第六話 イカの目印は、うさぎの尻尾!
「アニメックには、一人で行って、ゆっくりと見て回りたいの」
「それは残念だなあ」
本当に残念そうな顔をした喜多君を置き去りにして、校舎に向かって歩き出した私を、すぐに喜多君が追い掛けてきた。
「河合さん、教室に戻るの?」
「ええ」
「一緒に戻ろう」
一昨日、出会ったばかりなのに、何でこんなに馴れ馴れしいんだ?
「ちょっと、お手洗いに寄るから。一緒に来る?」
「はははは。女子トイレに一緒に行くと、僕の名前の前に『変態の』が付けられちゃうよ」
――私の心の中では既に付いているけどね。
教室に戻ると、担任から、入部届書なる用紙が全員に配られた。
結局、どのクラブにも入る気持ちが湧きあがらなかった私は、それをそのまま塵箱に捨てることになるだろう。
担任が教室から出て行くと、後ろから肩をとんとんと叩かれた。振り向くと、喜多君の笑顔があった。
「何?」
「河合さんは、何かクラブに入るの?」
「入らない」
「そうなんだ。まあ、僕も入る予定は無いんだけどね」
「ふ~ん」
「それに、すぐ家に帰ってやりたいこともあるし」
「何を?」
「秘密」
――何だよ、そのもったいぶった台詞は? 言いたくないのなら話し掛けるなよ!
私は鞄に荷物を詰め込むと、さっさと席を立った。
「さよなら」
「うん。さよなら」
喜多君は、笑顔で私に手を振った。
私が「喜多く~ん、さよならぁ」と、キャピキャピと手を振るキャラだと思っているのだろうか?
もし、そうなのなら、私がその幻想を打ち砕く! ……て言うか勝手に壊れるだろう。
倉下さんが私を見ていたのにも気がついたけど、美少女を虐める趣味を持ち合わせていない私は、そのまま教室から出て行った。
その日の夜。
私は、タコ太郎さんに、フェアリー・ブレードの挿絵データをPCメールで送った。
すぐに返信メールが来た。
『いかすみさん、どうもありがとう! 今度のイラストもチョー素敵だ!』
『ちょっと、遅くなっちゃって、ごめんなさい』
『明日、早速、アップするよ。それはそうと、いかすみさんって、ポニーテールにできる?』
『何、突然?』
『いかすみさんが、この前、ピクピクに上げていたイラストのポニテの女の子がすごく可愛いかったからさ。ひょっとして、自画像かなって思って』
『そんなわけない! そもそも髪が短いから、ポニテなんかできないし』
『いかすみさんって、ショートヘアだったんだ』
『そうよ。黒髪ロングの美少女を想像してた?』
『ちょっと。でも、全然、ポニテにできない長さ?』
『無理すれば、うさぎの尻尾くらいはできるかも』
『ラビットテールかぁ~。見てみたいな』
『だから、可愛くないから』
『だったら、明日、ラビットテールにして、学校に行ってみたら?』
『どうして?』
『男子がどんな反応するか、確認してみたら良いじゃない』
『誰も反応しないよ。そもそも、私はクラスで空気だから』
『試しにやってみてよ。それで明日、その結果を知らせて』
『良いけど』
『やった! 楽しみにしてるよ』
男って、本当にポニテに反応するよね。
でも、それも萌えアニメの美少女キャラのような女の子がやってこそ、強烈な破壊力が生まれる訳であって、ギャグアニメのモブキャラもどきの私がポニテにしても、元服前のバカ侍にしか見えないはずだ。
でも、タコ太郎さんとも約束したし、とりあえず、ポニーテールならぬラビットテールにして、明日は学校に行ってみよう。
翌朝。
朝食を食べながら、「いい女になるための必須条件」という母親の持論を、高橋名人を遙かに凌ぐ連射で浴びせかけられ、気分的に瀕死の重傷を負いながらも、私は自分の部屋に戻り、ラビットテールにしてから家を出た。
結びきれないサイドはそのまま流して、後ろ髪だけが、本当にうさぎの尻尾程度の大きさで結ばれている。まるで髪の毛に毛玉が付いているみたいだ。
でも、大丈夫! 恥ずかしくなんてない!
だって、駅でも、電車の中でも、そして通学路でも、誰にも注目されてない。今夜のタコ太郎さんへのリプも「やっぱり空気だった」で決まりだ。
教室に入ると、喜多君の周りには、今日も、例の女生徒三人組が集まっていた。
「おはよう」
私が、いつもどおりの抑揚のない声で挨拶をすると、三人組は、昨日のこともあり、少し警戒するような顔をして
「おはよう」
と挨拶を返してきたけど、誰もラビットテールに突っ込まない。
「……河合さん?」
席に座った私が、戸惑ったような声で呼び掛けられて振り向くと、喜多君が驚いたような顔で私を見ていた。
「何?」
「……あっ、いや、……お、おはよう」
「おはよう」
喜多君の戸惑った表情はすぐに消えて、いつもの笑顔に、いや、いつもよりもっと嬉しそうな笑顔に変わった。
そんなに愛嬌をふりまいて、私を釣ろうとしているのか? それこそ、海老でちりめんじゃこを釣るようなものだ。
始業のチャイムが鳴り、喜多君の周りにいた女子達も自分の席に戻ると、英語の教師が教室に入って来た。
数学とか理科という理系科目に比べると、文系科目は少しはマシだが、それでも、眠気は容赦なく襲来してくる。
昨日も、と言うか今日だけど午前二時まで絵を描いていて、それからお風呂に入ってたりしたから、寝たのは三時頃で、絶対的に寝不足だった。
教師が話す英語が眠りを誘う呪文のように聞こえ始めた時、後ろから背中をつんつんとされて、目が覚めた。
振り向くと、喜多君が折り畳んだメモ用紙を差し出していた。
喜多君の目が「これを受け取れ」と訴えていたので、メモを受け取ると前を向いて、メモを開いた。
『そのラビットテール、似合ってるね』
――!
私は、驚きのあまり出そうになった声を、両手で口を塞いで飲み込むと、三回深呼吸をして、血圧と脈拍数を元に戻した。
――落ち着け! 落ち着くんだ! この髪型をラビットテールって言うのは、一般名称かもしれないじゃないか!
『ラビットテールって何?』
私は、自分のメモ用紙にそう書いて、後ろを向くことなく、メモを挟んだ右手を後ろに伸ばした。喜多君がメモを取ったのが分かると腕を戻したが、すぐに後ろから背中を叩かれた。
今度は、腕だけを後ろに伸ばすと、その手にメモが掴まされた。
すぐに、メモを開いて見る。
『ラビットテールってその髪型のことだけど。それはそうと、河合さんって、ピクピクに投稿してる「いかすみ」さんって知ってる?』
――喜多君って何者?
『さあ』
『その人も、今日、ラビットテールにしてるはずなんだよ』
『どうして、そんなこと言えるの?』
『僕がラビットテールにしてって頼んだ張本人だから』
「えーっ!」
私は、思わず、大声を上げて、立ち上がってしまった。
「……河合。大声でスピーキングの練習か?」
英語教師の冷静さが痛さを倍増させた。
「……い、いえ」
「巻き舌もできてなかったな。座りたまえ」
「す、すみません」
落ち込んで席に座る私に、クラスメイトの冷ややかな視線が突き刺さる。
無愛想な危険人物の上に、「変人」の烙印まで押されてしまった。
休み時間になると、すぐに、私は後ろを向いて、喜多君を睨みつけた。
「ご、ごめん。まさか、そんなに驚くとは思わなかったからさ」
喜多君は、後ろ髪を掻きながら少し頭を下げた。
「そ、そのことは良いけど、……あなたが?」
「そうなんだ。昨日、ちょっと鎌を掛けてみたんだけどさ」
「ラビットテールのこと?」
「うん。でも、本当に、すごく似合ってるよ」
私は、何だか馬鹿にされているような気がして、すぐに髪ゴムをはずして、いつものヘアスタイルに戻した。
「えーっ! もう、やめちゃうの?」
「やりなれていないから痛かったの!」
「でも、こんなに近くにいるとは思わなかったよ。これからもよろしくね。いかすみさん」
「そ、その名前は二度と学校で言うな! あなたが、タコ太郎ってことは言って良いのか?」
「あっ、それは困る! それじゃあ、二人だけの秘密ってことで」
二人だけの秘密! 何だよ、その不気味は言葉は!
そ、それに、そんな眩しい笑顔を私に向けるな!
その顔は、私から絵を描く時間を奪いかねない泥棒の面相だ!