第七話 ネットとリアルとの微妙な関係は、二人だけの秘密!
その夜。
私は、タコ太郎さんこと喜多君と、スカイプを使って、緊急会議を開催した。
議題は、今後の私達の関係についてだ。
「昼間も言ったけど、私が、いかすみだなんて、学校では、絶対言わないでね!」
「約束するよ。僕のこともタコ太郎って言わないでほしいな」
「いいわ。交渉成立ね」
「でも、どうして、いかすみさんって、ばれたくないの? 絵を描くことが好きって、自己紹介してたじゃない」
「イラストを描いていること自体は、別に秘密にするつもりはないけど、いかすみとしてアップしているイラストを、私が描いているって知られることが、何だか恥ずかしいのよ」
私の描いた絵を見せてくれと言われたくないのも、リアルで友達を作らない理由の一つだ。たぶん、まだ、自分のイラストに自信が無いのだろう。
「そう言う喜多君はどうして?」
「僕も、読書が好きなことまでは言ったけど、実際に小説を書いてるって知られると照れくさいしね」
二人とも思うところは同じみたいだ。
「このことは、二人だけの秘密にしよう」
その「二人だけの秘密」という言葉は、私と喜多君を特別な関係にしてしまう呪文のような気がしてならなかった。
ネットでの友人関係が既に構築されている喜多君とは、リアルでも、すぐに友達になれるはずだ。でも、それ以上の親しい関係になることは避けたかった。
ネットでの友人関係は、簡単に切断することができる。自分が忙しい時や、他にやりたいことがある時には、そもそも、ネットに入らなければ良いだけだ。
でも、リアルの友人関係ができてしまったら、それを自分の都合だけで、一方的に切断したり、一時中断したりすることは、かなりの覚悟と度胸が必要とされる。特に、それが、毎日、顔を合わせる学校の友達だったりすると、更にその困難度は増すはずだ。
そんなリアルな関係に引きずられて、イラストを描く時間が無くなってしまうことが、私は怖かった。
イラストを描くことは、これまでの私のすべてだった。それができなくなることは、私自身の存在が無くなってしまう気がした。
でも、タコ太郎さんとの協力関係は、これからも続けていきたい。これまでの関係を維持するために、「二人だけの秘密」を持つことは、やむを得ないことなのだ。
「分かった。二人だけの秘密ね」
「約束は守るよ。でも、アニメとかの話題は、リアルで話しても良いんでしょ?」
「それは良いよ。絵を描くのが好きって言っておいて、美術部に入ってないってことは、そっちの絵なんだろうなって、たぶん、クラスのみんなも分かってると思うし」
「僕もアニメ好きってことは全然秘密にするつもりはないから。じゃあ、その話題では色々と話をさせてもらうよ」
「分かった」
「ところで、リアルで、河合さんのことは、何て呼べば良い?」
「普通に名前を呼べば良いじゃない?」
「名前? 香澄さんとか?」
「上の名前!」
これまで親友と呼べる友達もいなかった私は、異性はもちろん、同性からも、「香澄」という名前で呼ばれたことはなかった。だから、家族以外からその名前で呼ばれることに抵抗があった。
「これまで『いかすみさん』って、ずっと呼んできたから、『かすみさん』って呼びやすいんだけどなあ」
「私には抵抗があるの!」
「それじゃあ仕方ないな。僕のことは、下の名前で呼んで良いよ」
「琥太郎ちゃんって?」
「ちゃん付けは、ちょっと~」
「ちゃん付けは、お母さん限定だっけ?」
「勘弁してよ」
「クラスの女の子からは、もう、下の名前で呼ばれているの?」
「まだ、呼ばれてない。でも、河合さんには呼んでもらいたいな」
「どうして?」
「だって、もう三か月以上、つき合っている訳だし」
「つき合ってるなんて、変な誤解をされるようなことを言うな!」
「でも、実際にそうじゃない」
「……私も喜多君と呼ぶからね!」
「残念だなあ。でも、希望としては、下の名前で呼んでほしいけど」
「とりあえず聞いておく」
「とりあえずかぁ。……あっ、もう、こんな時間だ! そろそろ、今日の分の執筆をしなきゃ!」
「ああ、私も絵を描かなきゃ」
「それじゃあ、お互いに、いかすみとタコ太郎になって、創作活動に勤しもうか?」
「そうだね」
「じゃあ、いかすみさん、イラスト作製、頑張ってね」
「ありがとう。タコ太郎さんも」
「うん、ありがとう。それじゃ! とりあえず、おやすみ!」
「おやすみなさい」
「ふぁ~あ」
「香澄! はしたない! ちゃんと口に手を当てて隠しなさい!」
朝食中に、喉の奥まで丸見えになるくらい大口を開けて欠伸をした私に、母親の小言が落とされた。
その後も、母親から「女性としての幸せとは」という、ありがたい説話をこれでもかというくらい聞かされて、不幸のどん底に落とされながらも、私は、朝ご飯を黙々と食べた。
ふと、喜多君のことで頭が一杯になる。
と言うと、私が喜多君にメロメロになっているかのような印象を与える表現だが、それは違う。
今までネットの向こう側にいたタコ太郎さんが、リアルのクラスメイトの喜多君として、突然、目の前に現れたことで、喜多君とどう向き合えばいいのか悩んでしまい、その答えを見つけるための演算処理が、私の頭脳の処理能力を遙かに超えているのだ。
それに、元々、私の脳内メインメモリーは容量不足なんだから、これ以上、喜多君に占拠されるとフリーズしてしまう。つまり、イラストを描く作業に支障が出るということだ。
だから、喜多君とこれ以上、親しくなることは避けたいんだ。
教室に入り、自分の席に向かうと、喜多君のにこやかな笑顔が待ち受けていた。
「おはよう、河合さん!」
「おはよう」
自分では、普段どおり、落ち着いて言えたと思うけど、もしかしたら、若干、変なビブラートが掛かっていたかもしれなかった。
席につき、鞄の中から教科書とかを取り出していると、後ろからトントンと肩を叩かれた。
「何?」
「フェアリー・ブレードの昨日のアクセス数が二千件を超えてさ! これも、いかすみさんのイラストのお陰だと思って、……あっ!」
私の、般若のような怒りの表情を見て、喜多君は口をつぐんだ。
「ご、ごめん! あまりに嬉しかったからさ」
「約束も守れないの?」
「いや、本当にごめん。二度と言わない」
軽蔑の眼差しを喜多君にプレゼントしてから、私は前に向き直った。
ふと気づくと、倉下さんが、自分の席に座ったまま振り返り、私を見つめていたけど、目が合うと、倉下さんは慌てて前を向いた。
私から、また罵詈雑言を浴びせかけられるとでも思って、警戒しているのだろうか?
私は、倉下さんの席に後ろから近づき、声を掛けた。
「倉下さん」
「は、はい」
倉下さんは、びくつきながら振り向いた。
「な、何でしょうか?」
「え~と、……私って、怖い?」
「い、いえ」
――じゃあ、何でそんなに泣きそうになってるの?
「いや、絶対、怖いって思ってるでしょ?」
「そ、そんなことありません!」
いや、明らかにびびってるよね。できる限りの優しい笑顔を見せているつもりだったのだが……。
「倉下さん。私、もう、倉下さんには話し掛けないようにするから心配しないで」
「えっ……」
「私が倉下さんに話し掛けると、それだけで倉下さんを傷つけてしまいそうだから」
「……」
「だから、安心して勉学に励んでちょうだい」
「……」
倉下さんは何か言いたげだったけど、私はそれを確認することもなく、自分の席に戻った。