苦しみの理由
予想は、していた。
「本当に、していたのよ。セラン」
開かれた瞳には光がなく、首には何十にも細い糸が巻きついて締めつけている。幾重にも張り巡らされた糸に宙吊りにされているセランは、糸が絡んでしまった操り人形のようだった。
「貴女は、誰に殺されてしまったのかしら」
傍の樹から伸びる糸の一本に指を滑らせると、それは強く私の指を押し返した。
「切断ではなく、圧迫、でしょうか」
だから、ばらばらになっていないのですね。
そう零した声は、いつも以上に感情がなかった。強く拳を握りしめ、引き剥がす様に顔を背けた。
「……下ろしてあげられない私を、許してください」
数時間前に分かれたセランを思い出して、瞳を閉じる。
あんな高さに吊られてしまったら、届かない。
ごめんなさい、と呟いた声は宙に溶けた。
○○○
こんなにも苦しくなるなんて考えもしなかった。
当てもなく歩きながら心の中で思った。
セランの死体を見てから、風景から色が失われたようだった。リリアの死体を見たときに感じたのは残念だという気持ちだけで、仇を討ったのはなんとなく。その行為に強い感情はなかった。
でも、セランのは、違う。残念といった生半可な感情ではなかった。
自分の身体を抉り取られたような、喪失感。
私からセランを奪ったやつを殺したいという、衝動。
「……もともと、殺す予定でしたのに」
自分の感情がよくわからなくなって、追い出す様に頭を振るった。
今まで人を殺してきて何とも思わなかったのに、すでに動かなくなったセランの身体をみて、心が凍ったようだった。
『お姉ちゃん』
そう、私を呼ぶ声が蘇る。
どうして、これほど悲しくて遣る瀬無い気持ちになるのかしら、と自問して、唐突に嗚呼、と納得した。
「親しい人が、死んでしまったから」
声に出すと、ぐるぐると滞留していた何かが、すとん、と正しい位置に収まった気がした。
これが、カインスさんが言っていた言葉の、意味。
死んだ人は、戻ってこない
これが、人が死ぬということ。
これが、人を殺すということ。
私が今まで殺してきた数多の命にも、親しい人はいて。私がセランを奪われたように、私が誰かを奪った。
カインスさんがいいたかったのは、そういうこと。
「どうして、気づかなかったのでしょう……?」
はらり、と涙が一筋流れた。
リリアが大切じゃなかったわけじゃない。でも、リリアは決して一線を越えてこなかった。ぎりぎり、知人の場所にいた。
でも、セランは違った。彼女は無防備に私の傍に居て、安心したように笑っていた。
……違う。
一線を越えたのは、私だ。
私は誰にも頼らなかった。けれど本選の前夜にセランをみて、護りたいと思ってしまった。
殺すと言っておきながら、助けたいと思ってしまった
私は今まで、兄さんに逢うことを夢見ていた。けれどそれは、セランやフィゼルも同じ。そして、本選に残った全員に、何かしらの望みがあった。
でも、生き残れるのは、一人だけ。
叶えられるのは、たった一人。
「それとも、気づかない方が幸せだったのかしら?」
自嘲気味に笑って、涙を拭った。
この苦しみを知ってしまったら、私は今までのように殺せない。
その時だった。
ひうん、と風を切る音を捉え、咄嗟に地面に伏せた。頭上を鋭い何かが通り過ぎ、直後に張りつめた糸を切断する音。
「っ、トラップですか……!」
自分の失態に気付いて悪態を吐き、その場を強く蹴り出して横に跳ねる。
地面に大量の矢が突き刺さったのは、その一瞬後だった。
「くっ……!」
不安定な状態だったため、転がるようにして着地。上半身だけを上げるようにして身を起こし、リボルバーの引き金を引いた。
「……外しましたか」
でも、追撃は免れた。
低い体勢を保ったまま、近くの樹の後ろに身を隠して溜息を吐いた。
「不甲斐ないわ」
敵に狙われていることに気付かないなんて。
ちらり、と先ほどまでいたところを窺うと、地面に林立している矢が光を反射した。
矢ではなくアロー……洋弓ですか。
相手の武器を把握し、緩んでいた意識を張り直した。リボルバーの撃鉄を上げ、一度大きく息を吐く。そして、勢いよく飛び出した。
風を切って飛来したアローを急停止することによって避け、その方向から割り出した方角に弾を放つ。
「っ、逃がしません!」
樹を盾にして姿を隠そうとする敵を追い、枯葉に覆われた地面を駆けた。
撃鉄を上げて樹の裏側に回り込――もうとして地面に伏せた。
アローが頭上を通過し、男の焦った声がする。それににやりと笑ってリボルバーを向け――
殺したくない
「……っ!」
撃ち出された弾は、男の洋弓を持っている腕を貫いた。
手放された洋弓が地面に落ち、ガシャン、と物悲しい音を奏でた。
私はそれを呆然と見つめ、震える声で言葉を紡いだ。
「どう、して……?」
私が狙ったのは、心臓、なのに……!
自分の腕が信じられない。
それでも、洋弓を取ろうと動いた男に、条件反射のようにリボルバーを向けた。
この試験に生き残るために、兄さんに逢うために磨いた技術は、私を裏切った
右腕を撃ち抜かれた男は、衝撃に揺さぶられるように痙攣し、私を強く睨みつけて足を振り上げた。
「……っ!」
リボルバーが火を噴き、吐き出された弾丸は男の軸足を貫通した。
「っ、くそっ!」
音を発てて地面に倒れ込んだ男を横目に、ゆっくりと立ち上がる。そのまま視線を落とす様に見下ろした。
「貴方は、私に勝てない」
私は顔を歪め、足を振り抜いた。
それは狙ったところに当たり、落ち葉を撒き散らしながら洋弓が地面を滑る。洋弓は男の手が届かないところで止まった。
それでも戦う意志を捨てない男にどうして、叫ぶように首を振った。
「貴方の武器はもうないし、その足じゃ立ち上がれない。両腕も使い物にならないはずよ。後は……後は殺されるしかないじゃない! それなのに、どうして諦めないの?!」
男は私の言葉に眉根を寄せ、意味が解らない、と忌々しげに言った。
「俺は、家族に逢いにいく。そのために此処にいるんだ。諦められるわけがないだろう……!」
「……貴方もなの?」
貴方にも、逢いたい人がいるの?
私は恐れるように、どうしてよ、と首を振って後ずさった。
誰かを追い求める姿は私と、セランと、フィゼルと同じで。もしこの人を殺してしまったら、私の兄と同じ境遇にいる誰かはきっと、嘆いて、恨んで、憎悪するのだろう。
誰が、殺した?
お前を、許さない
「――っ」
大切な人を奪われる苦しみを知ってしまった私には、殺せない――!
私の行動を不信に思ったのか、男は憎らしげに吐き捨てた。
「どうして、俺を殺さない? お前ほどの技術があれば一発で殺せたはずだ。慈悲でもかけたつもりか?」
男のきつい視線が、私を射抜く。
それから逃れるように、断ち切るように引き金を引いた。
「なん、でよ……!?」
額を狙った弾は、男の頬に一筋の跡をつけただけだった。
「……そういう、こと」
男は流れる血を舌で掬い、脅える私に何かを悟ったのか、口を開いた。
「あの女の子が、死んだか?」
「っ、……貴方に関係ないわ」
「関係ある」
男はいつの間にか警戒を解いており、和らげた瞳を閉じて、なんだかなあ、と苦笑した。
「お前、俺のこと殺せないだろ?」
「……」
「隠す必要ねえよ。もう動けねえから。お前はさ」
人を殺す苦しみを、知ったんだろう?
確信を持ったように言い当てられ、私は目を見開いた。
「どうして……!」
「今までの行動をみてればわかる。それが吉と出るか、凶と出るか――空を見たい。仰向けにしてくれないか?」
頼むよ、と言った男に近づいて、ゆっくりと身体を仰向けにした。
その行動に男は「お前は馬鹿か……?」と呆れた。
「やすやすと近づいてんじゃねえよ」
「頼んだのは貴方でしょう?」
「だとしても、だ。俺の、俺だけじゃない、自分が認めた人物以外を根拠なく信じるな。言葉を鵜呑みにするな。それは死を意味する。憶えておけ」
「……わかったわ」
真剣な瞳に圧される様に頷くと、男は優しげによし、と笑った。
「最後に一つ、頼んでもいいか?」
「……貴方を信じてもいいのかしら?」
「ははっ、そうだ、そうやって全てを疑え。でも、俺はお前に危害を与えられないからな。そこんとこ、考慮しろよ」
銃創から血を流したまま、男は空を見上げている。その姿に、わかりました、と小さく言った。
「貴方の手足を使い物にならなくしたのは私だもの。動けないことは、私が一番理解している」
「確かに、ほとんど動けやしない。ほんと、お前の技術はすげえよ。……じゃあ、最後の頼みだ」
男は私を視界に収めて、朗らかに続けた。
「俺を、殺せ」
「えっ……?」
言われた意味が、解らなかった。
呆然と男を見下ろしたら、彼は躊躇うんじゃねえよ、と私を叱咤した。
「俺はお前のように、人の死の痛みを知る奴に生きて欲しいと思ってる。でも、そのためには人を殺さなきゃなんねえんだよ」
俺達には、それがわからないから。
男は辛そうに顔を歪めた。
「この訓練場にいる奴等は、皆、誰かを求めてる。そういう人間が、集まってくるんだ。そいつらは、大切な人から引き離される感情を嫌というほど知っているが、それは他人も同じだと考えられない。個人で完結しているから、同調できない」
人を殺すことに、抵抗を覚えない。
男の言葉に、下を向いた。
セランを殺されるまで何の躊躇いもなかったのは、私も同じ。
「けど、お前は違う」
慰めるようにかけられたそれに、小さく震えた。
「わた、しは……そんなんじゃ……」
「お前は違うよ」
私の声を遮った男は、動く首を緩く振った。
「誰もが、追い求めるものを目指して人を殺す。それが悪いとは言わないし、俺もお前もそうだ。でも、お前はあの子の死から、人の死を理解した。全く関係のない俺を殺せなくなるほどに。これほど自分以外の感情を汲み取れるのは、おそらくお前だけだ」
「……? 貴方も、じゃないの?」
貴方だって、人の死について知っているでしょう?
疑問を浮かべると、男は否定した。
「俺は周りと少し違うんだよ。できるのは、伝えるだけだ」
結局、俺自身は解らなかったから。
男の自嘲気味な笑みに、首を捻る。
それに、どういえばいいのか、と男は呟いた。
「そうだなあ……知識はあるけど、理解できない、って感じだな。例えば、俺が仕掛けた罠。あれはどうして作動した?」
「貴方が糸を切ったからでしょう?」
「そうだ。つまり、糸を切ると罠が作動する。これが知識だ。じゃあ、どうして糸を切ったら罠が作動したんだ?」
「……そういう構造だから」
「それは答えじゃねえよ」
けど、そういうことだ、と男は続けた。
「糸を切ったら罠が作動することは知っているが、それがどうしてかはわからない。それが俺の状態。感情というものについての知識は持っていても、それがどういうものなのか、理解できない。わかったか?」
「一応、ね」
曖昧に頷くと、だから、と強い口調で言った。
「お前が生き残ることに意味があるんだ。俺達がいる場所は、人を殺さなければ護れない。ならば機械的ではなく、せめて悼んでほしい。殺された直後の一瞬でもいいから、記憶にとどめてほしい」
「……」
「だから、殺せ。お前がこの試験に合格するために。そして、この先で人を殺せるように」
男は、強く私を見据えた。
「ここで俺を殺せなければ、お前はいずれ殺される。たとえこの試験に合格したとしても、先は短い。でも、俺を乗り越えることができたなら。この先同じような出来事があったとしても、お前はその引き金を引けるようになるだろう。だから、躊躇うな」
男の声に誘われる様に、私はリボルバーを持ち上げた。それを男の心臓に向ける。撃鉄を上げ、左右にぶれる照準を無理矢理抑えつけた。
そして、引き金を引いた。