもらいたい飼い犬のようだ。
「柳……は、確か……」
パラパラとページをめくる。「や」だからかなり後ろのはず。
「……あ、あった。『わが胸の悲しみ、愛の悲しみ、自由、従順、素直』だって」
「ふぅ~ん、イメージと違う」
何か腑に落ちないような顔で呟いた。
「ほら、柳って言ったら昔は幽霊とか、怪談とかで出てきたじゃない。だから暗い言葉のイメージがあったの」
ズキン。
少々、胸に何か突き刺さったような感じがした。
理由は至極単純。嫌な思い出を思い出したから。
小学生の時って、どんなくだらないことでもネタにして、特定の子をからかったり、いじめたりするだろう? 俺もそんな哀れな被害者の一人。
彼女が言った通り、「怪談話』のイメージが強いせいで、よく「幽霊」やら「キジムナー」やら言われてからかわれたものである。名前が女っぽいことも原因だが。因みに「キジムナー」とは沖縄のガジュマルの木に住む妖精、妖怪のこと。木の下で休んでいる人間を気に取り込む妖怪らしく、「柳葵に近づくと喰われるぞ」、なんて言われたこともあったっけ。
だから俺は自分から他人に近づこうとしないし、警戒しているのが分かるのかそれとも興味を持たないのか、、必要以上に他人も俺に近づこうとしない。
俺に友達があまりいないのは、そう言った経験からくる同級生への警戒心からである。
「だけど、自由とか素直って柳君に合ってるね」
「そう?」
「うん。言われたことは素直に受け止めるし、周りに流されないし。ねぇ、柳ってどんな植物?」
そう言われ、俺はカバンから植物辞典を取り出し、「柳」のページを開いた。
「一般的に皆が『柳』っていってるのはこの枝垂れ柳。で、この黄色いのがその花」
「え! これ花なの!? トウモロコシみたい……これも? 柳に見えない」
「垂れているのはこの種類だけだったかな? これは猫柳」
目をキラキラと輝かせ、楽しそうに写真を見ている。自分の好きなものに興味を持ってくれるというのは、とても嬉しいものだ。
「暗いイメージが強いけど、実際は薬になったり、鬼門封じのために植えたり、生命力の象徴だって言われてる」
「じゃあ葵は? どんな言葉で、どんな植物?」
「葵はアオイ科っていう植物の種類のことだ。花はないけど、家紋に使われている……えーと、フタバアオイだったら『細やかな愛情』、だね」
「へー……物知りだね。かっこいい!」
「――!」
なんだ? 胸の鼓動が早い。すごい、ドキドキする。やばい絶対顔真っ赤だ。
「私バカだからなー、頭脳では柳君に敵いません」
ぐてーっと横向きにして顔を伏せた。
「さ、さして頭良くないぞ? 平均だし、な?」
「でもさぁ~……あ、そうだ! ね、桃の花は? あるでしょ、マイナーじゃないし」
そう言われて本をめくる。
あったあっ――。
パタン
「あー! なんで本閉じるのー!」
「やっぱやめた」
冷静を装っているが、内心かなり動揺していた。
「じゃあ自分で見るから、本貸して」
「やーだね」
手を上げて本を取られないようにする。
俺は175センチ、梅岡さんはパッと見145前後といったところか。ジャンプしても簡単には届かない。
その一生懸命ジャンプする様子が、猫がおもちゃを取ろうとしているみたいで、とても可愛らしかった。
「よぉーこぉーせぇえー!!」
その後、すぐ図書室の先生が来て怒られてしまい、追い出されてしまった。
今日はそのまま帰ることにした。
帰り道。
秋風が吹く季節。まだ暑いので半袖で登校しているが、日が落ちた五時頃は少し肌寒いので、さすがに上着を着た。
「冷えてきたね~」
「うん」
梅岡さんとは途中まで帰り道が一緒。実は同じ商店街に店があることが分かった。お互い店兼家に住んでいて、俺の家は十字路の真ん中、大通りの方向にある花屋兼ケーキ屋、梅岡さんは端っこ、駅ビルより少し奥にあるゲーム店。
彼女の家がゲーム店と聞いた時、彼女がオタクなことに妙に納得がいった。
俺達はいつも駅で降り、そこからは徒歩で帰る。彼女の家より俺の家の方が近く、いつもそこで別れるのだが……、
「送ってくよ」
「え? いいよ、家目の前じゃん」
「もう暗いし、危ないよ」
今日はついていくことにした。
なぜだろう、今日は彼女から離れたくない。
それに彼女の住む駅ビル近くは居酒屋とか夜のお店が並んでいる。暗くなり始めたばかりとはいえ、変な輩に絡まれたら大変だ。
「う~、寒い」
ぷるるっ、と体を震わせた。
「はい」
俺は彼女に上着を着せた。
「あ、ありがとう……寒くないの?」
「平気」
嘘だ。本当は寒い。
「大丈夫だって……は、はくちゅ!」
「ほら寒いんじゃん! 着なよ!」
「平気だってば!」
少しでも長く、長く彼女と居たくて、いつもより速度を緩めてゆっくり、歩いて行った。
そんなやり取りをしているうちに、彼女の家の前に着いた。
「……ありがとう、上着」
「別に、寒かったんでしょ?」
返してもらった上着を着る。さっきまで梅岡さんが着てたから、ぬくぬくと暖かい。
「じゃあまた明日」
「バイバイ……あ、そういえば――花言葉」
「あ~、何? 教えてくれるの?」
「うーん……いや、俺の悩みが無くなったら、教えてあげる」
俺は家に向かって歩き出した。
街灯以外はほとんど消えているので、田舎の商店街はかなり暗い。すぐに彼女の姿は陰になって、俺の姿も黒く染まった。
「ねぇ!」
ピタ、と歩みを止める。
「悩みがあるなら、いつでも相談してね!!」
大きな声でそう言った。
夜空を見上げる。
「君に相談できるなら――、こんなに悩まないよ」
そう呟いて、また歩き始めた。