メンテナンス、終了
気絶、させられた
涙で歪んでいる白い天井を眺めて、理解した。
「どうした、イリス?」
横から声が聞こえ、その方向に顔を向けるとカインスさんの後ろ姿が見えた。それが離れていく兄さんのように思えて、新たに流れ出した涙を乱暴に拭った。
「何かあったのか」
「思い、出したの。兄さんが居なくなる直前の記憶。たぶん、兄さんが居なくなったのが辛くて、追うなって言われたのが悲しくて……忘れていた」
目を腕で覆ったまま寝返って、カインスさんに背を向ける。リリアがいなくなっていてよかったと思いながら縮こまるように身を丸め、足を引き寄せた。
「兄さん、私に幸せになれって言ってた……それなのに、自分にとって都合が悪かったから忘れていたなんて、最悪じゃない……!」
もし私が兄さんに逢えたとして、彼はどう思うのだろう。
自分の身をなげうってまで幸せになって欲しいと願った妹が、銃を手に現れたのなら。
「酷く落胆して、今までの殺しが無意味だったことを知るだろうな」
「――っ!」
心を読んだように投げられたカインスさんの言葉が、痛かった。
私は兄さんの隣に立ちたかったから、一人で悲しい想いをして欲しくなかったから、頑張ったのに。
勝手に溢れ出した嗚咽は、酷くみじめな気分にさせた。
「――でも、おそらくそれだけじゃない」
ふいにぱさりと毛布が掛けられ、視界が覆われた。
なに、と思っている間にカインスさんに頭を撫でられて、続けられた言葉に目を見開いた。
「あいつは確実に落胆するだろう。だが、それ以上に、狂喜する」
「狂喜……?」
「ああ。大切なものを自分の手で護れるのは幸せだ。けどな、それはただ、相手の意志を無視した傲慢な自己満足でしかない。無謀すぎる願いが憎悪に変わるのは、そう難しくないからだ」
カインスさんは私を宥めるように動かしていた手を止め、言葉を紡いだ。
「自分が傷ついているのに、何故彼奴は笑っている。護ったのは自分なのに、どうして隣にいるのが他の男なんだ、ってな。望みの大きさに比例して、闇に落ちた時の反動は大きい。幸せを願った分だけ、殺意が湧く」
感情の籠らない声が、部屋を支配する。
カインスさんは、それに、と続けた。
「護る側だけじゃない。護られる側も強い抑制を受けるんだよ。自分を護るために戦場に立つ人を忘れてはいけない。幸せになるのはその人を裏切ることになる、と。『命を懸けて護る』という言葉は、護られる側に一方的な圧力をかけることに他ならない。そのような愛情は、両者の心を脆くする」
囁くように告げられたそれは、とても強い説得力を持っていた。
兄さんはどれほど多くの他人よりも、私を護ると言った。そして、私に幸せになれ、と。
でも。
そんなこと、できるわけがない
兄さんが苦しんでいるのに、全てを忘れて生きていられるわけがなかった。
カインスさんは身じろぎひとつしないで聞いている私を軽く叩くと、「だから」と言って身体を離した。
近くにあった熱がなくなったことに気付いた私は、上体を起こして掛けられている毛布を退ける。そして、ベッドの横に立っているカインスさんを見つめた。
「たとえ戦場で出会ってしまっても、常にともにいられるのは、かけがえのないことだ。誰よりも自分を信頼しているということが、明白だから」
自分の行動を信じろ、と言ったカインスさんに私は頷いた。
兄さんが喜んでくれるなら、私は必ず傍にいく。
「――でも、一つ、憶えておいて欲しい」
「? なんでしょう?」
急に言葉を躊躇ったカインスさんは、手持無沙汰にペンを弄った。
けれど、私が視線を逸らさないでいたら、彼は迷いながらも口を開いた。
「人は、殺したら死んでしまうんだ」
「それが……?」
当たり前のことに首を傾げると、その答えに吹っ切れたのか、カインスさんは言葉を吐き出した。
「死んだ人は、戻ってこない。イリス、お前ならいつか、その言葉の意味を理解できるかもしれない」
「理解、ですか?」
「今はまだ、わからないさ」
苦笑するように動いたカインスさんの表情は、手が届きそうで届かない何かを求めているようだった。