第12話
「あの時さ――」
目の前にはあの頃と変わらないユカがいる。自分の記憶と現実との区別がつきにくい。それほどリアルに昔のことが思い出せる。いや、今いるユカも記憶のユカであるならば、ここには現実が存在しないのか。それに自分自身も十歳若返っていて、これも非現実的だ。
こんなことができるのは――ひとつの考えが浮かんできた。だが、いまそれをユカに言っても始まらない。
「あの時って?」言葉が途切れてしまったので、ユカの方から訊いてきた。
「ああ、あの夏休みのとき。部活の期間が終わったあと」
「うん」
「何してた? っていうか、何考えてた?」
「何って、何が? 別に普通に過ごしてたよ。たまにケイコとかと遊んだり」
「いや、そうじゃなくて、おれのこととか、考えたりしてたかなって」
今さら変なことを、と自分でも思う。でも訊いてみたい。ここが非現実的な空間であるなら、ユカと共にいるこの時が嘘の時間であるなら、おれのしたいことをして何の問題がある。訊きたいことはこの際全部訊いてやれ。
部活期間中できるだけ一緒に登下校したお陰で、周囲からは「できてる」と噂された。噂されたり茶化されたりすれば、嫌でも相手のことを意識するようになってしまう。だが、部活の期間が終わると、ぱたりと会わなくなった。
拍子抜けしたというか、肩透かしを食らったような気分でおれは残りの夏休みを過ごした。もちろん付き合っていたわけでもないし、電車の中で話はするようになって、それはおれにとっては今までにないくらいの近い距離感でもあったけど、特別仲がいいとか、好きだとか、そういう感じでもなかった。だから会う約束もしなかったし、連絡することもなかった。部活が同じと言っても活動自体は男子と女子は別になっていて、電話番号も知らなかったし、おれはポケベルも持っていなかった。
気にはなっていたがどうすることもできない。他の友達に尋ねれば電話番号くらいわかっただろうが、そこまで能動的になる理由もないし、変な噂がまた広がっても困る。そのまま消化不良のような気分で夏休みが終わってしまった。せめてユカの方はどうたったのか、知っておきたかった。
「イワイくんのことは考えてたよ。むしろ、少し悩んでいたかも」ユカがゆっくりと答え、最後に小さな声で付け加えた。「ケイコから聞いてなかった?」
「そうだったけかな」
ケイコとは、ユカの親友でおれとはクラスメイト。おれとユカの間を取り持った女だ。
「でもね、ケイコにも言ってないことがあったよ」
「何?」
「さっき言っちゃった」
「何何?」
「ありがとうって」少し照れくさそうに言った。
「ちゃんとお礼してなかったよね。本当は部活の最終日、一緒に帰れたらその時言おうと思ってたの。で、勇気が出たらついでにご飯でも誘ってみようかなって。でも、イワイくんあの日は他の男子と遊びに行っちゃったでしょ。だから言えないで終わっちゃった」
(第13話につづく)
補足事項
主人公イサムの高一時代は、1995年になります。この頃はポケベル=ポケットベルが流行っていました。1996年以降、PHSや携帯電話が急速に普及し始め、ポケベルは衰退していきます。なので、携帯を高校生が普通に持つようになるのは、もうちょっと後ですね。




